4-23 CL(墜落暦)一一八日(2):三つの会合
『今のペースなら、ベンジーへの到着時刻は一一五七Mよ。ちょうどいいくらいね。』
天気はよかったので、影もきれいに地面に落ちているはず。こんな日の三の鐘は、オレがインプラントで見ている時刻表示が「一二〇〇M」丁度で鳴るものだと思っていた。オレ達はαの予想よりも少しだけ遅れて一一五八Mにベンジーの玄関脇にバギーを駐める。と、時鐘が鳴る。このずれは、αの計算とベンジーでの計算の、どちらの誤差によるものだろう?。ここで知られている誤差の種類や理由について、グレンへの質問がまた増えた。
ヨースに迎えられて建物に入る。バギーの見張として、ヨークは外に残った。塔の基部、火縄で時刻を測っている部屋でグレンが待っていた。まずは挨拶を。ベンジーの二人用にと思って用意しておいた蠟板を二組取り出す。
「今日のお礼に、これをベンジーのお二人に。」
「蠟板ですか。でも昨日ヨーサ様から一組いただいておりまして……。」
予備があっても困らないとは思うが、蠟板は一組だけ受け取ってもらえた。
「まず何からお話しすべきでしょうね。」
「今日は、四の鐘までに町まで帰らないといけなくなった。だから最初の部分だけしか話は聞けないと思う。『昼の柱』のおおまかな使い方とかは先日ここに来たときにヨース殿に教えていただいているから、次は、柱を建てる場所を決める方法、『形の計算』などを聞いてみたい。」
天文学と幾何学が入り交じった質問だ。相手のレベルによって説明の仕方も変わるだろうし、何かの理由で教えることが禁じられている手法もあるかもしれない。単純に、印を付けるだけなら通年で太陽(ヤーラ359)の南中時の影の位置を記録すればいいが、曇天による欠測もあるだろうし、火災などで急遽主塔を再建しなければならない場合もあるだろう、実測値を補完や補正する計算手法なども存在していると思う。
オレの問いにグレンは少し考えて答えた。
「四の鐘までに、というと、とても全部はお話しできませんが、お時間までは、お話しましょう。」
仰角の測定にはアストラーベが使われていた。角度は以前ネリに聞いたとおり全円を三六〇度で測れる。六度毎に角度の数字が刻印ていた。直径は三十センチほど(ここでの『一フィート』に相当する単位か?)なので円周は約一メートル。一ミリぐらいの間隔で刻みが入っていたから分解能は……
『二十分ね。』
αが補足した。基本的な使い方は聞いたが、副尺はまだ発明されていないようだ。副尺があれば少なくとも精度が四~五倍に向上するとと思われるが、教えるべきだろうか?。それを作れるだけの工作技術は、ここにも既にある。数学的にも単純な仕掛けだ。機会があれば、紹介しよう。
全ての説明が十二進数なので聞いていてちょっと違和感はある。αも、既知の内容ならオレにわかりやすい単位系に換算して翻訳してくれるはずだが、新しく聞いた話はとりあえず直訳する。途中で、話は測定や幾何学ではなく、数学の基礎へと移っていった。やはりこのあたりは、正確に押さえておかねば。
四則演算の演算子はまだ発明されていなくて、全て文章で論述される。三角関数も略記ではなくて「○度の正弦は▽である」などと毎回筆記している。なお、サインとコサインだけでタンジェントはない。正確には、サインとコサインの比を計算に用いることはあるが、タンジェントなどの名称は付けられていなかった。三角関数表は羊皮紙のようなものの束になっていて、コサインとサインを相互変換するための平方根表もあった。三角関数は、広場に大きな図形を描いて実測したものだという。桁数の大きな計算は、算木とそれを並べる算盤が使われている。オレが気づいていなかった疑問も含めてαがオレの口を使って質問し、問われたグレンも嬉しそうにそれに答える。オレ自身は、αがオレの脳内に地球風に翻訳した数式を送り込んでくれてはいるが、理解はギリギリ。多分αがその程度の進度に合わせて話をしているのだと思う。
