4-16 CL(墜落暦)一一六日:バギー
CL(墜落暦)一一六日。ヨール王二三年四月十四日(木)。
昨晩の雨は上がっているが曇天だ。今日はネゲイで領主に会う。同行するアンの外皮も、仕上がりは見せてもらったが、目のやり場に困るような出来映えだった。もうすぐ結婚しようという男が、あまりそういうことでうろたえては、いけない。
平日で、雨の後なので道も悪く、見物人は来ていないが見張り当番は〇八〇〇M頃に到着した。ヨークと、セルーだ。ハイカクの店の件もあるから、出て打ち合わせをしよう。上部エアロックから外に出て、斥力場で水面に浮かべてあったバギーに乗り込み、係留綱を外して推進用斥力を一吹かし。舵板状にした斥力場を水中に差し込んでいるので方向も制禦できる。岸辺の二人はまた変なものが出てきたという顔。勢いを付けて上陸と同時にタイヤでの駆動に切り替えてゆっくりヨークとセルーのところへ向かう。停車し、降りて周囲を一度歩いて回る。陽光の下で見るのは初めてだ。全体はモスグリーンの塗装だが、側面に無垢の銅板の帯。後部の帯は推力用でもあるので幅が広い。見えていないが底は全面が無垢の銅板張りになっているはず。
「何ですかこれは一体?。」
「荷車の、虫や馬のないやつ?。こんなの初めて見ました。」
「この池に来てから出そう出そうと思ってたんだ。ネゲイまで行くことも多くなったからね。便利そうだろ。馬より速いよ。」
「いやこれはまた、ゴール様もバース様も、どんな顔をなさるやら。」
「まあこれは、蠟板と違ってかなり練習しないと思い通りに動かせないし、多分作り方は説明しても誰にもわからないだろうけどね。」
「いやこれはまた、ゴール様もバース様も、どんな顔をなさるやら。」
「ヨーク、お前同じ事ばかり言ってるぞ。」
「いやこれはまた、ゴール様もバース様も、どんな顔をなさるやら。」
三人とも笑い出した。繰り返しの芸か。ここで再開するとは思わなかった。
「今日の予定を確認しておきたいんだ。ハイカク殿の店に行ってから、四の鐘で領主館、という流れを昨日ゴール殿から聞いてるけど、その流れから変わったことはない?。」
繰り返し芸人が答えた。
「ええ。ハイカク殿は昨日指輪を仕上げてるそうですからいつで大丈夫です。まあ、店が開くのは二の鐘ですから、あ、鐘で思い出した。ここって、風向きでベンジーの鐘が聞こえたり聞こえなかったりするんですよ。三の鐘でここを出れば、ハイカク殿の店を回って領主館に丁度いい頃に着けるとか、昨日の打ち合わせのときには思ってたんですが、鐘がよくわからないので、早めに出た方がいいかもしれません。向こうで待たされるかもしれませんが。」
また、得意分野の話を聞いてしまった。
「一の鐘は日の出で、五の鐘が日没、三の鐘はその真ん中で太陽が一番高くなった時だろ?。なら、三の鐘はわかるよ。私も時間を計ってるんだ。」
「そうなんですか。あれも、曇ってるときは紐の燃え方とか、二と四は影の長さとか色々むつかしい決まり事があるって聞いたことがありますけど、マコト殿はベンジーの仕事にも興味をお持ちですか。」
「一度しか行ってないけどね。あそこのグレン殿とは、機会を設けてゆっくり話をしてみたいとは思ってるんだ。確か、明後日の昼だったかな。会う約束をしてる。」
「そうなんですか。あ、それで、三の鐘はわかるって事でしたから、私たちも鐘に気を付けておきますけど、聞こえなかったら、教えていただけますか?。」
「もっとゆっくりでもいいよ。こいつで君たちも一緒にネゲイに連れて行くから。」
オレはバギーを叩いた。セルーが言う。
「馬より速い、って、さっきおっしゃいましたが、どのくらい速いんですか?。」
