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5-20 出発の準備

 ヨール王二三年六月四日(金)。


 定例となっているベンジーの日だ。ベンジーの前にマリスの店に立ち寄り、作り直した触媒を預けた。これで週明けには何かの反応が聞けるだろう。


 ベンジーでは、カースンへ行くことになった旨を伝えた。途中にモルに立ち寄ることを聞いたグレン師は、デージョー神殿の知己の一人に会えるよう、紹介状を用意すると言った。グランの紹介であれば、一般の参拝者よりも奥まで案内を受けられるだろうと言う。ルーナから聞いた神殿のお化けの話を思い出した。名前は……。


『オーキョーよ。』


 αのサポートが入った。


『学術的な話ならモルに顔つなぎできるのはいいことだと思うわ。教義の話に深入りするのは気を付けるべきだけど。もしかしたら教義と関係してるかもしれないから、お化けの話もこっちからは聞かないでね。』


「折角行くんだからデージョー神殿にも立ち寄りたいとは思ってたんだ。でも普通の人が入れる場所だけ、或いは、バース様も一緒だからバース様と一緒なら行ける場所だけでも構わないと思ってるんだが、その人は、門で紹介状を差し出せばすぐに案内されるようなものかな?。何日か待たされたりは?。」

「マコト殿のことは伝えてあります。蠟板も、この前現物を送ってまして、そこにはマコト殿が以前見せてくれた八桁の三角関数表の一部を写しておきました。興味を持ってないわけがないと思いますよ。さすがに紹介状の取り次ぎを受けてすぐに、というわけにも行かないでしょうが、何かの用でモルを不在にしていなければ、その日のうちには必ず会えますよ。そのように紹介状に書きますから。」


 神殿の奥まで案内できるのは、それなりの高位者か。そして、グレンはその人物に頼み事もできる。


「どのような方ですか?。」

「名前はノーグと言いましてな、弟ですよ。こんな顔をしてる。」


 グレンは自分の顔を指さしながら言った。


「あっちは自分の方が兄だと言うかもしれませんが。こんな顔をしながら。」


 愉快そうに笑いながらグレンは付け足した。


「両方が自分を兄だというのは、顔も似てて、双子ですか?。」

「ええ。モルの孤児院前に二人で置き去りにされていたとかで、両親はわからず。だからどっちが兄なのか弟なのかもわからない。顔が同じだから、双子だろうと。」

「ではグレン殿と、その弟、ノーグ殿は、孤児院で育ってそのまま神殿で働き始めたということかな?。」

「ええ。仲はよかったけどお互いに負けたくないとも思ってましたから、同じ仕事で競争してたんですよ。ノーグも私と同じく、専門は『星読み』です。あと、あっちはネゲイよりも人が多いですから、私みたいに教師とか葬式や結婚式まではやってないみたいで、それは羨ましいですな。あと、モルの星読みは、何人かで交替しながらずっと星を見てますから、運が悪いと寝入ったばかりで会うのを待たされるかもしれませんが。」


 グレンはネゲイのベンジーの全てを取り仕切るトップだが、弟だか兄だかのノーグはデージョーで星読みだけをやっているらしい。


「その弟のノーグ殿は、モルで星読みをやっている人か。お互いの数字を比べたりすることはあるのかな?。」

「ここで読み取った記録はモルにも送ってますよ。北に行けば行くほど正午の太陽の高さは低くなりますから、あちこちの数字を読み比べたら、ネゲイがモルよりどのくらい北にあるか、そんなことがわかるはずですからな。」


 話ながらグレンは蠟板を取り出した。水平線を一本引き、途中に印を二ヶ所入れてそれぞれに「ネゲイ」「モル」と書き込む。何もない場所に丸印を一つ加えて「太陽」と記し、太陽からモル、ネゲイまでを直線で結んだ。


