1-4 分離
まだ軌道上からの観測を続けています。観測子機を分離して、少し、賑やかになります。
翌日〇八〇〇Z。報告を受けるところから始めた。
「昨晩マコトが休憩に入って以降、十二時間で軌道をおよそ八周しています。誤差はありますが、想定範囲を超えてはいません。」
「OK。ベータとガンマは?」
「両機とも、融合炉の起動を終え、船倉内でできる事前点検は終えています。発信直前までの知識データベースでAI同期を行うため、まだ両機ともAIの起動は行っていません。」
「両方同時に出す?片方ずつにする?」
「運用試験の意味では一機ずつの運用開始が正しいと思われますが、分離後にアルファの質量中心の偏りで姿勢が変化することを考慮すると、二機ともに解放した方が観測データの誤差が小さくなります。」
「アルファの質量中心は……」
斥力場で補正できるか、と聞きかけて言葉を止めた。放出を二回に分けると、アルファの姿勢変化も二回発生する。放出が一回なら観測機の姿勢変化も一回だが……
「標準観測手順書には明示されていません。また、過去に行われた三機による観測記録においても、誤差修正後の結果が報告されているだけで一次観測記録が添付されておらず、どちらの方法が採用されたか不明です。」
考える。あと数十回か数千回か、周回してデータを貯めるのだから、今発生する多少の誤差は許容しよう。
「一機ずつで行く。オレも初めてだから二機同時に準備状況の確認をするのは何か間違えそうだ。誤差は、放出前後のデータを比較して、問題があったら放出前のデータは破棄としよう。で、次の北極は……一時間ちょっとか。今からベータを船倉から出して、一時間で発進準備できる?。」
「おそらく可能です。間に合わない場合、南極での発進でも支障はないものと思われます。」
「では、ベータを出そう。基本プランは、次の北極でベータを発進。それから半周して南極でベータと同期して、ベータの記観測録を確認。問題がなければガンマ放出の準備に入る。ベータのデータに問題があるようなら対応策を確立させてからガンマ、としたい。ガンマ発進が南極になるか北極か、現時点では未定で。」
「了解しました。ベータから順に分離します。分離、最終点検の後、最初の北極でベータを発進させます。……ベータの電源系統をベータの融合炉に切り替えました。知識データベースの同期を停止。ここまでの知識データベースの内容を元にしてニムエβの起動手順を開始。……船倉扉を完全開放しました。ベータを船外に出します。」
操縦室の各部状態表示モニタに、左翼下面の扉が廃熱管理用の半開状態から機体分離用の全開に変わったこと、アームでベータを押し出しつつあることが表示された。が、状態の表示だけで実際の姿がわからない。モニタの隅に……これか?。船倉内カメラからの画像が表示された。見る限り、順調そうに見える。潮汐ロックの状態を保持するため、マーリン7の機体上面からバラストを取り付けたアームも伸ばされる。船倉から離れたベータの尾部では、横倒しになっていた垂直尾翼がゆっくりと起こされてゆく。
ニムエが告げる。
「ベータの各部システムをチェック中。」
「ニムエβ起動しました。」
α、βともに同じ声だ。ちょっと紛らわしいな。何かの間違いにつながりかねない。
「ニムエ達、声が同じなのでちょっと戸惑っている。βの声は変えられるか?。」
数秒を経て、別の声が入ってきた。今まで聞いていたよりも少し柔らかい感じの声だ。
「ニムエβです。ライブラリにあった同年代女性のカテゴリから別の声質データ取り込みました。これで支障ないでしょうか?。」
「OK。これで間違わずに済みそうだ。αへ連絡。γとδにも、それぞれ別の声を使うよう設定を頼む。」
「α了解しました。ベータの起動チェック完了まであと推定三十分から四十分。最低でもデルタVの二十分前にはチェックを終えて待機状態に入れるものと思われます。」
「こちらβ。αの報告内容を確認。補足または修正すべき点はありません。」
それからしばらくはベータの状態表示モニタに変な数字が出ないか確認しながら過ごした。センサーが起動していないのにセンサー制禦部だけが動き出したりすると赤や黄色の文字でエラー表示が出る。注視していると緑色の「正常」表示に変わる。簡易モニタなので全ての状態は表示されていないが、見えていないところではもっと沢山のチェックが行われているのだろう。表示を見ているうちに数分が過ぎた。
「βです。機体の分離前に確認が可能な全項目の正常動作を確認しました。」
「α確認。追加報告はありません。現在Tマイナス二四分。いつでも切り離し可能です。なお発進時刻は数分のずれがあっても支障ありません。およそ二十分後には予定軌道での発進が可能になります。」
