(5)特訓への誘い
「――ん。リンちゃん」
「えっ? ―――あ、ごめん。何?」
リンカは目を瞬いて、前席に座るキキコを見た。
「大丈夫?」
「え? ぼーとしちゃっただけだから、大丈夫大丈夫」
「……でも、それ」
キキコが目で指すのは、手の中でよれよれに折れた紙。青と白の斑模様は、一目で失敗だと分かる。
リンカは「うっ」と呻いてくしゃくしゃに丸め、ポケットにつっこむ。
「……リンちゃん」
気遣う声にリンカはため息をついた。
リンカとキキコは教室で〝練紙〟の練習をしていた。二人以外に生徒はいない。
ゼミの先輩にユウトに会ってみたいと言われていたことを思い出し、リンカとキキコはユウトの教室を訪ねた。
すると、ユウトはハルノから逃げるためにすでに教室からいなくなっていた。ユウトを探すリクの後を追ったが、彼まで見失ってしまい、校内を探していたところで体育館に向かう三人の姿を見つけた。
そして、ハルノが師事している先輩に模擬戦の審判を頼み、二人の手合いが始まった。
「ごめん。……ユウトのアレが気になって」
見えたのはユウトの〝術具〟と実力の一片だ。
そこに、全てが凝縮されていた。
高まる気と精成回路の活性。白銀に輝く、ガラス細工のように繊細な〝純白の刀〟。
そして、緻密に作られた〝練紙〟の発動速度。
リンカは自分の〝練紙〟――青色の〝小鳥〟に織り込まれた術式を視つめ、
「……全然、違うから」
ユウトの〝練紙〟の織り方――構築に目が奪われていたが、模擬戦でその真価を見た。
同時に〝特待生〟となって驕っていた自分に気がついた。
少しは近づけた、役に立てると思っていた自分が恥ずかく、腹立たしい。
「……綺麗だったね」
キキコに、リンカは頷いた。
緻密に織られた白い〝鶴〟の中に流れ込んだ気は、激流でありながら静謐に〝練紙〟を駆け抜け、術式が発動した。一切の無駄がなく発動する〝練紙〟は、織り込まれた術式の効力を百パーセント引き出すように工夫されていた。
それに比べてリンカの〝練紙〟は癖が多い。突起物のように脈を乱してしまい、誰が使っても十分に効力を発揮できない。
いかに自分が未熟なのか理解させられた。
リンカは唇を噛みしめ、青い〝小鳥〟を握り締める。
同じ〝特待生〟でありながら、〝練紙〟の完成度は天と地ほどの差があった。
だが、それを詳しく知ろうと思って彼の〝練紙〟の構築を視ても、リンカの〝天眼通〟では見抜けなかった。見抜けないほどに緻密に出来ているということが分かっただけだ。
精成回路の形成率は日々の訓練の積み重ねだ。
せめて、〝練紙〟の質を向上させようとしていても、うまくいかない。
青い〝小鳥〟をユウトの白い〝鶴〟の隣に置いた。
一枚だけもらったユウトの〝練紙〟。
代わりに自分の〝練紙〟を渡したが、みっともないものを渡したのだと後悔がこみ上げた。
「よしっ!」
もやもやとしていたものを吐き出し、新しい紙を手に取った。
二時間後。
「……はぁ」
「そろそろ、帰ろう?」
重いため息をついたリンカにキキコは心配そうに尋ねた。
〝練紙〟の織り込みの向上――術者のクセを少なくすることは予想以上に難しく、失敗した〝練紙〟が二桁になって、疲労はピークに達した。
〝練紙〟は精成回路の使用による術者の疲労を軽減させるのが目的だとしても、織り続ければ疲れも溜まる。
さらに〝練気〟を練るだけでなく繊細に織り込むことにも集中力が要求され、疲れが溜まるのが早かった。
「……うん。根気をつめると身体に悪いよね」
深呼吸を繰り返して、消えない焦燥感を呑み込む。