「ネゲイから見える太陽の角度は、モルから見るものよりは小さいことがわかってまして、それはいま描いたこの絵のようになっているからだと、マコト殿は聞いたことがありますかな?。」


 惑星が球体であることを無視、あるいは省略した絵だが、言いたいことはわかる。


「この絵が言いたいことはわかるよ。太陽までの距離がわかればネゲイとモルの間の距離がわかるし、逆にネゲイとモルの間の距離がわかれば太陽までの距離もわかる。それで、ネゲイがモルよりどのくらい北なのかは、わかってるのかな?。」

「残念ながら、まだですよ。角度の違いだけはネゲイだけでなくムラウーやトヨンみたいな外国で測ったものまで記録を集めてありまして、それぞれの場所を南北に並べられるぐらいにはなってますが、例えばモルとネゲイの間が『馬車で五日ほど』で、しかもその間の道は真っ直ぐにはなっていない、と。マコト殿の測量のやり方も見せて貰ったことがありましたな。マコト殿ならネゲイとモルの間の』距離、街道の長さではなくて、南北だけの距離を出す方法、あの、『xy平面』を使えば出せるのでは?。」


 「南北だけの距離」は要するに緯度の差を距離に換算したものだ。既にネゲイどころかカースン中の主な人口密集地の位置は衛星からの観測で緯度も経度も把握している。だがグレンの言うオレの「測量のやり方」は工房を建てる前にやったクボーの農地でのやり方だろう。あれは規模が小さかったから地面が球体であることを無視した計算で仕上げてある。星の角度が変わって見えるほどの距離では誤差も出てくるだろう。また、地面が球体であることを前提にした測定では、いままでカースンで積み上げられてきた測量の計算とは異なる補正過程を組み入れることになる。結果を示すだけならともかく過程を説明することになれば、教義との関係を確認しておく必要もあるだろう。


「南北だけの距離か。クボーのあたりを測ったやり方だけじゃあ誤差が出るな。誤差を小さくするやりかたも合わせて、それでも、モルまで馬車で五日だと、こことモルの間を測るだけでも何日もかかるよ。」

「そうでしょうね。すぐにできるとは思ってませんが、もし、マコト殿の今の仕事に暇ができて、そんなことをできる日が来るなら、一緒に回りたいものです。」

「期待はしないで欲しいな。今でも、『思いついてるけど手を出せていない』話が沢山あって、手を着ける順序でバース様達を悩ませてるんだ。」

「聞いてますよ。いつだったか、ゴール殿も『ベンジーで余ってる人手があれば』とか、話をしに来たことがありました。職人が足りないそうで。」


 行きか帰りのどちらかで、モルでデージョー神殿に立ち寄ることは行程に入れようと思ってはいたが、そんな案内人に会えるなら、もしかするとモルでの滞在期間は伸びるかもしれないな。



 ベンジーを出て、マリスの店に向かおうとして思いとどまる。いくら何でも二~三時間前に渡したばかりの触媒で、既に試作を終えているということはあるまい。今日はやめておこう。ついでに、新しいことは自粛しよう。工房で作れるもので、もう動き始めていて、ネゲイに伝えているものだけなら蠟板、コンテナ、紙、石鹸、鏡。ネゲイに伝えているがまだ手を着けていないものが万年筆。ネゲイにはまだ伝えていないのはセメント。セメントの強度試験は……。あれ?。報告を受けてない?。


『思い出したようね。報告をちょっと、ためらってました。』

『ためらう?。何で?。』

『非常識な数字が出たのよ。圧縮強度で五十メガパスカル超えよ。だから追試してたの。』


 オレが記憶していたセメントの圧縮強度は二十~三十メガパスカル程度だったはずだが、五十?、それはちょっとためらうのもわかる。


『まずセメントを、不純物なく合成したらこうなるのかもしれないわね。それから、保管状況が良すぎたか。あと、水は池から採取したけど、また何かの成分が混じっていたのかも。』

