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第2章


 ガーレンは、愛人である男爵令嬢を王都のカルダーナ侯爵家のタウンハウスに引き入れた。 

 そして妻に子供達と共に領地へ行くように命じた。

 

 たとえ家令や侍女達の助けがあったとしても、まだ二十一歳のジャクリーヌが三歳と一歳の息子の子育てをしながら、領地経営まで担うことはかなりきついことだった。

 しかし、夫や愛人に悩まされることのない子供達と暮らしは、彼女にとって幸せなものだった。

 彼らの成長を見ることは生き甲斐となったからだ。

 しかも、仕事も頑張れば頑張るほどその成果が形になって見えてきて、次第にやり甲斐を感じるようになっていった。

 やがて彼女は使用人や領民から愛され、親しまれ、尊敬される領主夫人となっていった。



 ところがだ。

 領地で暮らすようになった三年後、ジャクリーヌは、ひと夏をタウンハウスで過ごさざるを得なくなったことがあった。

 王都で公の行事が続いたせいだったのだが、運悪く、ちょうどそのころ夫が愛人メラニーと別れたばかりで、まだ次の愛人がいなかった時期だったのだ。


 その数か月は彼女にとっては苦痛で地獄のような日々だった。

 夫は若い娘にしか性的に惹かれないために、体の関係を求められることはなかった。

 しかし、夫ガーレンと行動を共にすることはひどく苦痛を強いられた。

 何故なら彼は待たされることを何よりも嫌う、とても気の短い男だったからだ。

 まあ、お気に入りの若い子の前だったら多少は我慢してその苛立ちを隠したのだろうが。


 夫は妻と連れ立って出かけるたびに不機嫌になった。

 なぜならジャクリーヌがご不浄へ行くために度々席を外し、しかも戻るのにかなり時間を要したためだ。

 女性は幾重にも生地を重ねた重いドレスを着ているのだ。

 穴の開いた椅子型トイレや大型の陶器の壺、もしくは、ウーブリエットと呼ばれる排泄物を落とすための穴に座って一人で用を足すのは、それこそ大変なことなのだ。

 その上彼女は出産後、頻繁に尿意をもよおすようになっていて、トイレが近くなっていたのだ。

 しかし、ガーレンはそれを待つのが嫌で絶えず腹を立てていたのだ。


 男は子供ができても体には何の負担もかからない。

 しかし女性は違う。妊娠中だけでなく出産後も変化しており、そう簡単に出産前と同じ体には戻らないのだ。

 そのことを彼女はきちんと夫に説明をしていた。

 それでも彼は妻を理解しようとはせず、口に出すのも(はばか)られるような口汚い言葉で彼女を罵った。

 それは女性の尊厳を傷付けるものであった。その挙句に彼は妻にこう言い放ったのだ。


「用を足さなくて済むようにできるだけ外出先では水分を摂るな」


 そう命じられた彼女はその言葉に従うしかなかった。面倒な女など不要だと離縁されたら、息子達と引き裂かれてしまうからだ。

 実家の伯爵家も侯爵家との繋がりを失ったら、彼女のことなど簡単に見捨てるであろうことは容易に想像できた。

 今でさえ、お前に魅力がないから夫に愛人など作られるのだ、情けない奴だと罵られているのだ。

 自分に魅力がないのは事実だ。

 しかし、いくらどんなに魅力があっても年をとれば誰だって見捨てられてしまうのに……と彼女は思ったが、それを言えるはずもなかった。


 そして、猛暑が続いたある日のこと。

 ジャクリーヌは夏の暑い時期に水分を控えたせいで熱中症になり、王家主催のパーティーで倒れてしまった。


 しかしそれは、ある意味彼女にとって幸運なことだったのかもしれない。

 なぜなら、たまたまたその場に王家の侍医であるグレンデール=ロプリンド子爵と、彼の助手のミモザリ嬢が招待されていたからだ。

 熱中症の治療を施され、目を覚ました彼女は、医師に質問されるまま素直に答えた。

 すると、まだ少女と呼べるような若くて可愛らしい助手の女性が、その受け答えを聞いて怒り心頭になった。

 そして、必死に感情を抑えながらこう言った。


「カルダーナ侯爵夫人、貴女は亡くなるところだったのですよ。

 この暑い中ほとんど水分を摂らなければ熱中症になっても不思議ではありません。

 しかし、夫人が水分を取り忘れたというのではなく、ご主人に摂るのを禁止されていたというのなら、これは未必の故意です。

 分かりますか? これはご主人の殺人未遂と同じです!」


 殺人未遂!


