1-5 観測
まだ軌道上からの観測を続けています。
船内時間では更に一週間ほどが経ち、三機体制で大量に撮影したヤーラ359-1の地表写真はニムエ達によって分類、解析され、主星であるヤーラ359に対する自転周期は二五時間四十分ほどと推定された。もっと精確な値は地上に日時計でも立てなければわからない。二五時間四十分は地球生物が体内時計の調整だけで容易に適応できる数字だ。一般的な例だが、地表環境で考えると、長すぎると一日の気温変化が大きくなる。短いと、気流や海流が激しくなって、これも住みにくい気候の原因となる。どの要素も、衛星軌道からの観測では、あまり極端な数字は出ていないようだ。
この頃に、雲で隠れていた、角度が悪かった、極夜なので撮影できないなどの理由で一部に欠落はあるが全球の昼間の写真地図が完成した。ここまでの期間中に地表から有意な信号を含んだ電波が一切観測されなかったので、「文明はあっても電波を利用する段階に達していない」と判定。軌道上からメートル波の電波を発信してのレーダー観測を開始した。メートル波で粗い地図を作った後は、波長を短くして更に細部を調査する。この結果を写真地図と重ねればさらに細かい地形情報がわかるだろう。
今は、地球の感覚ではおそらく十二月に入った頃。北半球は冬に向かっている。自転軸と黄道面の角度は、二十度から三十度の範囲でまだ推定中。軌道からの観測では、冬至或いは夏至点を通ったらほぼ確定できると思われる。これも本当は地上に日時計を立てて観察したいところだが。
地軸の傾きが測定できていないのと関連して、一年の長さも「おそらく自転三六〇回ぐらい」としかわかっていない。
359-1の直径は地球並で質量は地球よりも大きめ。質量はマーリン各機の軌道要素からの推定で、直径は軌道からの視直径からの推定。ここから推測される表面重力は毎秒十一メートル程度。地球よりやや強い。
月、否、359-1bは、359-1に対して潮汐作用を起こしているが、影響は地球の月よりも小さいようだ。これもマーリン各機の軌道に対する影響から推定したもの。359-1の平均密度が地球よりも大きかったが、359-1bの密度は月よりも小さいのかもしれない。
遊離酸素があることはわかっていたが、これは光合成が行われてる可能性を示している。過去に行われてきた可住惑星調査では、ハビタブルゾーンで光合成が行われている場合、一部の例外を除いては現地の生物は地球の動物の食料になり得ている。これは主星からの距離が一AU近辺の軌道に安定するような惑星の化学組成は似ており、その組成で作れる生物の代謝も似た形になるからだ。惑星に降りれば、味の保証はなくとも、貯蔵食糧やマーリン7で合成したものとは違う何かを食べることができるだろう。
地表で火が使われている可能性について、夜に灯火らしきものが見えた地域を昼間に撮影した写真を見ると、農地らしい区画割もあることがわかった。三機の全て、或いは、少なくとも一機を、もっと低い軌道に移す必要がありそうだ。
βとγは、接近時にアルファの船内で小ニムエを操作するようになった。一回に十分足らずの短い時間だが、回線がつながると小ニムエで操縦室に来て「βが報告に参上!」などと話しかけてくる。γも同じように来るが、こちらはもっと普通に、上司に報告する真面目な部下、という口調だ。データ交換は別のチャンネルでやっているので、観測という本来の仕事には支障はない。小ニムエでなくとも会話はできるので本来は不必要な行為だが、マーリン7の機体及び設備の子機による運用実験として認めている。
初期の数回を除いて、βとγが同時に小ニムエで来ることはなかった。聞けば、「同時に動かせることはわかったし、操縦室内に二体で入ったら少し手狭だから」という。AIに「手狭」という感覚があるのは面白い。
