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第5章


 アンディラスはため息をつきながら言った。


「いくら二年前の私の結婚式で会ったきりだとしても、自分の息子の顔も分からないなんて信じられませんね。

 まあ、子供に一切接してこなかったのだから、当然といえば当然かもしれませんが。

 よくご覧になって下さいよ。母親似の私と違って、弟のユリウスは父上にそっくりでしょう。

 まあ、本人はそれを死ぬほど嫌がっていますが」


「ユリウス?」


 そう言われて妻のパートナーを見ると、確かに社交界一の美男子と言われていた自分の若い頃によく似ている。そうガーレンは思った。

 しかし、その若者は、その美しい顔に不似合いの不機嫌そうな顔で彼を睨み付けていた。


「あらあら、そんな怖い顔をしていたら、ご令嬢方を怯えさせてしまうわよ。

 大丈夫。顔には自ずとその内面が出るものです。

 元の造りは父親譲りかもしれませんが、貴方の素晴らしい精神や志はちゃんとその面立ちに表れています。

 だから、父親とは全く似ても似つかないほど素敵ですよ。もっと自分の顔に自信をお持ちなさいな」


 大好きな母親にそう言われて、次男のユリウスはようやく相好を崩した。

 ユリウスと二つ年上の兄アンディラスは、母親と共に幼い頃から領地で育った。

 二人はそれぞれ十五になると王都の学園に入学したが、二人とも父親の愛人のいるタウンハウスで暮らすのは嫌だったので寮に入った。

 そして長期休みには領地に帰ったり、王都に住む母親の親友の屋敷を訪れていたので、父親と顔を合わすことはなかった。


 ただし、卒業後に王城勤めになったアンディラスは、職場や社交界では嫌でも父親と顔を合わせる機会があったので、一応最低限の会話はしていた。

 しかし、ユリウスは半年前に卒業した後、隣国の大学へ入学したので、兄の結婚式で会ったきり父親との接触はなかった。

 今回は大学の長期休みでたまたま帰国していたために、母親のパートナーを務めていたのだ。


 ジャクリーヌは呆然と下の息子を見ているガーレンに向かって、今度は心からの笑みを浮かべこう言った。


「侯爵様からの離縁の申し出、喜んでお受けさせて頂きますわ。

 私はそちらとは違って浮気などはこれまで一度もしたことはございませんが、財産分与も慰謝料もいりませんわ。息子達の財産を減らしたくはありませんもの」


 その言葉に、ガーレンははっとした顔をして妻の顔を凝視した。

 公の場でとんでもない誤解をしてしまったことに、今さらながら羞恥と焦りを感じた。

 しかしプライドの無駄に高い彼は素直に謝罪することなく、愚かにも先ほどのハルトナン伯爵と同じ台詞を吐いた。


「離婚したらどうやって暮らすのだ?

 今さら実家にも戻れないだろう?

 困るだろう?」

 

 ハルトナン伯爵夫人とは違って、妻が実家とは親しくしていないことを知っていたからだ。


 ところが、息子達は母親には自分達がついているのだから、余計な心配は要らないと言い放った。

 長男アンディラスの妻であるフライアは、実はジャクリーヌが実の子同然に育てた()()()()の娘の元子爵令嬢。

 そして次男の恋人は、まだ未成年なのでこの場にはいないが、彼女の親友夫妻の娘である伯爵令嬢であるレイナであったのだ。

 息子達の話を聞いたジャクリーヌは、幸福そうに満面の笑みを浮かべた。そして彼らの顔を交互に見ながらこう言った。


「ありがとう。そう言ってもらって本当に幸せだわ。

 カルダーナ侯爵との結婚生活もこれで終わるけれど、貴方達二人を授かることができたのだから、決して不幸ではなかった。

 自分のこれまでの人生が無意味なものならなくて済んだことを、二人に感謝するわ。

 でも、これからは自分の愛する妻や子供、恋人のことを一番に考えてちょうだい。

 私は自分一人で生きて行ける準備くらい、すでにできているのだから」


 すると、それを聞いた元夫になりつつある男は、何故か下卑た笑顔を浮かべながらこう言った。


「君が当てにしているのは、我が領地の保養地やサロンの経営か? 

