5-3 インプラント
ヨール王二三年五月十八日(日)。
エンリから採血したのは一昨日の夕方。昨日は日をずらしたベンジー訪問のついでに領主館に立ち寄り、エンリと話した。採血後の腕の痛みなどはナシ。そして休日である明日十八日は終日あけてある、と。αはその場でオレに「予定了解」と伝えてきていた。
そして今、〇七三〇M。オレはクララ、エンリをバギーに乗せてマーリン7に戻る途中だ。バギーが近づくと当番小屋からヨークが出てきた。
「おはよう。ヨーク。」
「おはようございます。マコト殿。今日はエンリと一緒ですか?。」
「ああ。やっと船の中を案内する準備ができてね。婚約者なんだから、いつまでも中に入れないわけにもいかないからね。」
「そうですか。私も入ってみたいとは思ってますが、男だから、婚約はできませんねえ。エンリ、後で中の様子を教えてもらえる?。」
「ダメですよ。マコト様からも『秘密だ』って言われてます。」
「ヨーク。中は君の家と同じだよ。暮らすのに必要な寝る部屋食べる部屋台所風呂トイレと、仕事部屋だ。」
「簡単に言えばそうなんでしょうけど、まあ、いいか。通って下さい。」
バギーがマーリン7に着く。ダイアナが既に待ち構えていて、係留ロープを投げてきた。細かな作業はクララとダイアナに任せ、エンリの手を取ってマーリン7の上面に移乗する。
「傍までは何度も来ましたが、とうとう、この上に来てしまいました。」
「ようこそ。エンリ。」
マーリン7への接近者としては、食料配達担当のナーブの記録が、今破られるぞ。ロープ作業をしているダイアナがこちらを向いて言った。
「マコト、そこに置いたコンテナにゴーグルを用意してます。中に入る前にエンリに着けてあげて。」
「わかった。ありがとう。」
オレはコンテナの中を見る。一昨日も使った情報ゴーグルが一つだけ入っていた。エンリの頭のサイズに合わせた設定がそのままなので、エンリに渡す。
「中に入る前にこれを着けてくれ。」
「わかりました。」
エンリはゴーグルを受け取って、自分の頭に取り付ける。一度着けているから勝手はわかっている。オレのインプラントにもエンリの頭にあるゴーグルの動作状況が送られてくる。よし。傾きとかの微修正も必要ないな。
「ちゃんとできたみたいに見えるけど、どう?。」
エンリはあたりを見回して答えた。
「ええ。『危ないものの輪郭は赤で』、見えてます。」
「じゃあ、入ろうか。」
丁度バギーの係留を終えて戻ってきたクララ、ダイアナも一緒に船内に入ることにする。まずは、上部エアロックの梯子を下りるところからだ。エアロックの定員は二人。船外装備を着けていない今は多分四人でも入れるが、緊急脱出モードでもない今は安全規則に従おう。
「まず二人。エンリと私からだ。」
オレは梯子を下りてエアロックに入った。エンリも続けて降りてくる。エンリの視界には「触るな」の赤い枠が何ヶ所か見えているはずだ。エンリが梯子を下りたところでダイアナがコンテナをオレに手渡した。
「ここのドアは出入口の両方が同時には開かないようになってるんだ。だから、ここから先に進むには、まず、上を閉じる。閉じるには、ここを押す。」
オレは上部ハッチを閉じるための「CLS」と表示された緑色のボタンを指さす。
「押してごらん。緑の方だ。」
「でも、『赤い』ですよ。」
「今は、刃物とかの他に、触ると何か動きがあるもの全部が『赤』になってるはずだ。私か、ダイアナ達が個別に指示するか許可したものは、大丈夫だよ。」
「じゃあ、押しますね。」
エンリは上部ハッチを閉じるボタンを押す。扉板がスライドして来る。外光が遮られて暗くなり始めるとすぐにエアロック内の照明灯が点灯した。扉板は開口部の真下までスライドして来てから上部に押し上げられ、手動でも動かせる圧着用のハンドルが自動で回った。扉板の表示板の文字が「閉鎖中」に変わる。
「次は、中に入るための扉を開く。このボタンだ。赤い方。」
オレの指示でまたエンリはボタンを押した。上部ハンチが閉じたときの手順を逆にした動きでエアロック側面の扉が開かれる。廊下が見えた。エリスがオレ達を待って立っていた。
