春が来た!
サワが留学してもう七年。
みんなそれぞれの道を歩いている。
僕も大学を卒業して教師になった。
なぜか澤本と和香が付き合っている。
しかも、澤本は和香に首ったけの様子だ。澤本は車の営業マン。和香はマラソンをがんばるため陸上部のある会社に入社。
最近はメキメキ上達してフルマラソンの上位に食い込んできた。
「サワに負けたくないの。短距離は諦めたけどマラソンなら勝てる!」
相変わらず負けん気は強い。
そう、サワはどうしてるかって。
サワはあれからいろいろなコンクールで有名になり、しっかり実力をつけているようだ。だが、ベリーショートの髪型は変わることなく、すっきりとしたドレスにショートヘアは何だかとてもおしゃれな雰囲気になっていた。
今日はゴールデンウイーク。
朝から両親はバタバタとどこかへ出かけて行った。
十日後に研究授業をする予定。朝から指導案の練り直し。休日になったって意味はない。すると、パソコンにメールが届いた。サワだった。
「四月六日に日本に行くわ。会えるかな」
はいはい、短いメールだこと。用件だけ。サワは四月だと。来年の話をしてるのか。今は五月三日だぞ。
「ほいほい、来年のことか?」
そう打つと、もう返事が来ない。きっとまたどこかに行ったんだな。
七年前のあの日、ピクニックに行ったっけ。
二人で歩きながら話したことは今も鮮明に覚えてる。サワはどうしてもピアニストになりたいと力説していた。それを頷きながら聞いていた。
真剣に聞いていたのに、いきなり「聞いてる?」と振り向きざまにキスされた。
驚いたがサワの瞳から涙が出たのにもっと驚いた。
「どうしたの」
「どうしたんじゃない! 私外国に行くの」
「うん、分かってる」
「だから、会えなくなるの」
「うん、そうだね」
「寂しくなるでしょ」
「ああ、その通り」
「どうしておじいさんみたいな反応なの?」
「へ?」
「もっと、情熱的な反応はないの? カルメンみたいな」
「いや、そういうわけではないけど。弁当食べよう」
「お弁当? そうね、腹が減っては戦はできぬって言うわね」
そう、慶は弁当に死ぬほど愛情を注いていた。
サワが黒塗りの蓋を開けると、そこは張り切って作った慶の代表作だった。
いつもの大きな海苔で巻かれたおにぎりは欠かせない。
アスパラベーコン、ささみの磯辺揚げ、肉団子の甘酢あんかけ、ブロッコリーと大根サラダ、手作りコロッケ。
「すごいすごい! 慶すごい!」
抱きついて来るサワ。何よりも食い気なのだな。慶はサワのツボを知っている。
「このお弁当、また作ってね」
「うん、キスしてくれたらあと二回作ってもいい」
振り向きざま、海苔の付いた唇でキスしてくれた。初キスなのに、こんなに何回もしかもあっけなく。
サワは美味しい美味しいと言って食べていた。
「僕の分もどうぞ」
「ありがとう」
そう言いながら、サワは突然泣き出した。
「今日の私、何だか変。どうして美味しいのに泣けるのかしら」
サワはまるで子どものように泣きながら食べていた。
そして食べ終わると、バッグから一つのDVDを取り出した。
「これあげる」
「なんの映画」
「ドキュメンタリー」
「ふーん」
そのときは何にも思わなかった。
帰り際、慶は自分から抱き寄せた。サワの肩は決して細くはなかったけど、女の子のやさしく甘い匂いがした。
「サワ、がんばれよ」
「うん」
背中で聞くサワの声はくぐもっていて、慶は一瞬泣きそうな気持になった。
「サワ、待ってるよ。いつでも帰って来いよ」
「うん、必死で勉強する」
「そうか」
慶はきっと十年くらいサワは帰って来ない気がした。サワはやると言ったらやる女だ。少々のことでは帰って来たりはしないだろう。
サワを送ると、帰り道サワのピアノが聞こえてきた。窓を開けて慶に聞かせているピアノ。月光だ。月の光を浴びながらサワのピアノを聞いてると涙がこぼれてきた。
慶はゆっくり歩きながら、なぜか「サワのバカ野郎」と呟いていた。別れたくなんかない。離れたくなんかない。外国なんか行くな。弁当作ってやんないぞ!
部屋に入ってからDVDを見ると、サワの演奏風景だった。全部で四曲入っていた。
ドレス姿のサワは美しかった。
なぜだろうか、サワの白いウエディングドレス姿を想像していた。
あれから七年。
今日は五月六日。
朝から慶の母京子が大騒ぎしている。
トントンと階段を上がる音。
「慶!」
いきなり開いたドアから飛び込んできたのは、サワだった。
ベッドに飛び込んできたサワ。
「おい、どうしたんだよ」
「帰って来たの。もうずっと日本よ」
「そうか、帰って来たのか」
思わず力いっぱい抱きしめる。
「お腹空いてるの」
その言葉に慶は俄然跳ね起きた。
「ようし、弁当作ろう!」
京子は下で泣いていた。
「サワちゃん、慶のお嫁さんになってくれるの?」
「はい、喜んで」
「僕はまだ結婚申し込んでなかったのに。余計なことするなよ!」
怒りながらも慶は跳び上がりたいほど嬉しかった。
台所に立つ慶の背中に両親の華やいだ声が聞こえてくる。
サワは慶の隣に立って、せっせと野菜を洗う。
ニンジンの中をきれいにくり抜くと、慶はサワにこう言った。
「結婚してください」
ニンジンの指輪をサワの指にはめる。
「慶、私からも言わせて」
「え?」
「慶、結婚してください。これからもお弁当よろしくお願いします」
頭をぺこりと下げたサワは可愛らしくて美しくて最高だった。