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対抗心むき出しの妹に婚約者を奪われた結果、私は幸せになりました。

作者: スズイチ
掲載日:2026/04/17



 一歳下の妹は、幼い頃から異常なまでに私に対抗心を向けていた。


「エレノアお姉様よりも、私の方が先生に褒められたわ!」 

「エレノアお姉様より、私の方が音楽の成績が良かったわ!」 

「エレノアお姉様よりも、私の方がたくさんの男性からダンスのお誘いを受けたわ!」

 

 ――お姉様よりよも、お姉様よりも、お姉様よりも。

 

 これが妹――ムミアの口癖だった。私も幼い頃は、それを微笑ましく見ていたのだが……。

 あるときから、妹の中に私に対する嘲笑のようなものが混ざるようになった。


「あらぁ、お姉様。もしかして、そんな地味なドレスで夜会に行くつもりなのぉ? ぷぷっ。私はとーっても素敵なドレスを買ってもらったわぁ。お姉様のものより、生地の質が良くてデザインも流行りのものよ。お値段もお姉様の着ているものより、ずっと高価なの。そんな地味なドレスで踊るなんて、婚約者がお可哀想〜」

 

「あーあ。もっと、華やかで楽しい人がお姉様だったら良かったのに。エレノアお姉様なんて、なーんの自慢にもならないわぁ。むしろ、恥ずかしいくらい。やだ、本音がでちゃった。私ったら、素直な性格だからぁ〜ごめんなさぁい。許してねぇ? くすくす」


 両親も私と比較しては、ムミアを褒める。


「まあ、ムミア。あなた、エレノアよりもドレス選びのセンスがあるんじゃない?」


「ムミアは、もしかしたらエレノアよりも手紙を切るのが上手なんじゃないか?」


「おやつを食べる早さも、ムミアの方が上よ!」


「早歩きだって、ムミアの方が上だ!」


 それがどうしたのだろう……と言いたくなるようなことまで、私よりもムミアの方が上だと褒める両親。

 けれど、これに気を良くした妹は、私を貶めて自分の方が優秀だと周りに吹聴していた。


 実際に学園では、ムミアの方が優秀だと思い込んでいる人達が一定数いる。

 しかし、妹はいつも私の使っていたノートを丸写ししていたし、課題のレポートも、私のものを勝手に持ち去っては参考にしていた。


 ◇

 

「……はぁ」


「どうした、溜め息なんかついて」


 ――煌々と光るシャンデリアの下。

 ぼんやりと壁際で佇んでいると、声を掛けられたので顔を上げる。


「……フィン」


 声の主は婚約者のフィンだった。彼の柔らかそうなオレンジ色の髪の毛が、少し申し訳なさそうに揺れる。


「遅れて、ごめんな。ってか、相変わらずだな……ムミアのやつ」


 ホールの中心で、男性に囲まれて楽しそうにはしゃいでいるムミアが、チラチラと伺うようにこちらを見ていた。

 〝たくさんの男性に囲まれて、モテモテの自分〟を見てもらいたいのだろう。姉の私とは違うのだと、私が一番だと誇示したいのだ。

 もう一度、溜め息を落とすとフィンが苦笑する。


「大変だなぁ、お前も。昔からあいつに振り回されてたもんな。誰かがエレノアのことを褒めようものなら、何がなんでもお前に対抗して自分の方が上だって認めさせようとしてたからなぁ」


「……そうだったわね」


「俺はそういうの好きじゃないから、ムミアのことなんか褒めたことがなったけどな!」


 ははっと笑うフィン。

 そう。どんなときも、フィンだけが私の味方でいてくれた。どれほど救いになったことか。


 私もフィンにつられて笑っていると、悔しそうな表情をしているムミアが視界の端に映る。

 

 私は小さく息を吐いたあと、フィンをダンスに誘い、妹を気にすることなく彼と静かに踊り続けるのだった。


 ◇

 

 ――翌日。

 フィンと昼食を摂るために、学園の中庭にある小さなベンチで彼を待っていたとき。


「あらぁ、お姉様じゃない」


 ムミアと彼女の友人たちが現れたかと思うと、私の前に立って見下ろしてくる。


「まぁ。この方がムミアのお姉様? いつも、ムミアに張り合っては、負けている出来損ないのお姉様……だったかしら? くすくす」


「ムミアの言っていた通りの、見栄えのしない方ですこと。ムミアの方が優秀なことに嫉妬して、貶めてくるのでしょう? 最低ですわね」


 ひどく冷たい視線を向けてくるムミアの友人たち。妹は私のことを、こんなふうに伝えていたのかと呆れて溜め息を吐く。

 それに腹が立ったのか、ムミアが忌々しそうに私を睨み付けてきた。

 