「エンリ、ようこそ。マコト、準備はできてます。」
「OK、エリス。サポート頼むよ。」
あたりを見回しながらエンリが言う。
「さっきの、梯子で入った部屋もそうでしたけど、明るいんですね。もっと暗いかと思ってました。」
「暗いと色々不便だからね。じゃあ、行くよ。ゆっくり歩いていい。」
オレ達はエアロックから出て、エリス、エンリ、オレの順で廊下を進む。目指すのはセカンド・クォータでエンリ用に準備したルームC。順序を無視すると何が悪さをするかもわからないから、正妻(予定)たるネリにはルームBを使わせるつもりだ。今、サード・クォータから入ったから、もう一度エアロックを通らなければならない。
何事もなくルームCに着いた。設備はオレが使っているルームAと同等。容積は半分程か。Aが六メートル×四メートルで広めの十二畳、BとCは共に三メートル×四メートルでで広めの六畳という感覚。Aは全て専用設備となっているが、Bは隣のDと、Cは隣のEと、トイレ浴室を共用している。そのうちに手狭になってきたら、DとEも二人に開放しようかと考えている。
ルームCではアンが簡易椅子に座って待っていた。テーブルに置かれたコンテナの中は、今日使う資機材一式だろう。
「準備はできてます。エンリ、座って下さいな。邪魔かもしれないから剣帯は預かるわ。」
道具ベルト兼用の剣帯を外し、アンが示す耐G用の大きな椅子にエンリは座る。オレのインプラントに椅子が検知した荷重情報が送られてきた。衣類を除けば、エンリの体重は四十キロ程度か。これで安全な麻酔の量などを調整できる。オレとエリスも簡易椅子に座ると、アンが確認した。
「始めます。いいわね?。」
「お願いします。」
エンリが答えた。
「これから体の状態の聞き取りから始めるから、その間にゆっくりと、少しずつでいいからこれを飲んで。」
アンがカップに水を注ぎ、エンリはそれを受け取る。船内合成のレモン果汁で味を誤魔化しているが、カップには睡眠薬が入っているはずだ。
「まず基本情報の確認ね。名前と年齢は?。」
「エンリ・ゴール。十七歳です。」
ネゲイでは年齢を数え年で言うから、満年齢なら十五か十六だ。
「今までに大きな怪我や病気になったことはある?。」
「怪我は、切り傷擦り傷ぐらいのものです。大きな病気は、そうですね、三年ぐらい前に吐き気と下痢で何日か動けなくなったことがあります。」
主な病歴は血液検査の結果でも概要がわかっている。何かの抗体かその痕跡があれば、過去の病歴が推測できる。それが未知のものであれば、その情報はオレの健康管理にも使える。
「そのときの様子を、思い出せる範囲でいいから詳しく教えてもらえる?。」
アンの問診は続く。エンリは渡されたカップを時々口に運びながら答えてゆく。数分で、エンリの顔に眠そうな表情が見え始めた。
「眠くなってきたわね。楽にして、椅子にもたれてね。」
「はい。」
エンリはほとんど空になったカップをテーブルに置いて背もたれに身を預けた。すぐ、目を閉じる。数秒後には規則正しい寝息をたてはじめた。アンがエンリのゴーグルを回収しながら言う。
「マコト、ここから先は乙女の時間よ。服を脱がせて切開場所あたりをきれいにして、大体の手順は想像できるでしょ。経過は伝えるから、外に出て待ってて下さいな。」
これから何時間かは、船内でできることをやりながら待とう。〇八五五M。
一〇二〇M。インプラントの「種」は無事に埋め込まれたと伝えられた。エンリは意識のないままタンクに入れられていると。様子を見るためにルームCに戻ってもいいが、まだ数時間、インプラントが主要な神経系に添って成長するのを待たなければ何もできない。その間はαにお任せだ。
一五〇〇M。オレは「いつまででも続けられるし、いつでもやめられる」作業として、試作した紙の性能試験をやっていた。強度や加工性、各種インクとの相性など、元々船にあった紙やネゲイで手に入れた羊皮紙との比較だ。可能なものは数値化している。「丈夫さ」に関わる項目では羊皮紙に勝てるものではないが。そこにαから連絡が来た。
