4-9 CL(墜落暦)一一三日:領主館の朝
CL(墜落暦)一一三日。ヨール王二三年四月十一日(月)。
領主館内に複数の人が動き始めたら目覚めるよう、昨晩のうちにインプラントにセットしておいたら、丁度〇六〇〇Mに目覚めた。窓は閉まっているが日の出から少し過ぎた頃か。やはり人々の生活は外の明るさのリズムに合わせられている。ベッドから起き上がり、窓を開く。雲が多いが、オレ専用の気象衛星でもあるγによれば今日は雨の心配はないらしい。部屋から出て、昨晩ゴールに教えてもらった一番近いトイレに向かう途中で侍女のジルと出会った。
「おはようございます。」
「おはよう。」
「様子を見に行こうかと思っていたんです。朝食は、お部屋まで運びましょうか?。昨晩ゴール様と一緒に続きをされていましたので、その片付けもしたいですし。」
「じゃあ、そうしてもらおうかな。トイレに行ったら、部屋に戻るよ。」
「では、準備ができたら部屋まで運びます。」
部屋に戻り、今日の予定を考える。朝食後まっすぐマーリン7へ戻れば、遅くとも〇九〇〇M頃には着くだろう。一人でも帰れるが、多分一人にはさせてもらえない。もしかするとその時刻にはもう見物人も集まっているかもしれない。昨日の話題にも出た道具屋か材料屋巡りも、今日やっておくか?。案内が欲しいな。だが情報過多気味なので、ゆっくり考える時間も欲しい。オレはニムエ達と違って思考が遅いからな。マーリン7に戻らねばできない仕事、は、今は、ないな。まだ数日かかるかもしれないが、デルタを分離してバギーを降ろすまでは、オレがマーリン7に必須というわけではない。イヤ、バギーも、オレが自分でやりたいだけで小ニムエに任せることもできるだろう。変な思考に入りかけているぞ。変な思考。あー。マーリン7に戻ろう。変な思考と微量成分云々の話があった。これはマーリン7で血液検査とかをやらねば確認できない。義肢のアタッチメントにそういう機能を付けられないかな。
そんな事を考えているとドアがノックされた。「どうぞ」と声をかけると、ジルとネリが入ってきた。ジルは空のトレイを脇に挟み、ティーポットらしいものを持っている。ネリは二人分の朝食のトレイを持っていて、どうやら彼女はここで朝食を摂るつもりのようだ。以前にゴールが言っていた朝食のしきたり?も気になったが、ここは彼女の自宅でもある。
「朝食をご一緒させていただいても?。」
「ショー殿が構わないなら。」
ジルはティーポットをテーブルに置き、昨晩の皿やカップを空のトレイに載せる。空いた場所にネリが朝食のトレイを置いた。メニューは、昨晩の残りの肉野菜をきれいに盛り直したものと、麦の粥のようなもの。
「ネリ様、お茶はお任せしても?。」
「いいわよ。終わったらここの食器も私が片付けるわ。」
「ではお願いします。」
ジルは片付けたものを持って部屋を出た。ネリがティーポットから二人分のお茶を注ぐ。二人で食事を摂りながら話をする。
「昨晩はベンジーで影を調べることについて話してましたが、私はあの分野が苦手で、失礼しました。」
「いいよ。あれは得意不得意が分かれやすい。酒が入っていたら余計に細かいことも考えにくい。でもショー殿も、土地の面積の測り方とかは、領主の娘なら知っておいた方がいいと思うが。昨日の話もその応用だし。」
「ええ。ネゲイでその分野に一番詳しいのはベンジーのグレン師でしょうね。私も勉強に行かされました。」
ベンジーは宗教施設兼天文台(時鐘付き)兼墓地兼学校兼孤児院兼色々と聞いている。ヤダのような寒村で一部機能が縮小か省略されて、ソルの家のように村長の家がその機能を担う。
「基礎だけならショー殿も知っているだろうから教えて欲しい。例えば、角度の表し方とか。」
「角度は、ええと、書くものがないと説明しにくいです。蠟板はありますか?。」
いい情報は、円の一周を三六〇に分割してあることだった。悪い情報は、それが十二進数で扱われていることだ。また、直角なら「四分の一円」というように、円に対する分数で表示することも多いという。オレが知っている単位系でいえば、ラジアンの半分か。分数のほか、小数も発明されている。これも十二進数なので、ネゲイでいう「一割」は、オレの慣れ親しんだ十進数では八.三パーセントにしかならない。気を付けなければ。