精成回路の過度な使用は回路自体に深刻なダメージを与えかねない。身体を壊しては意味がないのだ。
手早く片づけを済ませ、リンカとキキコは教室をあとにした。
「ユウくんとリっくん、帰ったかな?」
「ハルノと無理やりしていた感じだったから、帰ったんじゃない?」
肩をすくめると、おずおずという風にキキコが口を開いた。
「〝練紙〟のことユウくんに聞いてみる? ………ユウくんなら、教えるのも上手いから」
頼めば教えてくれると思う。けれど――。
「もう少し、がんばってみる。………頼りっぱなしっていうのもね」
キキコは小さな笑みを口元に浮かべた。
「………私も一緒にがんばるよ」
「ごめん。つき合わせて」
「ううん。リンちゃんとの練習は楽しいから」
「……ありがと」
昇降口では見知った女子生徒がリンカとキキコを待っていた。
「……ハルノちゃん」
呟くようにキキコはその名を呼んだ。キキコは人見知りが激しく、同門でこそ下の名前で呼ぶが、リンカやユウトたちと一緒のときに比べれば口数が極端に少なくなる。
「どうしたの?」
どこか神妙な面持ちのハルノは、リンカとキキコを交互に見つめて、
「ちょっと聞きたいことがあって。いい?」
「……別に、いいけど」
ハルノの先導で昇降口を出て校舎に沿って歩き、リンカとキキコは校庭に向かった。台形に掘られた形の校庭を見下ろす位置にある藤棚のベンチに並んで腰を下ろす。
「……それで聞きたいことって?」
ちらり、とハルノはこちらに目を向けて、
「……ユウトのことよ」
「今日、やっと模擬戦できたのに?」
「私が模擬戦をしたかった理由は分かってるでしょ……」
ハルノがユウトを追いかけ回していた時のヒステリックさがフラグだということを一体、何人が気づいたのだろう。昔はそのままの目的だったと思うが、それが変わったことを知っているのは同門――コカミ姉弟に訪れた事件を間近で見た者だけだ。
「首都でどれぐらいの訓練を積んできたのか、ちょっと確かめたかったの」
同門の同い年の中で、先天的に〝天眼通〟を使えたのは三人。ユウト、リク――そして、ハルノだ。リンカやキキコも視えるように鍛えてはいるが、すでにリクとハルノは人の精成回路まで視えている。
「二人は〝練紙〟を交換したんでしょ?」
「一枚だけだけどね」
ポケットから白い〝鶴〟を取り出すと、ハルノはつと目を細めた。
「U-RANK6よ、それ」
「……うん。分かってる」
同じU-EANKでも、ユウトの〝練紙〟の構成が違うことは分かる。U-RAMKでありながら、その繊細さと癖のなさが起こす結果は模擬戦で視た。
「やっぱり、変わっていなかった……」
苦い笑みを見せ、ハルノはため息をついた。
「あの頃と………三年前と同じだった。でも、同じだから悪化しているのかも知れないけど」
「……ハルノ」
模擬戦の時、リンカたちよりも強力な〝天眼通〟を持つ彼女が何を視たのか、想像もつかない。
リンカは眉を寄せた。キキコも不安げにハルノを見つめる。
「私が聞きたかったのは、〝塔の儀礼〟のこと。………二人はユウトと行くの?」
「!」
予想外の問いに、リンカは言葉に詰まった。顔が強張ったリンカとキキコを見て、それだけでハルノは察したようだ。
「まだ、聞いてないんだ……」
「……それは」
言いよどんでいる自分に戸惑い、リンカは目を泳がせた。
「だと思った。ユウトのことだからヒサキ先輩と行くとは思うし、そうすればヒサキ先輩のゼミに入っているリクも行く可能性が高いよね」
「たぶんね……」
「あいつを見ていると、誘うことに二の足を踏むのよね」
「うん……」
ぎこちなく頷いたリンカにハルノは目を細めた。
