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爆撃機、帰還せざる者たち

白い絨毯のように広がる雲海の上空、その静寂は、轟音と共に一変した。遥か後方、一点の染みのように見えたものが、瞬く間にその姿を露わにする。メッサーシュミットBf109、漆黒の機体に描かれた鉄十字が、不吉な予兆のように眼前に迫り来る。

「敵機接近! 6時の方向より、複数機!」

無線越しに、後部銃座のロジャー・パーキンス二等軍曹の切羽詰まった声が響く。B-17爆撃機「アイアン・デューク」の機内は、にわかに緊張の度合いを深めた。操縦桿を握る機長、ジョン・“デューク”・デュークセン大尉の顔は、計器盤の緑色の光に照らされ、その瞳には硬い決意が宿っている。隣の副操縦士、サム・“サミー”・アダムス中尉は、無言で宙を見つめ、指先がわずかに震えていた。

「総員、戦闘配置!」

デュークセン大尉の咆哮が、機内スピーカーを通じて、搭乗員たちの耳に叩きつけられる。各員は、弾かれたように持ち場へと駆け戻る。

機体の背中、上部旋回銃座に身を沈めていたのは、まだあどけなさの残る顔をした、若き射撃手、トーマス・“トミー”・ブラウン伍長だった。革製の飛行服と分厚いヘルメットが、彼の顔の大半を覆い隠している。しかし、そのヘルメットの隙間から覗く瞳は、恐怖と興奮が入り混じった複雑な光を宿していた。彼は、照準器を覗き込み、迫り来る敵機を捉えようとする。

「来たぞ! 上空から!」

トミーの叫びが響く。メッサーシュミットが、真っ逆さまに急降下してくる。機銃掃射の火線が、まっすぐ「アイアン・デューク」の機首めがけて伸びてくる。

「くそっ!」

トミーは、射撃ボタンに指をかけ、引き金を引いた。ガトリング砲のようなけたたましい音と共に、50口径機関銃が火を噴く。無数の曳光弾が、光の帯となって敵機へと向かっていく。機体が激しく揺れる。敵からの機銃弾が、まるで雹のように機体を叩きつける。金属が軋み、火花が散る。

「くたばれ!この野郎!」

トミーは、心の底からの叫びを伴って、機関銃を撃ち続けた。彼の放った弾丸が、敵機の翼をかすめたのか、機体が大きく揺らぎ、急降下を始めた。だが、すぐに別の敵機が、編隊の右翼にいた僚機めがけて突っ込んできた。

「イーリー号がやられた!」

無線から、誰かの悲鳴が聞こえた。窓の外を見ると、僚機「イーリー号」が、右翼から黒い煙を噴き出し、きりもみ状に落下していくのが見えた。パラシュートが開く影はない。全員が、機体と共に墜落していったのだろう。

デュークセン大尉は、歯を食いしばり、操縦桿を強く握りしめた。彼は、無線で怒鳴った。「隊形を崩すな! 爆撃工程に入るぞ!」

その言葉に、機内の緊張はさらに高まる。対空砲火の中での爆撃は、自殺行為に等しい。だが、彼らに選択肢はなかった。

「ナビゲーター、目標方位確認! 対空砲火に備えろ!」

デュークセン大尉の命令に、ナビゲーターのハリー・“ハル”・クーパー少尉が応答する。彼は、足元に広がる地図と、羅針盤を睨み、正確な方位を確認していた。

機首の透明なドームの下で、爆撃手のアール・“アーリー”・ジョンソン大尉が、爆撃照準器に顔を埋めていた。彼の呼吸は、極限の集中を物語るかのように、浅く速い。照準器のレンズ越しに、曇天の下に広がる地上の都市が、次第にその輪郭をはっきりさせていく。それは、軍事工場が立ち並ぶ、今回の任務の最重要目標だった。