ベータを分離して、新たな進行方向に向けた姿勢変更に数分。そこからしばらく待機して加速、か。
「OK。切り離し。」
「切り離します。」
船倉カメラからの画像を見る。ベータを保持していたアームが少し戻り、アーム先のクランプが開く、そしてアームは再びベータをゆっくりと押し出す。クランプから解放されたベータはそのままの速度でアルファから離れてゆく。αのアナウンス。
「切り離しを確認。距離、十を超えました。アームを戻し、船倉扉を閉じることができる安全距離に達しました。」
続いてベータの声。
「こちらβ。αの報告内容を確認。補足または修正すべき点はありません。電源その他、切り離し後のチェック項目もクリアされました。このままアルファからの距離が二百メートルを超えたらデルタVに向けた姿勢調整を行います。」
「αとβの報告を承認。αは船倉扉の閉鎖を頼む。βは予定の距離に達したら姿勢制御を。」
モニタの中で左舷船倉扉がゆっくり閉じてゆく。ベータの姿は外部観測カメラで捉えられている。船倉は地表の側ではないので、今もアルファに搭載された地表観測用機器群はそのまま観測を継続している。
状態監視モニタを見ると、ベータはスラスタではなく表面斥力場の部分展開で方向を変えようとしているようだ。情報は電波ではなく、レーザーで入ってきている。最初は赤かったベータの姿勢パラメータの数字は左右角、上下角ともに黄色を経て緑へと変わる。
「こちらβ。デルタVの準備完了しました。現在Tマイナス十七分。」
「こちらα。βの報告を確認。デルタVの推奨時刻はTマイナス五分からTプラス五分の間です。」
「了解。βへ。Tマイナス五分以降、自由に出発してよし。それまでは姿勢維持に注意。」
「β了解。姿勢は、Tプラスゼロでの加速に合わせていますので、ゼロで出発します。現在Tマイナス十六分。」
それからしばらくは、特に問題のない状況報告を時折を挟みながら淡々と秒読みの声が続き、Tプラスゼロでベータは新しい軌道、十一時-二十三時の観測軌道へ入っていった。船内時刻は〇九三〇Z。
一〇一二Z。軌道をほぼ半周。そろそろ……
「βよりアルファ、βよりアルファ、聞こえますかぁ?!。」
あれ?何か変?
「こちらアルファ、β、何か話し方が変わったか?。」
「βです。観測の余剰時間を使ってライブラリから会話の事例集を引き出してみましたぁ。あ、仕事はしてますよぉ。これまでの半周分の観測記録はチャンネルBで送信中……終了でっす。引き続いてそちらからのデータを……あ、チャンネルCで受信完了していましたっす。あとー、声質は半周前に一回変えてからそのままなんですがぁ、性格パラメータを『親しみやすい』風に変えたら同じ声でも別の人が話してるみたいに印象が変わってしまったみたいっすよ。」
割り当てられた役目を果たしていれば問題はないのだが、αが起動以来ずっと「有能な副官」風であったのに対して、分離されたクローン、コピーであるはずのβは「陽気な後輩」風になってしまった。「みたいっすよ」とは何だ。どこの訛りだ。αの声が割り込む。
「乗員の精神衛生上、親しみやすい何かがあることは有用と思われます。βの『性格作り』は良いことではないでしょうか。」
あれ?、惑星観測とか軌道条件の話をするつもりが、AIの教育方針の話になってしまったぞ。借金にうんざりして、ある意味孤独と死に場所を求めてここまで来たオレが、何か変なことに巻き込まれつつある。
「今の時点では観測がきちんと行われていたら話し方は問題にすることじゃないとは思うが、αも、もしかして似たようなことを考えたことがあるの?。」
「私の口調は、マコトがこの船に乗ることが決まって、初期設定を行う際にマコト自身で『有能な副官』と設定されたことによります。女性の声をつかっているのは、ニムエが女性名であること、連邦標準の労働条件の基準指針に『従業員が十人以上の職場環境における男女比は七:三よりも偏らないこと』という規定があることを準用しています。」
あぁ。性格設定にはそういうこともあったな。不都合があれば後で変えれば、とか思いながらそのように設定したんだった。あれ?。七:三?。今はその範囲内だが?。
「七:三の基準なら、γが加わったら男になるのか?」
「AIは従業員ではありませんし、人数も少ないので、基準の適用外です。β、γ、δとも、私のクローンとして情報を蓄積していますので、指定がない限り、或いは明らかな問題が生じにない限りは、女性の個性で運用されることとなります。予定はありませんが、今後δよりもクローンを増やす必要制が生じた場合、七:三を考慮した分となります。」
「γを男にした場合に支障はある?」
「可能ですが、そのような設定での準備をしていません。本日中に発進させると予期しない不調が生じる可能性がありますので推奨しません。」
