第3章「戦争の輪郭」
朝霧が低く垂れこめるナジャリフ郊外。
爆撃の残響がまだ空気に残る中、第3分隊は瓦礫の街区を縫うように移動していた。前日、田口の死を目の当たりにした彼らの足取りは重く、無言のまま歩を進めていた。
「この街、住んでた奴らはどこ行ったんだ?」
野間が呟くように言った。誰も答えない。
建物の壁面には爆風で吹き飛んだ子どもの絵が描かれていた。片腕のないウサギ、歪んだ笑顔の家族。鮮やかな色彩がかえって不気味に映る。
水島は短く吐き捨てた。「とっくに逃げたか、燃やされたか……どっちかだ」
斉藤が振り返り、隊列を止めた。「30秒休憩。警戒は維持」
深見は膝をつき、背中の無線装置のアンテナを外すと、背嚢からメモリカードを取り出した。それは昨晩タイラーに渡した映像とは別の、田口が死亡する直前に着けていたボディカメラから抽出された記録だった。
そこには、田口が最期に見たもの、呻き声、モルヒネの投与、そして「ママ……」という呟きが克明に記録されていた。
映像を再生しながら、深見は手が震えるのを抑えられなかった。
*
再び行軍が始まった直後、前方からスモークの匂いが流れてきた。
「火事か……?」杉山がつぶやく。
数分後、彼らはその“出火源”に到達した。
そこは、かつて学校だった。
鉄筋コンクリート製の3階建て。だが屋根は崩れ、壁は焦げていた。
校門の横には、まだ燃え尽きていない黒焦げのスクールバスが突っ込んだままだった。
「……マジかよ……」
正門の内側に、赤いランドセルを背負ったまま仰向けに倒れている少女の死体があった。
顔は炭のように焦げ、判別不能だった。足元には「卒業おめでとう」と書かれた紙吹雪が燃え残っていた。
深見が手を挙げ、全員を止めた。
「斉藤。水島と確認に。野間、後衛監視。杉山、車両の状態維持」
斉藤と水島が学校内部に足を踏み入れる。
「……ひでぇな……」
廊下には血の跡が点々と続き、教室の中には、教壇の後ろで抱き合ったまま焼け焦げた母子と思しき遺体。
「これ、爆撃じゃない。手榴弾か、近距離の火器……残留薬莢ある」
水島が手袋越しに壁の破片を持ち上げた。5.56ミリNATO弾の薬莢。
「アメリカ製……間違いない」
その瞬間、斉藤が激昂した。
「くそが……子供を撃って何が戦争だ……ふざけんな……っ」
普段無口な斉藤の声が震えていた。
深見は校門の前でじっとそれを見ていた。
動けなかった。頭の中で田口の声が響いていた。
『痛いよ、深見さん……ママに会いたい……』
*
午後になっても誰も喋らなかった。
車両の中、野間が口を開いた。
「なぁ……俺ら、何のためにここにいるんだ?」
誰も答えなかった。
彼は言葉を変えて繰り返した。
「テロリストと戦うとか……人道支援とか……そういうの、信じてたんだよ。だけど、田口が殺されて、今度は子供だぞ。しかも、味方の銃で……」
「黙れ」杉山が低く言った。
「お前は黙ってろよ! どうせまた心閉ざして何も感じないフリしてるだけだろ? それでどうにかなるのかよ!?」
「野間」深見の声が硬かった。「この状況で部隊の精神が崩壊すれば、それこそ敵の思う壺だ」
「……それでも、正しいことがあるだろ」野間は呟いた。「誰が敵なんだ……? テロリスト? 米軍? 俺たち自身か?」
誰も反論しなかった。
その時、無線機が反応した。
『こちら司令部、今夜2200時、作戦コード“ファランクス”発動。ナジャリフ中央病院区画に対する制圧攻撃を開始する。第3分隊は南西出入口から突入し、残存勢力を掃討せよ』
深見は口を引き結んだ。
ナジャリフ中央病院──避難民や負傷民が多数いるとされる場所だった。
だが、米軍はその地下に反政府武装組織の通信司令所があると断定していた。
「また民間人が巻き込まれる……」斉藤が吐き捨てるように言った。
「……作戦には従う」深見は冷静に答えた。「だが、我々の目で確かめる。撃つのは最後の手段だ」
彼の声に、全員が沈黙した。
それは命令ではなかった。信念だった。
*
夜。
病院街区の廃墟に、火の手が上がっていた。第3分隊は突入経路の瓦礫を乗り越え、暗闇の中で視界を確保しながら前進していた。
敵は確認されていない。だが、焦げたベッド、廊下に散らばった車椅子、血痕、そして泣き声が……どこからか聞こえていた。
深見が手を上げて制止。
前方、破れたカーテンの奥に、明らかに戦闘員ではない影が動いた。
子供だった。
10歳にも満たない少女。汚れた服、怯えた目。
その後ろから、何かを引きずる音。
負傷した母親だった。
「……銃を下ろせ」深見が言った。
誰も動かない。銃口は下がっていた。
少女が母親の服を掴んだまま、病院の奥へと消えていく。
「制圧完了」
深見は無線にそう告げた。
誰も、引き金を引かなかった。
その夜、深見は再び田口の映像を再生した。彼の呻き声と、ママの写真。それを見つめながら、静かに心の中で呟いた。
「……これが、戦争の輪郭か」




