第五・五章 【白星の下で触れた手】
春の祭礼《白星の舞踏会》。
氷壁の王国アルシエルにおいて、それは “冬の夜に咲く唯一の花” と呼ばれる。
治癒院の仕事を終えた私は、銀青色のドレスを纏って会場へ向かった。
キーパーが開いてくれた扉を潜れば、温かな灯りと人々のざわめきが氷の都の寒気を瞬く間に溶かしていく。
会場は無数の霜晶ランプに照らされ、灯りは氷の結晶の奥に閉じ込められたまま虹色に揺らめく。
天井から垂れる氷柱のシャンデリアは星雲のように輝き、弦が震えるたび、会場全体が銀の波となってきらめいた。
漂うのは雪の花から抽出したフロストブルーム香。
冷たいはずの空気だけが、不思議と春めいた温度を帯びていた。
貴族たちの衣は白金、銀、凍てつく蒼。
女性たちの裾には霜の羽が散る仕掛けが施され、
騎士たちの胸甲は磨かれた鏡のように灯りを返す。
その中で――アシェル様の胸甲だけが、ひときわ静かな光を返していた。
「リヴィア!」
声の主は幼馴染のフランソル・ロークス。
「遅くなってごめんなさい」
「いや、聞いたよ。急患だろ?アシェルも心配してた。“交際は順調だ”って嬉しそうだったよ」
胸が温かくなる。
フランソルはさらに悪戯っぽく笑う。
「ルシアンも一緒でね。“本当はシル兄様が姉上を連れて歩く未来を夢見てた”とか言ってた」
「あの子は本当にシルヴァンが大好きね」
笑い合った、その時。
「おや、リヴィア嬢では?」
見覚えのある令息が近づいてきた。
いつも必要以上に距離を詰めてくる人だ。
「一曲、踊っていただけますか?」
断ろうとした瞬間。
「――申し訳ないが、彼女は私のパートナーだ」
振り向けば、アシェル様。
その声音に、会場の空気がわずかに震えた。
“ヴァルモンド家嫡男が、ついにパートナーを?”
ざわめきが走る。
彼は私だけに向けて、ほんのわずかに微笑み、手を差し出した。
「……一曲だけ。いいか?」
差し向けられた手は凛としていたが、指先だけが、かすかに震えていた。
ヴァルモンドの嫡男が、誰かを隣に置いたという事実。
それが周囲にどう映るか理解しながらも、彼はただ、私の手だけを求めていた。
胸が触れるたび、彼の鼓動が伝わってくるようだ。
――アシェル様は、私を守ろうとしている。
その確信が、胸に静かに落ちた。
少し離れた円卓でルシアンが踊る私たちを見ていた。
若さに似つかわしくない影を宿した眼差し。
憧れとも嫉妬とも違う、ただ――覚悟に似た色。
曲が終わり、弟の視線が気になって視線を向けていると、フランソルが笑いながら囁いた。
「ルシアン、アシェル様を“騎士として”見てるんだよ。最近ずっとね」
理解できないまま、胸に小さなひっかかりが残る。
「シル兄様、俺……強くなりたい」
「お前はもう強い。――焦るな、ルシアン」
そのやり取りを、私は知らない。
舞踏会の灯りの下で、ただひとりルシアンだけが、窓の外の雪を見つめていた。
――まるで、自分の足で辿り着く未来を静かに見据えているかのように。
第五・五章 了