「マコト殿は、どこか遠くの生まれと聞いておりましたが、計算することについて、お教えできることはほとんどなさそうですな。逆に、教わることの方が多そうです。今日はもう時間もないようで残念ですが。」
「私も、忘れかけていた基礎の考え方を思い出せた。自分の知っていることを改めて整理できた気分だ。こういう話ができるのは気持ちがいいな。」
「私もそうです。今日はまだ話したことの半分も話ができておりませんので、またこういう機会を設けたいものです。今度は私がマコト殿のところへ伺いましょうか?。」
グレンをマーリン7の中に入れることは考えていない。とはいえ、池の岸辺、屋外で話をするのも他に見物人がいたりすると落ち着かなさそうだし、マーリン7の姿が見えていれば数学以外の話題で終わってしまいそうだ。
「ご足労には及ばない。私にはバギーがあるからここまではすぐに来れる。色々あってネゲイの町中にはしょっちゅう来ることになりそうだし、そこで時間が余ったらここへも簡単に来れる。グレン殿がそのとき多忙で会えなかったとしても私は気にしない。」
「バギーとは今日マコト殿が使っていた馬のないヤツですな。あれもゆっくり見てみたいし、話に聞く『船』も見てみたいとは思っているのですが。」
「そのうちに機会はあるだろうけど、船の中は案内できない。触ると危ないものがいっぱい積まれてるんだ。」
「危ない?」
「ああ、どう危ないかは、私が生まれた場所の言葉や印で注意書きがあるんだが、あなた方には読めないだろうから、中には入ってもらいたくないんだ。」
「それでは、今は仕方ないようですね。でもそのうちに、招いていただけるようにマコト殿の生まれた場所の言葉を教えていただけることはできますか?。」
少し考えて答える。
「ある程度は。あなた方の役に立ちそうな範囲でなら。ネゲイの人達と知り合う機会を得たのだから、将来的にはわたしの生まれたところとネゲイの間で交易とか、できるようになるならそうなりたいとは思っているが、まだ具体的な進め方まで考えついていない。そのやり方の目処がつくまでは、船の中に入れるのは、私も慎重にしたいんだ。」
「知恵のある者、マコト殿についての噂は回っています。マコト殿だけではでなく、マコト殿の故郷の方々の知恵まで入ってくれば、大変でしょうね。私は学べるなら満足ですが、私以外の人たちの反応も心配になります。」
「ああ。だから、すぐには話せないこともあるということは、覚えておいて欲しい。」
「わかりました。マコト殿から知恵を授けてもらえるよう、私もまだまだ努力しないといけませんな。」
隊商との会合のため、ヨークも後部座席に乗せて町へ戻る。ヨークの案内でバギーは店の裏の荷馬車置場に駐めた。ヨークは店の少年に「バギーを見張っておけ」と命じてオレ達を店内に導く。通された部屋には既にゴール、ネリと、隊商の代表らしい男が待ってた。隊商の随員の一人は、昨日の尾行の一人だ。促されて着席するのと同時に時鐘が聞こえてくる。ダイアナはオレの背後に立ち、店員がオレを含めて着座している四人にお茶を配る。
「マコト殿。一応、会っておくべきだと思ってな。ムラウーとカースンの間を年に何往復かしている隊商の代表、ニーモイを紹介しよう。」
ニーモイが座ったまま自己紹介する。
「ドレン・ニーモイと申します。ゴール様に紹介していただいたとおり、カースンとムラウーの間を行き来しながら色々な物の売り買いをしている者です。」
「マコト・ナガキ・ヤムーグだ。今は、ネゲイでネゲイの客人として、自分の知っているものを売っている。」
「私どもはここへ来る前、ヤダであなたの話を聞きました。ネゲイに来てからも噂は聞いております。私たちも、あなたの売る物に興味がある。何か、紹介していただける物はありませんか?。」
「今は、ネゲイでやっと落ち着き始めたばかりなんだが、ゴール殿、あなたはネゲイの客人たる私がニーモイ殿と取引することをどのようにお考えか?。」
