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黒白の折り鶴  作者: 奥生由緒
第2章 束の塔/英雄と約束
21/26

(9)約束

 他の部隊の報告にホウは部隊長と協議して新たに指示を出し、眼下の戦闘区域を監視していた。


「ホウさん!」


通信係の女性に呼ばれて振り返ると、三人の男が屋上に現れていた。

 そのうちの一人は二人に抱えられている状態だ。


「先輩!」

「……ホウっ! トシアキ!」


 負傷したユウスケは膝をつき、苦しげに顔を歪ませて右手を首筋に当てていた。


「お前ら、何でココにっ」

「〝塔〟にはルカさんが行きました。それより、怪我の具合は?」


 ホウが尋ねると、ユウスケは目を伏せた。


「……悪い。ヘマをした」

「いえ……こちらの驕りもありました」

「他は軽傷だったので、応急処置をして少年の捜索と任務続行をしている」

「ありがとうございます……」


 ユウスケを連れてきた二人に報告を受けている隣で、救護班の男――モリサキが怪我の具合を確認する。


「………症状は?」

「首筋の精成回路が少し欠損して、右目が見えにくいらしい」


 モリサキにユウスケを連れてきた男が答えた。


「右目の〝天眼通(ルガルデ)〟の調整ができねぇんだ。ふり幅が広すぎて……」

「回路への直接攻撃……だが、これは……?」


 トシアキは眉を寄せた。


「〝(そう)と〝(くわえる)〟だ。………あいつら、〝式陣〟を合体させやがった」

「なっ!?」


 〝第(ろく)式・層〟の特性は圧縮、効果を重ねて増幅するのではなく積み重ねる力だ。

 《傀儡師(パペット)》の精成回路の強度は、〝式陣〟で易々と射抜かれるほど脆くはない。それを欠損させたとなると、通常の攻撃の数倍以上の威力があったに違いない。


「〝加〟で増幅させた力を重ねた……?」

「ああ。撃ち込まれた太い釘を同じ速度で放った金槌で何回も叩かれた気分だ。二、三回はもったが、それ以上は無理だった。合流した奴らには気をつけろ」

「欠損は私の〝式陣〟では応急処置もできない。君の自己回復力しかないからな」

「分かってますよ……」


 ユウスケは右手で首筋を押さえ、深呼吸を繰り返す。ただの怪我なら手当てのしようもあるが、精成回路の欠損となると使える術式も限られ、直すのはもう一度鍛えるしかない。


「ちょっと、待ってください」


 ホウはケースから白い〝鶴〟を取り出し、モリサキに渡した。


「……これは?」

「RANK 7の〝(はじまり)〟です。これなら少しは役に立ちますよ。あと、コレも」


 淡い赤色の〝星〟――ヤヒロの〝練紙〟を渡す。効果は〝加〟だ。

 〝始〟で自己回復力を促し、それを加速させれば手助けになるはずだ。


「効果は確かです。あとは任せてください」


 ユウスケとモリサキは後ろに下がらせ、ユウスケを連れてきた二人は地上の応援に向かった。

 ホウは状況を整理しようとトシアキに振り返ると、携帯を手に電話を受けていた。


「はい。………はい。わかりました」

「何かあったのか?」


 電話が終ったところで部隊長が尋ねた。トシアキは訝しげに眉をひそめたまま、


「……《一族》の方でヤヒロを保護したそうです」

「なん、だって……?」


 唐突な報告に、その場にいた全員がトシアキに振り返った。


「当主からだ。ヤヒロは保護したから心配するな、と………」

「ご当主から……?」

「………」


 ホウと部隊長は視線を交わした。

 《護の一族》のフカミヤ家に連なる者たちは、直接、警察や行政に加わることは少なく、町に溶け込んで活動をしている。ただ一人、トシアキだけは〝塔の覇者〟の補佐として行政に入社したのだ。

