①プロローグ:前哨線
IFVの振動が、背中の背骨を一本ずつ鈍く叩くたび、兵士たちは自分の内臓がどこにあるかを改めて意識させられた。冬の早朝。車体の外は凍てついた乾いた風が吹き荒れ、白く凍った土と低く垂れ込めた雲が灰色の境界線をつくっていた。だが、その気配は装甲の内側には届かない。代わりに充満しているのは、ディーゼルエンジンの油臭さと、押し殺した呼吸音、そして何より──喉の奥にひっかかるような緊張だった。
「なあ、スコット軍曹……さっき通り過ぎたの、たぶん補給拠点だったよな。トレーラー、ざっと十数台はあったぜ。しかも……見たか? 外で豪勢に配られてた食事。」
その声に、向かい合って座っていた軍曹は目を開けた。うっすらと疲労の滲んだ目元には、もはや驚きも皮肉も浮かばない。静かに、だが乾いた声で言った。
「ああ、知ってる。MRE(戦闘糧食)のホットパック仕様だ。今どきはキッチンごと移動式だよ。後方はいつもリッチなもんさ。……前線の墓掘りの準備が済んだ証拠だ。」
天井の赤いランプが、車内の兵士たちの顔を薄暗く照らす。斜めに座るライス伍長が、発射筒の点検を続けながらうめいた。
「野外テーブル、きっちり配置されてたな。まるで……大学のカフェテリアって感じだった。ティーレーション、7〜8種類。ミートローフ、ミックスベジ、ポークスライスに温パン……」
「要するに、“お前ら今のうちにたっぷり食っておけ”って話だろ。」と、狙撃兵のフランクが低く笑った。
誰も応じなかった。
しばらくして、機関銃手のブルースが自分のM249を膝に置いたまま、小さくぼやいた。
「補給が多いってのは、つまり……それだけの犠牲が見込まれてるってことか。」
「違いない」とスコット軍曹。「前線への食事が豪勢になるのは、決まって何かが始まる前だ。」
車内には、言葉よりも装備の金属音、コッキング音、静かな呼吸音が支配していた。
目的地までは、あとおよそ4キロ。運転手のドナルドがつぶやいた。「前方道路、段差多め。左右に破壊された軽装甲車……おそらく先週の接敵の残骸。」
その報告に、スコットは言った。
「通過するだけでもう心理戦だな。」
まさにその通りだった。片側には、焼けただれたキャタピラ付きの兵員輸送車両が腹を見せて横たわっている。横にはひしゃげた寝袋、焦げた飯盒。M16が数丁、無造作に放り出され、地面に突き立っていた。
死体はなかった。回収されたのか、それとも完全に燃え尽きたか。兵士たちは、それ以上推測をしなかった。全員、その目を合わせることなく視線をずらした。
到着予定の前線拠点では、すでに他部隊が展開中だった。だが、IFV車内では誰一人、それを心強く感じてはいなかった。
「……ここまでだな。全員、準備。」軍曹の短い号令が、兵士たちの脊髄に電流を走らせた。
兵士たちは、ライフルを肩にかけ、弾薬パックを腰に装着し直した。ライスは肩にドラゴンを、ブルースはトライポッド付きのSAWを、狙撃兵のフランクは特注のバレル付きM24を抱えていた。
IFVのハッチが開いた瞬間、冷たい風が生暖かい恐怖を吹き飛ばすように一気に流れ込んできた。
外は、静かすぎた。
地面は霜が降りていた。遠くでは、山中に張られたカモネットの下でトラックがエンジンをかけ直している音。前線司令部では、照明テントがわずかに明滅し、ワイヤーケーブルが泥にまみれて蛇のように地面を這っていた。
「索敵開始。指示あるまで300メートル先まで前進。アロー隊形、銃口は45度。」
緊張が、空気を裂くように膨張した。
「忘れるな」軍曹は続けた。「補給が多いのは、“お前らは戦える”って期待の裏返しだ。」
「でも俺たち、まだ何もしてないぜ?」とテイラーが口を挟む。
「だからだよ」とスコットが答えた。「これから、何をやるかが決まる。」
兵士たちは黙って頷いた。
戦争はまだ、始まっていなかった。
──だが、“前哨線”は、すでに始まっていた。