「ひとつわかっているのは、マコト殿には知恵はあるが、それを全て外に出すことはできない。だから、マコト殿の知恵で作ることができるものを、作れるようにするためにネゲイの職人達が今色々考えている。作られた物は、ネゲイの外にも出て行く。そのときにはニーモイのような商人が必要だ。今日、会ってもらったのは、そういう商人達とも知り合っておいた方がいいだろうと思ったからだ。」
「ニーモイ殿。今すぐあなた方に売れるような物の現物は用意できていない。私がここに来たことでネゲイの職人達が新しい物を作り始めたことは知っている。ネゲイの中では、私が提案した物を作るためも契約も幾つか行われた。だから、ネゲイで作られた物をあなた方が仕入れて外で売ることはできると思う。ゴール殿、私の思っていることで合っているかな?。」
「ああ。ニーモイ以外にも、当面はそういうやりかたになるだろうと思っていた。ニーモイ、そういうことだ。マコト殿が考えた物で、今すぐ売れるものは、在庫がないから今日はダメだ。しかし次に来ることには何か用意できているかもしれない。ニーモイ、これからカースンに行って、ネゲイまで戻るのはいつ頃だ?。」
「途中の町々で何日か商売をしながら動いておりますので、最低でも一ヶ月ほどになるかと思います。」
「なら、その時に仕入れることができるように、少し余分を作っておくよう、職人達に言っておこう。」
ゴールは自分の物入れから蠟板を一組取り出した。
「これは見本だ。一組だけだが、渡しておく。今、これ一組でネゲイでは金貨一枚だ。簡単に真似できそうに見えるが、ウチの職人達によるときれいに作るにはコツもあってむつかしいらしい。使い方は、さっきからそこのショーがやってるからわかるだろう。これから商売の合間にでも色々見せびらかして、注文を増やしてくればいい。」
ヨークの店を出た。バギーはダイアナに任せてゴール達と領主館に徒歩で向かう。
「ハイカクの提案は聞いた。ヨークの店に行く前にハイカクのところにも行ってきたんだ。悪くない、というか、マコト殿の知恵を活かすには、必要な方法だと思った。問題は、人集めと場所だ。」
「さっきのニーモイ殿達のような、ネゲイ外の人達との交渉まで私がやるのは、なかなか難しい。商習慣とかもよくわからないし。窓口は絞って、ネゲイの商人を間に挟むとかから始めたいと思ってはいたんだ。」
「マコト殿の組合なり工房なりを作って、そこに信用できる交渉係を置けばマコト殿は自分の知恵を形にする仕事に専念しやすくなる。」
「私も、私が好評価なのは嬉しいが、そのために新しく工房を作るほどの資金計画とかも含め、すぐには了解できないと思っている。資金的な話を考えれば、今のところは、ハパーが窓口をやってくれるような仕組みから始めたらいいんじゃないか。ハパーが一番それに向いているかどうか、そのあたりはゴール殿の判断に従うが。」
「そのあたりは、バース様とかも含めてこれから領主館で話をしたい。そのつもりなんだろう?。」
「そういう流れもあるかも、とは思っていたよ。だから一緒に歩いてみたんだ」
領主館ではバース、ヨーサ、ドーラの首脳陣に加えてヒーチャンとハイカク、商業窓口で話をしたことがあるダラスが、応接室で話をしていた。ヒーチャンがいるということは、話は前向きになっているということだ。それも、オレが想定していた以上に。バースが言う。
「帰って来たか。座ってくれ。娘婿殿の収入を安定させて、我が娘の将来を安泰にさせる計画について、明日、ヒーチャンに下見に行かせることにした。」
決定が早いことに驚いた。
「バース様、私もまだ考えがまとまっていないのに、早すぎないのですか?。」