「なによ、その態度! お姉様みたいな底の浅い人間に、そんな態度を取られる筋合いはないわ! それに……」


 ムミアの視線が私の髪の毛に移ると、不愉快そうに口を開く。


「その髪飾りは、フィンからのプレゼントよね? お姉様には似合わないから、私が貰ってあげるわ!」


「なにを……!」


 手を伸ばしてくるムミアから距離を取ろうとするが、それよりも早く妹の友人たちが私の腕を掴んで押さえつけてくる。


「やめなさい! 離して!」


「煩いわね! おとなしく、しなさいよ!!」


 ムミアに髪を掴まれて、目を閉じた瞬間――。


「――何をしている?」


 突然落ちてきた品のある声に、その場にいた全員が視線を向けた。


「……っ、ルシアン様!?」


 声の主に驚いて、ムミアたちが佇まいを正す。

 ――ルシアン・ハワード様。見目麗しく品行方正な学園の人気者。

 そんな人の登場に、彼女たちの挙動がおかしくなる。


「こ、これは、何でもありませんわ!」


 そう言いながら、私からぱっと手を離すと、へらりとルシアン様に笑いかける三人。


「そ、そうですわ。ちょっとお話していただけですのよ。ねぇ?」


「ええ、ええ。本当に、それだけですわ! で、では、わたくし達はこれで失礼いたしますわね」


 急いで去って行く妹たちを見て、ほっと息を吐く。


「――大丈夫かい? 怪我は?」


 眉尻を下げて、心配そうに尋ねてくれるルシアン様。


「ありがとうございます。ルシアン様が声を掛けてくれたお陰で、何もございませんでした」


「そう、良かった。――さっきのは、君の妹だよね? 暴力を振るおうとしていたみたいだけど……家では、大丈夫なの?」


「は、はい……大丈夫です。あの、私たちのことを知っているのですか?」


 まさか、人気者の彼に認識されているなんて思ってもみなかった。

 それが表情に出ていたのか、ルシアン様がに私を見てこりと微笑む。


「――エレノア・グレイ嬢。よく図書室に居るよね? 頻繁に先生の手伝いをしていたり――あと、学園に入ってきた子猫を助けて里親まで見付けてあげたね?」


「な、なぜ、そんなことまで……!?」


 驚いて何度も瞬きを繰り返す。

 確かに、怪我を負った猫を助けたあと、必死に里親を探したが……。もう一年以上も前のことだ。なぜ、ルシアン様がそのことを知っているのだろう……。


「何でだろうね?」


 首を傾けて、蠱惑的に微笑むルシアン様。


 ――そのとき。


「おーい、エレノア〜!」


 手を大きく振りながら、フィンがこちらに向かってくるのが見える。


「――それじゃあ、僕は行くね」


「……は、はい。ありがとうございました!」


 勢いよく頭を下げると、穏やかに笑って去って行く。


(――ルシアン様、お優しい方だったな)

 

 人気なのも当然だと小さく笑っていると、フィンが不思議そうな表情で問いかけてくる。


「どうした? 何かあったのか?」


 彼の問いに、私は先ほどの出来事を彼に伝えた。


「……何だ、それ。ひどいな。ほんと、お前に怪我がなくて良かったよ。今度そんなことがあったら、すぐに俺を呼べよな。必ず助けてやるから」


「ありがとう、フィン」


 怒りながら昼食を食べるフィンに微笑みかけると、この緩やかな時間にほっと息を吐く。

 フィンがいてくれて、彼が婚約者で良かった。


 ――そう、思っていたのに……。


 ◇



 その日は図書室に寄る予定だったが、蔵書点検のため閉まっていたので、いつもより早めに帰宅した。

 自室の隣にあるムミアの部屋の扉が僅かに開いていて、中から話し声が聞こえてくる。


「…………ふふっ、……たら……どう……」

「……まさか…………ない……」


(……この声は……)


 どくりと胸が跳ねる。

 よく知った二人の声。部屋の主であるムミアと……。

 私は大きく息を吐いてから、震える手で扉を開けた。


 ――そこに居たのは、妹と婚約者のフィンであった。広いベッドの上で、裸で寝ている二人。

 

「…………どういうことなの?」


 私の声に驚いた二人が、勢いよくこちらに振り向く。

 

「――エレノア!? ち、違っ! 誤解だ!!」


(……誤解? 誤解って、なにが?)


「……誤解もなにも……裸でベッドの上にいて、その言い訳は、さすがに無理があるでしょう……?」


 私の言葉に、シーツで身体を隠したムミアが叫ぶようにして間に入ってくる。


「お姉様、どうかフィンを責めないであげて! 私が悪いの! 私が、お姉様より魅力的だったから……! ……ぐすっ……ひっく……」


「……ムミア」


「……フィン……フィン!」


 優しく肩を抱くフィンの胸に飛び込むムミア。その流れに、思わず乾いた笑いが出てしまう。


 ……何かしら、この下らない三文芝居。私は今、何を見せられているの? 震える唇をぎゅっと結ぶと、ムミアを支えているフィンが気不味きまずそうに声をかけてくる。


「…………ごめん、エレノア。こんなつもりじゃなかったんだけど……俺……俺、責任とってムミアと婚約する。……だから、お前とは婚約破棄したい……ほんとに、ごめん……ごめん……」


