2-2 状況確認(2)
一四〇〇Zを過ぎて暫く。ガンマが来た。最初は電波で通信していたが、見通し線に入ったところでレーザーに切り替え、今までの三回の電波通信の数十倍にもなる情報を一気に送り込んできた。
「細かい話は後でα姉さんから聞いてください。今はモニタの操作権を貰います。概要を説明します。」
モニタにアルファを衛星軌道から撮影した写真が表示された。
「今朝β姉さんが撮影した写真の中でアルファが一番はっきりわかったのがこの画像です。位置は、北緯四四度五三分三十秒、東経四五度二分三秒。経度は誤差がほとんどないはずですけど緯度は地軸傾斜の数字が確定してないので誤差含み、最大で二度ほどずれている可能性はあります。この数字がわかったので、周辺の地形を三次元解析するために、この通信中も追加写真の撮影中です。墜落までの機動操作ログにあった主機の反動によるものらしい大穴は……。」
画像が切り替わる。
「これです。今のアルファの位置から南南東に約十キロメートル。短軸一五〇メートル、長軸二〇〇メートルの、ちょっと歪んだ楕円形です。深さも、五十メートルぐらいあると思われます。山体を構成する岩盤まで剥き出しにしてしまっているようです。墜落以前の写真でこの附近の画像を探しましたが、例の『文明かも』という灯火らしい光は確認されていない区域でした。他の地域では街道や集落近辺で除雪したか、されたかという形跡がありますが、この大穴附近ではそういうものも確認できません。」
集落ごと吹き飛ばしてしまったので除雪する人がいない、という可能性もあるが、以前からの観測画像で見ればその可能性は小さい。報告を聞いて少し安堵する。人的被害がなかったことに対する単純に人道的なものと、今後その「文明」と交渉することになった場合の話の進め方に対するものだ。
「元は湿原か何かだったんでしょうか。水分量も多いみたいですし、吹き飛ばされた泥みたいなのが横の山腹に大量に降ってます。と言うか、山頂を飛び越えてその南五~六キロメートルぐらいまで泥が飛んでる痕跡があります。ほぼ無人と思われる山岳地帯なので現地文明に対する被害はなさそうですが。あのサイズの穴ですから、すぐ南側の山腹の泥の厚さは、下手すると二~三メートルにもなるのではないでしょうか。山腹の泥から浸み出た水はまた穴に流れ込んでいます。あと、大穴には西、上流から川の水は入ってきていて底に水が溜まってますが、東、下流、川らしい地形はありますが、雪で真っ白なので、水が来ていないと推測しています。大穴が水で満たされるまでは、この川は涸れたままのようです。」
川の水が戻るまで、おそらく数日はかかるだろう。影響範囲はわからないが、水利が面倒なことになる地域も出てくるかもしれない。おそらく今は冬だから、農業があったとしても農閑期であろうことは、幸いだ。
「川が涸れているというのはちょっと気になる。農業を知ってる文明人なら気にすると思う。継続観測事項にしておいてくれ。」
「わかりました。」
画像はアルファが墜ちた谷を中心にした広域に切り替わる。
「アルファの周辺にも集落的なものはあるようですが、雪が多いので、春まではここからアルファへの捜索調査の動きがある可能性は低いと推測しています。一番近い集落は、アルファの現在位置から東南約六キロメートル。これは直線距離なので、仮に人間が歩くとして、現在の雪などの状況を見れば丸一日かかっても不思議ではありません。」
ちょっと面倒になってきたので提案する。
「今のオレ達がいる谷を、仮に『マーリン谷』と命名する。アルファの現在位置は、『マーリン・ポイント』現地での呼び方がわかったら、それに切り替える。」
「『マーリン谷』『マーリン・ポイント』了解しました。」
モニタ端に表示されているうガンマの位置情報と通信可能な残り時間の表示を見る。音声通話というのは時間が早いな。観測情報のデータ通信は……もう終了している。
「OK。γ、ありがとう。そろそろ通信圏外に出そうだからこれで終了して、次にβが来るまでこっちでも色々考える。」
「γ了解しました。モニタ操作権をアルファ姉さんに返却し、音声通信を終了します。」
予定より早かったが、地表に降りてしまった。予定にあった「指針」に基づく最適降下地点の選定の過程を省略して。予定以上に問題を抱えて。不可抗力だと主張したいが、帰還後の報告書査読の担当者に難癖を付けるのが好きなヤツがいたら、鬱陶しいことになるだろう。しかし地上に降りてしまった。「手」のことがよくわからないからには簡単に離陸する決断はできない。地上で動ける準備も始めなければ。どうせ、水や土のサンプルは採らなければならないのだ。