 少し腑に落ちないことはあるが、


「怪我は、ないんだな?」

「ああ。無事だ」


 ホウは大きく息を吸った。ふぅー、と深いため息を吐き、


「下の状況は?」


足を建物の端へと向けた。

 ホウの精神が落ち着いたことに、わずかに周囲の気配が和らぐ。


「四人は確保。残り四人は合流した二人を中心に体勢を整えている」

 

 地上ではユウスケを追ってきた二人を中心に隊列を組み、体勢を立て直していた。

 戦闘の様子を見つめ、


「術式の相性が悪いか……」


 隊員たちは複数の〝練紙〟を扱えるようにクセを掴む訓練は怠っていないが、威力は七割程度。選定した基本術式と〝練紙〟の補助術式の手持ちを考えて小隊は組まれている。

 だが、〝層〟と〝加〟による防御に特化した二人が加わったことで敵側にも余裕が生まれていた。

 加勢するか数秒ほど考え、ホウは屋上のフェンスを乗り越えて建物の縁に立った。


「ホウっ」

「援護するだけだ。周囲の警戒を頼む」


 ヤヒロが無事と知って落ち着く心に、ホウは内心で自嘲した。


(情けない……顔向けできないな、これは)


 前〝塔の覇者〟を負かし、〝塔〟を制した時に得た力と責任に〝英雄〟に求められるのは勝つことだけだと分かっていた。

 だが、この体たらくでは〝覇者〟失格――ヤヒロには見せられない。

 自己嫌悪に陥りながら、ホウは地上の戦闘に目を細め、


「……行け」 


 襲撃グループを守る藍色の[壁]に〝練紙〟を突き立てた。発動した水色の[網]は[壁]を覆うと引き絞り、一本の糸へ凝縮されて[壁]共々霧散する。

 再び[壁]が現れるが、一瞬の隙は存在した。

 その隙をついて制圧部隊の一人が〝練紙〟を投げ込む。

 一枚の〝練紙〟が数十本の刃と化した。


「――散れっ!」


 分散した襲撃グループに追撃をかける制圧部隊。

 襲撃グループの六人のうち、二人の男が上空――こちらに向かってきた。ホウに気づいたのだろう。

 相手は〝陸式(藍色の層)〟使いと、もう一人はおそらく〝捨肆式()〟使い。制圧部隊(仲間たち)がその後を追うが、敵の方が速い。


「ホウ。下がって――」


いろ、と部隊長の声よりも早く、〝練紙〟を放った。

 藍色の[壁]が犯人の二人の足元に浮かび上がり、[網]の射程内から逃れる。嘲笑う〝捨肆式()〟使いにホウは感情のない目を向け、[網]を引き上げた。

 彼らは眉をひそめ、その場から左右に飛び退く。その脇を通りすぎた黒い塊が空に舞った。

 [網]が消え、その中から現れた男女(仲間)がホウの左右に着地。


「頼みます」

「了解っ」

「任せろ!」

 