 頭を下げるフィンを見て、今までのことは何だったのかと思い返す。

 彼だってムミアの性格や、これまでのことを見てきたはずだ。私に対して常にマウントをとってくる様を……対抗心を見せてくる姿を……。

 それなのに、フィンはムミアと関係を持った。婚約者わたしの妹と寝たのだ。


 彼を信じていた。私の理解者だと、唯一の味方だと……それなのに……。

 耐えるように、ぐっと拳を握り込んで小さく息を吐く。二人を真っ直ぐに見据えながら、私は口を開いた。


(ここで少しでも弱味を見せたら、ムミアの思う壺だわ)


「――わかりました」


 驚いた表情で私を見るフィンとムミア。


「どうしたの、そんな驚いた顔をして。もしかして、『嫌です、婚約破棄なんてしたくありません』なんてことを、私が言うとでも思っていたの?」


「……っ」

  

「……そ、それは……」


 無言で私を睨みつけてくるムミアと、言い淀むフィンに私は言葉を続ける。


「どんな事情があろうと、妹と関係を持つような浮気者と結婚なんてしたくありません。……どうぞ、お幸せに」


「……ぁっ、え、エレノ……っ!?」


 何か言いかけているフィンを無視して、私は部屋を出て行く。


 自室に戻って扉を閉めると、その場に崩れ落ちる。

 

「……っ……なんで、こんなことに……」


 こんな裏切り酷すぎる……。

 私にとって、唯一の理解者であった婚約者のフィン……もしかして、ムミアはフィンのことが好きだったのだろうか? それとも、私の味方をする婚約者の存在が面白くなくて、こんなことを……?


(――分からない)


 ただ一つ、分かることがあるとするなら、私は大切な婚約者を失ったということだけだ。

 フィンの屈託のない笑顔を思い出して、泣きそうになる。

 ずっと一緒にいられると思っていた……ずっと私の側にいてくれると……なのに、ムミアと浮気なんて……。


「……っ……」


(――泣き腫らした顔なんて、絶対に見られたくない!)

 

 私は必死に涙を堪えると、ベッドの中に潜り込み、何も聞こえないように耳を塞いで静かに目を閉じた。


 ◇


 ――そのあと。

 私とフィンは婚約解消。そして、ムミアとフィンが正式に婚約した。


 今は、極力二人と関わらないように生活している。

 両親は私を腫れ物のように扱うし、ムミアはニヤニヤと楽しげにこちらを見ているが以前のようにマウントを取っては来ない。


 ムミアにとって、今の状況は面白くて仕方ないのであろう。

 

 ――惨めな、お姉様。私が美しく魅力的だったばかりに、婚約者を奪う形になってしまった。可哀想な目に遭わせてしまった……と学園中に触れ回っているそうだ。

 お陰で、学園で悪目立ちしてしまって、ひどく居心地の悪い思いをしている。


 ――そんな中で、私に新しい縁談の話が舞い込んできた。


「お相手側から、どうしてもと言われて……とても、良いお話で驚いたのよ。まさか、婚約破棄した娘に、こんな素晴らしい縁談が来るなんて……奇跡だわ!」


「地味で冴えないお前なんかの、何処が良かったんだろうなぁ?」


「最初は、ムミアと間違えたのかと思って聞き返してみたのよ。そうしたら、ハッキリと〝エレノア〟だって!」


「華も愛想もなくて……せいぜい真面目なことくらいしか、取り柄がないんだ。失礼のないようにしろよ。これは、お前のためを思って言ってやっているんだ。ちゃんと受け取れ」


「そうよ、あなたのために言ってあげているの。感謝なさいね、エレノア」


 両親お得意の『あたなのため』に、溜め息がでる。どんなに酷い言葉も、私のためなのだと彼らは言う。……ムミアには、こんなこと一度も言ったことがないでしょうに……。 

 しかし、随分と興奮している二人に、いったい何処の誰が、私と婚約したいなんて言ってくれているのだろうと不思議に思っていたのだが――。


「やあ。こんにちは」


 新しい婚約者様の姿を見て、驚きのあまり瞬きを忘れてしまう。

 

 ――そこに居たのは。


「…………ル、シアン様……?」


 学園の人気者で、候爵令息の彼が新しい婚約者……? 夢なのだろうかと頬を抓ってみたが、とんでもなく痛い……。

 てっきり、年の離れた成金貴族の方が相手なのだろうと考えていたのに……。

 ルシアン様が? 本当に? 確か相手方が、どうしても……とかって言ってなかった?


「あ、あの……本当に……?」


「本当だよ。よろしくね、エレノア嬢」


「……こ、こちらこそ、よろしくお願いいたします……」


 呆然としたまま言葉を返すと、ふんわりと微笑みかけられる。


「ははっ、腑に落ちてない顔をしているね」


「……と、当然です。ルシアン様が私と婚約だなんて……」


 彼と私とでは、どう考えても釣り合いが取れていない。


「――以前、君に言ったこと覚えてる? よく図書室や、先生方の手伝いをしているところを見かけていたこと」


「……え? は、はい」


「他にも、赤点を取った生徒に勉強を教えてあげてたり、刺繍や手作りの栞を売って寄付なんかもしているよね?」


(な、なぜ、そんなことまで……!?)


