鋼鉄の町、異形の船
東京の穏やかな潮風とは異なり、神奈川県横須賀市は、厚く湿った海風に包まれていた。横須賀海軍施設。地元では単に「ベース」、アメリカ軍関係者からは「横須賀ベース」と呼称されるこの場所は、在日アメリカ海軍の心臓部だ。第七艦隊が所属する航空母艦ジョージ・ワシントンやミサイル巡洋艦の事実上の母港となっている。米海軍の巨大なプレゼンスを示す一方で、海上自衛隊の横須賀基地とも隣接し、日米地位協定により一部地域を共同使用しているほか、住友重機械工業も共同使用しているという複雑な顔を持つ。
その起源は、意外にも日本の歴史に深く根差している。元は1865年に江戸幕府により設立された横須賀製鉄所が始まりで、その後1871年に横須賀造船所として設立され、1903年には大日本帝国海軍により横須賀海軍工廠として利用された。そして戦後、アメリカ軍に接収され、安全保障条約の批准を契機に、継続してアメリカ海軍が使用している。そこは、日本の近代化の歴史と、戦後の安全保障体制の変遷を肌で感じられる場所だった。
横須賀基地司令、佐藤 健一海将補は、ジョージ・ワシントンの巨大な船体を前に、誇らしげに語った。ジョージ・ワシントンは、現在、基地内の乾ドックに入り、大規模な点検整備中だ。乾ドックの巨大なゲートが閉じられ、海水が排出されていく様子は、まるで海から巨大な怪物が引き上げられるかのような迫力があった。
「船はすでに乾ドックに入り、点検整備中です。予定通り、来月には出航できる見込みです。」佐藤司令の声は、乾ドックの広大な空間に響き渡った。
隣に立つ空母ジョージ・ワシントン艦長、デビッド・“デューク”・アンダーソン大佐は、顔に深い安堵の色を浮かべた。「もし日本の横須賀基地がなければ、船の修理、保守にオアフ島まで戻る必要があり、余分に1ヶ月の期間を要することになる。期間を短くできる上に、ここの整備能力は人員、設備とも極めて優秀だ。非常に助かっている。」
アンダーソン大佐の言葉は、横須賀基地が持つ戦略的価値を如実に物語っていた。太平洋における米海軍の即応体制を維持する上で、横須賀の存在は不可欠だ。
佐藤司令は、アンダーソン大佐の言葉に頷き、ドックの壁を指さした。「ドックの中には、幕末に建設されたものもあり、今だ現役で使用されています。これらの石材は千葉県の鋸山などで産出されたものを、当時のフランス人技師の指導のもと、江戸勘定奉行の**小栗忠順**が中心となって建設したものです。また、現在ジョージ・ワシントンが入渠している第6ドックは、旧帝国海軍の『しなの』が建造されたドックです。」
巨大な米海軍の空母が、幕末の技術と旧帝国海軍の歴史が刻まれたドックで整備されているという事実は、この場所が持つ時間の深さと、日米の歴史的な繋がりを象徴していた。それは、単なる軍事基地ではなく、過去から現在、そして未来へと続く、生きた歴史の証人だった。
横須賀基地の一角に、異様なシルエットを持つ軍艦が停泊していた。通常の艦艇とはかけ離れた、まるで未来からやってきたかのようなその姿に、一人の日本人カメラマンが目を奪われた。宮嶋カメラマンだ。彼は、米軍から特別に撮影許可を得て、この基地に足を踏み入れていた。
「まったけったいな船やな。」宮嶋は、双眼鏡を覗き込みながら呟いた。彼の隣には、彼の相棒であり助手である若きカメラマンが立っている。
「米軍の最新鋭艦、インディペンデンスです。」カメラ助手が説明した。「軍艦としてはトリマラン型を採用し、艦上構造物もステルス性を考慮して、平面的な幾何学的デザインとなっています。」
「あんな寸胴では速度も出えへんやろう。まるで水に浮かんだ倉庫やないか。」宮嶋は、その常識外れの形状に、懐疑的な目を向けた。