「新しい池が出来たときからヨーサとも話をしていたんだけどね、魚の話だよ。池で魚が採れるようになったら仕分けや加工と貯蔵の場所が要るなって。だから、何かを作ることは決めていたんだよ。外向きに言ってなかっただけでねえ。仕分けと加工は池のすぐ近くになるけど、貯蔵のための倉庫は町に近い方がいいだろ?。だから、マコト殿がネゲイに来るのに使っている道沿いの、町に近いところあたりを考えてたよ。逆茂木もちょっと並べ直さないといけないけどねえ。今畑とかで使ってない場所ならどこでもいいとかね。そこにマコト殿の工房の話が来てだな、ヒーチャンに聞いたら大きさを倍にしても費用は倍にはならんというし、それなら、やってしまおうかということだよ。最初の土地と建物はこちらで用意する。マコト殿には、家賃でも払ってもらって、将来的には買取でもいい。娘婿殿への持参金という考え方も出来るかもしれないしな。」
「私もまだ考えがまとまっていないのに、決めるのは早すぎないですか?。」
「儂ももう来年四十だ。そろそろ、死ぬ前にやっておくべきことを見つけておくべき頃だからねえ。そこに、丁度いい感じの話が舞い込んできたんだよ。魚とマコト殿の工房、どっちかが上手くいかなくても、もう一つは残るだろう?。」
地球文明圏的に、人の寿命は百年強という感覚で考えていたことの誤りに気づかされた。エンリとネリをオレに嫁がせる話もそうだが、オレに比べると、ここの人達は生き急いでいる。逆にオレの生き方はここの人達からはのんびりしすぎているように見えているのだろう。オレも、尺度を切り替えなければならない。
「わかりました。この話をお受けしましょう。」
「受けてくれてありがとう。今日はもうこんな時間だが、ヒーチャン、明日にでも下見に行ってくれるか?。船に行く道の横で町に近いところがいい。あのあたりに、世話する人間がいなくなって今は使ってない畑が何枚かあっただろ?。多分儂の憶えてる限りでは大水が出ても大丈夫だったはずだよ。」
「明日ですね。わかりました。二の鐘の前から、池に行く道の町に近いところをうろうろしておきます。」
今日も、色々ありすぎだ。イヤ、オレがのんびりしすぎていた。ここの人達にペースを合わせなければならない。自覚しよう。
夜、マーリン7に戻ってから夕食。のち、「火」の練習と実験。αが言った。
「大昔のギリシャ人が考えてた四元素のことは知ってるでしょう?。『火』じゃなくて、『水』で試してみて欲しいの。」
「なるほど。『火』以外の可能性も試すべきだな。」
結果として、「水」も上手くいってしまった。風が集まり、空気中の水分が凝集されている感じだ。「風」はダメだったが、「南風」など方向を決めるとそのとおりになった。「土」は、安全のため上陸してから。マーリン7の船体を構成する物質を集めてしまったりしたらかなり面倒な事態になりかねない。試すと、周囲から砂塵が吹き込んできた。
「わあ、口の中にも砂が入ってしまったよ。こういう時は『水』だな。」
オレは「水」を口に含んで池に吐き出す。
「例の『手』も、これの応用だと思って間違いなさそうね。」
「そんな気がするな。今のところ、『水』と『土』からすると、オレに出来るのは何かを集めることだけみたいだけど。『火』は、何を集めているんだろう?。」
「マクスウェルの悪魔みたいなものかしら。運動量の大きな空気分子だけを凝集させれば、温度が上がるわ。」
「そうかもしれないな。『酸素』とか集めたら、水中でも溺れずに済みそうだ。」
「酸素分子を集めないと危ないわよ。まだまだ実験は必要ね。安全な手順とか、考えることが増えたわ。まあ、デルタも使えるようになってるし、演算能力はまだ余裕あるけどね。」
「まだ谷にいた頃に、街道の補修で『虫の粘液を加熱して固める』とかあっただろ?。あれも熱源らしいものがないのに湯気が出ていた。関係ありそうな気がする。」
「マコトやエンリの『火』とはちょっと違う仕組みかもしれないけど、私達が普段使ってるのとは別の方法で発熱させていた可能性はあるわね。撮影はしてあるから、今後の『実験』に使えそうなヒントを探してみるわ。」




