ドラゴンズの咆哮:空母の日常と非日常
厚木基地のVFA-192ホームベース。パイロットたちがフライト装備品を装着するPRショップは、ドラゴンズのシンボルカラーである青と黄色で統一されていた。壁には「ゴールデンドラゴンズ」のエンブレムが誇らしげに掲げられ、その下には歴代の勇敢なパイロットたちの写真が飾られている。モスグリーンのフライトスーツが、いつものとおり体にぴったりとフィットする。使い込まれたハーネスを装着し、ずっしりとした飛行ヘルメットを手に取ると、体が無意識のうちに飛行モードへと切り替わる。全身に電気が走るような感覚。
格納庫からフライトラインへと続く通路を歩きながら、パイロットたちはそれぞれの任務へと意識を集中させていく。彼らはただの操縦士ではない。VFA-192、通称ゴールデンドラゴンズ。かつてA-4スカイホークを駆り、北ベトナムの空を駆け巡った名門飛行隊だ。果敢に敵の対空ミサイルに戦いを挑み続け、補給ルートを寸断したその歴史は、彼らの誇りであり、未来への原動力だった。
そして、VFA-195、彼らもまた伝説だ。雷撃飛行隊として第二次世界大戦中に数々の海戦に参加し、航空魚雷により数々の船を沈めてきた。その後朝鮮戦争では、貯水ダムを航空魚雷で破壊してみせたという逸話を持つ。彼らは単なる兵器ではなく、生きた歴史を背負う者たちだった。
ジョン・“スティングレイ”・ミラー大尉は、自分の機体であるF/A-18ホーネットへと向かった。VFA-192の分隊長として、今日の任務の責任は重い。彼の機体には、金色に輝くドラゴンズのエンブレムが描かれている。
飛行甲板では、すでに発艦に向けてホーネットがフライトデッキをタキシングしていった。轟音と熱気が混じり合い、鋼鉄の甲板を揺らす。ジェットブラストが後方へと噴き出し、白い排気雲が空に舞い上がる。フライトラインでは、離陸前の最終チェックを受けるため、操縦舵面やエアブレーキなどが動かされ、展開されている。カシャカシャとメカニカルな音が響き渡り、巨大な鳥が翼を広げるかのように、機体各部がその機能を確かめている。コックピット前からは、海軍機では必須の空中給油のためのプローブ(受油管)の開閉チェックもおこなわれた。
ミラー大尉のホーネットの機付長、サミュエル・“サム”・ブラウン兵曹長が、彼を待っていた。サムは、ホーネットの機体をまるで自分の子供のように大切に扱っている。彼の目には、機体への愛情と、パイロットへの信頼が宿っていた。
ミラー大尉は、コックピットに乗り込む直前、サムと視線を合わせた。サムは、すでに航空整備品室で定期チェックを受けた個人装備であるフライトスーツの襟元を整え、ハーネスの緩みを最終確認する。すべてが完璧だ。サムは親指を立て、今日の機体の最終的な状況を伝えた。その仕草だけで、全てが伝わる。言葉はいらない。
ミラー大尉は狭いコックピットに体を滑り込ませた。シートに深く腰掛け、ハーネスを締め上げる。頭上には、複雑なスイッチや計器類が並ぶ。風防を閉鎖すると、外界の喧騒が遠のき、ホーネットの内部空間へと意識が集中していく。
「エンジンスタート、クリア!」管制塔からの許可が入り、エンジンが唸りを上げ始める。
エンジンはその回転数を順調にあげていく。甲板を揺らす轟音が、全身に響き渡る。機体各部にも異常なし。システムチェックも全てグリーンだ。
タクシングを開始するため、ミラー大尉は機上整備員に向け、ここまで面倒を見てくれた礼の意味も含め、狭いコックピットの中で敬礼をした。彼らの献身的なサポートがあってこそ、パイロットは安心して空へと飛び立てる。彼らは、空母を支える見えない翼なのだ。
ホーネットは、滑走路へとゆっくりとタキシングを開始した。巨大な空母の甲板は、まるで生き物のように、発艦する航空機のためにその形を変える。発艦指示を待つ間、ミラー大尉は、今日の任務の最終確認を行う。偵察、そしてもし必要であれば、攻撃。彼の心は、すでに空の彼方へと向かっていた。
数時間の作戦飛行を終え、キティホークのフライトデッキにホーネットが着艦した。着艦フックがアレスティングワイヤーを捉え、機体は急減速して甲板に吸い付くように停止する。衝撃が全身を駆け抜けるが、ミラー大尉は慣れたものだ。任務を終えた安堵と、無事に帰還した達成感が彼を包む。
