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5-18 巡察使は不在

 ヨール王二三年六月一日(火)。


 巡察使一行は今日と明日、ネゲイ各地を巡る。紙と、ガラス、鏡の件をもう少し前に進めたいが、相談相手である領主館の首脳陣も巡察使と一緒に動いているので、相談の下準備しかできない。石鹸は、マリスの店に頼んでいる試作の具合はどうなっているだろう?。レシピを渡してから、もう三日目か?。材料の在庫はよくわからないが、渡してあるレシピは今の季節のネゲイで手に入るものだけで作ったつもりだから、一回ぐらいは試していると思う。温度や時間の管理はむつかしいかもしれないが。


 昨日からの雨も続いている。昼頃には回復する見込みだが、こんな天気での各地の巡察は、オレ個人の感覚では避けたいところだ。日程もある程度限られているだろうから仕方がないが。


 そんな天気なのでバギーで資源調査に出るのも迷っている。マリスの店に様子を見に行くこともだ。外仕事はダメ。屋内でできること。オレが工房でやるべき事は新商品となるものを考えること。紙の製法はほぼ確立したが担い手不足で放置されている。鏡を目標とするガラス製作は炉をどうするかで、これは炉のためのレンガとか、やはりどこかの職人か商店に相談に行くか、材料採集ができる場所を探しに外へ出なければならない。雨の日。鬱陶しいな。



 ノルンを訪ねると、ノルンやザース達も含めて、誰も蠟板やコンテナの作業はしていなかった。


「マコト殿、どうしました?。」

「こんな天気で、外で何かをやるのもイヤだから、屋根のあるところでできる仕事を探しに来たんだよ。」

「こんな日は、たまにはありますねえ。材料を切るのも、木は歪みが出たりするからあまりやりたくないんです。」

「そういうものなのか。」

「ええ。今朝一番で材料の木を運んできてもらってますけど、濡れないようにはしてありましたが、それでも濡れてはいます。部屋の中に入れて乾かしてますけど、それでも三の鐘ぐらいまでは乾くのを待つのが仕事、って感じになってますね。今は。」


 ノルンの言葉に弟子の一人が笑いながら付け加えた。


「マコト様。今、本当に、これ以上ない具合に集中して仕事してますよ。何もしないで待つのは得意ですから。だから、邪魔しないで下さいよ。」


 アッザという名前だったか。ザースの弟だったと思う。オレも笑いながら返す。


「アッザ、アッザが仕事熱心で今も仕事に集中しているのはわかった。ノルン、アッザが将来独立するような時に、『何もせずに待つのはネゲイで一番上手い』とか、アッザの長所を引き立てるような推薦を書いてやってくれ。」


 ノルンも笑いながら答える。


「わかりました。マコト殿も驚くほどの『待ち』上手、とか。今までそんな推薦、見たことがないですけど。」

「イヤ、ノルン師匠、冗談ですから!。」

「え?。そう?。今朝から、『待つのが上手いな』とか感心して見てたけど。」

「ノルン、修業時代を含めて、雨の日とかはこんな感じが多かったのかい?。」

「そうですね。木工の場合、材料が濡れていると仕事がやりにくいですから。私とかは、こういう時に道具の研ぎとか、そんなことをやってましたが、私を含めて今日は皆それもやってしまいましたし。」

「天気の悪い日は、こういうものか。できることが少なくなるなら、仕方ないかな。ノルン、木工じゃなくて、金属製品、鍛冶仕事でも雨の日はこんな感じなのかな?。」

「彫金とか鍛冶とかは、天気に関係なくやれますよ。今はその方面での仕事はありませんし、何か試しにと言われたとしても材料もないから何もできませんけどね。」


 工房が木工に偏りすぎていたのも悪かったか。時間を無駄にしているようで、何かイヤだな。彼等の全員に紙の仕事の基本は教えてある。臨時でそっちに回すか?。だが、天候が悪い。乾燥工程の効率が悪いから、すぐに乾燥板が一杯になるだろう。乾燥板の数はまだ量産用に整え切れていない。とすれば、金属の仕事。何があるか。アラジンのランプか。


