6-2 デージョー神殿
モルホスの屋敷を出たのは〇八二〇M。人通りも増えてきているので徒歩でデージョー神殿に向かう。ミナルは残した。今夜の道案内のためには、寝ていてもらわねばならない。運転するオレやアンはどうなのか?、ともなるが、「若いですから」で誤魔化した。
〇八五〇M。門前に到着。デージョーは巡礼なども訪れる大きな寺院なので、門の脇には案内所がある。オレは案内所でグレンが書いてくれていた紹介状を差し出した。
「ここで星読みをやっているノーグ殿にお会いしたい。」
「星読みのノーグ師ですか。」
案内所にいた二十歳ほどの若い男は紹介の木簡を読み、「ここでしばらくお待ち下さい」と告げて本館の方へ小走りに去っていった。その後ろ姿を見送りながらバースが言う。
「ここには何度か来たことがあるけどねえ、紹介状を出して誰に会いたいとか言うのは初めてだよ。何か交渉することになったらいつもヨーサを通じてモルホスの家に動いてもらってたからねえ。」
「グレン師のおかげですね。星読みの方と話すのは、私も楽しみです。細かなことを言い出したら何日でも話はできそうな気はしますけど、今日一日と、帰りに寄っても追加一日しか時間が取れないのは、ちょっと残念に思ってます。」
「マコト殿は細かい計算もできるからねえ。アン殿達もそうか。儂がやったら間違いが多くて困るよ。」
そんな話をしながら待っていると、さっきの若い神官がグレンとそっくりな男を連れて歩いて来た。なるほど。「こんな顔をしてる」とは、確かにそのとおりだ。
「マコト・ナガキ・ヤムーグ様、星読寮のノーグ師です。」
神官が紹介する。
「星読みのノーグです。マコト・ナガキ・ヤムーグ様、グレンから、あなた様のことは聞いておりました。お話しをさせていただける機会は、嬉しいです。」
「マコト・ナガキ・ヤムーグだ。長ければマコトでいい。」
「私は長くても短くてもノーグで。」
ジョーク好きでもあるらしい。
「こちらはネゲイのバース・ネゲイ様ですね。弟が大変お世話になっております。」
「そんなことはないよ。うちの子供達もグレン殿の生徒だしね。おかげで、マコト殿の話にもついて行けそうかな?、という程度には計算もできるようだよ。」
「マコト殿は星読みの計算にも大変に詳しいと、グレンが書き送ってくれています。三角表の一部も、見させていただきましたよ。」
「グレン師に勧められて、あれの直角までの分も、今日は持ってきている。贈呈するよ。」
「なんとまあ。それは星読みにとっては大変な値打ちのある代物ですよ。そんなものをいただいてしまったら、何を返せばいいやら。今までに貯めてきた星読みの数字をしの三角表で整理し直すだけでも何年もかかってしまいます。」
「私が欲しいのは知識と友好的な関係だよ。あとは、あなたならここで普通の人が入れない場所まで案内ができるともグレン師から聞いてる。そのあたりかな。」
「案内は、いたしますよ。細かいところの説明を始めたら何日もかかりますが、三角表の値打ちに比べたら全然足りませんから。今日は私も予定をちょっと変えて、案内の日にしましょうか?。マコト殿達はモルに何日ぐらいいらっしゃる予定ですか?。」
「今日だけなんだよ。夕方か、夜に出発するつもりなんだ。カースンに向けてね。ノーグ師の『予定をちょっと変える』のが簡単な話なら、今日にでも。或いは、私達がカースンから戻る途中でもいいけどね。」
「今日なら、私一人での案内になります。『帰る途中』なら、日を決めておけば、場所ごとに細かい説明ができる者を何人か用意させますが、日は、決めにくいんでしょうね。カースンへ行って帰ってくるとすれば……、今日が十七日、二七日頃でしょうか?。」
「もう少し早くなるとは思うけど、あっちでどんな話になるかわからないから決めにくいな。今日でお願いしようか。『予定をちょっと変える』のが簡単な話ならね。」
「今日の明るいうちの予定は寝ることだったんですよ。星読みはそういう仕事でしてね。細かい計算ならともかく、歩き回って説明するだけなら少しぐらい眠くてもできます。」
「それで今日の夕方とか夜の仕事に差し支えは出ないかい?。」
「いざとなったら、夜は弟子の誰か、若くて元気のあるヤツに任せますよ。」
「それで仕事に差し障りが出ないなら、お願いしよう。まずは、三角関数表かな。こんな屋外で手渡すの変な気がするから、どこか適当な場所、ノーグ殿の仕事部屋あたりで三角表をお渡しよう。」
