伯爵令息と侯爵令嬢1
今日は王族主催の夜会が開かれている。国外からも来賓が招かれる格式高い宴だ。勿論王族も全員が参加し、貴族達は列をなして挨拶をする。普段は姿を拝見する事すら稀な国王陛下の前で、若いとは言え結婚を考える程には成長している子ども達は緊張した面持ちを隠しきれなかった。
さて、それとは別に今日は彼らが楽しみにしている…と言えば聞こえはいいが下世話な興味を引く情報が入っていた。伯爵令息と侯爵令嬢が婚約をしたとかなんとか。二人揃ってこの夜会にも出席するらしい。
その二人は悪い意味でずっと彼らの興味の的だった。普段は僻地で過ごしていて金だけは持っている伯爵令息と、そんな格下にしか相手にして貰えなかったメイクもろくにしないと噂の侯爵令嬢。この煌びやかな宴にどんな姿を晒すのかと興味津々でその入場を待っていた。もっと深層心理を説明するのなら、金があるのなら伯爵程度でも相手をして上げようと思ったのにこちらに反応しなかった見る目のない男と、王太子殿下や成金伯爵令息が興味を持つ何かがあるのなら確認ついでに一度会ってみるかと手を差し伸べてやったのに空気も読めずに頑なに応じなかった女を一目見てやろうという陰湿な感情が渦巻いていた。もう来ているのかしら? 目立たないから分からないのかもね。もしかして帰ったんじゃないか? 恥ずかしくて入って来れないのよ。と、ひそひそと話し合う彼らの視界の片隅で扉が開く。扉が開く度に彼らの視線は向けられ、お目当ての人物ではなく顔を見合わせて残念な素振りをして笑うという事を繰り返していた。
けれどその時に入場してきた二人に場は静まり返った。美しい姿勢で歩く彼らに目を奪われた。すっきりとしたデザインのテールコートの男性と、こちらもシンプルながら美しいシルエットのドレスに身を包んだ女性。歩く度に揺れる、控えめだけど上質なジュエリーが彼女の為に輝いた。薄化粧の下の肌は隠さずとも美しい。この場にいるどの人間よりも地味な二人は誰よりも人の目を引く。誰にも構わず不安げな表情も仕草も見せず、真っ直ぐに王座に向かって歩き、二人は同時に足を止めた。
「ご無沙汰しております。国王陛下」
す。と、二人は礼をした。理想と表現してもいいその美しい作法に、その場にいる全ての注目が二人に集中した。それを見て満足気に国王が笑う。
「二人とも。面を上げなさい」
その言葉に、やはり二人は淀みなく応えた。
「息災だったか? オーソクレース」
「はい」
「婚約したと聞いた。おめでとう。ラルフィールも」
「ありがとうございます」
微笑んだ彼女に、今どれだけ幸せかを感じ取る。誰にも見せなかった優しい表情で頷き、国王は次にこう言った。
「君の夫になる人は、これからこの国の要となる。しっかり支えて欲しい」
「最善を尽くします」
答えたラルフィールの隣で、少し表情の変わったオーソクレースに国王が笑う。そして自分の隣にいる息子を示しながら笑った。
「ということだ。これからも息子を宜しく頼むよ? オーソクレース」
こんな所でそれを言う? 親も子どももきったねー。と、心の中で思った時間0.1秒。そう思うだけの余裕と、それを隠すだけの礼儀を備えたただの伯爵令息は胸に手を当てて応えた。
「仰せのままに」
「君達の未来に幸多からんことを。久し振りの社交の場だろう。存分に楽しんでいってくれ」
最後に国王は心底嬉しそうに二人に向かってこう言った。
「君がオーソクレースか。会いたかったよ」
「いつもうちの者が世話になっているね」
「婚約おめでとう。今度改めて祝いの品を贈るよ」
「今日は欠席しているんだが息子も君に会いたがっていた。忙しいと思うが時間があれば応じてやってくれ」
「ラルフィール嬢。久し振り。本当におめでとう」
「幸せそうだね。本当に良かった」
「おめでとう。お幸せに」
「オーソクレース様。この様な場でお会いできて光栄です。実はずっと感謝の気持ちを伝えたくて…」
「お初お目にかかります。私は…」
会場に流れた二人を、次は大人達が取り囲んだ。二人の家の付き合いがある家だけでは無く、オーソクレースの仕事で繫がっている人間や評判を聞いて一度挨拶をしたいと近寄ってきた者達だ。知る由もなかったけれど、実はオーソクレースの仕事に助けられたと言う者も中にはいた。その多くは名家を守り続ける主人や自身で成り上がった富豪など。国外にも名を馳せた研究者の姿もあった。誰一人中身の伴わない人間はいない。そしてこの界隈にはオーソクレースの仕事の様子やそれまでに拒否を受けた者の噂も広がっており、怪しげな人間はその中に入れもしない。
面子を見て子ども達だけでなく、その親の多くも震え上がった。羨望よりも恐れ多い。あの中に入りたいとすら思えない。無知な自分が囲まれたら醜体を晒すだけだ。
けれど当たり前に出席者をチェックし、自分から挨拶に伺わなければと準備していた二人に不足があろう筈が無かった。本来社交場はその為のもの。知らなくて当然の相手にも、忘れている訳では無いことがはっきりしているので取り繕わない二人に周囲は一層信頼を強くした。
「噂に違わぬ好青年だ」
「あの若さで素晴らしい」
「これからも長い付き合いをお願いしたいね」
「婚約者も素敵な女性で安心したよ」
「ああ。とてもお似合いだ」
「彼の隣に相応しい」
彼らの表情、言葉全てに二人がどのような評価をされているのかが窺い知れる。どこかでまだ、何かの間違いじゃないかと信じていた周囲の希望は脆くも砕け散った。
「踊りますか?」
一通りの挨拶が済み、珍しく夜会に出席しているんだから楽しむといいよ。との言葉を受けてオーソクレースは言った。普段、少しは聞こえてくる雑音が全く耳に入らない。美しい彼女と楽しい時間を過ごす事だけに集中できるこの場は最早愛おしい。手を差し出すとすっと吸い付くように手が重なる。
「はい」
と、嬉しそうに答えたラルフィールと一曲踊った。二人ともこういう場は殆ど経験はしていない。そして初めて踊る相手だ。それでもまるで何年も一緒に踊っていたかのように二人はダンスを楽しんだ。本当は基本通りの面白みのない動きだったかもしれない。それでも洗練された二人のダンスは誰よりも素晴らしく目を引いた。緊張も不足もない二人にやがて笑顔が溢れ出す。まるで手を繋いで歩いているかのような軽やかなダンスに、その場は再び沈黙した。