「でも、一緒に行きたいんでしょ?」
「行きたいのは行きたい。でも……」
足でまといになることが、自分の未熟さが嫌なのだ。彼の負担にはなりたくなかった。
「……いつも強気なのに。ツンデレ?」
「ち、違うわよ!」
かぁ、と顔が赤くなる。何故か、ハルノは呆れた表情をした。
「何?」
「あまり口を出すつもりはなかったんだけど、なんか………あんたたちって放っておけないのよね」
最後は上手く聞き取れなかった。
「これは同門のよしみで言うんだけど……」
言い難いことなのか、ハルノは口ごもった。
「あいつ、危ういわよ?」
「!」
「それは、あくまでも私の感覚だけどね」
「……ハルノ」
「言いたかったことはそれだけ………」
目を見開くリンカにハルノは、にやり、と笑い、
「安心して。もう彼氏は追いかけないから」
「ハルノっ」
声を荒げたリンカに「じゃあねー」と片手を挙げて、ハルノの姿がかき消えた。顔をめぐらせば、校門の辺りに彼女の後ろ姿が見えた。下校する生徒たちの中に消えていく。
「術式、使って……」
「……リンちゃん」
「何?」
「……聞いてみる?」
問いに、答えることは出来なかった。
***
次の日。
リンカとキキコはユウトとリクを昼食に誘った。
好き好きに買った昼食を手に、円形のテーブルを囲む。黙々とサンドイッチを頬張るキキコを右隣におき、正面にリク、左隣にユウトが座っている。
リクとユウトはたわいもない会話をしていた。リンカはスパッゲッティーをフォークにまいて、
「ハルノと模擬戦したんだよね?」
ぴたり、とユウトとリクは会話を止めた。
「……もう、噂になってるんだ」
「うん。………あ。別にまいたことを怒ってないから」
リクがじと目を向けてくるが無視。
「でも、あんなに逃げていたのに……」
「それは……リクに売られて」
「っ! ……ハルノの〝練紙〟が避けられなかったんだ」
「………そもそも、何で逃げていたわけ?」
「逃げていたのは………なんとなくで………」
「ハルノの気迫に負けていただけさ」
「あ。ちょ――っ!」
「本当のことだろ」
「ユウくん……」
さすがにキキコも呆れた声を出した。ユウトは頬をかき、
「あの押しがどうも苦手で……」
「なに、それ……」
「そう言いながら、二人も見ていたんじゃないのか?」
ユウトへの助け船なのか、リクは矛先を向けてきた。
うっ、と視線を逸らした先で、俯いたキキコが上目遣いにユウトを見た。
「……えっと……白い刀だったよね?」
実際に見ていたが、キキコの口ぶりは噂の真偽を確かめているように聞こえた。
それに内心で舌を巻きながら、リンカはユウトの〝術具〟を脳裏に浮かべた。
織り込まれた〝練気〟の質と量によって、白銀に輝いていた〝純白の刀〟。
ただ、刀の形をしていても刃はないので斬ることは出来ず、峰打ち程度にしかならないはずだ。
「うん。形状は家業を考えるとね」
「あそこまで白いと目立つなぁ……」
「〝術具〟の構築は〝練気〟と術者のイメージだよ? 〝練紙〟と同じ色にはなるって」
「〝術具〟の構成、すごかったよね。……うまく視えなかったから、それしかいえないけど」
「ありがと。……目立つのは嫌なんだけどね」
「キキコの〝術具〟も目立つよ」
「えっ………そ、そうかな?」
リクにキキコは小首を傾げた。
「〝仮面〟だったよね」
「〝仮面〟をつけると少し戦術が変わるよな」
「そんなこと、ないよ……」
顔を赤くして俯いたキキコに、唯一、その場面を見ていないユウトだけが小首を傾げた。クラス合同で行う実技授業も別で、〝術具〟の使用が許可されている道場でもその練習前にはユウトは帰ってしまうためだ。