 建物を蹴って、二人は虚空に飛び出した。女性は紫色の光を身に纏い、男は無数の刃の上を渡り進む。

 敵の[壁]が無数に展開した。

 ホウは空中での乱舞を見下ろし、その隙間を縫うように地上への援護を送った。






 異変は唐突だった。

 [壁]が相手を隠し、それを砕くまでの一瞬。

 その一瞬で、空気が変わった。


「レッド!」


 何か違和感を覚え、ホウは周囲に〝式陣〟を放って〝(スイエル)〟を展開した。

 その声に屋上にいた全員が反応し、周囲を警戒する。


「っ!」


 〝(スイエル)〟で感じた場所に、ホウは振り返りざまに[網]を放った。

 その行き先は、屋上の反対側にいるユウスケとモリサキだ。


「っ! いないっ」


 空中戦を繰り広げていた仲間の叫びと、ユウスケとモリサキを守るように広がった[網]が何かに切り裂かれたのは同時。



――― ゆらっ



と。ユウスケたちの頭上で何かが揺らめき、一人の男――〝陸式(藍色の層)〟使いの男が現れた。

 二人を押しつぶそうと藍色の[壁]が落下する。

 若草色の閃光が走り、[壁]は粉砕された。部隊長だ。

 ホウは新たに[網]を放った。応急処置中のユウスケとモリサキでは戦うのは不利だ。

 屋上にいる全員の意識が道路側から逸れたその時、悲鳴に近い仲間の声が上がった。


「ホウっ!」


 背後から迫る気配に、トシアキがホウを押し倒した。

 倒れながら放った〝式陣〟は、角度が悪く橙色の閃光に粉砕される。水色の光の粒を切り裂き、橙色の閃光が無防備となったユウスケたちに迫る。

 ホウは改めて〝式陣〟を放ったが、〝加〟で加速した攻撃の方が速い。

 トシアキが飛び起き、そちらに向かう。ホウも一歩遅れて援護に向かおうとして――。



「―― 危ない!」



 聞きなれた声が響いた。

 そして、数十の橙色の光が闇の一閃に呑みこまれた。


「なっ……!」


 ぞくっ、と背筋が震え、駆け出した足が後ろに飛んだ。トシアキも飛び退き、隣へと着地する。

 闇の一閃を知覚した瞬間、感じた強大な〝気〟。

 〝式陣〟を浮かばせて気配の主を探すが、すぐに答えが現れた。



「―――やれやれ」



 まだ若い男の呆れた声が、静まり返った屋上に響いた。

 ざっ、と靴底を鳴らして現れた青年は、ユウスケたちを庇うように立った。二十歳ぐらいの若い青年で、金色の髪に青い瞳を持ち、黒い服に身を包んでいる。

 ホウは青年に対して警戒心が沸き起こる前に、彼が握る刀に目が惹きつけられた。

 〝術具〟と一目でわかる代物は、闇夜でもはっきりと見える濃密の漆黒で染められていた。

 まるで、闇が固まったかのような漆黒の刀。

 刀から感じる異様な気配にホウは眉をよせ、


「―――ヤヒロ!」


青年の背後で、ユウスケに駆け寄るヤヒロの姿を見つけた。


「ウタ兄っ………ユースケさんっ、大丈夫ですか!」


 ヤヒロはばつが悪そうにホウに目を向けたが、屈んでいるユウスケを心配そうに覗き込んだ。


「ヤヒロっ……お前」


 ユウスケは眉を寄せて、ヤヒロと青年を見比べた。

 〝陸式(藍色の層)〟使いの相手をしていた隊員が[壁]に突き飛ばされ、ホウの足元まで転がってきた。


「あいつは……?」


 突然現れた乱入者に、誰もが警戒の眼差しを向けた。

 青年は視線を集めていることを無視して、口を開いた。


「子どもだけでなく、けが人まで狙うのか――」


 その視線の先にはホウたちと同じく動きを止めた〝陸式(藍色の層)〟使い。


「……だが、逆効果だな」


 青年から向けられた視線と淡い笑みに、ホウは攻撃をしかけようとした手を止めた。


「それに、もう無駄だ」

「……なに?」


 初めて〝陸式(藍色の層)〟使いが口を開いた。


手は潰れた(・・・・・・)

「っ!」


 青年に藍色の光が殺到した。

 青年が一瞥すると、[闇]が全てを呑み込み――上空から奔る橙色の閃光と[闇]が激突。


「はっ!」

 