「α、時計を補正しよう。ベータとガンマとの通信や、これからしばらくの観測計画とかを考えるのに、現在地、イヤ、東経四五度での地方時で考えないと、GMT基準のままでは少し不便だ。標準手順にも何種類かの方法があったけど、ここで使いたいのは『時間計測はGMT準拠で時刻表示は自転周期で二四時』というヤツだ。」
「それは提案しようと思ってたんだけど、今が地方時で二四時制だと何時何分なのかが、まだ確定できてないの。」
「分単位の誤差なら生活上は許容範囲として無視。正確な数字が出てから記録も含めて補正だ。さっきガンマが撮っていった画像もあるだろうし、次に来るベータにマーリン谷の地方時を計算するよう指示を出そう。うまくすれば、その次のガンマから地方時をダウンロードできる。」
「わかったわ。全部の生データには船内基準のGMTでタイムスタンプが入れてあるから、今夜そうして決めた地方時に何分かの誤差があってもあとで補正できる。次のベータ宛送信データの中にその指示を入れておくわ。」
後は何だ?。朝、αに「消毒中だから近づくな」と言われていた動力区、熱……。
「α、廃熱で雪が融けているのはどんな状況?。垂直尾翼のカメラにつないで。」
カメラを操作して、前方、船体上に雪あり。俯角にして左に振って、これ以上回らないか。右も、同じぐらいの角度まで。後方カメラに切り替え、俯角、左、右。
「デルタ翼の後ろの端あたりはカメラが回らなくて見えない。多分、後から五メートル分ぐらい、カメラで確認できない領域がある。このあたりの雪の状況を確認する方法はあるか?。」
「表面斥力場の負荷分布から見て船尾左の三メートルぐらいは雪がなくなってるみたいよ。上も下も。右はまだ雪の中。」
「そこでガタンと落ちるようなことは?。」
「念のためバラストは前部に集めて後部は軽くしてる。質量中心は、まだ雪の上に乗ってるからしばらくは大丈夫よ。このまま雪融けの季節になってしまったら、土砂とか岩とか、色々考えないといけないでしょうけど。」
αは続ける。
「あと、電波通信のために垂直尾翼の斥力を解除してたけど、雪で着氷してたから何回か斥力場を入れて雪を飛ばしています。」
モニタに新しい表示が出た。
「これも露出しちゃった機体尾部の表面斥力場の負荷分析なんだけど、気圧は徐々に低下中、みたい。このあたりの季節風とか降水量とかのデータはないけど。これからもっと雪が増えると思うの。」
「レーザー通信は、天候が悪いと使えないな。」
「UHFなら帯域は狭まるけど、大量に高解像度の写真伝送とかしなかったら天気がちょっとぐらい悪くても使えるわ。ここの位置がわかってるから最初みたいに長波で効率の悪い通信しなくてもよくなったし。」
「βとγもそのあたりは使い分けるだろうしな。」
「それと雪の話の続きで、今のマーリン7の機体は水平面に対してピッチマイナス五度、ロールはプラス三度なの。上になってる左翼後端は雪が融けて露出してて、カメラが使える。」
モニタに画像が出た。左翼端上面と底面カメラの画像だ。上面カメラの画像は空しか見えない。カメラ角度を変えると、垂直尾翼上端が見えた。これ以上は角度を変えられないようだ。底面カメラの画像には雪しか写っていない。少し表面の融けた雪塊が堆積している。
「サンプルは採れるかな?。」
「サンプラーの扉は上下とも、まだ雪の中よ。船尾エアロックは使えそうだけど検疫体制を作ってからね。」
「わかった。少し待とう。」
「雪の話に戻るけど、多分、このあたり、雪が降ったらまた機体の後ろの方まで完全に埋まってしまいそう。垂直尾翼のカメラを望遠で使って、これから雪崩として落ちてきそうな雪や、今までの積雪の痕跡を探したの。」
「雪が本格化する前にここを抜けるか、雪が融けてから動き出すか、ということだな。」
「主機と融合炉の点検が終わってから、とすると、春までここで待つことになりそう。」
「雪があっても、総点検と補修ができてたら、斥力場で船体を起こして発進できないかな。」
「計算したわ。宇宙でなら斥力場でちょっと蹴ってやれば姿勢は幾らでも変わるけど、今の姿勢から斥力場で機首上げは角度が足りないみたい。下が隙間の多い雪なのも問題よ。船体を支えるだけの強度は、多分ない。」
また図解が表示された。谷底にマーリン7が横たわっている図。船首底の斥力場を拡張させて、五メートルほどの虚空の柱が形成される。船首は水平よりも上になったが、この姿勢で主機を使って山を越えられるか?。
図解の視線はずっと後ろに下がってゆき、今のマーリンから見えている谷全域の表示になる。
「斥力場最大展開でこの角度です。雪は、『保ち堪えるものとする』って、高校物理の問題集みたいね。ここで主機を使うと、」