βとγが小ニムエ達をこのように使い始めたのは、β起動時に話題になったオレの精神衛生のこともあるらしく、βもγも、オレが操縦室にいない時は船内でオレを探して歩き回る。一度などは私室で就寝のためタンクに入ろうとした時に入ってきて、「βちゃんの添い寝はご入り用ですか?」などと、科を作って見せた。ライブラリには一体何が入っているんだ?。βは、顔面の状態表示パネルに、会話内容に合わせて動かせる女性の顔のアニメーションまで作っていて、「声質から筋肉量を計算してα姉さんとγの顔モデルも作ったんですけど使ってくれないんですよぉ」などと言っている。
リモート小ニムエが何かをやっている最中でも、本体であるベータやガンマの機体が地平線下に見えなくなると接続は切れる。小ニムエは数秒停止した後、自律制禦で充電ロッカーに戻っていく。回線維持時間が短いことを想定してか、βやγが操作している小ニムエが何かを持ち歩くことはない。
小ニムエ達は、増えていた。出発時に既に動いていた一号機は、工場の技術者が仕上げておいてくれていたが、ヤーラ359星系に到着してから稼働させた二号機は十数時間で動けなくなっていた。三号機も同様に起動後十時間ほどで停止。調べてみると、一ロット五体で納入されていたセットのうち一体だけを先に動かし始めていたのだが、残り四体は気密が破れたままの状態で数年放置されていたために一部の部品が劣化していたとのこと。この部分は通常運用ならもっと長保ちするはずだったのだが、動かさないままというのも悪かったらしい。原因がわかったのは二ロット目にあたる六号機が何の支障も起こさなかったため。しっかりと未使用機を気密してやれば問題ないのかもしれないが、二ロット目は全部稼働させた。一ロット目の修理も終わり、全部で十体の小ニムエが船内を動いている。過剰な気がしなくもない。小ニムエ達は損耗が偏らないようローテーションで運用している。このため、βやγが操作する時も毎回違った機体が割り当てられる。γはそのことにコメントしないが、陽気なβはこんな感じだ。
「今回は六号機ですー。この子は右肘のサーボ調整がカミワザなんですよー。」
毎回機体の良いところ悪いところを付け加える。しかしαやγに聞いてみると、
「僅かな違いはあるが運用に支障が生じるほどのものではない」
とのこと。
ちなみに、βが褒め称える小ニムエ六号機の右肘だが、工場出荷前の試験記録などを見ても、他の小ニムエ達に使われている同型サーボより格段に良い数字が出ている、という訳でもなかった。他の部品、上腕や下腕との相性も含めての「カミワザ」なのだとしたら、六号機が次の分解整備を終えた後にβがどうコメントするか、少し楽しみでもある。
βの変貌以来、元は同じものであったはずのAI達はそれぞれ別の個性を見せるようになっている。αは元々の「有能な副官」を抑えて「信頼できる女の同僚・友人」、βは「陽気で親しみやすい後輩」、γは「礼儀正しい後輩」という感じか。αが持っていた生真面目さはγに引き継がれているように感じる。どの個性であっても、仕事の部分はさすがにAIなので間違いらしい間違いはなく、オレの精神的な凝りをほぐしてくれる良き仲間となっている。
オレの筋力復帰にも一役買ったインプラントの本来機能は、脳の活動全般において何かを強めたり弱めたりするものだ。正しくは、「神経インプラント」と呼ぶべきだろう。義眼や関節など、他にも実用化されているインプラントの種類は色々ある。オレの場合は、使用中の唯一のインプラントなので、呼称から「神経」は省略してしまっていて、意識の中でも「インプラント」とだけ呼んでいる(左腕は『イン』されていないので『インプラント』ではない)。
オレの神経インプラントは、筋力強化にあたっては、身体を動かすのに支障がないレベルで細かく緊張と弛緩を繰り返させていたとのこと。しかもその時に発生していたであろう電気ショックにも似た感触は、感覚系の神経をブロックしてオレに気づかせないようにしていた。
