第6章
五年前、ガーレン=カルダーナ侯爵は紳士倶楽部の仲間達と、とある怪しげな店で賭け事をして大損をした。
それを知った妻のジャクリーヌは王都の一等地にあるタウンハウスを売って支払いに当てようと提案した。
そうすれば残った金で、少し不便にはなるが、王都の外れに小さめの屋敷を新たに購入できるからと。
しかし、彼は王城に近くに立地する、立派で豪華なタウンハウスを手放すことを嫌がり、辺境にある領地を切り売りするように妻に命じたのだ。
そしてその土地を買い取ってくれたのが、隣接する辺境伯だったというわけだ。
なぜ辺境伯がその土地を買い取ってくれたのか。
ジャクリーヌの親友である、ミモザリの夫のグレンデール=ロプリンド伯爵が仲立ちをしてくれたからだ。
そしてその経緯は、その土地売買の話が出る三年前まで遡る。
グレンデールは、医学専門学校時代からの親友であったロックド辺境伯の三男であるオリアスから、ある相談を受けた。
傷を負った辺境騎士団の騎士達の療養地を探している。どこか良いところはないかと。
そこで彼はカルダーナ侯爵領の話をしたのだ。
「領主夫人が一年前に病気に罹ったのだ。
しかし自領で毎日温泉に浸かり、散歩をしながら森林浴をし、それに加えて良質の水を飲んで静養した結果、すっかり回復して、以前より心身ともに健康になったのだ。
辺境伯の領地とは隣接していて近いし、そこがいいんじゃないか?
もし希望するのなら、私からお願いしてみるが、どうする?
それにもし君が医師としてそこに逗留することになったら、ついでと言ってはなんだが、私の患者も診てもらいたいのだが」
と。
すると、オリアスはその話に乗った。そして、カルダーナ侯爵夫人もすぐに快諾してくれたのだ。
この国を守ってくれている辺境騎士団の皆様のお役に立てるのならと。
それに当時彼女は、自分と同じように身内に虐げられて傷ついた女性や子供達に、安心できる避難場所を提供できたら、と漠然と考えていたところだったのだ。
こうしてカルダーナ侯爵夫人であるジャクリーヌは、ロプリンド子爵夫妻やオリアス卿とタッグを組むことにしたのだ。
皆で相談した結果、豊かな自然に恵まれた領地の中でも、特に美しい森や湖があって風光明媚なトルード地区に領療養施設を作ることにした。
温泉が湧いていることも大きな決め手となった。
そしてカルダーナ侯爵領のが療養地や保養地として徐々に名が知られ始めたころに、侯爵が借金を作り、土地を売るという話になったのだ。
オリアスはカルダーナ侯爵夫人の成果を奪うようで、当初乗り気ではなかった。
しかし、辺境伯家としては、やはり自領と接しているトルード地区の土地でないと、購入するメリットがなかった。
つまり、現在療養地や保養地になっている土地以外だと飛び地になってしまうので、所有する旨味があまりなかったのだ。
そう兄であるロックド辺境伯に言われてしまったオリアスは、それならば断るしかないと思った。
ところが、友人であるグレンデールにこう言われたのだ。
「君はあまり貴族社会に詳しくないから知らないだろうが、カルダーナ侯爵はあまり評判の良くない人物なのだ。
今回の賭け事のことだけではなく、若い女にしか興味がなく、五、六年毎に愛人を替えるような男だ。
夫人との真っ当な夫婦生活も、二人目の子供を妊娠するまでの三、四年だろうな。後はずっと放置している。
いや、妻一人に子供のことや領地経営まで丸投げして女遊びしているような、はっきり言ってクズだ。
この先、夫人が正妻でいられるか、正直わからない。実家も彼女を気に掛けることもしない家らしいから、全くあてにはできないと思うし。
君は実の母親に捨てられてしまった、幼い娘のフライア嬢を実の子同様に面倒を見て下さっているジャクリーヌ様に、心から感謝しているのだろう?
本当に彼女に恩を感じているのなら、むしろ君の兄上にあの土地を購入してもらい、夫人を共同経営者にして、利益を分配してやって欲しいのだよ。
もし彼女が離縁されるような事態になったら、あの土地を買い取れるだけの資産を作れるように。
そうすれば、彼女は今後もずっとこの地で暮らすことができる」
それまで夫人と個人的な話をほとんどしてこなかったオリアスは、その話を聞いて瞠目した。
一生心の奥に秘めて置くつもりだった自分の微かな望みに、一筋の光が差し込んだような気がした。
彼は親友の依頼を受けることにして、兄の辺境伯に土地購入を願ったというわけだ。
辺境伯はすぐに弟の秘めた思いに気付いてそれを承諾した。今度こそ弟の気持ちを大切にしようと考えたのだ。
というのも、男を作って夫と幼い娘を捨てて護衛騎士と駆け落ちするような女を、無理矢理に娶らせた負い目が兄にはあったからだ。
「わかりましたか?