「エンリの体温が平熱に戻ったわ。そろそろ起こすからルームCに来てくれる?。」
「了解。行くよ。」
体温云々は、神経系に侵入しようとするインプラントに体が抵抗した結果だ。異物を排除するか、体が慣れるまでは、発熱もする。オレは作業途中の一式をベティに預けてルームCへ向かう。部屋に入ると、タンクの蓋は既に開いており、エリスとアンがタンクの傍に立っている。エンリの上体は、タンクの中の背もたれに支えられて起き上がっていた。服装は船内用作業服に替えられている。標準型ではない。いつものエンリの服装の下に着ていてもはみ出さないよう改造されている。首にはペンダント。エンリは眠そうな表情のまま、左右を見回して呟く。
「服が……。」
タンクの傍でエンリを見守っていたアンが言った。
「『道具』の具合を見るために着替えてもらってるわ。慣れるまでは、その服を着てる方がいいの。あなたが着てた服はここにある。」
アンはタンク脇の小テーブルを指さす。剣帯と、きちんと畳まれたエンリの服が並べられていた。エリスも付け加える。
「洗って、乾かしてます。帰るときには着れます。」
今日の主治医役のアンが続けた。
「今、見えてるのはゴーグルとかを使ってない、いつもと同じような見え方よね?。」
エンリは頷く。
「まず、『危ないものは』という見え方に変えるわ。見えてるものが変わったら、口で説明してね。こちらで思ってるのと違ってたら直さないといけないから。」
「わかりました。」
「じゃあ、『赤』から。」
アンが手に持っていた端末を操作する。本当は必要ないが、「アンがやっている」という印象を与えるための演出だ。
オレのインプラントは既に全身の神経系を補助できるレベルに成長し終えているが、エンリのインプラントはまだそこまでに至っていない。これからしばらくは、インプラントの成長に合わせてキャリブレーション繰り返さなければならない。最初は、「危険なものを危険であると認識できる」「機密事項は外で話さない」の二点の確認だ。それ以外の機能、例えば時刻表示や船内の文字の翻訳などはインプラントがもう少し成長してから行う。
「ええと、『赤』は、壁の何ヶ所かに見えてます。」
「ゴーグルを使ってたときと、見え方の違いは?。」
「ゴーグルの時は赤い線で囲まれた感じでしたけど、今は赤で隠してる感じです。」
「いいわ。ちょっと見え方を変えるわ。」
またアンが端末を操作する。
「赤い線に変わりました。」
「じゃあ、これは?。」
「線の太さが場所によって違うようになりました。」
「線が太いほど、危なさが強い、って、そういう見え方にしたわ。『危ないものを触らないように』のこと、これで最初の確認は完了よ。」
「わかりました。」
「今は、船の外では、この『赤くする』のは止めておくわ。船の外なら自分でも危ないか危なくないか、わかるでしょうから。」
「そうですね。ここにいる時に危ないものがわかれば、いいです。」
次は、禁止事項の方だが、これは船内ではテストできないか。どうするんだ?。
「じゃあ次、『話してはいけないことは話さない』の方だけど、ここじゃ何でも話せてしまうから、別の方法よ。これを読み上げてくれる?。」
アンがエンリに手渡したのは、最近増え続けている契約木簡の一枚だった。エンリは木簡を受け取って読み上げ始める。
「蠟板の製造と販売に関して以下の三名は……。」
エンリの口は、文の続きを読もうとする形のまま止まった。
「いいわ。口の動きを止められることは確認できました。普段はこんな止め方はさせないから。もし『道具』が何かの間違いで動きを止めさせたりしたら、マコトはあちこちで転んでばかりになるはずだから、安心してね。」
オレも付け加えた。
「そうだな。私も何か間違えそうになったときしか、無理矢理止められた覚えはないよ。」
「マコト様でも間違えることはあるんですね。」
「そりゃあそうさ。今までで一番間違った時の結果が取り外しのできる左腕だ。この腕を使えるようにするために『道具』を使い始めたんだから。」
