3【目覚め】
――身体のありとあらゆる部位が痛む。それに、遠くの方から響いてくる、唸り声のような機械音が耳障りだ。
目を覚ますと、真っ白な天井が目に入った。パリッと乾いた、肌触りの良いシーツと、硬めの掛け布団に、澄んだクリーンな空気。俺はどうやら、ベッドに寝かせられている。点滴らしきパックから、管が左腕に繋がれていた。体のいたる所に巻かれた包帯には染み一つなく、定期的に交換されていることが分かった。しかし、その清潔さに見合わず、両手首は無骨な拘束具で繋がれている。なぜ拘束されているかの謎は一旦置いておいて、俺は奇跡的に一命を取り留めたようだ。
ベッドから降りようと試みるが、体が鉛のように重い。まるで自分の体ではないようだ。上半身をなんとか起こして数メートル先の窓の外を眺めたが、星ひとつ見えない真っ暗闇の中に、反射した自分の顔が映り込むだけだった。頭部を負傷していたのか、ぐるぐると派手に包帯が巻かれている。どうりで頭が重いわけである。変わり果てた自分の姿を眺めながら、放心していた時である。大事な事を思い出した。
……そういえば、リュウが見当たらない。朦朧とした意識の中、彼の手を握りしめていた感触は確かに覚えているのだが。彼は、今どこにいるのだろう。
「何も見えませんよ」
窓ガラスに、誰かが映り込んだ。振り向くと、男が部屋の入り口に立っていた。ラフな格好をした若い男だ。タンクトップの上から白衣を羽織った、ちぐはぐな格好をしている。彼の手にはトレーが乗っており、包帯や薬品と思しき液体の入ったパックなど、治療道具らしいものがいくつか揃えられていた。
「今、外宇宙を飛んでるんで」
「……外宇宙?」
「そ。だから何も浮かんで無いでしょ」
男は窓の外を目で示した。宇宙には数えられない程の星があるのに、一つも瞬いて見えないのは確かに不可解だ。
――成る程、ここは外宇宙なのか。……外宇宙って、何だっけ?
回らない頭で根拠もないまま、なんとなく彼の言葉に納得してしまった。
「……君が俺を助けてくれたのか? 有り難う」
「……俺は治療しただけですよ。船長が、珍しい人種をコレクションしてるもんで。良かったですね。あんたがルルイェ人じゃなかったら、もう一度宇宙空間に棄てられてたところでしたよ」
男はそう言いながら慣れた手つきで包帯を替え始めた。包帯の下はまだ生々しい傷が残っており、皮膚に貼り付いた包帯がはがされる際、外気が染みてぴりぴりと痛んだ。おとなしく手当を受けながら先程彼が言った言葉を反芻する。
俺を救助してくれたのはこの船のクルーで間違いないようだが、彼の言動に若干の違和感を覚えた。世間で忌み嫌われている筈の
”ルルイェ人だから”助けてもらえたのだというのだから理解に苦しむ。それに、コレクションという言葉が、意味深に聞こえてならなかった。
「……じゃあこれは、俺が逃げないようにってか?」
俺は、手首へと視線を落とす。ルルイェ人だからといって差別を受けてきたことは何度もあるが、身体を拘束されるのは初めてのことだった。両側に軽く引っ張ってみるが、金属の擦れる耳障りな音がするだけで、外れそうにない。本気を出せば外せるかもしれないが、満身創痍でそれをする気力はまるで湧いてこない。外せたところで、弱り切った今の自分に何かができるとは到底思えなかった。
「……まあそんなところ。……あんた、名前は?」
「アイザック。君は?」
「CB」
彼はぶっきらぼうにぽつりと名乗った。だが、彼の手つきは口調とは裏腹に丁寧だ。ぴっちりと綺麗に巻かれた包帯。それだけで、彼への信頼が自ずと芽生えていく。悪意のある人物が、こんなに丁寧な看護などできまい。
「痛みはありませんか?」
「あぁ、うん。ほんのちょっと痛むだけだよ」