「ノルン、前にマリスの店で見せてもらった油用のランプ。あれは、作れるかな。」

「やったことないんですよ。何回か失敗してもいいなら試してみますけど、ハイカク師匠とか、やったことあるのかな?。でもあの『石鹸』用だと、単価も問題ですね。固体の石鹸なら乗せておく台も銅一~二枚の値段で作れるでしょうし、灰を入れてる箱でも流用できそうですけど、あのランプの形だと銀で二~三枚にはなりそうです。」

「あと、マリスが石鹸を作れるかも確認してからでないと、作っても無駄になりかねないか。」

「そうですね。マコト殿、天気は悪いですけど、今からでもマリスの店に行ってみませんか?。」


 結局、マリスの店に行くことになった。ノルン達と話す前、行くべきか否かと悩んでいた頃に比べると雨の勢いは弱まってきているから、まあ、いいか。



 マリスの店に着くとダイムが店番をしていた。俺たちの姿を見て立ち上がる。


「ようこそ。この前の試作のことですか?。」

「そうだよ。一回ぐらいはやってみた?。」

「まずは慣れてる塊の方から。昨日やってみました。予想以上にいい感じですよ。あの貸していただいてる『ショクバイ』ですか。あんなのがあったら、何でも作れそうです。目が痛くなりましたけど。」


 塩水から水酸化ナトリウムを分離する工程のことらしい。レシピの中に「窓は全て開けて風通しのよい状態で作業すること」と注意書きはしておいたが、それでも若干の被害は出た模様。


「あの時に出る泡も使い道はあるんだけど、今はとりあえず無視で。」

「何に使えるんですか?。」

「一番よく使ってたのはあの泡を集めて別の水の中に吹き込むことかな。そうやって泡を入れた水だけを飲んでいたら、病気になりにくいんだ。それ以外にも色々あるけどね。」

「そんなことがあるんですか。それも、やり方を教えてはいただけますか?。」

「道具がね。あの泡を集める道具。目が痛くならないようにしながら。結構、面倒そうだろ?。」

「ノルン、アンタの得意分野じゃないか?。」

「確かに私の仕事みたいに聞こえますけど、マコト殿、これも進めるんですか?。」

「ノルンも含めて、職人が足りないから、そのうちに、需要ができたら、かな。できること、やりたいこと、やるべきこと、バランスはむつかしいね。」

「そうですね。ウチも、蠟の仕事がちょっと増えましたし、そのくらいならなんとかなりましたけど、石鹸は、今までもやってましたけど、なんか仕事が増えそうな気もしてまして。」

「私が持ち込んだもののおかげで仕事が増えて、今までよりちょっと多く儲かるようになっただけならいいんだけど、忙しすぎて困るようなことになるのは私もイヤなんだ。石鹸については蠟やノルンの縁でこの店に最初に声を掛けたけど、手が足りなくなるようなら似たような商売をやってる別の店にも手伝ってもらってもいいかもしれない。そのあたりは、これからの状況を見ながら考えないとね。」

「石鹸はやってないですけど、油なら兄の店もあります。元々、あっちが本店でウチはその工房、直売りもちょっとやってる支店、って、そんな店なんですよ。ここは。」

「じゃあ、契約とかになったら、本店と契約することになるのかな?。そのあたり、兄弟喧嘩にならないように上手く調整して欲しいけど。」

「そのあたりは私の仕事ですね。兄弟仲が悪いわけじゃないですから、今のところは心配してませんよ。それと、今、奥で液体の方の一回目を試してます。入りますか?。」

「作業の邪魔にならなければ。あと、昨日作ってみたヤツも、見せてもらえるかな?。」

「それも工房です。入りましょう。」


 ダイムが扉を開き、オレとノルンとアンがその後に続く。ミラは、できあがったシャンプーを「アラジンのランプ」に注いでいるところだった。色や粘度など、見た目はサンプルで渡しておいたものとよく似ている。


「マコト様、液体の方も、多分上手くいってますよ。まだ熱いから鍋の中ですけど。ええと、これ、塊の方はともかく、液体の方は、売り方がむつかしいかなとか、入れ物で悩んでるんですよ。酒用の一番小さい小樽、ウチの油の一番多く売れてる大きさですけど、それでも多すぎるような気がしてまして。」