「道場には来れないのか?」
「道場で? ………あっちの調整は終ってるから、今度の土曜日なら一日行けるかな」
「これるの?!」
リンカが身を乗り出すと、ユウトは身を引いた。
「……う、うん。やっと、溜まってた仕事も片付いたから」
「そう……」
「あ。でもハルノもいるよね」
三人にじと目を向けられて「冗談だよ……」とユウトは笑った。
ハルノの気迫に負けた、というのもあながち嘘ではないようだった。
食べ終わった食器を片付けると、リクは紙を取り出し、ユウトは図書館で借りてきた本を読み始めた。
リンカも紙を手にしているが、端をいじるだけで織れる精神状態ではなかった。
あのことを聞くためだ。
「………」
キキコを見ると、少し緊張したように唇を噛んでいる。小さく頷いてくるので、リンカは大きく息を吸い、さりげなさを装って口を開いた。
「………そういえば、二人は〝塔の儀礼〟のメンバーは決めたの?」
「メンバー? ………えっと……」
何故かユウトはリクと視線を交わし、不自然に口を閉ざした。
「? ヒサキさんのゼミに入ったんでしょ?」
「ああ。ユウトで六人目だ」
リクは頷いたものの、他に何も言わない。
「?」
リンカとキキコは顔を見合わせた。
ユウトはどこか戸惑ったように本に目を落とす。一方、リクは関係ないといわんばかりに目を閉じた。
少しの沈黙の後、ユウトは本を閉じて意を決したように口を開いた。
「実は〝全塔巡り〟をしようと思っているんだ」
「――え?」
キキコは、ぽかん、と口を開けた。 リンカはぎょっとしてユウトを見つめた。
「……全塔って、ここ以外の二十二を?」
「うん。《一族》だから一度は行っておきたいということでもあるけど、僕も術式の原形を全て見ておきたいんだ。……〝序式〟で他の術式を使うとき、術式の構築を知っているのといないのとでは、結構完成度が違うんだ。本来は〝塔〟の機能補助として組み込まれている術式と術者が使う術式は同じだけど、構成の詳細を見比べると術者のクセで少しずつズレがあるらしくて。〝塔の儀礼〟中なら、選定した術式以外の〝塔〟の中にも入れるから、いい機会なんだ」
「……見てもほとんどわからないけどな」
「確かに選定していない術式の構成は理解しにくいけど、原形なら少しは理解しやすいよ」
茶々を入れるリクにユウトは苦笑した。
「〝全塔巡り〟の案内を同門の先輩たちに頼むのは気が引けるから、ヒサキさんにお願いして了承は得てるけどね」
「えっ……でも、ヒサキさんはリっくんと……」
キキコにリクは肩をすくめた。ユウトは申し訳なさそうにリクを見て、
「あと、ユー姉も一緒に来るんだ」
予想外の名前に、リンカとキキコは顔を見合わせた。
「でも、ユリナさんは……」
リンカ口ごもった。それはユウトも承知しているはずだ。
「うん………ちょっと困ってる。でも、じいちゃんたちには承諾されてるから……」
「手際が良すぎるな……」
あはは、とユウトはリクの乾いた笑みを返した。
「ユウくんとヒサキさん、ユリナさんの三人で行くの?」
キキコの問いにユウトは頷かなかった。
「………あのさ、〝全塔巡り〟でもいいのなら〝塔の儀礼〟、一緒に行かない?」
「!」
「旅には危険もあるし〝全塔巡り〟をしようとすれば、あまり一つの〝塔〟に長居はできないけど、それでもいいのなら、どうかな?」
思いがけない誘いに、すぐに答えることが出来なかった。
放課後。
「一緒に帰ってもいいかしら?」
昨日のハルノのように、二人の上級生がリンカとキキコを待っていた。