あのトルード地区は五年前からロックド辺境伯領になっているのですよ。それを父上が望んだからですよね?
王都のタウンハウス以外で、あの当時借金返済分の価値がある土地なんてあそこしかなかったのですから。
母上が尽力してくれたおかげで、今ではその周辺の地区にも保養地としての価値が出てきましたが。
ありがたいことにロックド辺境伯閣下は、そのトルード地区を母上に売ってくださるそうです。
それ故に、父上が母上の心配する必要なんて全くないので、どうぞ安心して離婚届にサインして下さいね」
「しかし、私と離婚したら、我が家から援助してもらえなくなって、君の実家が困るのではないか?」
「あら、侯爵様が私の実家の心配をして下さるとは思ってもみませんでしたわ。
でも、今さらそんな心配は必要ありませんわ。
五年前、侯爵様が借金を作ったときに援助を打ち切りましたから。あの家とはとうに縁切りしています。
自分のところが困っているのに、他所様の支援なんてしていられませんものね。
そもそも、それまでの援助金は領民のためではなく当主一家にぜいたく品購入のために使われたのです。
大切な我が領民の血と汗が滲む税金を、無駄に使用されたのでは堪りませんわ」
暗に自分も縁切りすると言われたような気がして、オリアスはブルッと震えた。
「息子達も成人したことだし、夫人もこれから自由の身になる。
サロンの名の通り、第二の人生をもう自分のためだけに好きに生きるのもいいのではないか。
まだまだ若く美しいのだから、新しい恋でもしたらどうかな。
良かったら紹介させてもらうぞ」
国王にそう言われて、ジャクリーヌはにっこり微笑んで「よろしくお願いします」と頭を下げた。
すでに孫がいるとはいえ、母はまだ四十前と若いのだ。これまで苦労ばかりしてきたのだから、これからは女性としても幸せになって欲しい。
息子達はそう願っていた。
そして嫁のフライアはジャクリーヌを実母のように慕っていた。
それ故に、単なる姑というよりも、自分の父親と結婚してもらって、本当に母親になってもらいたいと思っていた。
娘は父親がジャクリーヌを想っていることを以前から気付いていたのだ。
ただしジャクリーヌの方は、浮気などをするような人間ではなかったので、仕事仲間に対する親密さ以上の態度は見せなかった。
それでも、義妹になることが確定しているロプリンド伯爵令嬢であるレイナから
「きっとジャクリーヌ様はオリアス卿のことがお好きだわ。
だってお母様がそう言っていましたもの。間違いないと思いますよ」
と言われて、フライアは希望を持っていたのだ。あのミモザリ様がそうおっしゃるのなら……
もちろんそれは、義母が独り身になればの話だったが。
常に先を見据えて対策を考え、そして準備を怠らない優秀な官僚であるアンディラスは、そんな妻の気持ちを知っていた。
それゆえに彼は、困惑している父親を横目で見ながら、上着のポケットから紙とペンを取り出して、それを母親に差し出した。
「母上、これ、離婚届の用紙だよ。早い方がいいだろう?」
「待て! 待ってくれ!」
ガーレンが慌てて叫んだ。
しかしジャクリーヌは夫を気にすることもなく、その用紙をテーブルの上に置いてサラサラとサインをした。それを息子が再び受け取って、父親に手渡そうとした。
すると彼は首と両手を振って受け取りを拒否しようとした。
そんな夫を見て、妻は最高の笑顔を浮かべてこう言ったのだった。
「貴方は昔、私を待つことをとても嫌がっていましたよね。
年のせいかしら。私も貴方と同じく気が短くなったみたいで、もう待つのは嫌なの。だからさっさとサインしてくださいな。
そうすれば私はやっと自由になって、好きな所へ好きな人と出かけられますから」
彼女の言葉を聞いて、オリアスがパッと顔を綻ばせた。それを親友のグレンデールだけは見逃さなかったのだった。
最後まで読んでいただけて嬉しいです。ありがとうございます。
国王の言葉は今の時代ではモラハラ、セクハラ発言かもしれません。
しかし、この話の世界観では、完全に善意であり、女性に不快感を与えるものではおりません。ご了承ください。
【参考】
フライアは夫アンディラスより二つ年上の二十二歳。幼なじみ。
レイナはユリウス五つ年下の十三歳。彼女が赤ん坊の頃からの付き合いで両思い。
精神年齢は成人並みで頭脳明晰ではあるが、学園入学前で早すぎるという理由でまだ婚約はしていない。周りからはすでに公認されている仲。
(ユリウスの父親以外!)