そのほか、朝食の間に度量衡の基礎についてひととおりは教わった。人体のサイズを元にしたヤードポンド法に近い考え方だった。以前ゴールが口にした「ルース」という距離は、三マイル相当。その他、重さの単位や時間の単位など。今後の会話では、αがオレの理解しやすい単位に換算しながら訳してくれるだろうが、「キリのいい数字」というものは変わってしまう。慣れないと、失敗しそうだ。このあたりの扱いは、αとも相談して翻訳の方針を決めよう。彼等の「一クーイ」が、地球でいう一ヤードに近いことはわかった(ネリが左右の掌で『このくらい』と示してくれた)が、正確な長さはわからない。そんなこと、口頭でも説明しにくいだろうし。そのうちに、「正確な定規」というものも入手したい。
朝食のトレイが空になり、ティーポットに残っていたお茶をカップに注ぎ終えたネリが聞いた。
「今日はどうされますか?。昨日話に出た道具屋とかの案内もできますが」。
今日は一旦マーリン7へ戻りたい、道具屋は明日以降にしたいと答えるとネリは残念そうな表情を浮かべた。
「明日の私はお休みなので、町を案内するなら今日がいいと思っていたのですが。」
「休み?。」
「ええ。明日は十二日ですから。」
そういえば、定休日とかについて全く聞いていなかった。ネリを含んで今まで出会った人たちも、当たり前すぎることとして説明をしたいなかったのかも。
「ネゲイでは十二日が休みなのかい?。」
ネリもこの質問でオレが「別の」基準で休む習慣である可能性に気づいたようだ。
「マコト殿のところでは違うのですね。」
「ああ。私が生まれたところでは七日に一度か、七日に二度の休みが普通だった。」
「それは、いつが休みなのか、わかりにくそうですね。ここでは、いや、少なくともカースンでは、普通は毎月六の倍数日が休みです。ここの侍女とか、毎日誰かが動かなければならない仕事の人は、交替でその翌日とか前日に休んだりしますが。」
「七日基準は、計算はしにくいよ。でも教えてくれてありがとう。何も知らずに明日道具屋に行っても閉まっていたということだな。」
「そうですね。明日は普通の店は、蚤の市まで含めて、閉まってると思います。」
おや?。ヒーチャン親方達が街道補修のために出発した、ゴールが初めて俺と会ったのは、前回の休日の四月六日だったはず?。その点を問うと、
「ゴールに休みはないです。父や、ヨーサ様も。地位のある人は皆が休んでいる日だからこそ呼ばれることもありますし、逆に普通の日に何もないこともありますから。ヒーチャン親方は、ゴールが『嫌がってたが急ぎでもあったから無理を承知で頼み込んだ』と言ってました。多分、別の日に改めて休んでるのではないでしょうか。」
そうか。ソルから街道の一部崩落の報告があって、極力急いで対処したらそうなってしまったか。ゴールも、一日ぐらい遅れてもよかっただろうとは思うが「謎のピカピカ」の情報も同時にあれば、為政者としては致し方ないかもしれない。
「ショー殿は、休みの日は何をしてるんだい?。」
「町の中を歩き回ってることが多いです。仕事の日も空き時間があればそうしてますけどね。何か変わったことがないか、ずっと見てます。でも昨晩の影の向きの話とかで、学問をやり直さなきゃ、とかも思い始めたところです。」
「町の中を見るのも、学問をするのも、どちらもいいことだと思うよ。グレン殿のやり方は知らないが、私も影の向きの話ぐらいはできると思う。」
幾何学に関して、エンリも、基礎はネリよりも遅れているだろうが教えればなんとかなりそうに思える。ルーナは、ちょっと自信ないな。
さて、一旦はマーリン7に帰ろうとしたがどうしよう?。最低限度は蠟板の材料だ。やはり、ハパーの道具屋に行って、品揃えからこのあたりの技術水準を推測するのと蠟板材料の入手。足りなさそうならブングの材料屋か細工師のハイカクか、或いはハパーが推薦する別の誰かのところへ行って、多分午前中には回れるだろう。マーリン7への帰還は午後にしよう。
「ショー殿。明日はネゲイでもあまり店回りはできないらしいから、今日の午前中にハパーの道具屋か、ショー殿が勧めるなら似たような別の店に行ってみたい。そこでの話の流れ次第で別の店に行ったりもするかもしれないが、午後には船に戻ろうと思う。」