インプラントを使えば、意図的に脳のリミッターを解除して「火事場の馬鹿力」を出すこともできる。その他、最近のβは小ニムエでオレに性的な言い寄りをしてくることもあるが、インプラントは性欲も抑えてしまっており、オレがそのお誘いに応じる可能性は、ほぼない。小ニムエの顔面が情報表示端末でしかないのも、βの野望を押さえるのに一役買っていると思われる。
性欲の件はテロメア処置技術の普及から派生した諸問題に対する規制なども関係しているが、オレが生まれる前には制度化されていたものなので、オレもこのあたりの制定理由などの全部は知らない。詳細はマーリン7の記録ではなく、近代史の解説書を参照されたい。
最初にオレがインプラントを入れたのはオレが左腕を喪った事故後の治療補助と義肢の制禦のためだったが、今のインプラントは神経系のあちこちに枝を伸ばして身体機能全般のサポートを行っている。退院後のしばらくは本当に義肢の制禦にしか使っていなかった。通常の医療保険適用範囲の機能だけを使っていた、ということだ。機構に採用されてからは音声や画像による通信機能など、健康保持とは直接関係しないので医療保険の適用がなかった拡張機能も追加されて今に至る。
機能拡張版のインプラントを使っている乗組員は、船内服に仕込まれた送受信機を経由してAI達と情報を直接交換することができる。オレに関しては機構による改造で義肢のアタッチメント部分にも送受信機が埋め込まれていて、船内服ナシでも情報交換が可能だ。但し、この方法は本来なら脳の近くに置かれるべき送受信機を左肘近くに置くので、少し効率が悪い。なお、オレ個人の場合は、考えをAI達に伝えるのは声に出してしゃべるのが一番らしい。視覚内に仮想キーボードを表示して視線移動で文字を伝えることもできるが、周辺への注意力が損なわれるのでオレはこの方法が好きではない。世間には、キーボードや音声なしに思考をそのままAIに伝えるインプラント操作の達人も存在するらしい。インプラントの埋め込みには様々な制限規定があり、特に未成年者への埋め込みは厳しく制限されているが、健康上の理由、例えば食物アレルギーなどがあれば許可を得ることは可能だ。そうして幼少期からインプラントを埋め込み、それがあることを前提にした思考の組み立て方、インプラントに読み取らせやすい文法での思考を身につければ「達人」になれると聞いたことがある。オレはまだそこまで至っていない。練習が必要だ。
まだメートル波での走査しかしていないが、全球の凹凸を含んだ地図が完成した。正確には、コンピュータ内に立体版のヤーラ359-1儀が完成した。最高峰の位置も確定。標準手順ではここを経度ゼロとして、全記録に新座標系による緯度経度情報を追加すること、以後の観測は全て新座標系によることが示されている。惑星で最も標高が高い点は、少なくとも数千年ほどは誰が探しても同じだろうから、誰が測量しても同じ結果にするための規則だ。
標準手順には「可能なら」と条件付きで、最高峰周辺に地上観測点を何個か下ろし、そこから三角測量で最高峰を観測して、地上観測点の位置は軌道から測定して、全部の点の位置を座標化して、云々という附則もあるが、最高峰の周辺は雪だらけで地上観測点を置くのに適しているとは思えない。念のためニムエに確認すると、やはりこれは省略してよいだろう、と結論した。
「この条項についてはレーダー観測を始めた時点で優先確認事項としていました。初冬、十二月の北半球でこれだけ雪があると、夏まで待っても融けない万年雪である可能性があります。確認のためには北半球の夏まで待つ必要があり、夏まで待っても状況が好転しない可能性もあります。北半球の夏まで、船内標準時で少なくとも二百日近くが必要と推定されます。今の情報で座標設定してもいいのではないでしょうか。」
「やっぱりね。この座標転換の手順は、ライブラリにある?。」
「この座標転換についてはレーダー観測を始めた時点でライブラリにプログラムが用意されていることを確認していました。」
「なら、頼む。あと、βとγにも今後は新座標系で観測するよう伝えておいて。」
ニムエαは三機の十五日分、延べ四五日分のデータを、数分で処理してしまった。