カメラ助手は、得意げに説明を続けた。「それがどうしてどうして。後部甲板面積を確保するため、シルエットはぶさいくですが、トリマランのため、中央部分も含め吃水は極めてあさく、造波抵抗を最小限に抑えています。さらに、ガスタービンとディーゼル各2基を組み合わせた機関を持ち、取り込んだ海水を高速で噴射するウォータージェット4基で推進し、およそ40ノットの最高速度が出せます。」
宮嶋は、その説明に驚きの表情を見せた。見た目に反して、驚くべき高速性を持っているというのか。彼の好奇心は刺激された。
「まあとにかく撮影を許可されたわけだから、さっさと仕事をすませかいな。」宮嶋は、そう言いながらも、その奇妙な船体に、どこか引きつけられているようだった。彼は、最新の兵器が持つ、矛盾した美しさに常に魅了されてきた。
インディペンデンスの傍らに近づくと、その異形さはさらに際立った。船体を構成する金属の質感は、通常の軍艦の重厚なそれとは異なっていた。宮嶋は、指で船体の一部を叩いた。
「こいつ、鉄板とちゃうな。アルミ合金性や。」宮嶋は、確信めいた声で言った。「吃水をあさくするために防御力を犠牲にしたというわけか。」
カメラ助手は、頷いた。「その通りです。軽量化と高速性を追求した結果、装甲は薄くなっています。」
宮嶋は、インディペンデンスの後部へと回った。そこから見るシルエットは、まさに「ぶさいく」としか言いようがなかった。巨大な尻を突き出したかのような、どでかい「けつ」をした大型艦のシルエットだが、実際は排水量3000トンを切る小型艦なのだ。そのアンバランスさが、彼の心をくすぐった。
「それにしてもこいつ後ろからみるとさらにぶさいくやな。どでかいけつをした大型艦のシルエットやが、実際は排水量3000トンをきる艦なんやからな。真ん中のボディーにある開閉扉の向こうはおそらくカーゴデッキやろう。」宮嶋は、鋭い観察眼で船体の構造を読み解いていく。
カメラ助手は、それを補足した。「お見込みの通りです。この艦の固定武装は、艦首にある57ミリ単装砲と、近接防御用のRAM対空ミサイル発射器1基だけです。後はミッションに応じて、潜水艇や機雷探査艇などを内部カーゴデッキに積みこむようです。」
インディペンデンスは、従来の軍艦のような重武装を施されていない。その代わり、艦の内部に様々な任務モジュールを搭載し、柔軟に役割を変えることができる。
「さらに、この艦の特徴である、後部甲板には大型ヘリが着艦でき、後部格納庫には2機のSH-60ヘリを搭載できます。」カメラ助手は、船体の汎用性を強調した。
宮嶋は、納得したように頷いた。「もともとの建造目的が、沿岸域の浅海地域での情報収集や、特殊部隊の進入、小型艦艇との水上戦闘等を目的としているわけやからな。重装備はいらへんやろう。」
インディペンデンスは、まさに21世紀の新たな脅威に対応するために設計された、特殊な艦だった。広大な外洋での大規模な艦隊戦ではなく、複雑な沿岸地域や島嶼部での低強度紛争、あるいは対テロ作戦において、その真価を発揮する。その「ぶさいく」な見た目の裏には、現代の戦争が求める「汎用性」と「高速性」という、極めて合理的な思想が隠されていたのだ。
宮嶋は、インディペンデンスを様々な角度から撮影し続けた。彼のカメラは、その異形の船体に潜む、時代が求める新たな「力」を捉えようとしていた。横須賀の港に停泊するこのトリマランは、単なる最新鋭艦ではない。それは、変化する世界の軍事戦略と、それに適応しようとする人間の知恵の結晶だった。横須賀の歴史的なドックで整備される空母と、その隣に停まる未来的な異形艦。この対比は、日本の、そして世界の安全保障が、常に過去と未来の間で揺れ動きながら進化していることを象徴しているかのようだった。宮嶋の脳裏には、この「けったいな船」が、世界のどこかの海で、新たな戦いを繰り広げる光景が鮮やかに浮かんでいた。
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