「わかりました。予定をゴールやヨーサ様に伝えます。多分ハパーの店も二の鐘で開くでしょうから、私がそれにあわせてマコト殿を案内します。」
ネリはそう答え、空になった食器類をまとめて運んでいった。まだ〇七〇〇Mになっていないが、二の鐘までおそらく二時間近ほど?。ネリと出発するまででも一時間半はあるだろう。何をしようか?。
荷物類の片付けと確認をして廊下に出た。嵩張る背嚢はまた「虫」に留守番させている。服の袖の中にも「虫」を一匹。建物の構造は大体、頭に入っている。領主一家の私的エリアには近づかず、正面玄関から外に出る。庭を一周してみよう。「虫」だけではわかっていなかった何かを見つけるかもしれない。外壁を兼ねた役人長屋でも人の出入りがある。黙礼に黙礼で返す。
朝の体操というわけでもないだろうが、数人の男が剣の型稽古をしていた。ゴールも混ざっている。
「マコト殿。おはよう。」
「おはよう。ゴール殿。」
「マコト殿は剣を使われるのか?。」
「いや。私のところではそういう習慣はない。」
「習慣はなくとも、剣を握ったことくらいはあるのでは?。」
何かの流れで刺客が来たとしても、「虫」とαとインプラントがあれば寝首を搔かれる心配は小さいし、M一九一一レプリカの装弾数は七+一だ。しかしそれは今明かすべきことでもない。
剣の経験は、まあ、なくもない。まだ学生の頃、教科にもあったし。試合用の刃引きしたもの、正確には、研がれたことすらないもので、ゴール達がやっているのとはまた違った型稽古だが。
「握ったことくらいはあるし、多少の練習もしたことはあるが、あなた達のように毎日やっているわけじゃあない。今持っているのもこれだ。」
腰の山刀を示す。刀身二十センチ。ゴール達が使っている片手用幅広剣の半分以下だ。肉厚な分で重量も多少は補填されるだろうが、用途も、振り回し方も全然違う。だがしかし、映画や本で見たこういう場面での流れが頭に浮かぶ。α、大至急ライブラリから殺陣の動きを探してくれ!。
ゴールが予想通りの言葉を口にした。
「ちょっとやってみればどうだ?。マコト殿は我々のことを知りたいと考えてるんだろう?。まず、構えと動きをを見せてもらって、そのあとで誰か若いのと試合をしてみたら面白そうだ。」
親善のためには乗っておこうか。α、ライブラリの検索はどうだ?。
「あなた方の剣と私の山刀では長さも使い方も全然違うが、互いに怪我をしないような道具を貸してもらえるなら、やってみよう。」
ゴールは練習用の剣と防具を取りに行くよう、一緒にいた男の一人に命じた。型稽古は本当に型だけなので、皆自分の普段使いの真剣を使っていたのだ。剣を取りに行くよう命じられた男は、すぐ近くの役人長屋に入り、すぐに二人分の防具と剣帯付きの幅広剣を持って帰ってきた。倉庫部屋もあるのか。考えてみれば当たり前だが、変な感心の仕方をする。防具は、巨大ムカデの外皮か何かを人の形につなぎ合わせたもののようだ。
ゴールは剣を受け取り、一本を鞘から抜いて刃引きされていることを確認して鞘に戻した。
「これを使って、まず、構えと動きを見せてもらおう。」
『ゴール達の練習は見てるから、動きはトレスできるわ。』
『同じ動きができるのも変な話だから、最初だけは同じ、そこから別の動き方で、オレの筋肉がついて行ける範囲で二十秒ほど、振り回させてくれ。』
オレ自分の作業ベルトを外して邪魔にならないところにおき、手伝ってもらいながら防具を身につける。上下一体型で、両腕を通してから背中の紐を前に回して臍のあたりで結ぶ。身体を動かすのに支障がない程度の固定具合になっていることを確かめてから剣帯を自分の腰に巻き直す。受け取った剣は直剣で、素早い抜刀には向いてなかった。ので、左手で鞘を押さえながら、ゆっくりと右手で剣を抜く。ここから身体の動きはαに任せよう。インプラントに操られた右手が角度を変えながら数回剣を振り、質量中心を確かめる。そこから最初はゴール達の型と同じ構え、両足はやや幅広で右半身を前に出し、刀身は四五度程の角度。振り上げて左から袈裟懸け、戻して右から袈裟懸け、ここまではゴール達と同じ動き。そこからはαがライブラリで見つけた動きに変わる。右から袈裟懸けの動きのまま身体を左に捻り、左の掌底で柄頭を押した突き、戻して左から右への水平な薙ぎ。そのままの勢いで右下から左上まで振り上げ。戻して、また左手を添えての突き。