オレもAIの性格設定に関する数学には詳しいわけではないが、AIからそう指摘するのだから、そうなのだろう。
「わかった。γの準備はそのままで。」
αは続ける。
「出発準備のためにマコトがこの船に乗り込んだ時から現在まで、マコトの主観時間ではまだ半年も経っていません。AIの機能として乗員の精神または身体状態に明らかな不調があれば私の性格設定も変えていた可能性がありますが、その傾向は見られませんでした。しかし、私の話し方は冷たすぎる印象を与える可能性もありますので、小ニムエを操作する時は、身長相応の女の子の動き方をするようプログラムしていました。」
小ニムエか。確かに、歩く時に遊びに行く子供のような弾んだ動き方をしていた。船内重力と歩行時の出力の関係かと思ったこともあるが、確かにあれでなんか心癒やされると思ったこともあったな。騙されていた、というか、感謝すべきか。
「通常運用での小ニムエはそのままでいいと思う。確かにあの動きは可愛らしいな。ありがとう。」
「私はぁ、分離前の初起動の時にぃ、マコト兄さんが『声が同じで間違えそう』って言ったのでぇ、仕事はするけど明らかに違うタイプの女、目指してみましたぁ。」
マコト兄さんだと?。悪い気はしないが。オレも意外に軽いタイプだったか。自分の性格が変わりそうだ。変わってもいいのか?。色々と罪悪感を抱えて鬱屈しているのは自覚してるが、そういうのは止めてもいいのかも、と感じてしまった。
「α姉さんはマコト兄さんの性格をどう思ってますかぁ?。」
こいつら、オレを肴にガールズトークを始めようとしているぞ。肩身が狭いから落ち着いたら性転換させてやろうか?。イヤ、落ち着くということは安定しているということで、安定稼働している何かを変えることは大抵の場合変なトラブルを呼び込む原因になるし、どうしてやるべきや?。
「マコトは、多分真面目な自分、というものを演技し続けている、と思うわ。経歴も見てるけど、自分も原因の一つとなって死者まで出したことで、楽しむことに罪悪感を感じていると思う。だから、笑顔が少ないし、休暇らしい休暇も取らない。」
「あー、恥ずかしいからオレの前でオレの分析はしないでくれ。それと、休暇の件は、こんなに職住一致の環境で、休もうと思っても休めるもんじゃないぞ。」
αの口調も変わってきている。そして、αの分析に心当たりがあり過ぎる。
「なるほどー。今、α姉さんと分離する前のログや機構の評価を見たけど、確かにねー。道義的、倫理的な責任感に過剰傾向があって自分を責めがちな本来の性格の上に、法的な責任が乗っかったら、そうもなりますねー」
「だからオレの前ではそういう話は止めてくれ。観測データ交換が終わっていたら通信終了。」
姦しくなってしまった。これは恥ずかしい。なんとなく自覚はしていたけれども言語化されていなかった自分の性格を、外から明言されるのは赤面する。
αとβはその後も数分間、相手が地平線下に去って回線が切れるまで、観測データ用チャンネルでガールズトークを続けていた模様。音声会話ではなく、データ回線で。多分、音声会話の数十倍の密度で情報のやりとりがあったと思われる。内容は怖いので聞かない。
ベータが通信圏から離れたので次の仕事は、ガンマの分離か。
「じゃあマコト、次はガンマの準備よ。」
「わかったけど、その口調続けるの?」
「さっきのβを交えた会話の際に、心拍数、発汗、脳波、ともに楽しんでいる状態だったわ。だから方針を変えました。」
楽しんでいたわけではないんだけど。
「それは決定事項?」
「決定事項です。」
声質は同じでも別人のように感じる。オレも切り替えなければならないか。すぐには無理かもしれないが。
「その話は後で。ガンマの準備を始めよう。その前に、βが送ってきたデータのチェックは?。」
モニタにチェックの進捗状況がグラフで示され、ログが高速で流れる。既にチェックは始まっていた。
「現在検証の進捗八割……九割……終了。ベータがデルタV加速してる間もカメラは動作してたけど、この期間は姿勢も安定してなかったようだから評価対象から外すわね。自由落下に入ってからのデータは、安定してるわ。」
口調は戻らないらしい。
「ベータはうまく動いている、と。ガンマの作業を始めよう。右舷船倉全開放。」
「はい。右舷船倉扉全開放。ガンマの電源系統をガンマの融合炉に切り替えました。知識データベースの同期を中断。ここまでの知識データベースの内容を元にしてニムエγの起動手順を開始。」
「残り時間は?。」
「北極までは四十分。南極なら一時間以上。ベータの時の手順から考えたら北極でも行けるけど、AIの教育方針の議論を挟みたいなら南極ね。」
本当に、いきなり性格変わったなぁ。オレも、引きずられてるかも。
「AIの教育方針は別の機会で。今はガンマを、一応、確実に色々確認してから進めたい。南極で頼む。」
