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その彼から手紙が届いたのは五日後。遠くでお仕事をされているのにこんなに早くと驚いた。手紙にはこの前のお礼と次に繋がる言葉。領地への訪問も歓迎すると綺麗な文字が並んでいる。内容から代筆もされていないと分かった。お仕事をしている彼が、建前だけで訪問を許してくれるとは思わない。困るなら綺麗に断りの言葉を書けるだろう。本当に行っても良いんだと涙が出る程嬉しかった。あの人にまた会える。彼の過ごしている場所を見てお話を聞ける。想像するだけで胸が高鳴った。
だからすぐに返事を書いた。自分も楽しかった。また会えたら嬉しい。そちらにも是非行ってみたい。とても嬉しいと伝わります様にと心を込めてペンを動かした。
秋、春、初夏、夏。彼の元を訪ねたのは四回。
初めて彼の元を訪ねた時には紅葉の森を散歩して、そこで採掘されている鉱石を見せて貰った。美しい景色と聞いた事もないお仕事の話。簡単に分かり易く話してくれる彼に沢山質問をした。彼の周りにいた人も皆優しくて泣きそうなくらい嬉しかった。自分の家の使用人も優しいけれど、気を遣うような緊張感の中にいて必要以上の話ができる関係にはない。侍女のカレンですらお互いに言葉を選んでしまう事もある。その二人ごと、温かく迎えて貰えて嬉しかった。また来れるかしら。来てもいいかしら。と、まだ帰る時間でもないのにそんな事を思った自分に夜更かしをしながら皆が言ってくれる。
「今日は曇っていて見えないけれど星空もお勧めです!」
「そうそう! 明かりが無いから本当に鮮明に沢山の星が見えるんです」
「鉱山の採掘場もきっと楽しいですよ!」
「現場の方達も皆優しくて、色んなお話を聞かせてくれます!」
「また、いつでも来て下さい」
「オーソクレース様は万年暇ですからー。も、本当にー」
そんな訳が無いと思うけれど。と、伺う様にオーソクレース様を見たら面白くなさそうに眉間に皺を寄せている。やっぱりご迷惑かしらと思ったらそうじゃなかったみたい。
「暇じゃない。暇じゃないけど自由は利くからいつでもどうぞ」
「だったら返事は同じじゃないですか」
「男らしくなーい!」
「無職で暇なのと仕事をしているけど自由が利くのは違うぞ!」
そんな言い合いを始めるから嬉しいのもあって笑ってしまった。
「オーソクレース様はお優しいんですね」
本当に優しい方。それに見栄を張ったりしない素敵な方。その気持ちは伝わったのか、言い合いはそれで終わりになった。
次は春。冬の間止めていた採掘が再開したと手紙を受け取ってすぐに会いに行った。本当にずっと心待ちにしていた。採掘現場で働く人から沢山お話を聞いて、現場も見せて貰って全部を大切に覚えた。少しだけ勉強していた知識も色んな理解を助けてくれた。自分と然程年齢の変わらないオーソクレース様が一から興したお仕事を、ただ素直に尊敬する。それに周りの人達も皆優秀で優しい。彼の人柄に引き寄せられているのがよく分かる。
「坊ちゃんはぼーっとしてるけど良い奴ですよ」
「坊ちゃんは気は利かないけどやる時はやりますから」
「坊ちゃんは田舎臭く見えるけど本当に田舎臭いです」
なんて言われていたけれど、皆が彼を好きで感謝していることも伝わってきた。
「こんな場所で汚れて働く人間の事も本当に大切にして下さって。お若いのにできた方です。貴女の事も、きっと精一杯大切にしてくれますよ」
と、最後に言われたことは、本心だろうけれども彼に知られたくないだろうと思って。それに恥ずかしくて。そのずっと後に聞かれた時にも言えなかった。
初夏。皆さんにと沢山のお土産を持って領地に向かった。凄く喜んで貰えて嬉しかった。嬉しいのに泣きそうになる。私はあと何回、ここに来れるんだろう。今日星空は見えるんだろうか。もしも見えたら次にここに来る理由を何か見付けられるかしら。理由もないのに独身の女性が独身の男性の元に来るのは無理がある。この理由ですら本当は無理があるけれど、せめてオーソクレース様との間にだけ存在する理由があればそれで良い。
生憎の曇り空の下でバーベキューをした。皆、自由で本当に楽しそう。それでもオーソクレース様を主人として認めている事は伝わってくる。それぞれの仕事を高いレベルでできるからこその信頼関係なんだとこの時期に気付いた。それをオーソクレース様も認めているから多少の慣れ合いも許しているんだろう。そんな彼を懐の深い素敵な男性だとつくづく思う。
「今日も晴れませんでしたね」
と、隣のオーソクレース様が残念そうに呟いた。ごめんなさい。私は本当は良かったと思ってしまっていました。けれど「はい」と頷く。彼のその気持ちは嬉しい。
それからいつもの様に何でもない話をした。時折食べ物や飲み物を持って来てくれる皆とも話をしながら。こんな大きな炎はここでしか見れないだろうな。その炎が全てをオレンジ色に染める。
「大丈夫ですか?」
ぼんやりと火を見ていた自分が酔ったとでも思ったのかもしれない。
「大丈夫です」
と答えてから思い付いて笑った。
「こんなに何もかもがオレンジに染まると、酔っているのかどうか分かりませんね」
「そうですね」
優しく笑って頷いてくれたオーソクレース様の横顔を見ながら思った。世界が全部この色なら、女性はお化粧をしなくても良かったのかしら。
「あの…オーソクレース様? 一つ質問させて頂いても良いですか?」
「何ですか?」
そう答えてこっちを見てくれたオーソクレース様の視線から逃げたくなった。こんな事を思うのは初めて。
「…その…私…お化粧も薄くて失礼でしたでしょうか…。オーソクレース様は…あの、どう思われましたか…?」
気まずくて少し視線を逸らした。その自分に、まるで内緒話をするみたいに少し声を抑えて、その代わりに近付いてくれたオーソクレース様の声が聞こえてくる。
「とても綺麗です。健康的で」
その声に嘘は感じなかった。だから自分の中でその言葉は彼の本当になった。この先何があっても、もしも彼が普通のご令嬢と結婚したとしても自分はこの言葉を信じて持っていられる。
「…また来ても良いですか?」
「勿論です。私も皆も歓迎します」
その言葉にも嘘を感じない。こんなにも優しい世界が存在するんだと心が軽くなって、少し痛くもなった。