平坦な舗装路なら時速で百キロは出せるが、ヤーラ359-1でそんな場所は、多分ほとんどない。ここからネゲイまでの道なら、多分揺れるからあまりスピードを出すと酔いそうだ。
「試してみよう。まだ、出したばかりで、ここでどのくらい使えるか試してないんだ。乗ってみたいかい?。」
二人とも、乗ってみたいと答えた。一応、αに言っておく。
『不味そうならインプラントに割り込んで止まらせてくれ』
βの声が答えた。
『…男の人ってそうなのよね』
なんだそれ?。上にいるのか?。
二人を後部座席に乗せてシートベルトの付け方を教える。前に乗せて操縦系の変なところを触られたら事故の元だ。
『出る。池の前からネゲイの途中まで。』
『…一号車ぁ実車了解ぃ。安全運転でお願いしますぅ。』
やはりβめ、上にいるな?。イヤ、デルタを出したから接続できるようになったのか。変な時間差はそれだな。
最初は静かに行こう。二人を後部座席に乗せて池の上に進む。さっきオレが池から上がってきたのを見ている二人はまだ慌てない。池も、それほど広くはないので、一分ほどでゆっくり回って再上陸する。
「歩くよりはだいぶ速いみたいですね。」
「波に当たったら揺れますけど、まあそんなもんなんでしょうね。」
まあ、そんなもんだろうよ。
「池は、狭いからあのくらいの速さしか出せなかった。次は陸だ。まず、池と同じように滑ってみるぞ。」
スピードを出す前に一つ手順が必要だった。ボンネットの上に倒してあったフロントの窓枠を立てる。ガラスは入っておらず、枠だけだ。この「枠」は斥力場でフロントガラスを代用する。この枠の斥力場は前方に張り出し、空気抵抗を減らせるような形状に調整できるようにもなっている。外縁部は絶縁されていて斥力場は発生しない。ここは屋根代わりの幌を取り付けるためのフレームだ。
斥力場に乗って、道の上を進む。が、舵が効きにくいのですぐに道から逸れた。地面の起伏にあわせて車体が揺れる。あれ?。昨晩見たデルタはここをきれいに滑ってたぞ?。
『垂直尾翼よ。マコト。デルタは垂直尾翼があったから方向を制禦できてたの。そのバギーは、水中なら舵を出せるけど、陸上じゃ方向を決めるのは斥力場制禦だけになるから、ちょっと私が道に戻すわね。』
後ろの二人に「ごめんよ。戻すから。」と断って、αがインプラント経由でオレの手足を動かし、バギーは道に戻る。
「次は車輪で。」
バギーは車輪で進み始めた。池近くの悪路は時速で二十キロを超えると揺れが酷くて限界だった。減速して町に近づく。乾いた区間に入ると時速四十キロまでは出せた。しばらく走ってから減速、停止する。振り返って、二人に聞いた。
「道が悪いところは酷いですけど、いい道に入ったら凄いですね。こんな速いの初めてです。」
「速すぎて、ちょっと怖かったです。馬でもここまでの速さで走ったことなかったと思いますから。」
「私も久しぶりだし初めての道だからちょっと調子のわからないところはあったけど、これは今日ネゲイに行くのに使えるだろ?。」
「そうですね。これなら三の鐘をだいぶ過ぎてから出発しても間に合いそうです。」
「これ多分、道の左側を走らないと怒られると思いますから左でお願いします。」
ヨーク。それも、いい情報だよ。
二人を池の岸まで戻し、オレもまたマーリン7に戻る。出発まで、また持っていくものの点検などをしようとしていたらαが言った。
「セルーがネゲイに帰っていったわ。多分、バギーの報告よ。」
