4-8 CL(墜落暦)一一二日(5):領主館の夜
一七三〇M頃、領主館に戻って最初に話をした部屋に通されると夕食の準備が整っていた。料理を盛った幾つかの大皿(これは木製のようだった)と、各席の前に何も乗っていない小皿とナイフにフォーク。テーブルの奥の明らかに「主人の席」と思われる席の左前の席に案内される。「主人の席」にはヨーサが座るのかと思っていたら「今日はネリが言い出したんだからあなたがここよ。」と、ヨーサはネリに「主人の席」を譲り、自分はオレの正面に座った。オレの左隣にゴール。昼の挨拶の時には顔を見なかった三十代ほどの女性がオレに歩み寄り、
「ネリ・ショーの母、ドーラ・ショーです。今日は朝から出かけており、昼にご挨拶できませんで失礼しました。」
一旦座っていた俺も立ち上がる。
「マコト・ナガキ・ヤムーグです。今日は私が急にここへ来ることを決めたんですから、こちらこそ忙しい中失礼しております。」
と、返す。彼女も幹部用の執務室を持つ一人だ。ネリの母だったのか。ドーラは挨拶を終えるとゴールの正面、ヨーサの横に座った。
一同着席したところで、給仕に立っていた侍女の一人が小樽から各人のカップに液体を注いで回った。多分、ワインか何かだろう。酒杯が満たされると、「主人の席」に慣れないのだろう、やや緊張気味の表情をしたネリが立ち上がり、酒杯を掲げる。
「今日は遠来の客人であるマコト・ナガキ・ヤムーグ殿を迎えた夕食です。我々と、マコト・ナガキ・ヤムーグ殿の友好のために。」
宣言すると酒杯を口に付けた。一同「友好のために」と唱和するのにオレも合わせて酒杯から一口飲む。やはりワインだ。そして、多分次にしゃべるのはオレの番だ。立ち上がる。
「皆さん歓迎いただいてお礼申し上げる。マコト・ナガキ・ヤムーグだ。皆さんから色々学び、皆さんにも私のことを知っていただきたいと思っている。今日は、皆さんの食べ物のことを学ぼう。」
オレの軽口に場が少し緩んだところで座り直した。隣のゴールに聞く。
「本当に、こういう場で何から食べ始めればいいのか、失礼にならない順番がどうなのか、知らないんだ。何から食べ始めればいいんだろう?。」
「一人で全部食べてしまうような馬鹿なことをしなければ、順番などはないさ。」
ネリが会話に加わる。
「今日は私が『主人』なので、私のお勧めから食べていただきましょうか。ゾーラ、マコト殿に、さっき話したように。」
ゾーラと呼ばれた侍女は、ワインの小樽を置き、俺の前にあった小皿を手に取ると、大皿に刺してあったナイフとフォークで、肉の塊から数枚の肉を削ぎ落とし、数種の野菜と一緒に小皿に載せてから俺の前に皿を戻した。
「この塩もお好みでどうぞ。」
と、岩塩の小皿を指さす。
「ありがとう。」
ゾーラに礼を言い、少しだけ塩を付けた肉をフォークで一枚口に運ぶ。
主賓が一口食べるのを待っていたのか、オレが肉を食べ始めたところで皆それぞれ自分の前の大皿から料理を取り始めた。オレは最初の一皿を食べながら、二皿目を自分で取るときに失礼がないよう、各人のとりわけの動作を注視する。ヤダ村の「春の祭礼」よりもやや公式に近い席で、作法がわからないのは不安だが、多分αが「虫」とインプラントを経由したオレの視覚情報でそれなりの「作法」は解析してくれるだろう。二回目からは、大丈夫だと思う。
「あなた『主人の席』に座るなら自分でマコト殿に料理を取り分けなさいよ」ネリはドーラから叱言を受けている。ゴールとヨーサは「次はこの実と一緒に食べるとおいしいわよ」などと交互にオレに料理を勧める。今朝届いた野菜の中には見たことのないものも混ざっていたが、今は調理されて皿に載せられている。こうやって食べるのか。やがて話題は蠟板に移り、ヨーサは今日オレが見せた方位磁針の話もする。オレの方位磁針をまだ見ていなかったゴールとドーラが見たがり、オレは方位磁針を取り出して披露する。ゾーラとジルが、空になった酒杯にワインを足す。