 ミラが言う「酒用の小樽」は、二リットルほどのサイズだ。これはノルンの出番かな。


「ノルン、どう思う?。ミラ殿の言う小樽の半分ほどの大きさのもの、一つや二つならともかく、一杯作ろうと思ったら?。」

「明らかに手が足りませんね。こんな話ばかりだ。でも酒用のヤツでもいいじゃないですか?。一番売れるのは多分公衆浴場だから、大きめの器でも。」


 ミラが反論した。


「ノルン、これはもしかしたら全部の家族に一つづつってなるわよ。最初は公衆浴場だけでもね。今よりもっと小さい樽があった方がいいと思うわ。外仕事で使う革の水筒ぐらいの大きさは、まだちょっと大きすぎるかしら。マコト様、これは革袋に入れても日保ちするものでしょうかね?。」


 シャンプー容器の材質として、タンパク質はあまりよくないような気がするな、と、答え方を考えていたら先にアンが答えた。


「革袋はよくないです。長くおくと、革を溶かしてしまうと思いますよ。」

「そうですか。汚れを落とすって、やっぱりそういうことなんですね。ええと?。」

「アン・ニムエです。」

「アン様。教えてくれてありがとうございます。」

「様、はご不要に願います。」

「じゃあアン殿、教えてくれてありがとうございます。で、ノルン、そのうちに、もっと小さい小樽の注文が来るようになるって、そのつもりでいてよ。」


 周期表は知らなくても、日々の仕事の中で、言語にならないレベルでの化学の基礎教育的な知識は体感で会得しているミラは、革袋の問題点をすぐに理解した。そして、つい先日まで近所で商売をしていたノルンに対して容赦がない。ご近所つきあいの人間関係とか、色々あるんだろうな。助け船を出そうか。


「ミラ殿、ダイム殿、塊の方は昨日作ってみたって言ってたけど、使い心地も試してみたよね。」


 ダイムが答えた。


「二人とも、自分の頭を洗ってみましたよ。ミラはこの前洗ってもらってますし、サンプルでいただいていたものも使ってみたせいかあまり感覚はわからなかったみたいですけど、私は自家製じゃない、イヤ、ネゲイ、カースン?で作ったものじゃない石鹸は初めてだったので、一枚皮が剥けたような、すっきりした感じがしました。」

「で、液体の方はまだ作ったばかりだから試してないのかな?。」

「そうです。今夜にでもとは思ってましたが。」

「ノルン、前に頭を洗ったのはいつだ?。」

「灰で洗ったのが一昨日です。昨日は洗ってません。」

「じゃあ、今やるなら、実験に一番いいのノルンだな。」

「わかってましたよ。予想してた流れですよ。」


 ノルンが視線を向けた先では、アンがコンテナから防水布などを取り出しているところだった。



 前回ここでミラの頭を洗ったときのようにノルンの頭を試作品のシャンプーで洗ってみる。が、ノルンの感想はあまりいいものではなかった。


「前に一回洗ってるからか、イヤ、二回だったな。あまりそれから汚れが溜まってなかったのか、初めての時ほどの変化は感じてないですね。試すのは、別の人の方が、よかったんじゃないかと思います。」


 被験者の選び方がよくなかったか。この近くにハイカクの店があったな。呼べば来てくれるだろうか。弟子のメレンでもいい。こっちからサンプルを持って出向いても。あの店はここと違って床の水をすぐに排水するような構造になっていなかったと思う。なら、来てもらいのが一番いいか。ダイムとミラの了解があれば、ここで試してみたい。提案はしてみよう。


「ハイカク殿の店がこの近所だっただろ?。ハイカク殿か、メレンか、どちらかにここへ来てもらって試すことはできるかな?。もちろん、この店と、あっちの店の両方が許してくれるなら、ということだけど。」

「あの二人なら蠟の調整で何度もここへ来てるし、よく知ってる相手だから構わないですよ。あっちに、今日暇があればだけど。」


 ダイムが答えた。なら、先方の都合次第だが、声をかけよう。


「ノルン、ちょっとハイカク殿かメレンか、どちらかにここへ来てもらえるよう、頼んできてくれないか?。今日はどっちか一人。もし、次の試作品を試す機会があったら、その時は二人一緒に、って感じで、そうしたら『初めて』それから『初めてと二回目』とか、条件の違う感想が聞けそうだし。」

