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最後の抗戦

広大な大地は朝焼けの名残をとどめた薄い霧に包まれていた。土の匂い、ディーゼルエンジンの微かな振動、そして無線から聞こえる断片的な会話が、静寂を破るように響いてくる。M1エイブラムス戦車「ケルベロス」の砲手、マイク・“マッカス”・マッカスキル二等軍曹は、砲塔内部の狭い空間で身を屈め、照準器を覗いていた。冷たい金属の感触、油の匂い、そして何よりも張り詰めた緊張感が、彼の五感を支配している。

戦車の周囲では、他の車両のエンジン音も聞こえてくる。ブラッドレー歩兵戦闘車、M109A6パラディン自走榴弾砲。演習とはいえ、その雰囲気は実戦さながらの厳しさがあった。遠くには、模擬の敵陣地が霞んで見える。

「ケルベロス、聞こえるか? これより目標地域へ進入する。警戒を怠るな」

無線から、車長のブラッド・“ブル”・ハマー准尉の声が、低いトーンで届いた。ブルの声には、いつもの豪快さはなく、僅かな緊張が混じっているように聞こえた。

「了解、ブル。砲塔、全周警戒に入ります」

マッカスは、応答しながら、照準器をゆっくりと左右に動かした。早朝の光はまだ弱く、地形の細部までは捉えにくい。だが、長年の経験が、わずかな陰影の変化も見逃さない目を養っていた。

操縦席では、機関士のルーカス・“ルーク”・ジェニングス伍長が、低い唸りを上げるエンジンの音に耳を澄ませながら、慎重に操縦桿を操作していた。彼の指先は、繊細なタッチでペダルを操り、20トンを超える巨体を滑らかに前進させていく。ルークにとって、エンジンの音は戦車の鼓動であり、わずかな異音も、危険を知らせるサインだった。

砲塔後部では、装填手のカート・“コルト”・ミラー一等兵が、砲弾ラックに手をかけ、いつでも装填できる態勢を整えていた。狭い空間の中で、彼の動きは無駄がなく、まるで長年連れ添った相棒のように、砲弾と向き合っている。コルトにとって、砲弾は「ケルベロス」の牙であり、一発一発に、任務の成否が懸かっていることを理解していた。

「前方、稜線に影。熱源反応なし」

マッカスが、サーマルビジョンを通して前方を見た。稜線に、人影のようなものが確認できる。だが、熱源反応はない。おそらく、友軍の偵察部隊だろう。

「ブル、前方稜線に影。友軍の可能性あり。念のため、接近するまで交戦は待機します」

「了解。だが、常にトリガーハッピーでいろ、マッカス」

ブルの返答は、相変わらず皮肉めいていたが、その奥には、マッカスへの信頼が滲んでいた。

「ケルベロス、これより速度を上げる。各員、衝撃に備えろ」

ルークの声と共に、「ケルベロス」は唸りを上げ、速度を増した。履帯が地面を叩きつけ、車体全体に振動が伝わってくる。砲塔内部では、マッカスも身を固くし、照準器から目を離さなかった。

その時だった。

前方、視界の端に、小さな閃光が見えた。直後、ズドン、という爆発音が、大地を震わせた。

「被弾! 前方! 対戦車砲か!?」

ルークの悲鳴に近い叫びが、車内に響き渡る。

「ブル! 前方に敵! 対戦車兵器!」

マッカスは、即座に状況を報告した。照準器の中には、煙の中に潜む敵の影が、辛うじて捉えられた。

「反撃! マッカス! 目標をロックオン! コルト、HEAT弾装填!」

ブルの命令が、矢継ぎ早に飛んでくる。

コルトは、素早くHEAT弾を取り出し、砲尾へと滑り込ませた。「装填完了!」

マッカスは、照準器の十字線を敵影に重ね、ロックオンボタンを押した。緑色の枠が、目標をしっかりと捉える。

「射撃!」

ブルの号令と同時に、マッカスはトリガーを引いた。

轟!

120mm滑腔砲が、凄まじい爆音と共に火を噴く。「ケルベロス」全体が、強烈な反動で大きく揺れた。

発射されたHEAT弾は、瞬く間に距離を縮め、敵の潜伏していたと思われる場所に命中した。爆発と閃光が広がり、土煙が舞い上がる。

「命中! 目標を破壊!」

マッカスは、照準器を通して、吹き飛ばされた敵の装備らしき破片を確認した。

「よくやった、マッカス! だが、油断するな! 他にもいるはずだ!」

ブルの声は、まだ警戒を解いていなかった。

その直後、再び「ケルベロス」に衝撃が走った。今度は、車体の側面だった。

「側面被弾! RPGか!?」

ルークの叫び声が、一層悲痛なものになる。

「ブル! 後方にも敵! RPG!」

マッカスは、慌てて砲塔を旋回させようとしたが、動きが鈍い。側面の被弾で、油圧系統に異常が生じたか?