時刻は〇九二〇M。ネゲイ到着は走っても〇九四五Mぐらい?。そこからゴールに話が伝わって、ネゲイを一〇〇〇Mに馬で出発したとして、往復時間とここで話をする時間を考えると、領主様御帰還の「三の鐘までには」に間に合わない。報告しようと言い出したのがセルーかヨークか知らないが、どうせ午後には知れること、放っておけばいいのに。まあ、役人とはそう言うものかもしれない。
「ゴールが慌ててこっちに来るようなら、こっちからもバギーで出て『お試し中』とかなんとか言うから、ゴールの動向をよく見ておいて。」
結局、ゴールは来なかった。セルーは留め置かれ、領主帰還後にゴールが行う最初の報告の場に、同席を命じられていた。デルタとバギーは領主帰還の情報を聞く前から考えていた事だが、ゴールにとってはタイミングが悪かった。あとで、謝っておこう。
一一一五M。領主バース・ネゲイと息子タタン・ネゲイの一行、随員を含めて全十名が領主館に帰着。一同が荷ほどきや休憩のために散ってゆくなか、領主バース・ネゲイはヨーサによって執務室に、連行された。ドーラ、ゴール、ネリとセルーも同じ部屋に入り、オレに関する報告を聞かされ始めた。
一三〇〇M。着替えて長剣を帯び、荷物をバギーに積み込んで岸まで移動。アンも助手席でシートベルトを締めている。
「ヨーク、セルーはネゲイに先に戻ったみたいだな。これから私たちも出る。一緒に帰って来いって言われてるんだろう?。乗ってくれ。」
既にそのつもりで荷物をまとめていたヨークは後部座席に乗り込み、シートベルトを締めた。酒瓶も積んでいるからあまり揺らせたくない。細かい操作はαに任せて斥力場で滑りながら移動するか。この移動方法は、オレも手動でできるよう練習しておかねば。
町に入るまでの一本道は大したことも起こらなかった。急ぎすぎても時間を余らせるだろうし、ほぼ直線といえ、穴もあったりするから時速は三十キロ程度までしか出していない。多くないとはいえ道をある人ともいて、近づくたびに減速する。おや?、タイヤが接地も回転もしてない状態で速度はどう測ってる?、と、インプラントはオレの目線を車体先端に向けさせる。ピトー管か。あの位置で。変な当たり方をしたら折れそうだな。気を付けよう。
「わあこんなの自慢できるぞ」とか後ろで騒いでいるヨークの口の中に前輪が跳ねた泥水が飛び込んできた。事件といえばそれが事件だった。斥力場の調整が甘かったらしい。時間ができたらこういうことが起きないように幌も付けておこう。
町の入り口付近にセルーほか数名の男達が立っていた。インプラント経由でαに動かされているオレの手足は、タイヤにつながるギアレバーがニュートラルの位置にあることを確認してから底面の斥力場を縮小し、タイヤが接地するとブレーキを踏んだ。ピトー管の方を見ると、姿は見えなくなっていた。収納されたらしい。
「マコト殿、これで町の中に入ったら騒ぎになりかねないから、町外れに置いていかせるか、護衛しろと、ゴール殿から命じられまして。」
セルーが言う。他の者は、「こんなの初めて見た」「触っても大丈夫か」「乗ってみたいなヨーク交替しろよ」というような表情だ。ヨークは、同僚達の視線の圧力もあってか自らシートベルトを外してバギーを降りた。
「珍しい形だろうから町中で多少目立つことは覚悟してたが、領主館に届ける品物も積んである。できればこのまま町に入りたい。」
セルーは荷台を見る。バギーと盗難防止の警護を残し、残りの人員で荷物を運ぶ?、それとも別の荷車を用意して荷物を移すか?。そんな計算をしているのだろう。みんなでゾロゾロ歩く方が、時間も短くて済むし、多分そっちの方が楽しいぜ。
「わかりました。まずハイカクの店でしたね。先導します。人よけも。」
徒歩ほどの速度でゆっくり移動する異形の「荷車」を、物珍しそうに見る人は多いが、領主館の男達に囲まれているので近寄ってくる者はいなかった。