 〝捨肆式(橙色の加)〟使いの嗤い声が響いた。

 青年は〝捨肆式(橙色の加)〟使いの一撃を黒い刀で易々と受け止め、弾き返した。弾かれた〝捨肆式(橙色の加)〟使いは、青年とホウを見渡せる位置に着地した。


「悪りぃ……っ」


 空中戦を繰り広げていた二人がホウの左右に降り立った。

 ヤヒロたちを庇う青年に右側にいる女性――カシワギが眉を寄せ、左手で右肩を押さえている男――アリカワが尋ねてくる。


「……誰だ?」

「分かりません」


 短く答えたホウに二人は視線を向けてきたが、青年に敵意を向けてないことに気づくと、わずかに警戒心を緩めた。


「聞き捨てならねぇことを言うな。ガキが」


 殺気を放つ〝捨肆式(橙色の加)〟使いに対して、青年は顔色一つ変えない。


「この程度の戦力で、ココが遅れをとることはない」

「はんっ。面白いっ」


 〝捨肆式(橙色の加)〟使いの姿がぶれるように消えた。

 ノイズが奔る姿が無数に増えて屋上を駆け巡り、青年が庇う三人へと収束する。


「離れろ!」


 だが、警告を発したのは〝陸式(藍色の層)〟使いだった。

 部隊長の手を掻い潜り〝陸式(藍色の層)〟使いが残像の一つを[壁]で突き飛ばした。

 一瞬遅れて[壁]が無数の[闇]に打ち抜かれ、消し飛んだ。


「っ!」


 突き飛ばされた残像――〝捨肆式(橙色の加)〟使いは体勢を整えるように青年から距離を取る。

 青年はそれを冷めた目で見つめ、


あの程度で(・・・・・)突破できないことは、分かっているはずだ」


 それに彼らの気配が変わった。


「D34!」


 〝陸式(藍色の層)〟使いの指示に〝捨肆式(橙色の加)〟使いは青年へ〝式陣〟を放った。

 ホウやトシアキたちを無視した攻撃。

 青年の何かが二人の警戒心を高め、第一標的としたのだろう。

 その後ろにはヤヒロたちがいたが、ホウは不思議と焦燥は沸かなかった。

 [闇]が全ての〝式陣〟を呑み込んで無効化された。

 〝陸式(藍色の層)〟使いと〝捨肆式(橙色の加)〟使いが青年に向かう。


「行きますっ」


 ホウは駆け出そうとする部隊長たちを制し、親友に目を向けた。


「……あっちは頼む」


 ああ、とトシアキが頷いたのを確認して、ホウは〝捨肆式(橙色の加)〟使いへ向かった。




        ***




 無数の橙色の光を[闇]が全て呑み込んだ。


「――っ」


 ヤヒロは息を呑み、悲鳴をかみ殺した。犯人らしき二人の男が向かってくる。


「下がっていろ」

「ユースケさんっ」

「お前もだっ」


 負傷しているユウスケがヤヒロを庇うように腰を上げ、それを医師らしい男が制した。


「……問題ありません」


 黒い刀の切っ先を下に向けたまま、レイが言った。

 その脳天に向かって、橙色の剣が振り下ろされる。


「レイさんっ」


 思わず目を閉じたヤヒロの耳に何かが軋んだ音がした。はっとして目を開けると、男の一撃を受け止めていたのは、水色の〝釣竿〟だった。


「ウタ兄!」


 名前を叫ぶと、ホウはちらりと視線を向けたが、すぐに男をヤヒロたちから引き剥がす。

 もう一人の男の前には、いつの間にかトシアキが牽制するように立っていた。


「トシ兄……」


 茫然として名前を呼ぶと、トシアキは、じろり、とレイに目を向けた。


「そいつを頼む」

「………わかりました」


 レイに背を向け、トシアキも男へと向かう。ヤヒロは呆然と二人の背中を見つめていたが、

 

「移動する」

「えっ……?」


 左腕が引かれて、視界が横に流れた。気がつくと、隣接するビルの屋上に立っていた。


「なっ……お前はっ」

「これは……」

 

 ユウスケと男を無視して、レイはヤヒロへ目を向けた。


「ここなら、問題ない」

「レイさん……」

「さっきよりはよく見える」

「……はいっ」


 素っ気無いレイにヤヒロは笑みを返し、ホウとトシアキ――〝塔の覇者〟と《護の一族》の背中を見つめた。




         ***




 ホウはユウスケたちを狙った襲撃グループの姑息なやり方に怒りが沸いたが、冷たい芯が頭の中に残っていた。

 背中に当たる視線が、怒りで荒くなる動きを制しているからだ。


(俺もまだまだ未熟か……) 


