5-4 緊急臨時会議
男女の美容に対する価値観は異なる。これは、生物種維持のための生存戦略、つまり本能と呼ばれるものの一つだ。基本的には「清潔であればいい」という価値観で育てられてきたオレは美容分野には疎かったので気付いていなかった。名称設定に由来して女性的な自我をシミュレートしているニムエも、自ら生殖はできない(資機材さえあれば、クローンなら任意に作れる)という制約から、この分野にはあまり関心がなかったようだ。これに関しては、オレの関心の薄さから検討を指示していなかったというのも、悪かったかもしれない。ともかく、ドーラによって緊急に招集された会議の場には、オレに加えてドーラ、ヨーサ、ネリの女性陣と、領主のバース、領主補佐のゴールが集まった。オレに随行していたアンはオレの席の後に立っていて、エンリは衝立の陰に隠れている。その他、部屋の隅には侍女のジルが控えている。招集者であるドーラが言った。
「休日で夕食の時間だというのに急に集まってもらってごめんなさいね。今日、エンリが初めてマコト殿の船に招かれたんですけど、まあ、見てもらえば私の言いたいことはわかってもらえると思います。エンリ、出てきて。」
衝立からエンリが出てきた。帰って来たエンリの姿を初めて見る出席者の顔に驚きが現れる。
「あらまあ。エンリ。自分で気付いてる?。」
ヨーサが言った。エンリが答える。
「ドーラ様が私を見て驚いていましたが、見た目の変わり方は、自分ではよくわかってません。ここに帰る前、マコト様の船を出てすぐは、これまでより顔で風を感じやすくなってるとか、そんな気はしましたが、今はわかりません。」
ヨーサが言う。
「ドーラ、こんな日のこんな時間だけど、声をかけてもらってありがとう。ゴール、ネスルを一人にさせちゃうかもしれないけど、ダールも呼んできてくれないかしら。あと、ネリ、エンリを見てどう思った?。」
ゴールは席を立ち、ネリが答えた。
「なんか、急にきれいになってて、羨ましいです。髪が、全然違う。マコト殿、エンリが今日招かれていたのはコビンになるための準備の一つだって聞いてましたけど、私もあんな風になれるんですよね。」
「ショー殿、ここまで皆が驚いていることに私も驚いてるんだ。婚約者たるショー殿にも、同じこと、というか、今日のエンリにアン達がやってくれたこと、エンリにやったことからちょっと改良したもの、そんなこをショー殿も近いうちに体験することになると思う。」
この場に二人いる「ショー殿」の片割れも反応した。
「私、ドーラ・ショーも、予約しておきますね。」
船内に入れるわけにはいかないが、洗顔洗髪くらいならなんとかなるかもしれない。ネゲイでも油脂を落とすために灰汁を使っていたりはするし、石鹸もある。石鹸は灰と油脂類から作っているのだろうと思う。性能は、オレも使ったことはあるが、よくない。匂いもだ。
「時期まではお約束できませんし、エンリと同じになるかどうかもわかりませんが、そういう機会は考えておきましょう。」
ネリの質問はエンリに向かう。
「エンリ、どんな感じだった?。痛いとか、気持ち悪かったとかはなかった?。」
エンリは困った表情だ。船内のことを話してはいけない、という制約に触らない範囲での答え方に悩んでいるのだろう。
「エンリ、感じたことだけ、説明してやってくれ。」
エンリは言葉を選びながらネルの質問に答える。
「痛いとか、気持ち悪いとか、そんなのはないです。」
「今はどんな感じ?。」
「さっきも言いましたけど、時々、前よりは、風とかがよくわかる感じです。イヤな感じではないです。冬だったらイヤだったかもしれませんが。」
補足しておこうか。
「さっきエンリが言ってくれたことは、身体の表面にある泥とか余計な脂が全部なくなって、暑さや寒さを感じやすくなってるからだ。冬だったら、少し辛かったかもしれない。二~三日もせずに、元に戻ると思う。」
ヨーサは部屋の隅にいたジルに聞く。
「ジル、この部屋で何も言ってない女性はあなただけよ。昨日までのエンリと、今のエンリを見てどう思う?。」
「ネリ様と同じく、羨ましい感じです。ドーラ様と同じく、予約したいですね。お安ければ。」
