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第4章:オブリビオン・ライン

第4断章:オブリビオン・ライン

【場所1】アフガニスタン・ナンガルハル州北部 山岳地帯

【時刻】2025年7月19日 03:44(現地時間)


 山はまだ夜の中にあった。月も雲に隠れ、標高2400メートルの尾根筋を薄い霧が這っていた。空は黒く、空気は静かだったが、戦場の音は耳をつんざくことなく確実に存在していた。


 陸自特殊作戦群“彩雲班”の3名が、無言のまま斜面を登っていく。視界はわずか10メートル。NVG(夜間暗視装置)越しに確認できるのは、熱源反応で浮かび上がる2体の“沈黙”。


「死亡確認、ナンバー02、03。生体反応なし。遺体は発熱維持装備あり。地表温度との差分12.4℃」


 斜面下に控える衛生兵が報告する声が、暗闇に吸い込まれていった。


「ナンバー04は?」


「……動いています。北側岩棚。敵影なし」


 3名の回収要員が音もなく分散し、全身の神経を岩棚へと集中させた。

 その背後では、薄い風が砂を引き、交戦の痕跡をひそやかに隠していく。


 岩棚の裏に、息を切らしながらもNVG越しにこちらを睨む男がいた。

 101空挺・第4分隊所属、上等陸曹・時村。


「援護は?」


「敵影、消失。遮断電波領域外まで誘導中」


 男は頷き、暗い眼差しで斜面下の遺体を見た。


「……あれは、敵じゃなかった」


 その言葉に回収班の一人が身じろぎした。


「どういう意味だ?」


「“人間ではなかった”としか言えない。攻撃は受けたが、音がない。発砲の痕跡もない。奴らは……存在しているだけだった」


 沈黙が、夜よりも濃く張り詰めた。


【場所2】東京都千代田区・内閣府地下4階 国家安全保障会議特別会合室

【時刻】2025年7月19日 05:13


 金属の扉が閉じられ、室内の空気は密閉された。

 集まったのは総理、官房長官、防衛相、外相、国家安保局長、防衛省統幕から一名、内閣情報調査室より一名。

 通常ではない、“限定特別構成”によるNSC緊急会合であった。


「この“影”が国家主権に触れた場合、我が国は黙認できません」


 防衛相が口火を切る。


 スクリーンに映るのは、衛星7号機からの静止画像をさらに分析処理したものであった。

 人間に酷似した輪郭だが、質量分布、姿勢制御、全身温度均一化といった複数の指標が、“それ”を人間の範疇から外れさせていた。


「熱源制御の精度は、現行のPMC技術では到達不能。民間のAI兵器でも再現不可です」

「中国・南部装備開発局に、類似技術の研究記録がありますが、公式な軍技術ではありません」


 官房長官が続ける。


「では、これは民間組織による越境実験か? それとも軍事組織による非正規活動か?」


「それすら、現段階では判別不能です。“何か”があった。それだけが事実です」


 総理が静かに尋ねる。


「この“影”は……我が国の兵士を殺したのか?」


「可能性は高いが、物理的証拠はありません。銃創や爆傷は存在しない。死因は神経系ショック、もしくは強制昏倒」


「ならば問う——“それ”は、人間か?」


 室内に、数秒間の沈黙が落ちた。


「おそらく、人間ではありません。だが、“何か”を定義するに足る情報がない」


 外相が低く唸るように言う。


「仮にこの件が外部に漏れれば、日本は“敵の正体すら確認できない国”として国際社会で嘲笑される。非武装の死者を抱えて……」


「公開は時期尚早です。だが、米国側にはすでに情報が渡っている可能性があります。衛星軌道は被っていますし、NSAの電波傍受域にも入っていました」


「彼らが動く前に、我が国の“認知”と“対処”を明示せねば、情報戦で敗北します」


 NSC局長が、会議室全体に向けて言った。


「コードネームを定義します。“影のオブリビオン・ライン”。以後、関連事案はこの名称で管理、対外説明不可」


 静寂の中、決定はなされた。


 それは、ある意味で“日本国としての初の遭遇”であり、かつ“否認すべき事実”でもあった。


 会議が終わる頃、窓のない会議室の外では、すでに夜が明け始めていた。


 しかし、この国は、まだ暗闇の中にあった。

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