「そうですか。もうモルヒネは要らなさそうですね。……寝ている間、ずっと呻いていたから、よっぽど傷が痛むのかと思っていましたよ」
「……CB。改めてお礼を言うよ。かなり面倒を見てもらっていたようだね。それから、その……。助けてくれた時、俺ともう一人、男が居なかったかな?」
もし、リュウが同じ周回軌道に乗っていたのだとしたら自分の近くに漂っていたはずである。そうだ。手を繋いでいたのだから、遠くに行ってしまったということは考えにくい。共に救助されて、この宇宙船の別の部屋で治療を受けているに違いない。
「彼は同郷の幼なじみなんだ。ええと……目が緑色で年齢は俺と同じくらいなんだけど……」
「……すんません。俺、その現場見てないんで」
CBは俺の顔を見ようともせず、そう答えた。彼がリュウの事を知らないことには落胆したが、一方で納得が勝った。確かに、彼は船専属の医師のようだし、彼がそのような場面を目にする機会は無いだろう。俺が救助された瞬間を目撃した者なら、リュウの居場所を知っているかもしれない。
体調が回復したら、彼の仲間にも訪ねてみようと前向きに考えることにした。
「……そうか。……CB、他にも色々と聞きたい事が……」
「それはまた今度。とにかく、あんたが今すべきことなのは良質な睡眠をとること。……それじゃ」
待ってくれと言う前に、CBはさっさと部屋を出ていってしまった。自分の置かれた状況に、未だ混乱しているというのに、質問する隙を与えて貰えなかった。
俺は仕方なく再びベッドへ身体を預ける。真っ白な部屋に、真っ白のシーツ。全てを失って、この身一つになってしまった俺も、この部屋同様、真っ白に燃え尽きてしまったような喪失感に襲われた。 命が助かった喜びをリュウと分かち合う事ができたらどれだけ良いだろうか。俺は晴れない気持ちをやり過ごすために、CBが言ったとおり無理矢理眠ろうと、目を閉じることにした。身体は休息を求めていたようで、あっという間に眠りに落ちていく。
……どれくらい経っただろう。奇妙な夢を見た。
宇宙の、無限に広がる冷たい漆黒の中に、宇宙服姿の人物が浮遊している。周囲には星一つ浮かんでおらず、その人物はひたすらゆっくりと回転しながら、揺蕩っているのだ。
……あれは、リュウだろうか。俺は、ただただ、その姿を眺めていた。
……まるで永遠の時間。彼は一人ぼっちで、揺蕩う。彼がどれだけ孤独であるか想像すると、爪先からぞわぞわと底知れぬ恐ろしさが這い上がってくる。早く、宇宙服の彼のもとへ行って抱き締めてやらなくてはならない。
なのに、まるで自分の身体の周りをコンクリートで固められたかのように、指一本さえ動かせない。俺の身体はどうしてしまったのだろう。強く念じる。
動け、動け、動け――――
「……はぁっ! ……はぁ、はぁ……」
俺は飛び起きた。同時に、身体のあちこちが痛み、慌てて横になる。――なんとも夢見が悪い。
心臓が激しく脈動している。肌にべったりとした汗が纏わりついて不快だ。深呼吸を繰り返すうちに、心音は落ち着きを取り戻していったが、どうも、もう一度眠るとあの夢に取り込まれそうな気がしてもう一度眠りたくなかった。
CBの言う通り、今の俺にできることは、よく寝て早く回復することのみだ。回復して、リュウを探しに行かなくてはならない。一日でも惜しい。俺は、無理矢理目を瞑った。
それから数日間、CBの言いつけを忠実に守り、俺は大半の時間を眠って過ごした。とはいえ、正確にはどれくらいの時間を眠っていたのかよく分からない。目が覚めてまず考えることは、今が朝か夜かということだった。部屋の壁に表示される、時間表示を見るたびに、自分が時間というものにつくづく支配されていると思い知らされた。
