4-37 CL(墜落暦)一三五日:工房の完成
CL(墜落暦)一三五日。ヨール王二三年五月三日(木)。
朝には試作のパピルスの具合を見る。時間短縮のために高圧下で水浸させるとか、大昔のエジプトとは少し違う工程を経たのが悪かったのか、材料が適していなかったのか、試してみた二種類の草両方が失敗だった。一応、昔風の工程のとおりでも試しているが、これはまだ数日かかるはず。表面で雑菌を繁殖させ、そこからの分泌物で繊維間の付着力を強化するとか、そんな工程もあったはず。時間短縮に挑んだ方もその過程は踏んでいたはずだが、生物学的な処理はやはり時間がかかる。失敗した方も繊維の形は残っている。小麦もあるから糊を作ればとかも考えたが、ほぼ無料の材料にそこまでこだわる必要もないので廃棄とした。糊は、紙の時には使うことになる。小麦から作るか、ヤダでの街道補修で見た虫の粘液のようなものを使うかは、未定。色々試さねば。
また、紙かパピルスの材料探しのために南原をうろうろする。ついでに、工房にも寄ってみた。遠目にも、ほぼ完成のように見える。いつもと違って街道ではなく草原から現れたバギーを見つけたヒーチャンが手を振ってきた。
「マコト殿、変なところから来たな。どこでも通れるんだな。このバギーってのは。で、その一杯積んでる草は、また新しい何かの材料かい?。」
「ああ。この近所で手に入りやすい材料で、どこまでできるか試そうと思って、種類を変えて集めてみてるんだ。工房は、ほとんど終わりみたいに見えるけど、あとどのくらい?。」
「ほとんど終わりだよ。引き渡し前の点検中だったんだ。三の鐘までには終わる。午後か明日、発注主の領主館から検分に来てもらって引き渡しだな。そうしたら荷物も運び込める。」
「途中で何回も見てるけど、見せてもらってもいいかな?。」
「構わないよ。マコト殿もこの建物を使う関係者だ。」
「じゃあ降りて、ちょっと歩き回ってみるよ。」
ヒーチャンは弟子の一人を距離紐の係に引き連れて絵図と建物を見比べながら歩く。寸法を測ったり、建て付けを確認するために柱を揺すってみたりする。オレは邪魔にならない距離でヒーチャンに付いて歩く。確認済みの数字に太針で印が入れられてゆく。エリスとアンはオレ達とは別の建物を見て歩いている。ヒーチャンは朝から確認を始めて、オレが到着した時点では最後の一棟だったらしい。程なくヒーチャンの確認が終わる。一一〇五M。エリスとアンもオレ達の方へ歩いてくる。
「マコト殿。あとは領主館から検分に来てもらうだけだ。今日の午後か明日っていうのは昨日のうちに伝えてある。まだいつになるか決まってないが、これから領主館へ行って決めてくるつもりだ。一緒に来てもらったら検分の時間もわかるしマコト殿も一緒に検分できる。どうする?。まだ草集めは途中みたいだが。」
どうしよう。建築途中も時々覗いていたし、さっきも見た。アンとエリスはオレがざっと眺めるよりも精確に各部の寸法を押さえているだろう。実用的な意味は薄いが、オレの存在を機に始まったものだし、一応、初代工房長に就任予定なのだから、そういう場にオレがいても場違いでは、ないと思う。
「草集めはアンに任せて、エリスと行くよ。バギーはアンに預ける。南原のあちこちに行かせたいんでね。あれがあった方が便利だ。」
次いでアンに言う。
「アン、領主館での用事が終わったら新池までぶらぶら歩いて帰るから、草集めが一段落したら探しに来てくれ。『街道』からは外れないようにするから。」
「わかりました。マコト。バギーを預かります。」
「じゃあ、親方、行こうか。」
領主館に着くとすぐにゴールの部屋へ通された。
「ヒーチャンとマコト殿か。工房の検分は今日の四の鐘で頼みたい。」
「今日の四の鐘ですね。わかりました。」
「それと、工房の完成祝いというか、新しい事業が始まることの祝いというか、明日の夜、ヨークを押さえてある。さっき行ってきた。人数はまだ決まってないが、ヒーチャンもマコト殿も数に入ってるぞ。来てくれるな?。」
ヒーチャンが笑いながら答えた。
「マコト殿、工房が出来上がったら一杯とか言ってたことがあったけど、先を越されちまったよ。」