 驚いて言葉を失っていると、ルシアン様が言葉を続ける。


「君のこと、見てたから」


「……っ」


 予想外の言葉に、思わず動揺してしまった。


「お人好しな子だなぁって。何となく目について、何となく目で追ってたら、いつの間にか、惹かれていた」


 惹かれていたと言われて、思わず顔が赤くなってまう。


「だから、いい加減なことを言い触らす君の妹と、役立たずの婚約者に腹が立っていたよ。なぜ、婚約者きみのことを助けてあげないんだろうって」


 ルシアン様の言葉に、私は少し視線を落としてから口を開く。


「……フィンには……裏切られましたが、彼にはいつも助けてもらっていました」


「……本当に? だったら、なぜ君の妹を放置していたのかな? 酷い噂に、悪意のある態度。婚約者の妹とはいえ、見過ごせないと思うけど?」


「……そ、れは……」


「口では味方のような口ぶりだったけど、実際は何もしてくれなかったじゃないの?」


 紅茶を口に含むルシアン様の優雅な姿を見つめたあと、私はきゅっと唇を結ぶ。


 確かにフィンは、はいつも私に寄り添ってくれたし、味方でいると言ってくれてたが、それを口にするだけで態度では示してくれたことがない。

 

 労いの言葉をかけてはくれるが、それだけだった。私がムミアに何をされて、どんなことを言われたとしても、あの子を窘めるようなことは一切なかった。


「で、ですが、これは私たち姉妹の問題でしたし……」


「姉妹間の問題だろうと、大切な婚約者が貶めらるなんてこと、僕は許すつもりはないよ」

 

 真っ直ぐな視線に射抜かれて、ビクリと肩が揺れてしまう。


「…………そう、ですね……」


 私が言い淀んでいると、客室の扉が勢いよく開かれたの驚いて振り返る。


「ちょっと、どういうことよ!?」


「――ムミア!?」


 突然現れた妹が、悔しそうに顔を歪めている。


「お姉様の新しい婚約者がルシアン様!? 意味が分からない……なんで、お姉様なんかに、ルシアン様のような方……が……あっ……あら、やだ。ルシアン様、いらしてたんですね」


 今頃ルシアンがいらっしゃることに気付いたのか、急にしおらしい態度になるムミア。


「ごきげんよう、ルシアン様。初めて、お目にかかります。エレノアの妹のムミアと申します」


「――初めてだったかな? 以前、エレノア嬢の髪の毛を掴んでいた時に、会った気がするけれど?」


 ルシアン様の言葉にムミアが、焦った様子を見せる。


「そ、そんなことありましたかしら? ルシアン様の記憶違いではありませんこと? それよりも、ルシアン様がお姉様の婚約者なんて……私、信じられませんわ。……もしかして、私と間違えちゃったとか? そうよ……! そうとしか考えられませんわ!!」


 顔を輝かせた妹が私の腕を引っ張って、無理やり立ち上がらせると隣に並ぶ。


「ほら、ご覧になって。こんな地味で冴えないお姉様より、華やかで可愛くて優秀な私の方がルシアン様には相応しいと思いませんか!?」


(……この子、なにを言ってるの? 相応しいって、フィンは……?)


「……あなたには、フィンがいるでしょう?」


「え〜別にぃ。ルシアン様が、どうしてもって言うなら乗り換えてもいいっていうかぁ。……ああ、それならフィンはお姉様に返してあげるわ。私はもう、いらないし!」


 ムミアの言葉化が飲み込めなくて、呆然としてしまう。


(むちゃくちゃだわ……)

  

「……あ、あなた、なにを言ってるのか分かっているの? 自分が、どれだけ酷いことを言ってるのか理解している?」


 私から婚約者フィンを奪っておいて、何を言っているのだろうか……付いて行けなくて頭がクラクラする。

 そんな私を、面倒くさそうに一瞥するムミア。


「……はあ? 知らないわよ。それよりも、ルシアン様の婚約者になるのはこの私なんだから、邪魔者は早くここから出て行ってくれない? ねぇ、ルシアン様?」


 媚を売るムミア。だが、ルシアン様はそれを冷ややかな目で見ていた。


「邪魔者は君の方だよ。さっきからペラペラと勝手なことばかり言って、煩わしい。僕と君が婚約? 冗談だとしても、不快すぎて気分が悪くなってしまったよ。――勘違いしないでもらえるかな? 僕の婚約者はエレノアだ」


「……………………は?」


「それと、さっきから会話が丸聞こえだよ。わざとなのかな? よく平然と客人の前で、そんな態度がとれたものだね。君の周りの人達は、こんなにも悪辣で不愉快な君に何の苦言も呈さなかったのかい?」