その瞬間、地平線の彼方から、漆黒の煙の柱が何本も立ち上るのが見えた。それは、彼らを待ち受ける死の嵐の予兆だった。

「フルーク(対空砲火)だ! 約5秒で命中圏内!」

ハルの叫びが、無線越しに響き渡る。

次の瞬間、ドン!と、内臓を揺さぶるような鈍い音が、機体を貫いた。それは、遠くで聞こえる雷鳴のような音とは全く違う、直接的な衝撃だった。機体の金属が軋み、きしみ音が響く。

「エンジン2に被弾! 火災発生!」

航空機関士のチャールズ・“チャーリー”・ディヴィス軍曹の声が、焦燥に満ちて響く。警告灯が赤く点滅し、計器盤の針が急激に降下していく。左翼のエンジンから、黒煙が噴き出すのが、窓越しに見えた。

「チャーリー! 消火剤を使え! 何としても火を消すんだ!」

デュークセン大尉が叫んだ。彼は、操縦桿を必死に握りしめ、機体が左に傾くのを食い止めようとする。機体は、まるで傷ついた鳥のように、不安定な飛行を強いられていた。

その間にも、対空砲弾の炸裂音が、機体のすぐ近くで次々と轟く。ドカン、ドカン、と耳をつんざくような爆音と共に、機体が激しく揺れる。金属片が、雨霰のように機体に叩きつけられる。まるで、巨大なハンマーで叩かれているかのようだった。

「機体に穴が! 複数箇所、被弾!」

下部銃座のジョン・“ジョニー”・スミス伍長の報告が、恐怖に震える声で届く。

トミーは、必死に機関銃を撃ち続けていた。敵機は、対空砲火の合間を縫うように、執拗に「アイアン・デューク」に迫ってくる。

「弾切れだ! クソッ!」

トミーは、怒りと絶望の入り混じった声で叫んだ。彼の機関銃は、もはや火を噴かない。

その瞬間、再び激しい衝撃が機体を襲った。今度は、機体の中央部、爆弾倉の真上に命中したようだった。

「ドロップ・ドアがやられた! 爆弾が!」

アーリーの悲鳴にも似た声が聞こえた。

デュークセン大尉の心臓が、激しく脈打った。爆弾倉のドアが損傷したとなれば、爆撃の成功は絶望的だ。

「アーリー! 爆弾の状況は!?」

デュークセン大尉は叫んだ。

アーリーの声は、混乱に満ちていた。「ドアが引っかかって開きません! 爆弾がロックされたままです!」

地上の対空砲火は、さらに苛烈さを増していた。黒い煙の柱は、もはや無数の闇の塊となり、機体を飲み込もうとしていた。

「もう限界だ! 引き返すぞ!」

サミーが、半ば叫ぶように言った。しかし、デュークセン大尉は首を横に振った。

「ダメだ! 目標は目の前だ! 爆弾は、必ず投下する!」

彼は、目に狂気を宿したかのように、前方を見据えていた。ここで引き返せば、これまでの犠牲が全て無駄になる。仲間の死が無駄になる。それは、絶対に許されなかった。

「チャーリー! 爆弾倉に行け! ドアをこじ開けるんだ! 手動で解除しろ!」

デュークセン大尉は、チャーリーに命令した。

チャーリーは、負傷した肩を押さえながら、重い足取りで爆弾倉へと向かった。彼の顔は、煤と血で汚れ、苦痛に歪んでいた。

機体は、激しい揺れに見舞われる。対空砲弾の破片が、機内の金属壁に打ち付けられる音が、耳に突き刺さる。デュークセン大尉は、操縦桿を必死に握りしめ、機体が制御不能になるのを食い止めようとする。

アーリーは、依然として照準器に顔を埋めていた。彼の瞳は、涙で潤んでいたが、それでも十字線は、目標の中心を捉えていた。彼は、爆撃手として、最後の望みを捨てていなかった。

その時、機体の下部から、微かな「カチッ」という音が聞こえた。そして、次の瞬間、ガガガガ、という鈍い音と共に、爆弾倉のドアが、ゆっくりと開いていくのが分かった。チャーリーが、やったのだ。