ダーティーオフィサーズメス。ここは、飛行を終えたばかりのパイロットたちが、フライトスーツ姿のまま食事をとることができる、カジュアルな士官食堂だ。メス内は、VFA-192のレディールームと同じく、ドラゴンズのシンボルカラーである青と黄色で統一されていた。リクライニング式の座席のヘッドレストは黄色のカバーがかけられ、ブリーフィングの演台は目の覚めるようなブルーのビロードのカバーがかけられていた。壁には、VFA-192とVFA-195、二つの飛行隊の歴史を物語る写真やエンブレムが飾られている。厳しい作戦飛行の後の、くつろいだひとときだった。
ミラー大尉は、何人かの仲間たちと共に、青い丸テーブルの一つに腰を下ろした。テーブルには、各飛行隊のマークが描かれており、彼らの誇りを静かに示している。補給科員の給仕によって運ばれてくるトレーには、白い皿に盛られたチキンと、小皿にもられたサラダ、それに黒パンが添えられている。ピカピカに磨かれたフォークとナイフが、清潔感を漂わせていた。
「今日の任務はご苦労様でした、スティングレイ。」隣に座ったVFA-195のパイロット、マイク・“ファントム”・リー大尉が声をかけた。彼もまた、その日の作戦を終えたばかりのようだ。
「ああ、ファントム。そちらこそ。特に問題はなかったか?」ミラーが尋ねる。
「問題なし。ただ、ターゲットエリアの上空は、予想以上に風が強かったな。」ファントムがチキンを一口食べる。「しかし、これでようやく一息つける。地上に戻るまで、まだ何日もあるからな。」
彼らは、今日の任務のささいな出来事や、故郷の家族の話、趣味のことなどを、リラックスした雰囲気で語り合った。フライトデッキでの緊迫した空気とはまるで違う、穏やかな時間が流れる。
壁一つ隔てて隣の部屋は、ワードルームとなっている。同じく上げ膳据え膳の士官食堂だが、こちらはよりフォーマルなスタイルとなっており、原則として作業服での入室は禁じられている。そこでは、その日一日非番の乗組員たちが、軽食をとりながらゆったりと談笑している。どこの壁もネービーブルーで統一され、ダーティーオフィサーズメスとはまた異なる、落ち着いた雰囲気が漂っていた。
一方、艦の別の場所、下士官兵のためのメスデッキでは、活気と喧騒が渦巻いていた。厨房から、焼き上がったばかりのパンの香ばしい匂いが漂ってくる。補給科員のジェイク・クーパー兵曹が、オーブンからトレーごと焼きたてのパンを取り出し、鉄製のかごの中に次々と放り込んでいく。熱気が立ち込め、彼の額には汗が滲む。あいたトレーには、隣の調理台でこね上がられ、形にされていくパン生地が、次々と他の補給科員の手で手際よく並べられていく。まるでベルトコンベアのように、休む間もなく作業が続く。
カウンター越しには、いくつもの調理済みのメニューが並べられ、並んだ下士官たちが次々とセルフでトレーに持って行く。メスデッキは、まるで学校給食の豪華版といった感じのカフェテリア方式で給仕されていた。ワードルームとは異なり、チェック柄の入ったなんの変哲もない長テーブルに、やや詰まった感じで椅子が並べられている。隣とかたと肩が触れ合うほど窮屈な空間だ。狭い艦内スペースでは、下士官兵にまで十分な居住環境を提供することはできないということだろう。テーブル中央には、タバスコやソース、ケチャップといった調味料が雑然と置かれていた。
「おい、ジェイク!パン、もっとないのか?!」太った整備兵が、カウンター越しに大声で叫んだ。
「今焼いてるから待ってろ!」ジェイクが応じる。
乗員たちは、チープなプラスチック製のナイフとフォークで、イタリアンな味付けの食事をわしわしと口に運んでいく。彼らの表情には、疲労と空腹が入り混じっていたが、仲間たちとの談笑が、その日一日の労苦を癒やしているようだった。
メスデッキの一角で、新米の補給科員が、ぎこちない手つきで皿を洗っていた。彼らの仕事は、パイロットや士官たちが任務に集中できるよう、艦の「胃袋」を満たし続けることだ。地味で目立たないが、艦の活動を支える上で、彼らの存在は不可欠だった。
空母「キティホーク」の内部では、このように、パイロットの命を懸けた任務から、日々の食事の準備まで、様々な役割を持つ人々が、それぞれの持ち場で艦の機能を支えている。それは、まるで巨大な一つの生命体だ。艦橋で任務を終えたパイロット、士官食堂でくつろぐ士官、そしてメスデッキで空腹を満たす下士官たち。それぞれの場所で流れる時間と空気は異なるが、彼らは皆、この鋼鉄の城に乗り込み、世界の海を航行する、海の戦士たちだった。そして、この巨大な艦の営みが、見えない形で、世界の安全保障を支えているのだ。