「わかりました。今すぐがダメでも、いつ頃なら大丈夫か、聞いておきますよ。」



 ノルンが店を出る、それを見届けて、アンが言った。


「ミラ殿、昨日と今日の試作品を少し分けていただきたいのですが、いいですか?。」

「いいですよ。でも、今日の液体の方は、器はありますか?。」

「あります。」

「じゃあ、塊の方は、これ」


 ミラは棚から未使用らしい昨日の試作品を無造作に一つ取り出して裸のまま作業机に置いた。そして鍋の縁を指先で触れ、室温並みに冷めていているの確かめて言う。


「器を貸して下さいな。入れますから。」


 アンは二百CCサンプラーの蓋を外してミラに渡した。


「この入れ物で、半分もあればいいです。」

「半分ですか。わかりました。」


 ミラがシャンプーを容器に移している間にアンは石鹸を手に取る。αの解説が入った。


『超音波探傷での異常なし。比重は、サンプルより少し大きいみたいだけど、マーリン7に持ち帰ってから確認するわ。性能は、さっきのダイムの感想からみて多分問題なし。総合評価って見方からすれば、多分地球文化圏でも通用すると思うわ。』

『わかった。細かいところはマーリン7で分析しよう。これは、マリスの店を筆頭にして、前に進めていいレベルだよね。』

『そう思うわ。貸し出してる触媒で、ライセンスの管理もしやすいし。』


 ライセンスの件は触媒を作ることを決めた時に考えていたことの一つでもある。蠟板やコンテナのように真似しやすいものに比べると違いは明らかだ。触媒そのものは特定の化学反応を永久に促進するが、材料に含まれる不純物のために効率は徐々に劣化して、最後には役に立たなくなる。再活性化の方法もあるが、それはそれで別の触媒が必要だったりする。蠟板の話が動き始めた頃、製造にあたっての属人性は極力薄めたいと思っていたが、石鹸とシャンプーでは材料の精製に躓いて、触媒を作ろうと思ったら欲も出た。オレ達に対する属人性は明確だ。マリスの店に新製法を勧めるなら、説明はしておくべきだろう。


「触媒のことで、話しておくべきことがあるんだ。」


 ミラが応じた。


「話って何ですか?。『ショクバイ』。あれはすごいですね。」

「あれは長く使ってるとだんだん悪くなっていくんだ。最後には、昨日今日に試してもらったような働きはなくなる。」

「昨日今日で使ったものはマコト様から『借りている』ものですよね。この前ここに来たクララ殿からもそう聞いてました。長くは使い続けられないとなると、マコト様から新しいヤツを買うとか借り換えるとかになりますか。」

「そうなると思う。」

「それなら、契約も簡単ですよね。レシピが漏れても『ショクバイ』がなければ作れないし。蠟板は、期限付で製造者限定の契約をしてると聞きました。『ショクバイ』なら、そんな条件を付けた契約じゃなくて、単純にマコト殿がそれを売ればいい。で、私達みたいに石鹸を作ろうかって思う人間が買う。一四四個用とか、一七二八個用とか、大きさを変えて売れば、それで値段も変わりますよね。」


 以前にノルンが工房の負荷軽減のために「マコト殿の考えた製法の中で他所では作れない材料だけを売る」という案を出したことがあったが、発想はそれとほぼ同等だ。


「私、つまり工房が提案する方法で、この店で石鹸を作って、売り上げの一部を工房に納めてもらう、というのが、今、領主館と話してる石鹸の仕事の流れだけど、これも説明し直さないといけないな。」

「話は単純になりますよ。マコト様のところから仕入れた『ショクバイ』を使うことで、作り方がちょっとだけ変わる。マコト様は単純に『ショクバイ』の値段だけ決めてくれればいいんです。香り付けの香草の種類を変えるのと同じですね。」


 ダイムも付け加えた。


「独占契約で兄弟仲がとか、先ほどのマコト様の心配もありましたが、『ショクバイ』の買取で商売をするなら契約は関係ありませんよね。あとは、原価の確認と売価の設定ですよ。正直なところ、今の在庫もありますから、それがなくなるまでは新しい物は出さないか、ちょっと高くしておきたいですよね。値段が二段階になるなら、新旧どちらの方法でも作り続けててもいいかもしれません。」