次の標的はバースだった。ヨーサが聞く。
「バース、領主として、自分の領内の女達がきれいになることを、どう思う?。」
「個人としては、美人が増えるのは嬉しいねぇ。でも、領主として?。むつかしいよ。今までの蠟板とかコンテナとかは明らかに何かの役に立ってたけど、きれいになるのはちょっと方向の違う役立ち方だじゃないかな。マコト殿。マコト殿がいたところでは、女達をきれいにする商売とかもあったのかな?。」
きれいにする、にしても「清潔を保つ」「化粧や染髪で見た目を変える」「外科的処置まで施す」など、幾つものレベルがある。それぞれのレベルの中も細分化されているだろうが、今はそこまで考えない。そしてバースの問いへの答。商業的には成立していた。
「きれいにする、の度合いにもよりますけど、さっきジルだったかな?、『お安ければ』って言ってましたが、それほど珍しいものでもないです。私自身、ほぼ毎日、今のエンリと同じくらい汚れと脂を落としてますから。私は石鹸を使って自分でやってますし、大抵誰もが普段はそうしてますけど、自分ではなくて誰かにやってもらう、誰かの頭を洗うことを商売にしているものもいました。『髪だけ』とか『首から上全部』とか、種類も分かれてましたね。バース様の質問への答えとしては、『そういう商売はある』です。」
「エンリと同じくらい汚れを落としている」という言葉で皆の視線がオレを向くが、そろそろ室内の光は乏しくなってきている。ジルが動き出した。蠟燭とかを出そうとしているのだろう。
「なるほどね。マコト殿の見た目は何か違うと思ってたんだけどね。そういうことだったんだねえ。」
バースが話している間に、ゴールがダールを連れて部屋に帰ってきていた。ヨーサはダールにも聞く。
「ダール、エンリを見てどう思う?。」
「ヤダンに聞いて、何がどうなったの?、と思いながら来ましたけど、ごめんなさい。ちょっと暗くてわかりにくくて、近くで見させてもらいますね。」
ダールがエンリに近づく。燭台の用意ができたジルもエンリの顔が見えやすいようにエンリに近づく。
「あら、確かに。同じ顔の別の人みたい。変な言い方かしら?。」
「あなたも試してみたいと思う?。」
「そうですね。お安ければ、是非。」
ダールはジルと同じ言葉を返した。さっきジルが答えた時にまだダール達はこの部屋に着いていなかったと思うが、買い物の時に使う決まり文句だろうか?。α、そういう言葉には直訳以外のニュアンスが含まれていたりするから要注意だぞ。
『日常的な商店でのやりとりの会話サンプルが少なくて、まだそこまで把握できていない可能性があるわ。気を付けておきます。』
ヨーサは再度バースを標的にする。
「あなた、女性陣は全員が賛成よ。これもマコト殿の組合の仕事の一つに加えたいんですけど。」
バースは少し考えてから答えた。
「マコト殿。今日のエンリは、マコト殿のところのお嬢さん方の仕業だとさっき聞いたけど、このあたりの職人にもできることなのかな?。」
「全く同じにはできないでしょうけど、基本はできると思いますよ。ここの材料で作れる範囲で考えないといけませんけど。」
「手仕事の職人も足りてないけど、また全然違う種類の職人を育てないといけなさそうだねぇ。」
「話がこういう方向になり始めたので考えてましたが、幾つか提案できるものはありそうです。でもバース様の言うとおり、職人が足りないような気がします。」
「そうだねぇ。今度ここに来るときでいいから、『提案』を簡単にまとめてくれない?。それを見ながらできることとできないことを考えよう。」
「わかりました。私もネゲイで手に入る材料でできる範囲で、提案をまとめてみます。」
「じゃあその線で。今日はもういつもの夕食の時間を過ぎてる。お終いにしよう。」
仕事が増えた。明日は材料探しだ。ここで手に入る石鹸の品質は、まだ手許にサンプルがないのでわからない。あまり普及していないようでもある。改良できるだろうか。本格的に始めるなら、品質の揃った油脂類が大量に必要になる。帰る途中で工房の横を通るから、ノルンと少し話をしてみようか。しかしもう誰かと仕事の話を始めるには遅い時刻だ。やはり明日にしよう。




