交易都市リムネア
都市は沈黙を選んだ
交易都市リムネアは、王国とは違う。
王がいない。
代わりに評議会があり、数字と契約がすべてを決める。
石造りの防壁、整備された街路、港に並ぶ商船。
見ただけで分かる。
ここは「賢く運営されている都市」だ。
俺がこの街に入ったのは、王国を出てから十数日後だった。
肩書きは、臨時記録官。
正式な役職ではないが、外部からの報告や議事の記録を任される立場だ。
つまり、決定権はない。
ちょうどいい。
評議会の会議室は、王都のそれよりも小さい。
だが、雰囲気はずっと硬い。
発言は全て記録され、
根拠のない意見は即座に却下される。
「現在の問題は、防衛費の再配分です」
議長が淡々と告げる。
•周辺地域の不安定化
•傭兵団の契約更新
•防壁の補修計画
どれも、正しい議題だ。
商人代表が言う。
「交易路はまだ生きている。
今は防衛より、流通を優先すべきだ」
軍事担当が反論する。
「だが、万一に備えなければならない」
財務官が数字を示す。
「全面改修は非現実的です。
部分補修で十分でしょう」
議論は噛み合っていた。
感情的な言葉はない。
全員が、自分の責任を理解している。
その中で、俺は一度だけ口を開いた。
「その選択は、この都市を守りません」
会議室が、静まり返る。
議長が視線を向ける。
「理由は?」
「防衛が目的なら、その判断は逆効果です」
それ以上は言わなかった。
説明を求められても、応じるつもりはない。
ここで必要なのは、説得ではないからだ。
議長は数秒、黙考した後に言った。
「意見として記録する」
それで終わりだ。
誰も怒らない。
誰も嘲笑しない。
ただ――
その意見は、採用されない。
会議は続き、
都市は「最も合理的な判断」を選び続けた。
俺は、それを記録する。
この街が、
どの判断によって沈黙を選ぶのかを。
評議会は、意見を感情で扱わない。
それがこの都市の誇りであり、
王国とは決定的に違う点だった。
「外部記録官の意見について検討します」
議長の声は平坦だった。
「防衛判断が逆効果である、との指摘だが――
具体的な損失予測は提示されていない」
財務官が即座に頷く。
「数値がありません。
危険性の“可能性”だけでは、予算配分の変更理由にはならない」
商人代表も続く。
「交易都市は信用で成り立っています。
防衛強化を前面に出せば、不安を煽り、取引が止まる」
軍事担当は腕を組んだまま、低く言った。
「防壁は老朽化しているが、即座に破綻する状態ではない。
部分補修で当面は持つ」
すべて、正論だった。
「では、結論として」
議長が議事をまとめる。
「防壁の全面改修は見送る。
傭兵契約は現状維持。
防衛費の増額は行わない」
反対意見は出ない。
反論できる材料が、存在しないからだ。
俺の忠告は、議事録にこう残された。
『防衛判断に対する否定的見解あり。
根拠不足のため不採用』
それで終わりだった。
会議後、議長に呼び止められた。
「君の意見は、都市を思ってのものだろう」
そう前置きしてから、彼は続ける。
「だが、我々は“判断可能な情報”でしか動けない」
俺は頷いた。
「理解しています」
それ以上、言うことはなかった。
この都市は、間違っていない。
少なくとも、この時点では。
数日後、異変は静かに始まった。
交易路の一本が、閉鎖された。
理由は単純だ。
周辺地域の治安悪化。
「一時的な措置だ」
評議会はそう判断し、記録する。
次に、傭兵団の一つが契約更新を渋り始めた。
「報酬の上乗せを要求してきています」
「想定内だ。交渉を続けろ」
誰も慌てない。
防壁はまだ立っている。
街はまだ機能している。
だから、問題はない――
そう、判断された。
だが、俺は知っていた。
ここから先、
すべてが「連動」することを。
交易路の閉鎖は、物資の遅延を生む。
物資の遅延は、傭兵の不安を煽る。
傭兵の不安は、防衛力の低下につながる。
そして、防衛力の低下は――
信用の崩壊を招く。
それは、戦争よりも早く都市を殺す。