『実用性には問題ない強度ということで、あと、ガラス繊維を混ぜ込んだとか、ここで採取しやすい砂利を混ぜ込んだとか、そういうパターンの数字も欲しい。』

『ええ。一回のパターンに何週間かかかるから、気長に待っててね。』




 ヨール王二三年六月六日(日)。


 またネリとエンリを船に招いている。「定期検診」もこれで最後だろうと思っている。ルームBとCで、それぞれ問診とタンク内でのチェック。αによれば、タンクでチェックできる範囲内ならば二人とも万全であり、あとは使いこなすための訓練をどこまでやるか、という段階に達している。禁止事項については二人とも体験し、理解している。オレが時々やっている音声を使わないインプラント経由での会話は、まだ教えていないし試させてもいない。普段のオレがネゲイの人達と会話をする時には、発声系統を完全にインプラントに委ねている。これの応用が、禁止事項のテストの時にやった「しゃべれなくする」という制禦だろう。インプラントの機能は多岐にわたるが、二人に話はしていても試していないのは「反復練習の効率が高まる」という部分だ。何を使って体験してもらおうか。


『α、反復練習の件だけど、あれは確か原種のインプラントがやってた宿主強化の一つだったよな。』

『そうよ。記憶力や運動機能全般もね。こっちからはインプラントを正しく定着させることと禁止事項の制禦だけを優先してたから、反復練習、記憶、運動機能、そのあたりは促進するとか抑制するとか、できなくもないけど触ってないわ。』

『じゃあ、特にこっちから指示とかしなくても、この何週間かの間に、何か実感してるかもな。』

『問診項目にも入れてるけど、変化が小さいと気付かないこともあるでしょうしね。朝の目覚めが良くなった気がするとか、二人とも言ってるからこれはインプラントの効果だと思うわ。あの年齢のホモ・サピエンスだと夜に強くて朝弱いというのは、珍しくないでしょ?。』


 自分自身での憶えもあるが、オレがが十代後半の頃は、αの言うとおり「夜に強くて朝に弱い」タイプだったと思う。そしてなぜか?、地球から百光年以上も離れているのにヤーラ359-1の住人はホモ・サピエンスだ。


『ホモ・サピエンス。また播種の謎を思い出したぞ。どうなってるんだろうな?。考えてなかったけど、原種インプラントが地球人の神経系に寄生できる形で発見されたことも、よくわからない。なんでそんな機能が発達できたんだろう?。』

『前にも話したことはあるけどこの温度帯での生物はATGCの塩基配列をベースにしてるわ。神経系みたいな複雑な機能になると、生化学的な働きも似てくるのよ。インプラントは原種から今みたいに人類に埋め込まれるようになるまでに、制禦しやすいように改造もされてるし。』

『平行進化と品種改良か。』


 αと話しているうちに、ネリとエンリが二人で談話室兼食堂にやってきた。思索は一旦終了。二人の訓練メニュー、反復練習の話をしなければ。


「前に、『道具を使えば何かを憶えるのが早くなる』とか話したことがあったっだろ?。最近で、そういうのを実感したことはある?。」


 問診でも似たような質問はあったはずだが聞いてみる。


「どうでしょうね?。新しく何かを、というのはあまりなくて。」


 ネリが答えた。一方のエンリが言う。


「魚の仕事では毎回何か新しいことをやるか、前にやったことの繰り返しになりますけど、ロープを結ぶとか、急に上手になったような気がしてます。」


 ネリは事務職と呼べる職種だが、エンリは技能職にも関わっている。テンギを見本としたロープワークのイメージを記憶していれば、インプラントはその形に向けてエンリの筋肉を動かすことを補助するだろう。


「エンリはそれなりに効果が見えてきてるか。ショー殿は、普段の生活の中で、仕事でも仕事以外でも、細かい作業の反復といえば字を書くとか計算とかかな?。何か違いが出てることはない?。」