 ルシアン様の言葉に固まるムミア。そんな妹を無視して、ルシアン様は私に視線を移す。


「――エレノア嬢。良ければ、玄関まで送ってくれるかな?」


「……え? は、はい……」


 呆然としているムミアを放置して、二人で客室を出て行く。


「今日は、ありがとう。――それと、これからもよろしく。エレノア嬢」


 手を取られると、手の甲に唇が落とされるのかと思う直前で止められる。


(う、うわー……)


 屋敷を出て行くルシアン様を見つめていると、客室から騒がしい音が響いてきた。


「なんなのよ、あの人!? 信じられない!! この私をバカにして!! あんな性格が悪かったなんて!! だいたい、お姉様なんかのどこがいいっていうのよ!? 私より、ずっとずっとダメな役立たずなのに!! 何もできない愚図のくせに!! 悔しい!!」


 叫びながら、ガシャンという大きな音に耳を塞ぐ。恐らく花瓶か何かを叩き落としたのだろう。


「……はあ。とにかく、あの子と関わらないように生活しましょう……」


 溜め息を吐くと、私は静かに自室へと戻って行った。

 

 ◇


 ――それから数日後の、お昼休み。


 人気ひとけのない静かな場所で、ルシアン様と二人で昼食をいただいていたとき。


「――これを君に」


 ルシアン様の手の中には、小さなジュエリーケースがあり、彼が中を開けると、ひと目で高価な物だと分かる美しいペンダントが入っていた。


「代々ハワード家に受け継がれてきたペンダントなんだ。――貰ってくれるかな?」

 

 キラキラと輝く青い宝石のあしらわれたペンダントを受け取り、緊張してしまう。


「よ、よろしいのでしょうか……こんな貴重な物を、いただいてしまって……」


「もちろんだよ。君は僕の婚約者なんだから。――着けてもいいかな?」


「は、はい。お願いします」


 私はルシアン様に背中を向けると、着けやすいようにと髪の毛を前に持ってくる。


「失礼するよ」


 丁寧な手つきで、ペンダントを着けてくれるルシアン様。

 

「……わぁ。とっても素敵です」


「気に入ってもらえて、良かった」


 柔和に微笑んでくれるルシアン様に、私も笑顔を返す。


「大切にしますね」


 私は胸元で輝くペンダントを、そっとシャツの中に仕舞うと、制服の上からぎゅっと握り締めた。

 ――ルシアン様は、いつだって私に優しくて、様々な感情をくれる。

 孤立していた私のために、彼がいろいろと立ち回ってくれたお陰で、これまでの嫌な噂がピタリと止まり、平穏な日常が訪れた。

 私の新たな婚約者だということが知られたときも、『釣り合わない』『相応しくない』などど散々陰口を言われたが、それもルシアン様が牽制してくれた。

 何かある度に、必ず彼が私を守ってくれている。


 ――正直なところ、私はあまり人に優しくされたことがなかったので、優しくしてくれるのなら、誰でもいいのかもしれないと考えた。

 ……フィンのときだって、そうだ。

 ちょっと、優しくされたくらいで、こんなふうに心が揺れるなんて……私は、どれだけ飢えていたのだろうと自嘲する。


 でも……それでも、私はこの方といたい。ルシアン様に見合うような人間でありたい。


 そんなことを考えながら、彼と一緒にお昼の時間を過ごすのだった。


 ◇


 ――放課後。

 今日は、どこにも寄らず真っ直ぐに屋敷へと帰ってきた。 


「……ペンダント、どこに置いておこうかしら」 


(ずっと着けていたいけど、無くしたら嫌だし見つからないように隠しておいて……)


「確か、客間に使っていないジュエリーケースがあったはず……」 


「……なにしてんのよ?」


「――っ、ムミア!?」


 突然声を掛けられて驚いていると、手に持っていたペンダントに気付かれる。


「……なによ、その綺麗な……」


 咄嗟に隠す前に、ムミアの手がペンダントに伸びてきたが、触れられる前に、私は自分の手の中に閉じ込める。

 

「触らないで!!」


 私の言葉に、眉を吊り上げて怒鳴ってくる。

 

「はあああ!? なによ、偉そうに!! どう見ても私の方が相応しいんだから、寄越しなさいよ!!」


「嫌よ! これだけは、絶対に譲らないわ!!」


 反論する私に、悔しそうに唇を噛みしめるムミア。


「……ふんっ! お父様とお母様に言いつけてやる!! 絶対に私の物にしてやるんだから!!」


 ――そして、妹は本当に両親に言いつけたのだが……。


「ルシアン様から、いただいたものなのでしょう? さすがに、それは諦めなさい」

 

「なんでよ!?」


「ルシアン様の婚約者はエレノアなのよ。あなたじゃないの、ムミア。さすがに、今回は諦めなさい」


「……嫌よ!! 嫌ったら嫌っ!! 私はアレが欲しいの!! 絶対に欲しいの!!」


「……はあ。いい加減にしてちょうだい。あなたは、エレノアから婚約者を奪っているのよ。自覚はあるの?」


「……っ、だったら、今からでも返してあげるわよ!」


「……あのねぇ」


「絶対に諦めないから!!」


 さすがに両親も今回はムミアを窘めてくれたのだが、本人の暴走は止まらず……。

 その後も妹は、毎日のようにあのペンダントを寄越せと私に詰め寄ってきたが、あしらい続けた。

 どうやらフィンにも同様の物を強請ったらしいが、「無理だ」と一蹴されたらしい。


 ◇

 