「原価計算はしてるの?」

「まだです。試作が順調すぎて、手が回ってませんでした。ミラ、横で見てた分には、手間自体は前からの方法からむつかしく変わったりしてないよな?。」

「手袋は前から使ってたし、新しいところは『必ず窓を開ける』ぐらいかしら。レシピを確認しながらやってたからちょっと時間は長くなったけど、慣れたら前より早くなるかも、って思ったわ。」

「なら、薪代も安くなるわけだ。マコト様。このあたり、もう少し細かい数字を見させてくれませんか?。」

「構わないよ。今日は単に様子を見に来ただけで、答えをもらえるとは思ってなかったしね。領主館も、明後日ぐらいにならないと話はできないだろうし。」

「巡察使様ですね。」

「ああ。今日明日はネゲイの中をあちこち見て回ってると聞いたよ。」

「明日にでも、原価は出せると思います。工房に持っていけばいいですか?。」

「それなら、明後日にでも領主館と話ができるな。明日というのが遅れてもいいけど、一応、その予定で頼めるかな。あと、触媒の寿命を見たいから、その時に貸していたヤツも持ってきて欲しい。何回使ったかも、その時教えてもらえば助かる。」

「わかりました。」


 ノルンのヤツ、遅いな。



 マリスの店での主な用事も済ませたがノルンが戻ってこないので、アンに頼んでハイカクの店に行ってもらう。しばらくして、ハイカクとアンがやってきた。


「ノルンは?」


 オレは尋ねる。運悪く今日、メレンが風邪でダウンしているらしい。それでノルンはメレンのかわりにハイカクの仕事を手伝わされていたと。「お前の仕事の手伝いをするならこっちの仕事も頼むぞ」と、そんな取引だ。今はノルンが店番を押しつけられているとのこと。


「ここに来たら男前にしてもらえるってね。マコト殿も色々手を出すね。」

「成り行きでね。新しいことは、六月末の四半期決算を見てから手を着けるかどうか決めようと思ってたんだけどね。」

「ノルンから聞いたよ。アイツもなんかすっきりした雰囲気になって、アタシも頼むよ。」


 ミラの案内でハイカクを工房の奥に用意した椅子に座らせ、肩から防水布を懸けて試作シャンプーを試してみた。過程、感想など、大体予想のとおり。だがハイカクも「アラジンのランプ」は気になったらしい。


「最近は使ってないし、アタシも自分で注文を受けたことがない。作ったことも、ないな。」

「石鹸は、塊の方はある程度みんな使ったことがあるけど、液体は、今ある道具で間に合わせようとしたらこんな風にするしかなさそうでね。」

「塊じゃあダメなのかい?。液体でやる理由はあるんですかい?。」

「作るのが簡単なのと、香り付けとか、混ぜ物をやりやすくなるんだ。」

「ノルンはなんか言ってたかい?。」

「ノルンもこれは作ったことはないって、だから値付けもまだ考えてもらってない。」

「アタシも作ったことがないんだよな。」


 ハイカクは「アラジンのランプ」を見ながら考えている。


「マコト殿。これはある程度見た目も重視して作ってる。元々は神様を祭る道具の一つだから。なんか、頭を洗うのに使うのは変な感じがするんだよな。いま考えてるのは風呂で使う道具だから、同じことができても見た目はもっと単純でいいと思うんだが、どうだ?。」

「そうだね。単純な形なら作りやすいだろうし。ハイカク殿、何か思いついたかい?。」

「液体を入れっぱなしにする、水気の多いところに置く、ってなると、水に強い材料の方がいいな。店に材料はあったかな。ええと、マコト殿。何日か待ってもらえたら、同じくらいの大きさで、もっと安く作れそうなものを試作してみるよ。今から店に帰ってノルンをもう一回こき使う。いいかい?。」

「ノルンは貸すから、試作の材料費とか、請求は安く頼むよ。」




 ヨール王二三年六月二日(水)。


 朝からノルンの愚痴につきあわされた。昨日の件だ。ノルンは日没の頃、五の鐘まで試作につきあわされ、その後は酒場につきあわされたという。試作もできていた。木の板を組み合わせた五センチほどの立方体で、蓋の四隅のうち一ヶ所だけが切られて三角形の隙間ができている。防水のためか内側も含めて全体に蠟が塗られてあった。最初に見せられた「アラジンのランプ」よりも簡便で、これは木工見習いにもできる仕事だろう。使われている板の厚みから見て、蠟板用の材料を流用したようだ。


