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オーソクレースとラルフィール

「…オーソクレース様?」


 両親と向かい合う三人。フェスター伯爵とその妻。そしてその子ども。彼は立ち上がって自分の前に歩いてきた。そして自分を見て不思議そうな顔をする。


「ラルフィール様?」


 その声は、ずっと心に響いていた音。忘れないように忘れないようにと繰り返し繰り返し何度も何度も。心の中でだけ。


 耳を撫でた同じ音は、がんじがらめに縛り付けて無理矢理形を整えて、じっとしていろと転がした心の縄をぷつりと切った。


 ああ、駄目。と、自分の声が聞こえてきた。この前、必死に我慢したのに。この人はそれに気付かないふりをしてくれたのに。ここで見せてしまったら。こんな、淑女としてあるまじき…。


「オーソクレース様…」


 何か答えようと彼の名前を呟いたら理性を失った。


「オーソクレース様…っ」


 もう一度呟いて彼にしがみ付いた。その自分の体を支えてくれる腕。拒否をされないことに心底安心した。


 だからその腕の中で声を上げて泣いた。親に会えた迷子の子どもみたいに。


「…申し訳ない」


 やがてそれを見ていた父親が呟いた。


「娘は最近色々あって…張り詰めていた緊張の糸が切れてしまったようです。息子さんの顔を見て安心したんでしょうね」


 我々は別室に移動しても? 差し支えなければ。と、少ないやり取りで四人は立ち上がった。そして親は泣いている自分を抱き締めてくれている彼に一言告げた。


「娘を頼みます。さっきの返事も本人から受け取って下さい」


「…はい」


 …ばたん。と、あっけなく扉は閉まり、そこには二人だけになった。






「お恥ずかしいところを…本当に申し訳ありません…」


 涙が涸れるまで泣き、その後も少し抱き締めて貰ったら理性が戻ってきた。その間ずっと黙って自分を支えてくれた彼をやがて見上げて呟く。


「いいえ」


 本当にここにいる。優しい声と表情を記憶に焼き付けた。離れたくないとも思ったけれどそれは我が儘だ。俯き耐えながら自分から少し距離を取ったら上から声が降ってくる。


「座りますか?」


「はい…」


 ソファまで導いてくれた彼の手に甘えて腰をかけた。手が放れてどうしようもなく寂しくなる。心は自由を謳歌しているようだ。はしたない。


「隣に座っても?」


「…はい」


 嬉しいのを隠して静かに答えた。この感情を隠すことが淑女の嗜みなのかしら。そんな事、習ってないから分からない。


 そう言えばと部屋を見回して気付く。両親がいない。来客も。


「…あの?」


「ご両親は別室に。私の両親も一緒です」


「…オーソクレース様のご両親?」


 そう言えば彼の隣に二人いらっしゃった。


 …ご両親? 何故?


「…あの、もしかしてカレンのことで何かご迷惑をおかけしましたか?」


「カレン?」


「カレンを昨日、オーソクレース様のところに…」


 呟いて混乱した。カレンが到着してから彼が領地を出発したとすれば今ここにいる筈がない。だとしたらどうして。


 その混乱した様子の自分を見て彼は笑う。そして安心させてくれるようにこんな事を言った。


「ああ、そうでしたか。ご心配なく。手はず通り受け入れている筈です」


「…そう、ですか…」


 そう呟いて彼を見上げた。だったら、何故?


「…でしたら今日は、どうしてこちらに?」


 私は何か、大きな間違いをしてしまったのだろうか。もしかして親同士の大切な話を台無しに。


「今日は結婚のお許しを頂きに来ました」


 いつもの口調で言われたその言葉を、すぐに理解する事ができなかった。動けずに彼の目を見ていたら、その目を少し細めて彼が言う。


「ご両親からは娘の意思を尊重すると言われました。ですのでラルフィール様からお返事を下さい」


 そして目の前に膝を突き、僅かに手を取って真っ直ぐに自分を見上げて言ってくれる。


「私と結婚して頂けませんか? そのままの貴女を、これからは私に守らせて下さい」


 ずっと触れていたいと思った彼の熱と声に、あの日を思い出す。


 初めて会った日、自分の差し出した手にこの人は応えてくれた。あの時の返事は自分の知る最高のもの。同年代の令息や令嬢は男性から手を求めて口付けをすると勘違いしている人もいると聞くけれど、それが今の常識とされる程に浸透しているとも耳にしたけれど、本来は女性が許して初めて男性が触れ、口付けの様な仕草をするだけのもの。それは古い。男性から女性を求めるべきで、情熱的な感情を伝えないなんて間違っている。とまで言われて隠されてしまいつつある自分の持っている常識。けれどそれはここの社交界でしか通用しない。使い分けられるのなら未だしも、やがて国外にも交流を持つであろう自分達がそれを常識と思ってしまうことが凄く怖かった。それにそこまで深い仲でも無いのに過剰に触れられるのも怖い。だからさり気なくも敬愛を表せるこの挨拶を、自分は幼い頃からとても尊いものだと思っていた。いつか自然にそのやり取りをしたいと思う相手に出会えたら。そんな想像をするくらいに憧れていた。それを自然に求め、その通りにしてくれた時、自分とこの人は同じ世界にいると安心した。その上でくれたあの返事が堪らなく嬉しかった。


 そんな彼が手に触れる意味。彼がするから分かる。この僅かな、誰とでもできるような触れ合いも、常識的な必要が無ければきっとこの人はしない。その必要が無い今、それをする意味は。


 求愛。


 ぶわっ…。と、表現できない感情が溢れたのを感じた。嬉しいとか驚いたとか感動したとか、心が急くような不思議な感情。自分はどんな顔をしているのかしらと動揺しながらふと気付く。今朝の両親と同じ顔をしているんじゃないかしら。そうか。二人は彼が結婚の申し込みに来るからあんな表情を。


「でも、私、は…」


 私は貴方に相応しいのかしら。このままではいけないと自分を戒めていた気持ちが行き場を失って慌ててる。


 そのままの貴女を。


 その答えを、この人は先にくれていた。私をこのまま、この人は全部受け入れてくれる。不安に思った今までも、やっぱり受け入れてくれていたとやっと信じられた。


 側にいたいと恋い焦がれていた。顔を見たら泣いて抱き着いてしまうほど。離れても支えて欲しくて、必死に表情と声を記憶に焼き付けていた。そのくらいこの人が好き。


 震える手で彼の手を握り締めた。握り返してくれた手の熱が冷えた指先に伝わってくる。ああ、本当にこの人とこの先ずっと一緒にいられるんだ。


 嬉しい…。


「はい…」


 小さな声で答えたら、彼は嬉しそうに笑った。

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