ノーグに案内されて大伽藍に入る。以前にハイカクから聞いたとおり、窓にはガラスが使われていた。壁画の区切りとして、十五センチ四方程のガラスが六枚×十二枚が一組で木枠にはめられている。色は薄い青が多い、が所々で違う色のガラスも使われていた。割れたものを交換でもしたのだろうか?。透明度は明かり取りには使えるものだが、厚さは不均等で外の景色が歪んで見える。鏡を作ろうとしたら、このままでは使えないだろう。
「この大伽藍までは入ったことがあるけど、奥へ行くのは初めてだねえ。」
「ここまでは誰でも入れますけど今日は特別な方に特別なものをお見せしますよ。」
到着した星読寮は塔の基部に近い一室で、ここでも窓にはガラスが使われていた。ノーグに勧められた四人がけのテーブルに着く。
「アン、ここへのお土産を。」
「わかりました。」
アンが物入れから羊皮紙を綴って製本した三角関数表を取り出してテーブルに置いた。
「拝見させていただきます。」
ノーグは頁をめくり、表の構成を確かめるとざっと頁を進んで四五度の頁に達した。四五度ならサインもコサインも大体〇.七〇七だ。十二進数で書かれているからオレには即時換算はできないが、こんな基本的な部分ならノーグも憶えているのだろう。次いで三十度、六十度でも同じように数字を見てから立ち上がり、戸棚から一冊の本を持ってきて広げ、オレ達が持ち込んだ三角関数表と比べ始めた。片方で適当な頁を開き、もう一方の本にある数字と比べる。何ヶ所かをそうして調べて、困ったような表情を浮かべた。
「本当に、これに匹敵するようなお礼を出すことができません。」
「さっきも言ったけど、私が欲しいのは知識と友好的な関係だよ。」
「友好ならばいくらでも。しかしこれに匹敵するような知識が、これを作れるほどの知識があるほどの方に帰せるような知識が、思いつきません。」
「この数表に、それほどの値打ちがあるのかねえ?。」
バースの言葉にノーグが答えた。
「バース様。私が持っていたこの表は昔何年もかかって作られた物で、もしかしたら十二年くらいはかかっていたかもしれません。それでも、星読みの仕事には少々足りませんでした。マコト殿が持ってきたこの表は、作ろうとしたら百年かかってもおかしくない代物です。これがあれば、今後数百年はこれ以上の表は要らないでしょう。星読みの道具、このデージョーの塔を、今の二倍の高さで建て直したとしても、マコト殿の表ならまだ余裕を持って対応できます。」
「星読み以外には……、マコト殿はこれを測量にも使うって言ってたね。」
「測量や建物の設計とか、形を絵図で説明しないといけないようなもの全部に使えますよ。」
「ああ、工房の設計にもマコト殿の知恵が入ってたね。」
「グレンからはマコト殿の知恵も入って設計した建物はネゲイの他の建物より屋根が低いと聞きましたよ。」
「それも細かい説明を始めるととても長くなるけど、この表も使ってるね。多分、ノーグ師が持ってた表でも足りていたとは思うけど。」
「そういう使い方も、ああ、グレンが羨ましい。そういう使い方、是非お聞きしたい。でもその代わりに提供できるものが、本当に思いつかないんです。」
「だから、友好だよ。あと、今日の話としては、この寺院の案内だね。また気になること、あとで思い返したらわからなかったこと、そういったことに、後から教えてもらう約束でもいいし。」
「なら、この三角関数表のお礼として、私のできる限り、最大限の恩返しをすることを、お約束します。三角表については、この表以上のものは本当に、今後何百年かは出てこないでしょうから。」
ノーグによる案内は、一般向けのものから始まった。最初は大伽藍に戻って中の壁画の説明などだ。バースは既に聞いたことがあるのかもしれないが、オレ達にとってはカースンでの常識を知るための重要な機会でもある。創世神話。建国物語。如何にして我々は戦いに勝ったか。モルで見たことがある題材もあるが、面積が広い分、ここの方が内容は多い。エンティ王妃の断罪の絵もあった。
壁画の次に案内されたのは祭壇の裏だった。ノーグが手袋をはめ、恭しく祭壇裏の扉を開く。
「手は触れないで下さい。」
中には直径で三十センチほどの正十二面体が鎮座していた。エンリから聞いた「神様の形」だろう。バースは頭を下げている。オレとアンもそれに倣った。
『α、ここまでで特別なものは?。』
『歴史関係の情報は再整理したわ。聖なる正十二面体は、石ね。特別な鉱物が使われているとかはないみたい。あと、建物に入ったら電波がちょっと悪くなってるから中継点を組み直してる。できるだけ、ゆっくり進むようにしてね。』