「いいね。何にでも使えそうだ。こういうのは今までなかったのかな?。」

「何にでも?。何かをちょととずつ出すようなものですか?。」

「例えば塩とか。何かを食べるときに塩を付けることがあるだろ?。」

「これで口をもっと小さくすればそういう使い方もできるかもしれませんね。」

「ああ。今切ってある口の反対側をもう少し小さく切れば、量の調整もしやすいと思わないかい?。」

「そうですね。師匠に話しておきます。」

「領主館で見本を見せるときはこれでいいけど、本格的に作り始めたら口は二つかな。」


 反対側の口の大きさによっては主目的であるシャンプーが出過ぎてしまうこともあるだろうが、それは切り欠きの大きさを試行錯誤して決めればいい。それにしても、思い返してみても食卓にこういう容器が見当たらなかったのは少々不便には感じていたのだ。ここでの食事はそういうものかと思って済ませてはいたが。ネリやエンリにマーリン7で用意した軽食を出したときは……。


『ヤダの奥にいた頃から機会は何度かあったけど、お好みでドレッシングを、という感じのメニューは出してなかったわ。食事の本体以外にも説明が要りそうだったから。』


 そういうことか。


「ノルン、原価も計算してると思うけど、これなら売値で銅六ぐらい?。」

「細かい計算はハイカク師匠に任せましたが、そんなもんでしょうね。私が心配するのは、誰がこれを作るか、ですよ。これは頭を洗う前に石鹸を入れておくためのもので、店から買って帰るときの器はまた別に必要ですしね。」

「蠟板の注文が落ち着いてきたらそっちにも手が回せるだろうけどね。それと、考えたのはハイカク殿だから、ライセンスの話もした方がいいのか。」

「この程度じゃライセンスの話にはならないと思いますよ。」

「そういうものかな。境目がよくわからないんだが。」

「水漏れしないように作った木の器、は前からありますから。桶とか樽とか。」

「そのあたりは、ノルンの判断に任せるよ。」


 桶か。水中メガネの話も放置している。



 三の鐘の少し前に、ダイム・マリスが来た。計算メモを記した蠟板をオレに見せる。


「マコト様。結果だけ言いますと、今までの石鹸の売値は一個銅三でしたけど、新しい石鹸は銅四として、差額分は『ショクバイ』ということにしたいと思います。液体の方は、多分同じ材料で嵩が十二倍か二四倍か、そのくらいになりそうなので、小樽一杯で銅四。二四倍ぐらい相当、というあたりで考えてみました。そうなると、先日貸していただいてる『ショクバイ』で、お幾らほどになりますか?。」


 価格帯は妥当な線だと思う。だが触媒の寿命はわからない。


「売値のことは、そんなもんだろうと思う。触媒の寿命は、昨日も言ったけど、材料の不純物の具合で変わってくるんだ。触媒は持ってきてくれてるよな。何回使ってる?。」

「塊と液体と、それぞれ二回ずつです。昨日マコト様達が来る前が一回ずつ。帰った後で一回ずつ。作った量は、いただいたレシピに書かれていた一回分の量のとおり。」


 渡したレシピはマリスの店で見せてもらった鍋の大きさで作ってある。一回だけでは触媒の劣化も少ないだろうが、二回なら何か測定できるか?。マーリン7に持ち帰って詳しく調べたら寿命が想定できるだろう。


「触媒を預かるよ。その上で、例えば『塊十二グロス』とかの大きさを決めよう。」


 これで石鹸関係も進むか。イヤ、固形の方はともかく、液体の方の流通では器の需要問題がある。急いで進めすぎるとまた職人不足だ。当面は、固形を主体に進めるべきかな。とりあえず、午後は回収した触媒をマーリン7で調べよう。結果が出るまでの間、天候も回復しているし、また資源調査かな。



 夜になって、触媒の検査結果を聞いた。問題がないのが問題、というか、試用数回がまだ少なくて汚れらしい汚れはなく、「石鹸何個分」とまでは推測しにくい。「回収して次回の製造にも使う」と考えて固体を使ったのが悪かったか。「粉末または液状の使い捨てで、鍋一回分の製造にスプーン一杯」というような濃度調整をした方がいいのかもしれない。


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