 全方位から迫る橙色の光を〝式陣〟で迎え撃ち、〝術具〟――〝釣竿〟を振るう。先端から放たれた[網]が残りの光を捉え、消失。

 〝式陣〟で牽制しながらも互いに間合いをつめ、〝術具〟が激突する。

 獰猛な笑みを見せる相手に対して、ホウは表情を消して男を見下ろした。

 交差は一瞬。

 再び〝式陣〟の応酬となる。

 同じことを繰り返しながら、少しずつ〝式陣〟の威力が、スピードがましていく。

 〝練紙〟の数倍は気を消費する〝式陣〟でも、まだ疲れは訪れない。

 それは相手も同じだ。

 〝式陣〟の応酬と〝術具〟での交差――それが互いに相手の技量をささやき、見極めていく。

 男から数枚の〝練紙〟が零れ落ちた。

 橙色と藍色が入り混じった光は三十センチほどの[刃]となり、光を撒き散らしながらホウへと一瞬で肉迫した。

 〝加〟を〝層〟で重ね、なおも加速する[刃]。

 ユウスケの防壁を破り、精成回路を欠損させた技だろう。

 対処方法を考える前に身体が動いた。〝釣竿〟にさらに〝練気〟を込め――耐え切れずに〝釣竿〟は爆発した。加速した[刃]はその爆発に呑まれる。

 余波が大気を震わせ、衝撃に身体が後ろへ吹き飛ばされた。

 ホウは[道]で体勢を整えて〝疾〟で加速、体勢を崩した男の背後に回った。


「っ!」


 無防備な男の首筋に、新たに作った〝釣竿〟を叩きつける。

 男は潰れた声を出して倒れこむと、その身体から滲み出ていた赤い光が消えた。






 気絶した男を[網]で拘束してから、ホウは視線を周囲に向けた。

 〝陸式(藍色の層)〟はトシアキが拘束し、主要道路にいた他の襲撃者たちも無事に拘束されていた。部隊長が事件の収束を報告させる。

 戦闘が終了すると、青年たちがこちらに移ってきた。

 警戒する視線を無視して、青年はホウやトシアキに会釈を送った。


「ご当主より連絡があったと思いますが、彼を保護したレイと申します」

 

 レイと名乗った青年は頭を下げた。


「すみません。彼を危険にさらすつもりはなかったのですが……」

「す、すみませんっ。俺が声を出したばっかりに……っ」


 ヤヒロはレイに頭を下げる。

 二人のやりとりに戸惑うホウとは違い、トシアキは警戒の眼差しでレイを見つめ、


「俺は君を知らないが……」


トシアキの言葉にその場に緊張が走った。


「何用で、ココに?」


 周囲の変化に戸惑い、ヤヒロはレイとトシアキを交互に見つめた。


「ご存知ないのは承知しています。私のことを知っているのはご当主とルカさんだけですので」

「姉さんが……?」

「あとでお知りになると思いますが………」

「ルカさんの知り合いなのは確かだよ!」


 言葉を濁すレイに、慌ててヤヒロが助け舟を出すが、トシアキは警戒の目を緩めない。

 その様子に部隊長たちも警戒を高めていくが、ホウがそれほど警戒していないことに気づき、戸惑うように視線を交わしている。


「………」


 トシアキも気づいて訝しげな視線を向けてきた。ホウは肩をすくめるだけで、答えなかった。

 ただの直感だったからだ。

 ヤヒロとレイが現れた時、彼から襲撃グループへの嫌悪とホウへの信頼を感じた。

 信頼はホウに向けられたというより、〝覇者〟となった覚悟への敬意――昔、親友に向けられた感情と同じものだと感じたから、彼を信用してヤヒロを任せたに過ぎない。

 レイは警戒するトシアキに目を細め、


「私は屋敷の装置を(・・・・・・)修理に来た(・・・・・)調整者(・・・)》です」


囁くように言った。

 ホウは聞きなれない言葉に眉を寄せたが、


「なん、だと……っ?」


 トシアキの驚愕の声に、ホウはぎょっとして振り返った。


「何のことだ?」


 ホウは珍しく動揺するトシアキにに目を丸くしながら尋ねると、トシアキは揺れる瞳を向けてきた。

 