「今日はこんな感じか。マコト殿が毎回これでネゲイに来るなら、みんなそのうちに慣れるでしょうけど。まだ新しいんですよね。領主様の馬車より豪勢に見えるのは、まあそれも慣れかもしれませんけどね。」
セルーが呟いた。
「変に賑やかだと思ったら、マコト殿か。指輪は、ちょっと取って来ますんで、そこの椅子で。」
勧められた椅子に座る。アンはオレの背後に立つ。セルーたちは店の外で待っている。バギーの見張りも要るだろうし、店に入るには人数が多すぎる。すぐにハイカクが二個の指輪と、オレとの契約のときのものらしい木簡の片割れを乗せた盆を持って、店の奥から帰ってきた。
「残りの代金は今ここで払えばいいか?。金貨一枚だったと思うが。」
「その前に、一応、指に会うかどうか確かめてくれ。」
ハイカクは盆を差し出す。オレは前回ここに来た時に太さを確認している左の薬指と人差し指に指輪をはめてみた。少し動かしてみて隙間などを確認する。
「丁度いい。ありがとう。ハイカク殿。」
「じゃあ、代金と、受取証だな。この前の、マコト殿に渡した契約も持ってきてくれてるよな。」
「ああ。アン、出してくれ。」
アンは既には物入れから契約木簡の片割れと現金を入れた布袋を取り出していた。木簡はテーブルに置かれ、布袋はオレに渡される。オレは布袋から金貨を一枚つまみ出して、テーブルに置いた。互いの規約木簡の裏に受領の印を押す。作ったばかりの印章は線も鋭く、きれいに木簡に跡を残した。ハイカクは、オレが出した金貨を盆の上に載せながら言う。
「ネリのお嬢との話聞かせてもらいましたよ。お嬢の指輪も作り直しだろ。連れのお嬢さんも指輪がないみたいだし、また声をかけてくれたら嬉しいよ。」
「ショー殿との話は、今日これから、四の鐘か、また領主館で話をするんだが、私も驚いたよ。まだ会って何日だ?ってところだったし。」
「目端の利くってのは、そういう事だと思うよ。明日も朝からマコト殿の商売の話で呼ばれてるし。インクなしで字が書けるペンだって?。蠟板もそうだし、書くもの好きだねえ。」
「インクが要らないわけじゃないけど、ちょっと書くたびにインクを付け直してってのがなくなるから、今よりは字を書くのが楽になるだろうとは思うよ。」
「修行でカースンに行ってた頃に聞いた話だが、船の連中は書き物をするときに揺れてインク瓶を倒してしまうことがよくあるって。だから船の中で偉い人ほど服がインクの染みだらけになってるとか。実際、港あたりでそんな服のオッサンを見たこともある。」
「私が明日話そうと思ってるのも、そういう船乗りが作ったものを改良したヤツだよ。」
「じゃあカースンの港でも売れそうだな。マコト殿と組んでたらこのユジン・ハイカクも、名前がもう一つ増えそうな勢いだ。」
ハイカクの店を出た。見送りに出てきたハイカクはそこで初めてバギーを目にする。
「何ですかこれは?。椅子、人が乗れる。荷物も詰める。形は、見たことがない。馬も虫もいない。これは皆さんで引っ張るので?。いや、引綱もないな。」
「ハイカク殿。これの話は明日時間が余ったら。余らなかったら又別の機会で。使い方だけは今お見せしておこう。」
オレとアンはバギーに乗り込み、シートベルトを締める。
「動くからちょっと離れて!。」
オレの声で皆が一歩下がったところで、クラッチを踏んでギアをローに入れ、バギーをゆっくりと前に進めた。細工師としては、普通の人より気になる点も多いだろうが、今日はこれをゆっくりハイカクに見せる暇はない。ゆっくり見せる時間を作れたとしても、ハイカクに作れるものでもないだろうけど。次は、領主館。現在時刻は、一四二〇M。




