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第七章 【蒼と雪、その狭間にて】

 Ⅰ【蒼燐の咆哮と、騎士たちの影】




 吹雪が途切れた砦には、凍り付いた地面の上にまだ蒼い炎の残光が揺れていた。

 第三隊の陣地では、氷槍の破片と血の筋だけが戦闘の激しさを物語っている。


「治療班、負傷兵をこちらへ!」

「氷瘴気の凍傷、進行早いぞ……!」


 焦げた氷と血の匂い。

 蒼燐竜との戦闘がどれほど苛烈だったか、すべてが語っていた。

 その中心で、リヴィアは魔力を削りながら治療を続けていた。

 倒れた者の手を取り、息が荒くなるたびに自分の胸に手を当て呼吸を宥める。

 けれど彼女の指は震え、魔力の脈動は乱れていた。


(……アシェル様は今、どこにおられるのかしら)


 心の奥に、ふっと影が差す。

 そんな時、背後から響いた声。


「リヴィア、下がれ!」


 振り返るより早く、蒼燐竜の尾が振り下ろされる。

 彼女の目の前に飛び込んだのは、少年とも青年ともつかぬ背だった。


「姉上!」


 ルシアン。

 だが彼はまだ若い。

 尾を受けきれず、雪に叩きつけられ――


「危ない!」


 次の瞬間、蒼の閃光が彼らの頭上を裂いた。

 大きな影が二人の前に立つ。


 アシェルだった。


 振り抜かれた氷槍が竜の顎を貫き、蒼燐竜の咆哮を押し潰す。

 その一撃は、威力よりも“迷いのなさ”が際立っていた。


「下がれ、ルシアン。ここは私がやる」

「……でも!」

「守るために出るのは、最後の場面だけでいい。今は動け」


 その声は厳しくはない。

 ただ、抗いがたい強さを帯びていた。

 リヴィアは、そんな二人の背中を見つめていた。

 雪原に並ぶ二つの影――恋人である男と、実の弟。


(どうして……二人とも、こんなにも)


 胸が痛む。

 その痛みのまま治療を続け、魔力の糸が切れかけた時――

 視界が、すう、と暗く沈んだ。

 倒れる瞬間、誰かの腕に抱き留められる感覚。


「リヴィア!」


 アシェルの声だった。

 その音を最後に、彼女の意識は黒に沈んだ。




 Ⅱ【雪の静寂に、揺れるもの】




 リヴィアが目を開けた時、世界は嗅ぎなれた薬草の柔らかな香りに満たされていた。


「……ここは」

「治癒班のテントだ。少し魔力を使い過ぎたんだ」


 傍らにいたアシェルの顔は、戦場での鋭さとは違い、どこか安堵と疲労が混じっていた。


「倒れる前に言え。無理をするなと言っただろう」

「……言おうとしたら、あなたが戦っていたから」


 アシェルは眉を寄せる。

 その“困ったような表情の優しさ”に、リヴィアは胸が温かくなる。

 だがすぐに、テントの幕がめくれた。


「姉上!」


 ルシアンが駆け込んできた。

 その姿を見て、リヴィアは胸がきゅっと締め付けられる。


(この子……魔力の波が乱れてる)


 声は落ち着いている。姿勢も正しい。

 しかし皮膚の下の微かな震え、視線の揺れ――それらが“何かを飲み込んでいる証拠”だった。


「ルシアン……あなた、休んでないでしょう?」

「俺は大丈夫です、姉上こそ……!」


 その声を遮るように、アシェルが問いを落とす。


「ルシアン。何があった?」


 沈黙。

 わずかな呼吸の乱れ。

 リヴィアは、その一瞬で悟った。


(……お父様がまだ見つかっていないことを、誰よりも理解してるんだわ)


 けれど、それを言葉にできない。

 彼はまだ十八。

 だが今日、彼の肩には“十八では足りない責務”がのしかかった。


「大丈夫よ、ルシアン。“分からない”のなら、希望だって残ってるわ」


 弟は小さく頷く。

 それでも、その奥に隠された影は消えなかった。

 アシェルだけが、その影をはっきりと見ていた。


(……父の死の予感を、もう感じ取っているのか)


 この時、三人の心は別々の方向へ揺れ始めた。

 雪は静かに、ただ静かに降っていた。




 Ⅲ【雪の夜に灯る、ささやかな温度】




 会議が終わった後、アシェルはふたたび治療テントへ戻っていた。

 リヴィアの“あの揺れ”がどうしても胸に残ったからだ。


 外では風が止み、雪が落ちる音だけが聞こえる。

 リヴィアは寝台に身を起こし、ぼんやりと外の薄光を見つめていた。

 アシェルは湯気の立つカップをそっと差し出す。


「……ありがとう。来てくれると思っていたの」

「来ないわけがない」


 彼女は一口飲み、深く息を吸う。

 その肩の震えを、アシェルは見逃さない。


「リヴィア。ルシアンのことを案じているのだな」


 リヴィアの指が、カップの縁でわずかに震えた。


「……あの子は、父が戻らないかもしれないって気づいてる。あの眼は……覚悟し始めた者の眼よ」


 アシェルは静かに頷き、緩やかに彼女の手を包む。


「君が背負う必要はない。ルシアンの覚悟も、父君の行方も。全部ひとりで抱えるには重すぎる」

「……そう言われると、弱くなってしまいそうだわ」

「弱くなっていい。君の前でなら、私も弱くなる」


 視線が合う。

 張りつめた糸が、そこでふっとほどける。

 アシェルは続けた。


「今日、私は初めてルシアンを“少年ではなく、戦場に立つ青年”として見た。あの子はもう誰かに守られるだけの存在ではない」

「ええ……優しい子なの。父に似て」

「優しい者ほど、折れやすい」


 雪の冷たさが外を覆う中、テントの中には人の温度が確かに灯っていた。

 リヴィアはそっとアシェルの胸に頬を預ける。


「……少しだけ、このままでいていい?」

「好きなだけ」


 アシェルは彼女を抱き寄せる。

 外では雪が静かに降り積もり、未来を白く覆い隠すように。


 けれど、誰も知らなかった。


 ――この夜の静けさが、

 ――父と息子が“同じ時期”に殉じる未来の序章になることを。


 ただこの瞬間だけは、ふたりの鼓動が確かに重なり、戦場の夜にやわらかな温度を残していた。




 第七章 了

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