ユリナはユウトと似ている目で、真っ直ぐにこちらを見つめている。ヒサキはユリナの少し後ろに立ち、ちらり、と視線を向けてきた。
「はい……?」
誘いよりも確認に近い言葉に、リンカとキキコは目を丸くしながら頷いた。
ユリナたちに連れられて訪れたのは、小さい頃、よく通っていた駄菓子屋だ。
「奢りだから」と渡してくるラムネを受け取ると、ユリナは満足したように頷いて駄菓子屋の隣にある空き地に入っていく。
ベンチが置かれただけの空き地は、近所の子どもたちの遊び場となっていた。ベンチの一つにキキコ、リンカ、ユリナと腰を下ろし――ヒサキは立ったままだ――お礼を言ってラムネを飲んだ。
ユリナは達観している雰囲気がどこか近寄りがたく、何を話せばいいのかわからない相手だった。
同門の先輩でもあり、ユウトの姉だ。幼少の頃は苦手だと思ったことはない。そう思うようになったのは、彼女がユキシノ学園に入学した頃から――今思えば、精成回路から漏れ出したユリナの気に圧されていたのかもしれない。
そして、あの事故が起こり、疎遠になっていた。
「その様子だと、ユウトから〝サンクリ〟のことを聞いたのね」
内心で、どきりとしたが、「はい……」とリンカは頷いた。
「やっぱり。手間が省けたわ」
「え?」
「その話をしようと思って。それを聞いたのなら、私が行くことも?」
「………はい。聞きました」
リンカは知らずと唇を噛んでいた。
「あなたも反対かしら?」
「それは……っ」
「どこにいても、危険なときは危険よ」
「……でも、ユリナさんは――」
はっ、としてリンカは口をつぐんだ。
その心情に気づいてか、ユリナは口元に浮かべた笑みを濃くした。
「そうね。今の私には力はないわ。だから心配?」
元々、ユリナは《傀儡師》だった。
ユキシノ学園に入学する前に覚醒し、たった数ヶ月で〝式陣〟を使いこなすほど才能に溢れ、〝神童〟と呼ばれていた。その時、術式を選定していたのかどうかは聞いていない。
当時〝天眼通〟が使えなかったリンカには、その凄さを理解することはできなかったが、唯我独尊で恐怖の存在だったライヤが固執するほどのモノを持っていることだけはわかった。
そして、そんな彼女がユウトの自慢だった。
幼い頃から〝天眼通〟が使えていたユウトはユリナの精成回路を視て、誰よりも彼女を尊敬していた。
だが、全てが変わってしまった。
その原因となったのは三年前――ユウトとユリナが首都へ引っ越す数ヶ月前のことだ。
詳しくは聞かされなかったが、家の手伝いで〝塔〟に入ったユリナは〝塔〟内で事故に遭い、意識不明の重体となって数週間生死の境をさ迷った。
そして、意識を取り戻すと精成回路に致命的な欠落が発見され、《傀儡師》としての力を失っていたのだ。
事故当時、風邪をこじらせて寝込んでいたユウトは〝塔〟に行っていない。
ユリナのことを聞くと、彼は見るに耐えないほど荒れ、その場にいなかった自分を責めた。
《傀儡師》に覚醒していないユウトに何ができたのか、防げない事故だったのだ、という慰めの言葉は届くことはなかった。
その後、ユウトの不調の原因が精成回路の急激な定着だと分かり、姉弟は首都へ引っ越していった。
そして、ユリナは《術士》専攻生として帰ってきた。
「けど、〝塔〟を守る《護の一族》でも〝全塔巡り〟は易々とできないから、この機会しかないのよ。私に力はないけど、自分の身は守る術は身につけているわ。……それに、あの子が少し心配で」
「!」
ユリナはリンカとキキコから視線を外し、空に転じた。
(ユリナさんも……?)