その後はアンが幾つかの補足事項を説明した。インプラントの成長は、特に今のような初期は厳密にコントロールしなければ危ないので、今後数日はペンダントを外さないこと、入浴時以外は船内服を着続けることなどだ。船内服の予備も準備されている。エンリのために用意したペンダントは、通信を確保するため、「虫」から飛行などの余計な機能を外して革紐を付けたものだ。飛行のような大きなエネルギー消費を行わずに状態をモニタするだけなら、数ヶ月はそのまま使えるはずだ。今話しておくべきレベルでのインプラント関連の説明を終えたところでアンがオレに言う。
「マコト。これからまたお着替えの時間だから、男性はお外で。」
「わかった。あと、トイレとか洗面台とかの使い方も、教えてやってね。」
エンリが部屋から出てくるまで、隣のオレの部屋で待とう。インプラントで今できていること、まだできないことについても確認しておく必要がある。
「α、うまく行ってるみたいで良かったよ。現時点で百%じゃないのはわかってるけど、具体的には、今、何ができて何ができてないんだ?。」
「成長率や機能設定は、マコト、あなたが最初にインプラントを入れた時と同じよ。医療用の『治療のため緊急でインプラントを入れる必要がある場合』をベースにしてるわ。体調管理に便利な設定だし、マコトからのアドバイスもしやすいと思う。」
「大体、オレの経験と同じ経過を辿るということだな。自分では表示色を変えられなかったとか言ってたヤツも含めて。」
「そうよ。でも視覚への干渉は、今は危険物の赤だけよ。まだ帯域が狭いし、変に色々見せすぎるのも、集中力を邪魔してよくないから。」
視覚でも聴覚でも、予期しないタイミングで割り込みが入るのはインプラントが関与していなくても、よくない。
「まだ思考は読めてないけど、心拍数や感情はモニタできてます。聴覚も把握できてるから、会話の中で話題がマーリン7の機密事項に近づいたら、随意筋を動かしにくくするところから始めて、話の方向次第では、止めます。」
「さっきやってたよね。口じゃなくて随意筋全部に干渉してたの?。」
「今は、まだそういう雑な制禦しかできないのよ。インプラントの成長がもう少し進めば、本当に『口だけ止める』こともできるようになるんでしょうけど。」
先ほどの契約木簡を読み上げさせる動作試験は、タンクの背もたれに身を預けて、安楽椅子の姿勢のような状態だったから実行できたと言うことか。歩きながらの状態で随意筋を止められたら、転んで怪我をしそうだ。
「あと、視覚伝達は、さっきも言ったけどまだ使える帯域が狭い割には情報量が多いから、常時接続してたら中継用に渡したペンダントが熱くなっちゃう可能性もあって、今は船外に出たらカットするつもりよ。これはちょっとずつ負荷テストをやって上限を探るつもり。『外なら赤くしなくても危ないものはわかるから』って、うまい言い訳でしょ。」
「今の状態はだいたいわかったよ。ありがとう。」
実地試験で今エンリに渡している中継器の運用限界がわかったら、ネリにインプラントを入れる時にも役立つだろう。
バギーで領主館にエンリを送り届ける。門の前で、丁度どこかから帰って来たネリの母、ドーラに会った。
「あら?。エンリ?。何か雰囲気すごく変わってない?。」
「え?。そうですか?。」
言われて気付く。インプラントを入れるに先立って、エンリの全身はアン達によって汚れを落とされた上で滅菌処置を受けている。普段のサウナでは残ってしまう垢や皮脂も今はほとんどゼロの状態なので、印象が変わってしまったようだ。エンリも洗面台の使い方などを教わった時に鏡で自分の姿は見ていて、鏡自体に驚いていたとは聞いたが、普段は水鏡レベルでしか自分の姿を把握していなかったから、自分の姿が変わっていることには気付いていなかったのだろう。
「ドーラ殿。今日初めてエンリを船に招いたんだが、久しぶりのお客様だったからアン達が張り切ってしまってね。エンリを徹底的に磨き上げてしまったよ。」
「マコト殿。これも新しい商売になるわよ。男どもはわからないけど、ヨーサなら絶対に飛びつきます。もうこんな時間だけど、ちょっと来ていただけませんか?。」