「………いや。話には聞いていたが、実際に来るとは思わなかっただけだ」


 答えになっていない言葉と固い声は、説明を拒絶していた。驚愕が抜けない顔でレイに目を戻し、


「ただ、《一族》の関係者なのは間違いない」

「………」


 ホウはトシアキが彼を畏怖を込めた目で見ていることに気づいたが、あえて口にはしなかった。

 トシアキの様子を見て納得したのか、部隊長が他の者に指示を出して追い払った。

 ホウはレイに向かって頭を下げた。


「とにかく、助かったよ。ヤヒロを助けてくれてありがとう」

「いえ。騒がしかったので外に出たのですが、偶然見つけて………」


 レイは、ちらり、とヤヒロに視線を向けて、


「差し支えなければ、一つだけ聞きたいことがあるんですが……」

「聞きたいこと?」


 一瞬、彼は迷う素振りをみせ、


「何故、〝塔の覇者〟となることを選んだのか、その理由をお聞きしたいのです」

「!」


 眉を寄せるトシアキの隣で、「レイさんっ……」とヤヒロが慌てた声を出した。


「〝覇者〟は周辺地域の生命全ての運命を握り、生かすためにこの町に留まり続ける。どこにも行けず、この町に身を捧げた《傀儡師(パペット)》です」


 淡々としながらも耳の奥に残る声に、しんっ、と辺りが静まり返った。


「この町の〝覇者〟は他の町とは違って力を誇示せず、信仰の象徴でもない。ですが、負けることや妥協も許されない〝英雄〟として存在している。どうして、そうなることを?」


 レイが尋ねているのは、ホウの覚悟――〝覇者〟となった理由だ。

 英雄として存在する〝塔の覇者〟は、確かに特殊な存在だった。


「何故、そんなことが知りたい?」

「あなたにとっては、そんなものなのですか?」


 高まった青年の気に、ぞくり、と背筋が震えた。

 煌々と輝く闇をたたえた瞳が、真っ直ぐにホウに向けられる。


「あなたは町のために自分の手札の全てを切りました。……その理由は?」

 

 純粋な質問。悪意も敵意も感じない声と青い瞳は、ある少年を思い出させた。


(………あの時は、〝塔〟について聞いてきたが……)