俺は、その過程を記録する。
誰もが合理的だったという事実とともに。
信用は、音を立てて崩れない。
数字が一つ、合わなくなるだけだ。
港湾管理局の報告書が、最初だった。
『入港予定船舶三隻、寄港地変更』
理由は記されていない。
ただ、空白があるだけだ。
「別の港を選んだだけだろう」
評議会はそう判断する。
交易路は複数ある。
一つ減ったところで、致命傷にはならない。
次に起きたのは、保険だった。
「貨物保険の料率が上がっています」
財務官が淡々と報告する。
「理由は?」
「都市周辺の治安リスク上昇、とのことです」
治安は、まだ破綻していない。
だが、“不安”は数字に反映される。
「交渉で下げられないか」
「難しいでしょう。複数社が同時に引き上げています」
評議会は頷き合う。
「では、交易業者に負担を求める」
合理的な判断だ。
都市が負担するより、取引量の多い商人が負担する方が軽い。
だが、その判断で――
小規模商人が、街を離れ始めた。
目立たない動きだった。
露店が一つ減り、倉庫が一つ空くだけ。
次は、傭兵団だった。
「第二傭兵団、契約破棄を通告」
軍事担当が報告する。
「理由は?」
「支払い遅延の懸念。
および、防衛体制への不安」
懸念。
不安。
どちらも、事実ではない。
だが、否定する材料もない。
「代替戦力は?」
「他都市の傭兵は、条件が厳しい」
評議会は短く沈黙した後、決定する。
「防衛配置を縮小する。
優先区域のみを守れ」
都市は、まだ守られている。
“全部”ではないだけだ。
その週、交易路がもう一本閉じた。
理由は「採算が合わない」。
翌週、税収が下がった。
理由は「取引量減少」。
その翌週、治安が悪化した。
理由は、誰も口にしなかった。
評議会は会議を重ねた。
判断は常に合理的だった。
•取引量が減るなら支出を抑える
•支出を抑えるなら防衛を削る
•防衛を削るなら重要拠点に集中する
その結果、
都市は“守られていない場所”を増やした。
ある朝、議場に人が集まらなかった。
数人の評議員が、街を離れていた。
公式には「長期出張」。
実際には、
信用の残っている別都市への移住だ。
その日、鐘は鳴らなかった。
非常警鐘が、鳴らなかったのではない。
鳴らす人間が、いなかった。
港は閉じ、
市場は止まり、
街路は静まり返る。
暴動も、戦闘もない。
ただ、都市は沈黙した。
俺は記録帳を閉じる。
この街は、戦争で滅びたのではない。
内乱でもない。
合理的な判断を、最後まで貫いた結果として、機能を失った。
だから――
この結末は、必然だ。
都市が沈黙した翌朝、
俺はすでに街の外にいた。
逃げたわけではない。
引き留められなかっただけだ。
誰も俺を咎めなかった。
責任を問う者もいない。
判断を下したのは、俺ではない。
それを皆、理解している。
だから――
誰も、俺を必要としなくなった。
記録帳を開き、都市名を書き記す。
簡潔でいい。
・防壁改修見送り
・防衛費据え置き
・信用低下
・機能停止
余計な感情は不要だ。
評価も、反省も、書かない。
結果だけで十分だった。
この力について、俺は考えないようにしている。
なぜ分かるのか。
どうして見えるのか。
理由を探したところで、
救えるものは何もない。
分かるのは、いつも同じだ。
判断が下された直後、
その先にある「戻れない地点」だけが、
輪郭を持って浮かび上がる。
成功は見えない。
回避策も分からない。
ただ、
選んだ道が破滅に続いているかどうかだけは、
はっきりと分かる。
だから、俺は一度だけ口を出す。
それ以上は、しない。
それが正しいかどうかも、
俺には分からない。
だが、
判断を奪うことだけは、できない。
俺はこの街を去り、
次の場所へ向かう。
また判断が下され、
また誰かが「合理的に」選び、
そして――同じ結果に辿り着く。
それでも俺は、
忠告をやめない。
記録を、やめない。
それが、
この世界で俺に許された
唯一の役割だからだ。