 ――ムミアの執拗さに、うんざりしながらも無視を決め込んでいたある日の朝。

 

「………………ペンダントが、……ない……?」


 ジュエリーケースの中に入れておいたはずの、ペンダントがなくなっていた。

 寝る前に何度も確認したはずなのに……と血の気が引く。部屋の鍵も、掛けておいたはずなのに……。


(……どうしよう……どうしよう……どうしよう……)


 混乱しているうちに、学園へ向かう時間が迫っていることに気付いて、何とか準備を始める。


「おはよう、お姉様」


 自室を出てすぐに出会ったムミアが、ニヤニヤと愉しげに笑っている。


(……昨日までは、挨拶よりも先にペンダントを寄越せと喚き続けていたのに)


「あらぁ? 顔色が悪いわよ〜どうかしたのぉ? クスクス」


「……っ」


「……あっ。もしかしてぇ、あのペンダントを無くしちゃったとかぁ?」


「…………なぜ?」


 私が眉を顰めると、ムミアは口を大きく開けて笑い始める。


「あははははっ! なによ、その顔。もしかして本当に失くしちゃったのぉ? あんな素晴らしいペンダントを失くしちゃうなんて、最低ね。このことがルシアン様にバレたら、婚約破棄されちゃうんじゃないの?」


「……ムミア、あなた……まさか、鍵を開けて勝手に部屋に……」

 

「はあ? なに、それ? ……もしかして、私を疑っているんじゃないわよね? 濡れ衣を着せないでちょうだい!」


 長い髪をバサリと振り払いながら、立ち去って行くムミア。


(……本当にあの子が……? でも、そうとしか……)


「……それよりも、ルシアン様に謝罪しないと…」

 

 私は肩を落とすと、小さく息を吐いた。


 ◇


 ――お昼休み。

 私は、ルシアン様に深々と頭を下げていた。


「……申し訳ございません……代々伝わる大切なものを、無くしてしまうなんて……本当に……なんて、お詫びすれば……」


 ムミアの言う通り婚約破棄されても仕方ないと、ぎゅっと目を閉じる。


「仕方ないよ」


「…………え?」


「確かにペンダントのことは残念ではあるけど、わざと無くしたわけじゃないんだし。そんな死んじゃいそうな顔をしないで? 顔色が真っ青だよ」


 ルシアン様は心配そうに私の顔を覗き込んだあと、カフェテリアで買っておいてくれた温かいハーブティーを渡してくれる。


「…………あっ……ありがとう……ございます……」


 彼の優しさに思わず泣きそうになってしまう。あんな大切な物を無くしてしまったのに……私はきゅっと唇を結んでから、ルシアン様と目を合わせる。


「……ただ……」


 私は彼に、今朝のムミアの態度のことを話した。

 聞きながら、顎に手を当てて何か考えている様子を見せるルシアン様。

 しばらくしてから、端正な口が開かれる――。

 

「…………じゃあ」


 ◇


 授業が終わり急いで帰宅すると、私は少し大きめのカバンを取り出して、必要最低限の荷物を詰め込んでいく。


「……何をしているの?」


 少し開いていた扉から、部屋の中の様子が見えたのか、先に帰宅していたムミアが声を掛けてきた。


「家を出て行く準備をしているのよ」


「は? 出て行くって、どういうことよ!?」


 妹は、私の言葉に驚いて声を上げる。


「これからは、ハワード候爵家で暮らすの」


 学園を卒業するまで、あと数カ月。

 どちらにしろ、卒業後には結婚するのだからハワード家に来るといい。そう、ルシアン様が声を掛けてくれたのだ。

 

「なによ、それ!? 私は許さないから!!」

 

「なぜ、あなたの許しが必要なの?」


 私の問いかけに、ムミアはぐっと言葉に詰まる。

 

「お、お父様とお母様は、このことを知っているの!? 二人だって、許すはずがないわ!!」

 

「二人には、手紙を書いておいたわ。仮に反対されたとしても、私はこの家を出ていくつもりよ」


「――っ! そんな勝手なこと、許すわけないでしょう!?」

 

「さっきも言ったけど、許そうが許すまいが、私はこの家を出て行く。それだけよ」


 最低限の荷物を鞄に詰め込み終わると、私は立ち上がった。


「……え? に、荷物はそれだけなの……?」


 カバン一つで出ていこうとする私を見て、驚く妹。


「ええ、私には必要ないから。荷物も、これまでのことも全部ここに置いて行くわ。――ああそうだ、フィンから貰った髪飾りもあるはずよ。欲しかったのでしょう? 持って行くといいわ」