ユリナが感じた不安と、ハルノが警告する理由は同じだろう。
ユリナはブラコンと言われて笑って頷くほど、ユウトを可愛がっていた。ユウトがユリナを尊敬するように、彼女も――。
「あなたたちも、そうでしょう?」
「!」
「みんなが心配していることに気づいてるのか、いないのか。………ううん。気づいていてもあの子の覚悟は変わらない」
微笑み、ユリナは真っ直ぐにリンカを見つめた。
「二人はユウトとは行きたくない?」
「そんなことは……っ」
「そう。でも悩んでいるようだけど?」
ユリナにリンカとキキコは息を詰めた。
ユウトは〝塔の儀礼〟に誘ってこないと思っていた。
〝塔の儀礼〟は四年生最大のイベントだ。
一つの〝塔〟に一つだけある術式の原形の確認や《傀儡師》が担う様々な仕事を見ること、他市の人々との交流などの通過儀礼としての意図はあるが、交通は整備されていて、宿泊施設もその町にある学園に用意されているので、最終学年の六年生よりは気楽で旅行気分の生徒がほとんどだろう。
ただ、旅路には危険も潜み、〝塔〟を巡る騒動に巻き込まれることも多かった。
《護の一族》は事件に巻き込まれやすく、彼は自分のせいで誰かが傷つくことを酷く恐れている。
それなのにユウトが誘ってくれたことを素直に喜んでいいのかが分からない。
(………私は――)
ユリナが力を失ったと知った直後の憔悴したユウトの顔が、脳裏に浮かんでくる。
絶望と憎悪。他人に向けられた感情ではなく、自分自身に向けられている感情だった。己を押しつぶし、焼き尽くそうとしている激情が忘れられない。
帰ってきたユウトからはその片鱗も見えないが、それはただ、見えないだけではないのかと不安だった。
「足手まといに……ユウトが負担に感じることが怖い?」
「……はい」
それだけではない。何かあるのではないか――そう尋ねたかったが、口は動かなかった。
「足手まといとか負担になるとか、気にしなくてもいいの。《一族》としての責任と危険はあるけど、でも、それに気遣う必要はない」
「……え?」
「私たちはまだまだ未熟。これからもっと無力さを知っていくから、知らされる前に怖気づいたらダメよ。前に進まないと知ることも出来ないわ。そして、知ったらそれを乗り越えることも大切なの。乗り越えて、さらに前に進む。壁にぶつかって乗り越えてまた壁にぶつかって……それを繰り返して成長していくのよ」
「………無力を知る?」
「そうよ。もちろん、自分の身は自分で守れる技量はないといけないけど………」
ユリナは立ち上がるとリンカとキキコの前に屈みこみ、上目遣いに目を覗き込んできた。
「二人も、みんなで行きたいんでしょ?」
「!?」
「リクは行くつもりよ?」
「私たちは………」
リクのことは予想がついていた。キキコを見ると、彼女も戸惑ったように目を泳がせている。
「自信がないのね?」
「はい……」
「自分が納得できる理由がほしいの?」
「はい。それと――」
リンカはユリナを正面から見据え、
「何かが、あったときのために……」
旅の道中の危険を顧みず、ついていくユリナ。《術士》としての実力があるとはいえ、彼女も覚悟をしているはずだ。
(私だって……っ)
「……キキコも?」
「はい!」
その言葉を待っていたかのように、ユリナは笑った。
「そう。なら、私とヒサキであなたたちを鍛えるわ」
「ユリナさんとヒサキさんが……?」
「〝天眼通〟は使えるからコーチぐらいはできるわよ」
目を丸くする二人にユリナは微笑む。
「とりあえずの目標は………二人はユウトの〝練紙〟は持ってる?」
リンカは頷いて、ユウトの〝練紙〟をホルスターから取り出した。
「それはU‐RANK 6ね。ユウトが仕事用に織る〝練紙〟はRANK 7 よ」
「RANK7 ……っ?」
リンカが作れるのはU‐RANKだけで、RANKの〝練紙〟を作ることは上級生でも難しいはずだ。
想像以上にユウトの実力は高いようだった。
「二人には〝隠過〟のやり方を教えるわ。〝隠過〟を練習すれば、精成回路の形成率が上がって質も高まるからU‐RANKだけじゃなくて、RANKも織れようになるわ」
〝特待生〟だったヒサキと〝神童〟と呼ばれたコカミ一族のユリナ。
二人の師事を受ければ、少しは自信がつくかもしれない。