図解の中でマーリンは発進し、正面の山を避けようとするが避けきれず、山体にぶつかった機体は斥力場で滑って機首を上げ、一瞬止まるが左に倒れてそのままの勢いで裏返しに……。
「雪が耐えてくれるという楽観的な条件設定で、出力や方向を変えて何パターンかを試したけど、あまりうまくいかないのよ。それに本当はもっと細かい障害物のデータも入れないと。地表の雪の塊はぶつかったら砕き飛ばせると思うけど、しっかりした岩があったりするとマーリンの方が弾かれてしまうの。雪崩の前に一旦は安定しかけていたような上向きの姿勢か、前方障害物のない平原に出るかしないと。」
「ベータ達で牽引してアルファの姿勢を維持するとかできない?。」
「適当なワイヤがないわ。あの子達も、もっと開けた平原部ならともかく、この谷にちゃんと離着陸できる保証はないし。」
状況を劇的に打開できる案に近づけないまま、話は続く。
「結論として、今集まっている情報では、春までここで過ごすしかない、ということになるかな?。」
「そうなりそうね。」
「食料はあるし、もう一回冬眠してもいいんだけど、エネルギー消費的にはどっちがいい?。」
「水があるから水素補給もできると思う。検疫のことを考えたら、当面はサード以降の後部ブロックを隔離指定して小ニムエを何体か専用で使うわ。後部ブロックと小ニムエは元々『危険なので人間が入らないようにできる』『無人でも作業ができる何かが必要』という設計だし、どうせ外に出る前には馴化措置がいるでしょ?。冬眠してたら馴化のスケジュールを組みにくいわ。」
馴化措置とは、外界の微生物を採取し、毒性その他の性質を調べて免疫系をそれに合わせて強化することだ。訓練中に「体験」としてユノーグへの馴化を受けているが、数日間は熱も出るし下痢はするし、ちょっとイヤな体験だった。
「そうだな。楽しい措置じゃなけど。」
「また姿勢の話に戻るけど、表面斥力場があるから摩擦はないはず。その状態で安定してるのは、前方に何か障害物があるからかな?。」
「船体は雪の塊に押しつけられて止まってる、という状態ね。氷は圧力をかけても融けるから、船体の重みが乗っている部分の氷は徐々に融けてると思う。慣性中和されてる船内だと感じないでしょうけど、時々、船体は滑って下流に動いているわ。多分、船首附近の雪の塊が融けて、小さくなって船体の重みに絶えられなくなったら砕けるのね。そのときに滑る。雪崩に巻き込まれて止まってから、累計で一メートルほど動いているわ。」
「じゃあ、船首を押しとどめている雪はそのうちになくなって、岩とかに当たるまでは滑り続けるということだな。」
「そうね。船体の下側には雪の薄いところがあったみたいで、岩に接触してるか、しそうなところが出てきてるわ。」
αは船体底面の斥力場負荷を表示した。雪のない尾部は負荷ゼロだが、雪に乗っている部分は薄いピンクから赤のまだら模様。何ヶ所か赤の強い領域がある。岩があるのはこのあたりだろう。
「ならマーリン7の姿勢は、これからも少しずつ下流に移動しながら変化していく、落ち着くのは、ある程度安定した岩に支えられるようになった時で、それは春まで待たなければならない可能性もある。ということだな。」
「大体、そうね。」
「あと、表面斥力場だけど、ベータとガンマが通信してくる時間帯が確定したから、それ以外の時間帯は垂直尾翼にも出しておいて。」
「雪崩対策ね。わかったわ。」
考えるべきことは多く、話は終わらない。アタマの休憩を兼ねて船内点検に行ってみようか。
二一〇〇Zになろうかという頃、ベータが接近してきた。またログを読む。単に別の手段をテストしているのか、雲が多かったか、夜なので目標を探せなかったのか、今度はUHFのようだ。
マーリン谷地方時のこと了解。「手順第○章○条の附則第○項に従って……」と、細かなところまで話をしている。
ここで越冬する可能性があること了解。今のマーリン谷から雪を除去した状態で地形や岩塊などがどうなっているかの討論。
その後生データの交換で数分。さすがに十六進数の羅列は読み取れないが、隣のモニタには写真が順次表示されてゆく。
続いて前回ガンマが撮影したこの近辺の画像分析結果。朝にベータが撮影したものからの変化点。やはり人の活動がある?。気象情報も。朝と昼過ぎに撮影した広域の雲の分布の変化からみて、明日は雪が降りそう。
最後に音声でβが言った。
「マコト兄さん。ちょっと大変な状況ですけど頑張ってくださいねぇ。私も色々考えますから。ここで兄さんに何かあったら、私達もレゾンデートルの危機なんで。」
「ああ。心配ありがとう。観測も。また明日の朝頼む。」
起床から、もう十七時間。そろそろ休もう。今日もインプラントで強制睡眠か。