 真っ直ぐに視線を合わせてそう言うと、ムミアが僅かに怯んだので、彼女の横を通り抜けて部屋を出て行く。


 玄関の扉を開けると、待っていてくれたルシアン様が手を伸ばしてくれる。


「行こうか」


「はい!」


 私が一歩踏み出した次の瞬間、ルシアン様の後ろにいた騎士団の方たちが一斉に屋敷に踏み込む。


「きゃあああ!!」

「なに!?」


 騒ぐ使用人たちに見向きもせず、騎士団は二階へと上がって行った。

 次の瞬間、ムミアの叫び声が耳に届く。


「は? な、なんなのよ!? ちょっ、待って! それには、触らないで!! やだやだ!! やめて!! 待ってってばぁああ!!」


 大きな物音がしたあと、騎士団の一人がルシアン様の元へと戻り、布にくるまれたペンダントを彼に差し出した。


「ムミア・グレイの部屋から発見されました」


「そう、ご苦労さま。――なにか言い訳はあるかな、ムミア嬢?」


 ルシアン様の鋭くなった視線を追うと、慌てた様子のムミアが私たちの前までやって来る。


「……っ、ち、違っ! ご、誤解です! 私じゃないわ!!」


 必死に首を左右に振るムミア。


「……本当に、あなたじゃないの?」


「当たり前じゃない!! 私を疑うなんて、酷いわ!!」


 か弱そうに肩を震わせ始めるのを見て、はっと息を吐く。


「……そう。だったら今朝の言葉はなんだったの? まるで、失くしたことを知っていたような口ぶりだったけれど」


「……そ、それは……」


「それに、昨日まであんなにも寄越せとしつこく詰め寄っていたのに、今日に限ってあんな言い方……自ら疑ってほしいと言っているようなものよ」


「……っ……」


「認めてはどう? 自分の物にならないのが許せなくて、痺れを切らしたのでしょう? 私が眠っている間に、部屋に侵入して奪って行ったのではなくて?」


 私の言葉に、ばっと顔を上げて半笑いを浮かべるムミア。


「わ、私が、そんなことするわけ……。ぺ、ペンダントなんて、知らないわよ! そうだわ、お姉様が自分でやったんでしょう!? 優秀で美しい私に嫉妬して! それとも、婚約者を奪われた仕返しかしら?」


「……なぜ、私がそんなことを? だいたい、あなたは自分のことを優秀だというけど、どの辺りが? 昨年の私のノートを丸写しして、課題やレポートも私の物を参考にしているわよね? 知っているのよ。それに、婚約者を奪われた仕返し? 今の私には、ルシアン様というとても素晴らしい婚約者がいるというのに、そんなことをする理由がないわ」


 私は隣にいるルシアン様と目を合わせて、にこりと微笑む。

 

「むしろ、これに関してはあなたに感謝しているくらいよ。ありがとう、フィンのような最低な浮気者と引き離してくれて」


「……っ……!!」


 カッとムミアの頬が赤くなる。

 

「もう見苦しい言い訳は、やめたらどうかな?」


 ルシアン様の冷やな視線に、妹は悔しそうに唇を噛みしめた。


「うるさい、うるさい、うるさーーーーいっ!!  だったら、なんだっていうのよ!? あんたみたいな地味で陰気な女に、あんな素敵なペンダントは似合わないから、貰ってあげたのよ!! それの、なにが悪いっていうのよ!?」


 私を睨み付けながら、ムミアは続ける。


「ずるいじゃない!! お姉様だけずるい!! あのペンダントは、私が貰うべきなの!! 私のなのよ!! お姉様は、私より下でいなきゃダメなの!! だから、あんなの素敵なペンダント持ってちゃダメ!! 何もかも全て、私以下でなきゃダメなんだからっ!! ドレスもアクセサリーも成績も評判も!! 全部全部ぜーんぶ、私の方が上じゃなきゃ絶対に許さない!! 私が一番じゃなきゃ嫌なの! みんな、エレノアお姉様なんかに構わないで私を見てなきゃダメなの!! お姉様なんか、放っておいて私をチヤホヤするべきなのよ!! そうじゃないと嫌なの、許せない!!」


 ムミアの酷い言い分に私とルシアン様は呆然としたあと、目を合わせて深い溜め息を吐く。


「……あなたの言いたいことは、理解したわ。とにかく自分が一番じゃなくちゃ嫌で、常に誰かにチヤホヤされていたいのね。そして、そのためには私が邪魔だったと……だから、フィンとも関係を持ったのね……?」


「そうよ! 悪い!? 私の周りで、私以上に持て囃されたりチヤホヤされるなんてこと許せない! 誰よりも私を褒めるべきだし、何よりも私を優先すべきなのよ!!」


「……そう。それが、あなたの考えだったのね。だから、異常なまでに私に対抗心を向けていたのね」

 

