侯爵家令嬢 ラルフィール1
世間知らずな侯爵令嬢。そう噂されているのは知っていた。男性を満足させるだけの愛想も美しさも無い地味な女。貴族令嬢としての務めも果たさない親不孝者だと陰口を聞いた事もある。礼儀としてのデビュタントだけをした後、公の場には殆ど姿を出さずに過ごしていた。そんな自分を両親は肯定してくれる。名前を継ぐ親戚もいる。お前は間違っていない。好きなように生きて良いんだよと優しい笑顔でそう言ってくれた。それに甘えている自分は正しいのか迷う事もある。けれどどうしても世間の流れにはついていけなかった。この肌に厚く化粧を塗り重ねて笑えば、もしかしたら男性は寄ってくるのかもしれない。けれどそこに愛はないだろう。情すらないかもしれない。そんな相手にこの家も自分も捧げるのは怖かった。自分の大切なものを守る為には嘘をつきたくなかった。例えそれが世間の幸せとずれていようとも。
そんな自分に一つの出会いがあった。両親から「信用できる人からの紹介だから一度会ってみなさい。その先の事は何も考えなくていい」と言われて会ったオーソクレース様。その先の事は考えなくても良いと言われたけれどそんな訳にはいかない。けれどこんな自分を見れば、きっとその先はないだろう。そんな複雑な気持ちでご挨拶をしたら、一瞬だけ驚いた様子のオーソクレース様は優しく笑って受け入れてくれた。緊張がふわりと解けるのを感じた。
それから暫くお話をしていてこの上ない心地よさに気付く。言葉遣いも仕草も表情も、きっと心も全部が綺麗な人。どこにも雑な部分が無くて、どこにも疑問や不信を覚える場所がない。初めて他人とこんな時間を過ごして満たされた。こんなに有意義な時間は初めてだった。もしかしたら世の女性はこんな風に男性と時間を過ごしているのかしら。そんな筈がないのに一瞬そう思ってしまう程、男性への興味を初めてはっきりと感じた。
あっという間に時間は過ぎて、帰ろうとするオーソクレース様を必死に引き留める自分に気付く。夕食の誘いを断られて、こんな事を言うのははしたないと分かりながら声を絞り出した。このまま別れてしまったら、もうこの人に会えなくなるかもしれない。
「あの…オーソクレース様。また…お会いできますか?」
これは本当は両親に確認するべき言葉だった。もしくは両親から打診して貰うべき事。彼の様にきちんと筋を通してくれる相手には、こちらもそうするべきなのは分かっていた。この場で女性から本人に確認をするなんて、礼儀としても駆け引きとしても相応しくない事も分かっていた。でももしもこの後「もう結構です」と人伝に言われて終わりになってしまったら。そんなの嫌だ。この人にもう一度会いたい。面と向かって厳しい事を言えないことを逆手にとっても、次に繋がる言葉が欲しい。
その自分に彼は優しく笑う。
「本日は楽しい時間をありがとうございました。是非もう一度、この様な時間を頂けたら嬉しく思います。こちらからご連絡を差し上げますので」
驚くほどあっさりと、オーソクレース様はそう言ってくれた。そして握手を求めた手を取って挨拶をしてくれる。とてもスマートに。まるでやり慣れているかのように。
けれど彼は手の甲にキスをしなかった。一瞬不安に思った気持ちは彼の態度で影を潜める。ああ、この人は本当に誠実な人なんだ。改めて感じて見上げた彼に笑った。