「――はい。よろしくお願いします!」
***
土曜日。
ユウトはリンカたちとの約束のためにユウヤキ道場に向かった。
ユウヤキ道場は歩いて十分ほどの場所にある。平屋建てのユウヤキ家の隣にあり、その入り口近くにはいくつかの自転車が置かれていた。
「おはようございます」
ユウトが中をのぞくと、練習着に着替えて準備運動をしていた門下生たちが振り返った。
道場の広さは自分の家にある道場の約二倍、同い年ぐらいの子たちが十数人ほどいた。その半数以上は顔見知りだ。
「おはよー」
「おはようございます」
「ユウト。なんで、来たの?」
「ひどい……」
眉をひそめたハルノに、ユウトはため息をついた。
「こら。ハルちゃん」
ハルノの隣にいる先輩の少女――ミレイ・シバタは苦笑してハルノを諌めた。通っていた頃からの顔見知りで、ユリナの友達だ。少しタレ目がちの金色の瞳がユウトに向けられ、
「今日は朝から大丈夫なの?」
「はい……」
「やっと来た」
「おはよ。リク」
床に座ったままストレッチをするリクに目を向け、
「リンとキキは?」
二人ペアを組んでストレッチをしている門下生の中に、リンカとキキコの姿はなかった。
「リンカとキキコは休みだよ、ユウト」
声の主は道場の奥で門下生の様子を見守っていた道場の師範――ミツルギだ。
おはようございます、と一礼して、
「休みですか?」
「そう連絡があった。………ヒサキは出かけている。着替えてきなさい」
穏やかだが強い言葉に頷いて、リクを見下ろした。
「今日、来るっていってたよね?」
「ああ。………でもまぁ、仕方ないさ」
肩をすくめてストレッチに入るリクは、特に不思議がっていなかった。
(……どうしたんだろ?)
内心で小首をかしげながら、ユウトは更衣室に向かった。
リンカとキキコは指定された場所に向かった。町外れの森の中にある人けの少ない公園で、遊具も少なく大きく開けた敷地は練習をするにはかっこうの場所だ。
森を抜けて公園に入ると、数少ないベンチの一つに腰を下ろす二人の少年少女が見えた。
「―――来たわね」
「おはよう……」
微笑を浮かべるユリナの隣にヒサキが座っていた。
「おはようございます」
会釈を返して二人に近づく。
「ごめんね」
突然、謝ってきたので「え?」と目を見開くと、ユリナはユウトと同じ目を伏せた。
「今日、ユウトが道場に行くって言ってたから」
「あ。いえ……」
ユウトと道場に行く約束をしていたが、破ってしまった。ユウトと手合わせをしたかったのは、誰かとの模擬戦ではなく、実際に相手をすれば何かが分かると思ったからだ。
だが、それよりも優先したいことがあった。
「さっそく〝隠過〟の練習に入るけど、その前に見てほしいものがあるの」
小首を傾げるリンカとキキコに、ユリナはポケットから一枚の〝練紙〟を取り出した。
「とりあえず、RANKを織れるようになることを目指すけど―――最終目標についてね」
「黒い……鶴?」
ユウトと同じ〝鶴〟の形だが、その色は純白ではなく墨を染みこませたような漆黒だ。
〝練紙〟の形は術者によって異なるとはいえ、似たものは少なくないが〝練気〟の色だけは別だ。
似た色に見えても微妙な濃さなどの違いがあり、同じ色はない。
形が似ていても色が違うのなら別人が織った〝練紙〟になる。
リンカは〝天眼通〟で黒い〝鶴〟を視つめ――、
「っ!」
ぞわり、と背筋が震えた。悲鳴に近い声を上げ、後ずさった。
黒い〝鶴〟に織り込まれた術式――〝練気〟の質と精練度、そして、施された〝隠過〟。
そのどれをとっても、今までに視たことがないほどの精緻さがあった。あまりにも繊細すぎて、リンカの〝天眼通〟ではその構成を視ることも、何の術式が宿っているかも知ることもできない。
ごくり、と生唾を呑み込み、
「なん、ですか? コレ……」
「これはユウトが目指している〝練紙〟よ」
「……これは………誰が……」
「《一族》のね。ユウトもいくつか持っているわ」
多くは語らず、ユリナは〝練紙〟をポケットに入れた。
「あまり視すぎるとダメよ」
「は、はい……」
はっと我に返り、リンカは呆然と目を瞬いた。キキコも目を見開き、
「……それが、ユウくんの目標ですか?」
「ええ、そうよ」
ユリナは立ち上がると微笑み、
「さぁ、始めましょうか?」