生憎、宇宙とは常に夜のようなものである。そもそも、太陽という恒星を基準にした時間の概念を、人類が太陽系外に持ち出した瞬間から、一日=二十四時間という概念は破綻してしまっていたのだ。それを無理矢理維持するために、人類は時間の概念を宇宙空間に持ち出した。昔の人は、宇宙のあちこちに散らばったヒューマノイドたちが、同じ時間感覚と基準を持っていた方が何かと都合が良いと考えたのだろう。
そのため、彼らは宇宙のあちこちに基地局を設置した。また、宇宙空間を移動して回っている宇宙船には、それぞれにセシウム時計の設置を義務付けた。セシウム時計の示す時間を元に切り替わる数字の羅列と自動照明システムが、ヒューマノイドの体内時計を正常に保つ役割を担っている。
人類は、時間に縛られていないと不安になる生物だ。文明が築いた檻は、現在進行形で人類を制御し続けている。一方で、自分は寝てばかりいたせいか、体内時計が狂ってしまったようだ。どうも頭が回らない。
そんな時間感覚の歪みの中でひとつだけ分かったことがある。約二十四時間に二回、CBが俺の様子を見に部屋を訪れていることだ。包帯を取り替えるたびに、彼は俺の怪我の治る速さに驚いていた。 ルルイェの民は発作的に狂暴化し、耐えられない加虐欲求を鎮めるために同胞が互いに傷付け、慰め合う習慣がある。その為、長い時間をかけて、怪我の治りが他のヒューマノイドと比較すると、何倍も早くなる進化を遂げた。
ヒトから分岐していく過程で、血中成分の割合が変化し、細胞のターンオーバーが活発になっていったのだと、昔、教師だった母親から教えてもらったことがある。
しかしこの特性のせいで、宇宙ではルルイェ星で生まれ育ったヒューマノイドは野蛮で凶暴な種族だと認知され、現代では”ルルイェ人”という呼び名でルルイェ星出身ヒューマノイドは区別され、差別を受けている。
だが、その忌ま忌ましい体質に俺は救われたらしい。多量の出血と肉体の損傷を受けてもなお、再生能力のおかげで元の健常な姿へと戻りつつあった。そして、固形物が食べられる程まで回復したある日、CBにこのような誘いを受けたのだ。
「今夜、宴会に参加してください」
「……いや、遠慮しておくよ。気が進まない」
これは、遠慮ではなく本音だった。自分は見知らぬ大人数の中に紛れて一緒に食事を楽しめる程の図太さは持ち合わせていない。CBは業務上親切に接してくれているが、彼以外のクルーとはまだ一度も会っていないのだ。命を救ってくれた相手とはいえ、一人でゆっくり食事をする方が好ましかった。
「アイザックさん。これは船長の命令なんです。参加した方があなたの為ですよ」
CBの目は、いつも以上に冷ややかだ。俺に有無を言わせない物言いに、思わず反論を飲み込んだ。俺の命運はこの船の船長に握られている。どうやら彼は絶大な権力を持つようだ。
「じゃ、決まり。また迎えに来ます」
俺が返答を言い淀んでいると、彼は勝手に参加を決めてしまった。彼は、なかなか強引な一面があるようだ。それとも、船長と呼ばれている人物が彼をそうさせているのだろうか。どちらにせよ、気の進まない宴会に参加させられるのは中々に憂鬱なものである。考えていても仕方がないので、夜が来るまで、CBが持ってきてくれた本を読んで暇を潰すのであった。
「……何だこの本」
数ページめくったところで、内容の奇天烈さに気が付き、背表紙を見た。「ヒューマノイドのからだ・上」と書かれている。どうやら、客人の暇潰しに貸し出せる本の持ち合わせは無いらしい。人体について書かれた専門書だった。改めて中身を見ると、イラストや写真を使って、分かりやすく解説文が添えられている。いつの間にか夢中になって読んでいた。
成る程、脳とはこのような形をしていて、心臓は一つ、肺が左右に二つ……。ヒューマノイドの中身に何がどのように詰まっているのか、恥ずかしながら、この時初めて知ったのであった。