「そうだな。ゴール殿、明日の私は大丈夫だ。五の鐘ぐらいか?。一人いくらだい?。」
「だいぶ日が伸びてきたからな。四と五の鐘の間くらいからと思ってる。あと、飲み食いは領主館持ち。マコト殿のところの手伝いのお嬢さんもいいぞ。領主館からの引き抜き勧誘付きだ。」
ゴールが笑いながら言う。
「エリス、どうする?。」
「ゴール様。私たちの誰も、マコトのところから抜けるつもりはありませんよ。」
「確か五人もいるんだろう?。一人ぐらいはそんな気を起こしたりはしないかとか、思っている者は多いぞ。ヒーチャン、そう思わないか?。」
「ああ。『息子の嫁に』とか、マコト殿を娘婿にとかな。何人か同じことを言ってるな。儂も似たようなことを言ったことがある。」
「ヒーチャン様。私たちの誰も、マコトのところから抜けるつもりはありませんよ。」
再度エリスが同じことを言った。
「まあ、声をかけるのは誰にでもできる。お嬢さん方がその気になるかどうかだ。難しいんじゃないかな。マコト殿と一緒に何かやる方が、ネゲイで今まで通りに仕事するよりも面白そうだ。ゴール様、あきらめた方がいいと思うよ。」
「ゴール殿、一応、一人は連れてこよう。酒は飲ませないがね。帰りのバギーで道を外れたらよくないから。」
「よし、勧誘なしで、マコト殿のところ二人、ヒーチャンはどうする?。一番働いてたヤツにご褒美とか、構わないぞ。」
「それなら、儂ともう一人ぐらい、行かせてもらおうかな。マコト殿のところのお嬢さんが酒を飲まないなら、その分まで飲めるヤツを探すよ。」
四の鐘で工房に再集合という予定で解散した。エンリとネリは今日の工房の検分と明日の宴席の報せをあちこちの関係者に伝達するため、今は市内のあちこちを回っているところだと聞いた。さて、オレは、四の鐘少し前まで、また南原の植物採集に戻ろう。αは全ての予定を聞いているから、工房で丁度アンと合流できるだろう。
またヒーチャン、エリスと工房に戻る。アンもほぼ同時に工房に着いた。工房ではヒーチャンの弟子達が掃除をしている。季節がよくなってきているので、建築前にひととおりは刈り取ってあった雑草がもう伸び始めていた。
「じゃあ親方。四の鐘でここに戻る。それまでは、朝にやってた草集めの続きをやる。」
「儂はここで掃除やら草刈りだな。また後で会おう。」
アンは俺たちと別れた後、一度マーリン7に戻ってそれまでの収穫を置いてきたらしい。背負い籠は空っぽになっていた。またバギーで叢に乗り入れ、使えそうなものを探す。昨日からの採集物は二十種類を超えていて、紙、或いはパピルスに使えそうな「新種」には当たらないようになってきている。この季節の南原ではこのくらいが限界か?。場所か時期を変えなければならないようだ。再集合を約束した四の鐘も近いし、そろそろ工房に戻るか。
工房に再集合した。ここに拠点を移すことになるノルン、ノルンに道具や材料を卸すハパーとブング、他にも何人かが集まってきている。広さを確認するとか、準備があるのだろう。主役はヒーチャンとゴールで、もう絵図を見ながらの検分は始まっていた。オレもU字溝などの改良を考えたいので、既に掘ってある溝を見たりしながら歩く。一時間弱か。ゴールは満足したようだ。
「これで完成だ。ノルン、明日からでも必要なものを運び込んでくれ。中の配置とかは任せる。全部埋めるなよ。まずは工房の一棟から使ってくれ。もう一つは、暫くは、マコト殿専用の作業場所にする。草とか集めて、また何か新しいものを考え始めてるらしいからな。」
名前を出されて注目がオレに集まった。何か言わねばなるまい。
「ゴール殿、ありがとう。まだ船で最初のお試しの段階だが、遠くないうちにここでも作業を始めようと思う。ノルン殿、最初は道具作りとか、手伝って貰えると助かる。」
「マコト殿、やれることはやらせて貰いますよ。領主館からは当面の支払いにはなんとかなりそうなお金の約束もしてもらってますし、ハイカク師匠も、手が足りなかったら声をかけろって言ってくれてますから。」
「ああ。これからよろしく頼む。」
握手は、友好の意を示す共通言語だ。