「開いたぞ! アーリー! 投下準備!」

チャーリーの荒い息遣いと共に、喜びの叫びが聞こえる。

「了解!」

アーリーは、震える手で、赤い投下レバーに手をかけた。彼の視界では、十字線が目標の中心に完全に重なっている。

「今だ! アーリー! 投下!」

デュークセン大尉の咆哮が、機内に響き渡った。

アーリーは、最後の力を振り絞り、レバーを強く引いた。

ズン、という重い振動と共に、機体の腹部から、無数の爆弾が次々と切り離されていく。それらは、白い軌跡を描きながら、重力に引かれ、遥か下の都市へと吸い込まれていった。爆弾が、目標に着弾する。遠くで、小さな光が点滅し、その後に遅れて、低く重い爆発音が、空気を震わせた。

爆撃は成功した。

だが、安堵する間もなく、機体は再び激しい衝撃に見舞われた。

「隊長! 右翼にさらに被弾! エンジン1もやられました!」

チャーリーの絶叫が響く。右翼の2つのエンジンは、完全に停止した。機体は、急速に高度を失い始める。

「サミー! 脱出準備!」

デュークセン大尉は、苦渋の決断を下した。もはや、この機体を帰還させることは不可能だ。

「了解!」

サミーは、落下傘を背負い、脱出ハッチへと向かった。

機内は、混乱の極みに達していた。搭乗員たちは、負傷者を引きずりながら、必死で脱出ハッチへと向かう。

デュークセン大尉は、操縦桿を握りしめ、機体が墜落する速度を少しでも遅らせようとしていた。彼が最後に脱出する。それが、彼の責務だった。

「デューク! 早く脱出するんだ!」

無線から、サミーの叫び声が聞こえた。彼は、すでにハッチから身を投げ出していた。

デュークセン大尉は、チラリと後方を見た。チャーリーが、足を引きずりながら、必死でハッチへと向かっている。アーリーは、すでに意識を失っていた。トミーは、上部旋回銃座から這い出し、血を流しながら、助けを求めている。

「クソッ!」

デュークセン大尉は、歯を食いしばった。仲間を見捨てることはできない。

彼は、操縦桿から手を離し、トミーのもとへと駆け寄った。トミーの体は、血で濡れ、意識は朦朧としている。

「トミー! しっかりしろ! 必ず助けてやる!」

デュークセン大尉は、トミーを抱きかかえ、そのままハッチへと向かった。チャーリーも、彼らの後を追う。

機体は、猛烈なスピードで落下していく。地上が、目にも止まらぬ速さで迫ってくる。

デュークセン大尉は、トミーを抱えたまま、ハッチの縁にたどり着いた。チャーリーも、その隣に立つ。

「俺が最初に飛び出す! 次にチャーリーがトミーを抱えて飛び出せ! 必ずだ!」

デュークセン大尉は、そう言い残すと、躊躇なく、燃え盛る機体から身を投げ出した。

風が、彼の体を激しく叩きつける。重力が、彼を地上へと引きずり込もうとする。しかし、彼の心には、決して仲間を諦めないという、強い決意だけがあった。

空中で落下傘を開いたデュークセン大尉は、ゆっくりと地上へと降下していく。眼下には、彼らが爆撃したばかりの都市が、黒煙に包まれて広がっていた。そして、その中には、新たな破壊と死が広がっていることだろう。

彼は、遠くの空を見上げた。そこには、まだ僅かな僚機が、かすかな希望のように、故郷を目指して飛行しているのが見えた。彼らは、無事に帰ることができるだろうか。

デュークセン大尉は、落下傘の綱を握りしめた。彼の心には、激しい悲しみと、それでもなお燃え盛る、戦い続ける決意が混じり合っていた。この戦争が終わるまで、彼は決して諦めないだろう。そして、この空で散っていった仲間たちの分まで、生き抜いてみせると、心に固く誓いながら。


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