 大きく息を吐いたあと、私は真っ直ぐにムミアを射抜く。


「……でも今は、そんなことどうでもいいわ。――あなたのしたことは犯罪よ、ムミア」


「……は?」


「家族とはいえ、婚約者様からいただいた大切な物を盗むなんて、許されることではないわ」


「……な、なに言って……?」


 動揺するムミアを無視して、話を続ける。


「あなたが自分で言ったのよ〝貰ってやった〟と。――どうぞ、連れて行ってください」


 騎士団の方に声をかけると、慌て始める妹。


「ちょ、ちょっと!? 待ってよ、ねぇ!? 離してよ!! 冗談でしょう!? 私を犯罪者にするつりなの!?」


「何度も言わせないで。あなたがしたことは犯罪よ。あなたは、立派な窃盗犯なの」


「…………そ、そんな……嘘でしょ……? お、お姉様、やめてよ、ねぇってば……私、そんなつもりじゃ……謝るから……ペンダントのこと……そ、そうだ、ふ、フィンのことも謝ってあげるから……! もう、いいでしょう? 許してよ……」


 私がそっと目を伏せると、ルシアン様が優しく肩を引き寄せてくれる。


「――行こうか、エレノア嬢」


「はい、ルシアン様」


「お姉様っ!!!!」


「――さようなら、ムミア。私とあなたの人生が二度と交わらないことを願うわ」


「やだやだやだやだやだやだやだぁぁぁぁ!!!! お姉様ぁぁぁ!!!!」


 どんなに泣き叫んで私を呼ぼうとも一切振り返ることなく、私はルシアン様と屋敷を去って行った。


 ◇


 ムミアは取り調べてを受けたあと、しばらくの間、謹慎処分を受けた。それなりの罰金を支払い、社交界からも一時的に追放となったらしい。

 

 両親も参っていて、あの子を助けてあげてと懇願されたが、「妹があんなふうになったのは、あなた達のせいですよね?」と伝えると黙り込んでしまって……両親曰く、私は長女だからしっかりしてほしかった。甘やかしては、私のためにならないと厳しくした。ムミアを贔屓することで、私には自立心を持ってもらいたかった。なのに、こんなことになるなんて……などと、言われて呆れてものも言えなかった。そんなことで、あの人たちは妹ばかり褒めそやしていたのかと。

 とにかく、もう互いに関わらないようにと念書を交わして、それっきりだ。

 

 そして、妹はフィンとの婚約も破棄されたらしい。

 一度、彼から私宛に手紙が届いたのだが、中には……私のことが、ずっと好きだった。今でも想っている。ムミアのことは一時の気の迷いで、裸で迫られてつい誘いに乗ってしまった。反省している……というような内容が延々と綴られていて。

 私はその手紙を破ったあと、跡形もなく燃やしておいた。


 ◇

 

 ――私は今、ルシアン様と幸せな生活を送っている。

 

 ハワード家に来て数日が過ぎた頃――私は、ルシアン様に呼ばれて、お屋敷の敷地内にある別邸へと向かうと、中庭に面した心地の良いサロンへと通される。


「お待たせ、エレノア」


「いえ、大丈夫……で、す……」


 扉が開かれたので、そちらに視線を移すといつもよりラフな格好をしたルシアン様。

 そして、その腕の中には見覚えのある猫がいた。


「お顔にある、その特徴的な柄……あなた、あのときの猫さん……!?」


 以前、私が学園で助けた猫だ。


「なぜ、ここに?」


「僕が引き取ったからだよ」


「……え。でも、私は図書委員の方に……」


「うん。彼を通して飼ってもらえないかと、相談を受けて引き取ったんだ」


 確かに、図書委員の彼に話を持ちかけたあと、信用のおける人が飼ってもいいと言ってくれていると……。私は、真面目で穏やかな人柄が彼がそう言うのならと、安心してお任せしたのだが。


「……まさか、ルシアン様のことだったなんて」


 抱かれている猫の頭をそっと撫でると、嬉しそうに頬を寄せてくれた。


「ルーチェっていう名前を付けたんだ」


「……ルーチェ……素敵な名前をいただいたのね。――こんなに大きくなって。毛艶も良くて、ふくふくと幸せそうなお顔。大事にしてもらっていたのね……良かった」


 私の呟きに、ルシアン様が美しく微笑む。


「今日からは、この子も一緒に三人でここで暮らそう」


別邸ここで、ですか?」


「うん。もともと、そのつもりだったしね。ここには、卒業後に結婚してから住む予定だったんだけど、君と二人で過ごしたいし、本邸では落ち着かないし、なにより――」


 ルシアン様はルーチェをソファに下ろすと、私の両手を取って、柔く握りしめる。


本邸あっちでは、君と思う存分イチャイチャできないからね」


 麗しい蜂蜜色の目を、ゆっくりと猫のように目を細めるルシアン様。

 私は、言葉の意味を理解してじわじわと頬が赤くなっていくのを感じる。


「……っ、す、すみません、このようなことに慣れていなくて……」


「構わないよ。少しずつ、慣れていってくれればいい」


 取られた手を引き寄せられると、頬にルシアン様の唇が落ちてくる。


「ひゃっ!?」


 耳まで真っ赤にしながら驚きの声を上げる私を見て、ルーチェが大きな欠伸をするのだった。

 


 ◇おわり◇




 

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