 ネリも何か思い出したようだ。


「『字を書く』で思い出しましたが、字がきれいになって、書き間違いも減って、なんか、そんな感じはしてます。」


 これも自分の中にある「きれいな文書」に向けて微調整が行われているようだ。二人とも、スタートアップはうまくいっている。


「何も実感がないようなら、何かの練習をしてもらって、効果を感じてもらうことも考えてたんだけど、要らなかったようだね。」

「マコト殿が考えていたのは何の練習ですか?。」


 ネリが聞いた。


「二人とも、あまりやったことがないものとして、剣術とかどうかな?、って思ってたよ。」

「一応、基本の構えぐらいはできますよ。エンリも。そういえば、マコト殿は領主館の朝稽古に全然来てませんね。」

「中庭で毎朝やってるやつ?。」


 エンリが聞いた。


「そうよ。マコト殿は剣術も結構強いって。で、ゴールは『一緒にやろう』って声をかけてるけど、中々来てくれてませんね。」

「朝のあの時間は工房でノルンと話をしていることが多いな。久しぶりに行ってみようか。」

「毎日だと工房の仕事に差し支えがあるかもしれないし、『時間ができたら』って思ったら、行きませんから、日を決めればどうでしょう?。」


 週明け、明日というのは、一応、ノルンとも「次の休みまでにやること」を確認している。じゃあ、明後日か。領主館には、今までは何か連絡事項ができた時にだけ行っていた。身体を動かすついでに少し世間話をして、あわせて仕事上の面会の約束もするとかは都合もよさそうだ。今までそうしてなかったのが不思議なくらいに。


「明後日、行こうか。定例にするなら、水の神の日、まだ仮の予定とするけど、二人のどっちでもいいから、ゴール殿に言っておいてくれないか。」




 ヨール王二三年六月八日(水)。


 領主館での朝稽古に付き合っているとダイム・マリスがやってきた。


「水の日の朝はここに来られると聞きまして。」


 昨日か一昨日あたりに話が伝わっていたらしい。


「新しいショクバイでの試作も問題ないようなので、液体ではなく、固体の方は、今の在庫が切れそうになってきたら、まず試作で作り貯めたものを売って、それもなくなりそうなら、本格的にマコト様からショクバイを定期的に仕入れることにしました。」

「どのくらいの数が出るかな?。それにあわせて触媒を準備するから。」

「これまでの量なら、一ヶ月に一回ほど。マコト様も見ているあの鍋で、塊にして四八個ぐらいでした。まだ試作の分の在庫もありますし、今日明日にでも追加のショクバイが欲しいというものでのありません。試作在庫は多分三~四ヶ月分はあると思います。」

「試作に使った材料は……。」」


 材料費の集計は頼んでいたはずだが、まだ支払いはしていない。


「材料費の集計はしてもらってるけど、試作で作ったものはそのまま売ってもらって、試作材料の支払いはナシ、でもいいかな?。互いに手間が省けるだろ?。」

「構いませんよ。それは提案しようかと思っていたところです。」

「じゃあ、そういう流れで。今後、在庫がなくなったら、三~四ヶ月?、九月頃にでも追加の触媒かな?。」

「モノが変わるので売れ行きも変わるかもしれませんが、そんな感じではないでしょうか?。」

「触媒は、工房で渡せるように準備しておくよ。」

「あと、妻、ミラが、作り方の改良を工夫してみたいとかも言ってます。もしかすると、近いうちに追加をお願いするかもしれません。」「わかった。それも工房に連絡してくれ。」


 領主館に定例で来ることを決めたら、案件の一つが一歩進んだ。石鹸はこれで一段落。あとは職人不足で手を出してない、或いは原料供給を確認しないと手が出せないものや、技術が高度すぎるのではないかと思われるものばかりが残っている。石鹸の経験で、職人不足以外は、どうにでも対処できるような気がしてきている。




 その後、職人不足問題は進展のないまま、カースンに向けて出発する日がやってきた。


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