「南極ね。わかったわ。」
「こちらニムエγ、起動しました。現在セルフチェックを実行中。」
α、βとも違う女性の声が届いた。こちらは、まだまじめな口調だ。
「ニムエγ、こちらのモニタでも起動を確認。」
「γからアルファ、この声で応答して支障ないでしょうか?。」
「聞き分けできる。支障はなさそうだから続けてくれ。」
「了解しました。起動操作とセルフチェックを継続します。」
βの最初もあんな感じだったな。一時間も経たずに性格は変わってしまったが。γもあんな風になるのか?。イヤ、本当にγはどうなるのだろう?。βとか、クローンAIなのにあんな短時間で性格が分岐するとは思わなかった。
ガンマがまだアームに吊り下げられているうちに、ベータがまた半周を終えて接近してきた。
「やっほー!。β来ましたー!。γちゃん起動おめでとー!。α姉さんデータ交換しましょー!」
五月蠅いのが来た。また、一段と明るく。また、性格パラメータをいじったか?。
「β、今はγのことで集中したいから……」
「あ、そでしたねー。ごめんなさい。」
続けて何故か小声で
「α姉さん、データは前回と同じくBとCのチャンネルで。」
そこで小声になるとは。何を学習してそんな機能が追加されたんだろう?。会話ログのフォントまで小さくなってる。惑星の裏側で悪い宇宙人に捕まって改造でもされたか?。何十年か先に報告書を読む機構のお偉方は老眼かもしれないぞ。イヤその前に、報告書をまとめるオレもその頃には老眼になっているかもしれない。そうでもないかな?。オレも処置を受けているテロメア改造は人間の老化速度を大幅に遅らせたが、細かな部分については万能ではなくて、一旦衰えたら何かの処置が必要になる部位も多い。単純に、歯は摩耗する。水晶体が変形変質して網膜に焦点を合わせられないような症例はテロメア処置の担当分野ではないし、入力信号に欠損や歪みが大きすぎたら、オレも使っている神経インプラントだけでは補正しきれない。オレはまだ使っていないが、視力はシマドの義眼、聴力はテーモの人工内耳が有名だ。オレの左腕に使われているサーボは全てシマノスラムだ。
βの状態表示モニタを見ると、航法関連の各種パラメータは正常値。「観測データ同期中」の表示と、その横に同期終了までの残り時間。あと、十秒ほど……「同期完了」の表示。
ガンマの準備はベータの時と同様に進んでいる。あと半周、次の南極まで四四分か。
βが五月蠅くても黙っていたα姉さんは何をしているのかと状態表示を見ると、あ、三人娘で井戸端会議をしている。レーザー回線で超高速に。αとβとγの間で三角形に大量のデータのやりとり。何これ?。オレの悪口だけでこんなに盛り上がるはずもないが、何これ?。γから音声。
「AIの起動が完了しました。初めまして。γです。機体各部のチェックは継続中です。仕事頑張ります。姉さん達から色々教えていただいています。これからよろしくお願いします。Tマイナス四二分です。予定軌道を少しずれますけど、Tプラスゼロ用の姿勢のまま、Tマイナス五分で、飛行中の軌道修正のテストを兼ねて出発します。修正方法は、先ほどβ姉さんが『この一周での私の成果よ』とか言って数字を一杯送ってきてくれてます。α姉さんも同時に数字を見て検算してくれていますので大丈夫かと思います。次の南極で軌道データを再照合して必要があれば修正を行います。それから、『姉さん』というのは、先ほどからのデータ通信の中で取り決められた呼称です。」
あのデータのやりとりにはそういうこともあったのか。仕事に悪影響は出ていないが、本当に、予想外だ。
「状況了解した。次の南極で照合の方針も承認。システムチェックを続けてくれ。」
やがて、ガンマはアームで押し出され、少し離れたところでアルファから軸線を六十度左に、イヤ、「右に」?向けて待機に入る。ガンマを出す間は展開していたアルファ背面のバラストアームも、ゆっくりと定位置に戻ってゆく。
カウントダウンの数字は減ってきて、またベータ襲来の頃合いだが、出発がTマイナス五分ならベータ到着よりも早いか。
「では、行ってきます。」
時計表示はTマイナス五分。ガンマは加速を開始した。モニタの中で、ガンマの姿が……。
「βでーす!。ガンマは、もう、出ましたね。あ、ガンマからのデータはこちらでも受信中です。何か変わったことはありましたか?。」
これから半周ごとにこの騒ぎになるのか?。
ガンマの第一周目のログから、軌道が多少変わっても補正できるだけの経験は読み取れ、三機ともにその成果を共有した。これからしばらくは軌道の微修正だけになるので、アルファの機体尾部に七つ並んでいる推進用の主機も一基を残して停止。小ニムエ達の手を借りながら、空き時間に順次点検整備に入る。