 たしかに現在運営しているのは君かもしれないが、離縁したら君は出て行くことになる。

 どうやって暮らして行くつもりなのだ。今度は従業員として私に雇ってもらうつもりか?」


 その言葉を聞いたジャクリーヌを囲んでいたご婦人方は、皆扇子で口元を隠し、驚愕の眼差しでカルダーナ侯爵を見た。

 そこへさざなみのようなざわめきが沸き起こった。

 このパーティーの主催者である王太后と国王夫妻が現れたからだ。

 しかも、滅多に王都には出て来ないロックド辺境伯と、その弟オリアス卿を引き連れて。


「一体何を騒いでいるのだ?」


 国王ヴァロットンがそう訊ねると、ジャクリーヌの側にいた一人の夫人が、陛下の眼前に歩み寄った。

 そして決して大きな声ではなかったが、聞き取りやすいはっきりした口調でこれまでの経緯を端的に説明した。

 その婦人はロプリンド伯爵夫人。

 夫のグレンデール医師が陞爵される前は子爵夫人。

 そして、結婚前は公爵令嬢であり、幻の王太子妃と呼ばれている、この国でもっとも慕われている賢夫人であった。


 国王は愛妻家として有名だった。

 しかし、心の奥底ではその幻の王太子妃であるミモザリを思い続けていて、それを政略結婚である王妃、そして母である王太后も納得して受け入れていた。

 その事実を知る者は決して多くはないが、彼女が国王からもっとも信頼されている人物の一人であることはよく知られていた。

 そのような彼女が妻と親密な仲だということを知らなかったカルダーナ侯爵は、顔面蒼白になった。


 国王は話を聞き終えると、辺境伯に向かってこう訊ねた。


「カルダーナ侯爵の発言についてどう思うかね?」


「私に対する侮辱と受け取りました。我が領地をさもまだ自分の領地のような言い草に。

 決闘が許されていた二十年前ならば、間違いなく申し込んでいたことでしょう」


 二メートルはゆうに越す身長に、筋肉隆々の見事な体躯をしたロックド辺境伯は、その凛々しい顔を少し不機嫌そうに歪ませながらそう言った。

 決闘という言葉に、高身長だか筋肉など全く付いていない貧相な体躯をしたガーレンは、ぶるぶると震え出した。

 そして内心では怯えながらもこう言った。


「な、何をそんなに怒っておられるのだ? 

 そもそも貴殿の領地とはどういうことかな、ロックド辺境伯?

 保養地のあるトルード地区は代々我がカルダーナ侯爵家の土地だが」


「その先祖代々の大切な領地を、貴殿は賭けで負った負債を支払うために、我が家に売ったのでしょう? 

 たった五、六年前のことなのにそれを忘れたのですか? 

 そんな重要な案件さえ覚えていられないような人間が領主で、本当に領地が守れるのですか、陛下?」


「いや、無理だろう。

 だが、後継者のアンディラスはまだ若いが優秀だから問題はないだろう。

 いずれ王太子を支えてもらおうと考えていた人材ゆえ、辞められるのは辛いが」


「陛下、ご心配なく。いずれ私が大学を卒業しましたら領地を任せてもらう予定になっております。

 ですから、兄をこのまま王城でこき使って下さって結構です。

 あと数年なら家令が何とかしてくれると思うので」


「おい、ユリウス。こき使われるのは嫌だな」


「はは、そうか、それを聞いて安心した。

 アンディラス、ミモザリ夫人に睨まれるのは恐ろしいので、就労規則は今後も厳守するぞ。故に心配しなくても大丈夫だぞ。

 ジャクリーヌ夫人、女手一つでよくぞこんな立派な若者達を育て上げたな。大したものだ」


「陛下、過分なお褒めを頂きまして、恐悦至極に存じます」



 

 ガーレンの理解が全く追いつかないうちに、どんどん話が進んで行く。

 そんな状況に、まるで自分の引退や離縁が決定付けられたような気がして、カルダーナ侯爵は慌てふためいた。

 隣にいた愛人はいつの間にか姿を消していた。

 一体これはどういうことなのかと、彼は嫡男に訊ねた。

 すると息子はやれやれという顔をして、嫌々ながらも愚かな父親でも分かるように、懇切丁寧に説明し始めたのだった。

次章で完結になります。

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