おそらく、実戦用ではなく映画や舞台で見せるための動きだろうとは思う。自分でも、これまで何度か見たゴール達の動きよりも派手で隙が多いなとは感じるが、そのまま二十秒、「演武」を続けた。
「見たことのない動き方もあったな。これは、相手を選ぶのがむつかしい。」
ゴールは考え込んでいる。剣を抜くまでは素人。構えてからは練習を積んだ動き。練習の成果のようには見えてはいても隙もある。練習はライブラリに収められている俳優たちの成果の無断借用だが、当然ゴールにはそんなことはわからない。ゴールが悩んでいる間に、息を整えておこう。
「若いのと試合、と言ってみたが、一番若いのではちょっと頼りない。もう少し強いヤツ、セルー、お前マコト殿と打ち合ってみろ。」
指名されたセルーは、ここの顔ぶれでは中堅クラスのようだ。オレはもう数回深呼吸してからセルーに向き合う。互いに黙礼。
『どうする?。』
『二十秒互角で。その時点でオレの筋肉がまだ頑張れるならこっちの勝ちで。筋肉がダメなら、明日には直る程度の打撲でオレの負けに。』
審判役のゴールが合図を出した。
「始め!」
オレの身体はダッシュで前進。左掌底を添えた突きの構えを一瞬見せてから右手首を返し、左からの薙ぎに入る。セルーは突きを払おうと予想コースを遮るように剣を水平のまま下から上に振り上げるが、右脇が空いている。そこにオレの左からの薙ぎが当たった。インパクトでは力を抜いたが、セルーは驚きの表情を浮かべる。剣は、セルーの脇腹の防具を滑って守りのない脇の下に当たっていた。オレの身体は左から右に捻る勢いが付いたままで、左手でセルーの左肩を掴むと踏みとどまって勢いを殺し、下へ引き倒す。先ほど右脇への打撃で力が抜けているセルーの身体は簡単に崩れ、今度は左に身体を捻ったオレの剣が上からセルーを突き通す、直前でオレは止まった。あれ?。思っていたのと違う?。
「そこまで!」
オレが止まってから一拍おいて、ゴールが言った。あれ?。思っていたのと違う?。
『マコト、やりすぎちゃった。ごめんなさい。型稽古で一番いい動きをしてた人だったから、あのくらいなら対応できると思っちゃったのよ。』
『これで剣術師範とか言われたら困るぞ。』
「セルー、油断したな。立て。」
ゴールがセルーに手を伸ばす。セルーはその手を掴もうとして、右手を伸ばしかけ、右脇が痛むのか、左手を出し直してゴールの手を掴んで立ち上がった。
「マコト殿。お強いですねえ。イヤ、痛い。一~二日は、響きそうです。明日が休み、痛、でよかった。」
「セルー殿。運がよかっただけだ。或いは、素人の理屈に合わない動きだからこそ本職が惑わされたか。私も、強そうな相手が来たから、攻める順番を変えてみようと思って、それがうまくいっただけのことで、『試合』という場でなかったら、私も緊張でこんな動きはできなかったかもしれない。」
「運でも、見事にやられてしまいました。痛。『握ったことはある』程度の方とは思えない。どんな握り方をしておられたの、痛、ですか?。」
「上手な人の動きを思い出しながらやっただけだよ。あと、試合の前に型の動きをやってみて、身体が温まっていたのもあるだろう。セルー殿は私が型を見せているときに身体を休めていたから、冷えて動きが鈍ったんだろう。」
ゴールも会話に加わる。
「『素人の理屈に合わない動き』じゃあないな。『素人の理屈に合わない動き』に見せかけた別のものだ。マコト殿。『自分のことを知ってもらいたい』とも言ってたな。儂を含めて、剣術指南をお願いできないか?。今日はこれから町で商談だと聞いてるから、今日でなくともいいし、短い期間だけでもいい。」
「ゴール殿。過大評価だ。素人の一振りが運良く当たっただけだ。」
「あれは素人の運じゃない。多分、左に盾を持たない場合の、色々練り込まれた経験者の動きだ。実戦で左に盾を持つ場合が多いネゲイあたりの剣術では見られない動きだから、セルーも簡単にやられてしまった。是非、あの動き、或いは他の動きも教えてもらいたい。」
渋ったが、結局、不定期で稽古に加わることを了承させられてしまった。互いに、教えあうということで報酬はナシ。親睦を深めるという意味では、まあそれでもいいか。マーリン7に帰ったら、ライブラリで殺陣の映像を見なければ。