「コルト! 対人榴弾装填! 後方を警戒しろ!」

ブルの指示に、コルトは即座に応じた。

砲塔がゆっくりと旋回し、マッカスは照準器を通して、後方から迫る敵の姿を捉えた。ロケットランチャーを構えた兵士が、こちらを狙っている。

「射撃!」

マッカスは、再びトリガーを引いた。今度は、対人榴弾が発射された。炸裂音と共に、無数の破片が飛び散り、敵兵士を薙ぎ払う。

「目標、無力化!」

マッカスは報告したが、彼の表情は険しいままだった。敵は、次々と現れる。まるで、彼らを罠にかけようとしているかのようだ。

「ケルベロス、これより陣形を立て直す。ルーク、一旦後退だ!」

ブルの指示で、「ケルベロス」は煙幕を展開しながら、ゆっくりと後退を始めた。だが、敵の攻撃は止まらない。

ズドン! ズドン!

対戦車砲の射撃音が、絶え間なく響き渡る。砲弾は、「ケルベロス」の装甲を叩きつけ、その度に、車内には衝撃と金属が軋む音が響き渡る。

「被弾多数! 装甲に損傷!」

ルークの声は、もはや恐怖で震えていた。

その時だった。

「ブル! 見てください! 前方、友軍のブラッドレーが…!」

ハルの焦った声が、無線から聞こえてきた。

マッカスが照準器を前方に向けると、友軍のM2ブラッドレー歩兵戦闘車が、激しい炎を上げて燃えているのが見えた。砲塔は吹き飛び、車体は黒焦げになっていた。周囲には、脱出した兵士の姿は見えない。

「クソッ…! スネークアイズ…!」

ブルが、絞り出すような声で呟いた。「あれは、スネークアイズの部隊だ…一体何が…」

その動揺を突くように、「ケルベロス」に、今までで最も激しい衝撃が襲った。

ガキン!

耳をつんざくような金属音と共に、「ケルベロス」は大きく跳ね上がり、その場で停止した。

「履帯が切れた! 動けない!」

ルークの絶叫が、車内に響き渡る。

「ブル! どうしますか!? 完全に包囲されています!」

マッカスの声にも、焦燥の色が濃く滲んでいた。履帯が切断された今、「ケルベロス」はただの鉄の塊だ。敵の格好の標的となるだろう。

「コルト! 榴弾をばら撒け! ハル、状況を報告しろ! 周囲の友軍はどこにいる!?」

ブルの指示は、依然として冷静さを保っていたが、その声の奥には、焦りの色が隠せない。

コルトは、ハッチを開け、上部のM240機関銃を構えた。周囲には、敵兵の姿が多数確認できる。彼らは、「ケルベロス」を取り囲み、最後の攻撃を仕掛けようとしていた。

「友軍はまだ遠い! こちらに到着するには、あと数分かかります!」

ハルの声が、絶望的な状況を告げる。

「クソッ…!」

ブルは、歯を食いしばった。数分。それは、彼らにとってあまりにも長い時間だった。

「マッカス! 照準は生きているか!?」

「辛うじて…! 油圧が低下しています!」

「いい! 動ける限り、撃ちまくれ! コルト! 上の連中を吹き飛ばせ! 俺たちは、ここで死ぬわけにはいかないんだ!」

ブルの咆哮が、狭い車内に響き渡る。それは、彼らの最後の抵抗の狼煙だった。

マッカスは、照準器に映る敵兵を一人ずつ捉え、トリガーを絞った。120mm砲の轟音が、再び演習場に響き渡る。コルトも、機関銃を乱射し、周囲の敵を牽制する。

だが、敵の数はあまりにも多かった。RPG弾の炸裂音、小銃の銃声が、絶え間なく「ケルベロス」を襲う。装甲が悲鳴を上げ、内部には、金属片が飛び散る。

「被弾! 砲塔旋回不能!」

マッカスの叫び声が、追い打ちをかける。

その時だった。

「隊長! 見てください! 向こうの丘から…!」

ハルの指差す方角を見ると、一台、また一台と、友軍のM1エイブラムス戦車が、猛然とこちらに向かってくるのが見えた。彼らの到着が、あと僅かに迫っていた。

「持ちこたえろ! もうすぐ友軍が来る!」

ブルは、力強く叫んだ。彼の声は、かすれていたが、その瞳には、再び希望の光が宿っていた。

だが、その希望の光は、次の瞬間、無残にも打ち砕かれた。

友軍の先頭を進んでいたエイブラムスが、突然、激しい炎を上げて爆発したのだ。砲塔が吹き飛び、車体は黒煙に包まれる。対戦車ミサイル。敵は、友軍の増援をも待ち構えていたのだ。

「嘘だろ…!」

ブルの顔から、 সমস্ত(すべて)の表情が消え失せた。絶望が、再び彼らを覆い尽くす。

「ケルベロス」の内部では、もはや誰も言葉を発することはなかった。聞こえるのは、敵の攻撃音と、乗員たちの荒い呼吸だけだった。彼らは、自分たちの運命を悟っていた。この鉄の棺桶の中で、彼らは、最期の時を迎えようとしていたのだ。

マッカスは、照準器を通して、迫り来る敵兵の姿を、静かに見つめていた。彼の心には、恐怖はなかった。ただ、やりきれない怒りと、深い悲しみだけが、渦巻いていた。

「これが…最後か…」

彼の心の中で、静かな声が響いた。その声は、まるで遠い故郷の、優しい風のようだった。


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