 知らずと、ホウは口元に笑みを浮かべた。

 真っ直ぐに向けられた言葉に悪い気はしない。

 何より、唐突なレイの質問に一番動揺しているのがヤヒロだ。彼が何のために尋ねてくるのか、すぐに分かった。

 世話好きだな、と内心で苦笑し、


「俺は《傀儡師(パペット)》が好きなだけだ」

「……それは、誇りということでしょうか?」

「ああ。それと――それに気づかせてくれた奴との約束さ」


 視界の隅で、青年を見ていたヤヒロが「えっ?」とこちらに振り返った。

 一瞬、視線が交差し、ホウは青年に目を戻した。


「君は違うのか?」

「………」

「君の形成率の高さは、そうではないのかな?」


 問いに青年は答えない。

 ただ、一瞬、その青い瞳に暗い影を揺らめかせた。


「……それで、全てをかけられる?」

「ああ。俺にとっては、それだけの価値があるものだ」


 〝英雄〟としてかけられる期待、守るべきものの重圧――その全てを背負う覚悟がもてる。


「そうですか……」


 レイは目を伏せ、再び目を開けた時には、わずかに目元が和らいでいた。


「教えていただき、ありがとうございます」


 ヤヒロに意味深な笑みを向け、ホウに目を戻す。


「それでは、私はこれで失礼します――」


 わずかに頭を下げ、すぅ、とその姿は蜃気楼のように揺らめき、消えた。

 幻だったかのように消えたレイに目を瞬かせ、ホウはトシアキに振り返る。


「……いた、よな」

「ああ……」

「……化かされた気分だ」


 〝天眼通(ルガルデ)〟には自信があったが、姿を消した瞬間は視えなかった。

 一瞬、彼の姿がブレた気がしたがどんな術式を使ったのか、そもそも〝練紙〟を使用した瞬間もわからなかった。

 〝(スイエル)〟を使おうかと悩み、止めた。

 ヤヒロを助けてくれた恩人で、トシアキが彼を《護の一族》だと認めたのだ。その正体を疑う理由はない。

 部隊長は信じきれないのか、眉を寄せてレイが消えた虚空を睨んでいた。


「……本当に《一族》なのか?」

「間違いありません」

「……そうか」


 断言するトシアキに納得したのか、部隊長は事後処理の指示をするために去っていった。

 ホウはトシアキから視線を左に向けた。そこには、ぽかんと口を開けているヤヒロがいる。

 

(……あー……聞かれたか)


 ヤヒロに聞かせるためにレイは尋ねたのだろう。無性に気恥ずかしくなり、ホウは内心で悶絶した。


「……ウタ兄」

「お、おうっ。終ったぜ」


 ホウは言葉に詰まりならが、視線を夜空に逃がした。目が合わせられない。


「あー………アレはだな、その」

「俺、諦めないからな!」


 突然の宣言に、「はっ?」とホウは眉を寄せた。


「何だって?」


 ヤヒロは大きく息を吸い、覚悟を決めた目で睨んでくる。


「ウタ兄が来るなって言っても、俺は絶対そこに行ってやる!」

「……ヤ、ヤヒロ?」

「あいつに言われたんだっ……知るべきだって。あいつが何を言ってたのか、少しわかった」

「あいつ……?」


 さっきの青年かと思ったが、彼のことはレイと呼んでいたので別人だろう。


「確かに未熟だけどっ、危なっかしいけどな! いつまでも守られてばっかりじゃないんだ!」

「………ヤヒロ、ちょっと落ち着け」

「絶対、追いついてやる! 追いついてウタ兄が背負ったものを奪って、俺も背負う。俺がウタ兄の背中を守ってやる!」


 淡い赤色の光がヤヒロの目に宿った。感情に呼応して、〝気〟が高まったのだろう。


「俺が言った約束だからっ……俺の責任だからな、文句は言わせねぇ!」


 啖呵を切り、肩で呼吸をするヤヒロ。ホウは混乱した頭が追いつかず、呆然としていると、


「―――なら、俺のところに来い」

「トシッ!」


 ぎょっとしてトシアキを振り返るが、トシアキはホウを完全に無視して言った。


「俺が鍛えてやる」


 今までかけたことのない言葉は、《護の一族》として――〝塔〟の守護者としてのものだ。


「はいっ!」


 一瞬の迷いもなく、ヤヒロは頷いた。


「トシっ……お前っ」

「安心しろ。ダメだったら、そこまでの奴だったということだ」


 トシアキの本気を垣間見て、ホウは頭を抱えた。

 《護の一族》としてトシアキが鍛えるのなら実力の面では問題ないだろう。実力不足と判断すれば、容赦なく切り捨てるからだ。


「よろしくお願いします!」

「覚悟しておけ」


 二人で話を進められ、ホウには口を挟む余地はなかった。


(………トシに任せれば……いや、だけど……)


 悶々と同じ思考を繰り返し、トシアキを見ると、珍しく意地の悪い笑みを向けてくる顔があった。

 ふんっ、と顔をそむけ、夜空を見上げた。


「――あー……くそっ」


 心配や不安と同時に、嬉しいと思うことは止められなかった。

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