『わかった。』
ノーグは扉を閉じて言った。
「先ほどの石は、神様の形を表していると伝えられています。ここまでが、誰にでも、機会があればお見せしている部分です。マコト殿は、特別な知恵のある方ですから、次の場所を案内しましょう。バース様も、次の場所は御存知かもしれませんが、ご一緒にどうぞ。
「次の場所」は星読み台だった。昼間は巡礼者達の邪魔になるので外されているが、夜は塔から南北にロープを張り、その真下から主な星がロープに隠される時の角度を調べている。ここにも閏年はあり、暦の精度を上げるため、星が見える夜には必ず角度を測っているということだった。地球文化圏でも同じことをずっとやってきているから、原理的に目新しいものはない。オレもアンも幾つか質問し、蠟板に幾何学的な要点を記す。
星読み台の見学を終えたオレ達は「少し休憩しましょうか」と言うノーグの案内で星読寮に戻る。時刻はそろそろ一一三〇M。
三角関数表を引き渡した時のテーブルでお茶を出される。ノーグはオレ達の相手を弟子の一人に任せて席を外した。やがて戻ってきたノーグが言う。
「三の鐘を過ぎたら、更に特別な場所に案内できます。」
バースが言った。
「それは、儂も?。」
ノーグが答える。
「申し訳ありませんが、マコト殿と、アン殿だけにさせていただきたい。オーキョー様です。」
まだヤダの奥にいた頃にルーナから聞かされた「モルのお化け」か。会えるというのか、見るというのか、何しろ実在する何か、誰かだったらしい。
「やっぱりね。儂には畏れ多い。ここで待たせてもらうか、先に帰るかするよ。どのくらいの時間がかかるかな?。」
「四の鐘までには余裕を持って。マコト殿、いかがですか?。」
「オーキョー様というのは?。名前を聞いたことはあるんだが、どんな方ですか?。」
「外では『デージョーのお化け』とかいう伝わり方をしているのは私も知っています。大変な知恵者で、外から来た方とは、本当に特別な方にしかお会いしません。」
「特別な方?。」
「条件の一つは知恵のある方々です。私を含め、このデージョーの幹部何人かが見極めをすることになっています。マコト殿、アン殿、お二方とも、オーキョー様に会っていただきたい。」
「私もよろしいのですか?」
アンが言う。
「『三つの名前の方』に随員が必要なのは当たり前ですし、先ほどの星読台でのアン殿の言葉を聞いてましたら、マコト殿、アン殿、お二方とも相当な知恵者であることはわかりました。」
「それなら、マコト、私も興味があります。」
アンの言葉はAI総体の言葉だ。オレも興味は当然ある。
「なら、会わせていただきましょう。三の鐘を過ぎたら、ですね?。」
バースは町の中を見物しながら先にモルホスの屋敷に戻ることになった。またノーグに先導されて進む。星読寮の部屋を出て、地階への階段を下った。廊下には不規則な間隔で外光が入ってきている。右の壁の外は、中庭か。アンが立ち止まった。αから連絡が入る。
『電波が弱くなってる。あと、あの窓の間隔は……、補正したわ。窓の間隔は、初期のシマドの義眼のメンテナンス信号、読み取りテスト用の模様と同じだったわ。気を付けて。』
『地下で電波が弱まるだけでなくて、義眼の動作確認用のテストパターンと同じ?。』
『ええ。理由はわからないけど、シマドの義眼を知ってる誰かが配置したみたいな感じよ。』
「どうしました?。」
立ち止まったオレ達にノーグが声をかける。アンが答えた。
「窓の間隔が、なんでこんな形なのかと考え込んでしまいました。」
「ああ、言われてみれば、変わってますね。そういうものだと思い込んでましたから、気にしてませんでした。」
『中継点を組み直し中。昼間だからやりにくいわね。マコト、ゆっくり進んでね。最悪、アンをスタンドアローンに切り替えるけど、会話とかがやりにくくなるから。』
「この窓の間隔は、壁の中の柱の配置とかかな?。基礎に弱いところがあったとか?。」
オレも時間稼ぎの会話を始める。
「どうでしょうね。他所では見ない配置ですから、柱を建てられる場所に制約があったのかもしれませんね。進みましょう。すぐですよ。」
インプラントが示す電波強度の表示が黄色になっている。このまま進んでいいのか?。別の表示。アンがスタンドアローンモードを併用し始めた。
『マコト、行けます。』
わかったよ。覚悟するしかなさそうだ。