 その言葉にジャクリーヌは驚愕した。そしていくらなんでも大げさだと思った。

 しかし、その後今現在自分の置かれた危うい状況を説明され、彼女ははっとした。


「もし夫人に何かあったら、お子様達はどなたが守るのですか? 

 失礼ですが、ご主人ではまともにお子様を育てられないと思いますが!」


 たしかにあの性格破綻者の非常識な夫に真っ当な子育てなどできるわけがない。

 そう考えた彼女は、その後若い助手の指示を素直に従うと決めた。

 なぜ自分より四つも年下の女性の助言をそんなに簡単に受け入れられたのかといえば、彼女がこの国では有名な女性だったからだ。

 ミモザリ=ヴァードウォール公爵令嬢。彼女はなんと幻の王太子妃であり、この国のスーパーアドバイザーと呼ばれている有名人だったのだ。

 しかも今は医師で王立医学研究所の所長の婚約者でもあった。


 何故幻と呼ばれているかといえば、王太子との結婚が王家の何かしらの失態によって白紙撤回になったからだった。

 しかし、その三年の間に彼女は王城の仕事並びに王都の暮らしを改革して多くの人々から感謝されている尊敬すべき人物だったのだ。

 結婚がなかったことになり、グレンデール=ロプリンド子爵の婚約者となった今でも、王太后殿下や王太子殿下、そして王妃殿下からも信頼されていて、お付き合いをされている。

 そのことは世間でも知られていた。辺境の地で暮らしていたジャクリーヌの耳にも届くくらいに。

 そんな方の指示ならば夫も何も言わないだろうと彼女は思ったのだ。




 ジャクリーヌの生家は斜陽の伯爵家だった。

 彼女の両親は裕福なカルダーナ侯爵家からの縁談に舞い上がった。

 しかし最初は美人だと評判の長女への申し込みだと思った。

 侯爵令息とは学園の同級生だったので見染めてもらったのだろうと。

 ところが侯爵家が望んだのは三つ年下の地味でおとなしい妹だった。

 しかも早く式を挙げたいので飛び級をして欲しい。それが出来たらという条件付きだった。


 早く結婚したいのなら、すでに卒業している美しい姉を選べばいいのにと、当然伯爵家の面々は思った。

 それでも侯爵家と縁付きになりたかった伯爵家は、憤懣やるかたない姉をなだめすかし、妹に勉強を強制した。トップの成績を取り飛び級しないと許さないと。


 元々学ぶことが好きだったジャクリーヌは、勉強自体は苦にはならなかった。

 それに自分の家が嫌いだったので早く嫁ぐことも嫌ではなかった。

 しかし妙な条件を出してきたカルダーナ侯爵家に対する不信感だけはどうしても拭えなかった。


 その後ジャクリーヌは飛び級で人より一年早く学園を卒業し、その一月後の十七歳の誕生日には、カルダーナ侯爵家嫡男であるガーレンの妻になっていた。

 そして彼女は十八歳で嫡男を、その二年後に次男を無事に出産した。


 しかしその直後、義父母が馬車の事故で急逝し、夫が侯爵位を継いだ。

 すると、それまで優しかったガーレンが急変した。

 跡取りとスペアの息子をつくったのだから、これでもう当主としての役目は済んだとばかりに女遊びを始めたのだ。

 そして


「二十歳を過ぎた女にはもう価値がない。

 私は愛人と王都で暮らして社交をするから、君は息子達と領地へ移って家令と共に領地経営をしてくれ。

 地味な君では社交は無理だが、頭だけはいいと折り紙付きだからな。安心して任せられるよ」


 夫からそう言われたジャクリーヌは、そのとき、婚約時代から抱いていた疑問が全て解けたと思ったのだ。

 なぜ姉ではなくて自分が選ばれたのかを。



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