食事会が始まった時はまだ明るかったが、やがて時鐘が聞こえた。夜明けを一として数え始めて日没の鐘、五の鐘だ。程なく薄暗くなって、燭台が持ち込まれる。料理はまだ残っているが、ネリが立ち上がった。
「楽しい時を過ごしましたが、これでこの場は終わります。引き続き。マコト・ナガキ・ヤムーグ殿との友好が続きますように。」
一同は立ち上がって酒杯を手に取り、「友好が続きますように」と唱和して酒杯を空ける。オレも一拍遅れて続く。
ゴールがオレに寄ってきて言った。
「マコト殿。部屋は用意させてあるから案内する。だいぶ腹も膨れたが、軽い物でもつまみながら続きをやろう。」
次いでテーブルの片付けをやっていたジルに言う。
「ジル、そこが落ち着いたら、さっき頼んだヤツを客室に。」
ゴールの案内で客室に移動した。廊下での明かりはゴールが手に持つ燭台だけ。正直なところ、暗くて歩きにくい。室内は暖炉の火で暖められていて寒くはなかった。窓は閉じられている。ベッドとテーブルと椅子。調度品を見る限りは二人部屋のようだ。手に持っていた背嚢をベッド脇に降ろし、椅子に座る。
「ゴール殿。今日は突然の訪問にこれほど対応していただいて感謝している。」
「イヤ、儂もゆっくり話をしたいとは思っていたから、急な話ではあったが時間は作った。」
「しかし酒も入ってる。あまり細かい話はできないぞ。」
「それならそれで、『仲良く飲めた』という話ができるだけの時間が過ごせればいい。儂も、昼間は『あの話やこの話』とか考えてはいたが、酒が入ってからは細かい考えはできないと思っていたところだ。」
ノックがあり、ゴールが「入れ」と言う。ジルが「軽い物」を載せた大皿を運んできた。フォークやナイフを使わずに済むように一口大に切られた肉や果物、塩を振った炒り豆などだ。もう一人、ネリも杯と酒の小樽を持って入ってくる。
「ゴール、私も入れてくださいよお。」
あ、こいつ酔ってる。どうしよう。ゴールはそんなネリを見て笑いながら言う。
「ジル、君らの食事が終わったら、ネリを連れに来てくれ。それ以上は、領主ご令嬢として、ちょっとまずいからな。」
ゴールも少し酔っているようだが、まだ常識的な判断はできている。ジルは承知しましたと答え、酒宴第二部が始まった。
話題がオレが昼間に訪れたベンジーのことになった。蠟板に塔と太陽の角度、影の落ちる位置などを描く。ネリは「そんなのわからないですぅ。」と降参モード。ゴールは「このあたりの蠟は固くてな、ハイカクも配合を困ってる。」と、数学的な気分ではないらしい。一時間と経たず、ジルがネリを回収しに来た。ゴールもそろそろと思ったか「では儂も」と立ち上がりかけ、「あ、風呂だ。マコト殿、後で風呂に案内する。」と言って出ていった。
風呂か。確かここでもヤダと同じような共同の蒸し風呂があったから、そこへ連れて行かれるのだろう。背嚢から最小限の着替えなどを入れた袋を取り出し、「虫」もそこへ移す。背嚢本体は、おそらくこの町では一財産になるだろう品々がまだ入っている。どうするか?。窓を開き、「虫」を一匹呼び寄せて背嚢に入れた。これで不届き者が現れたら即時にわかるはず。準備を終えた丁度その頃、ゴールが自分の着替えなどを抱えて俺の待つ部屋にやってきた。
ゴールに案内されて蠟燭一本の明かりを頼りに脱衣場へ到着。自分たちの蠟燭は消し、部屋の共用の蠟燭の明かりで服を脱ぎ、ドア(熱気を逃がさないようエアロックと同じように二重扉になっている)を開いて蒸し風呂に入った。ここも、蠟燭一本。インプラントが目測された部屋の大きさを表示する。大体二.七メートル×三.六メートル程。蒸気の効率と、大人数が順番に使うことから考えられた広さなのだろう。日系の文化で暮らしたことのあるオレの感覚で「六畳」という単語が思い浮かぶ。
先客もいた。暗くてよくわからないが、オレ達が入ってくると立ち上がり、部屋の隅に置かれた水槽から柄杓で水、ぬるま湯か?、を汲んで身体にかけて汗を流し落とし、「お先に」と言って出ていった。あれは、ドーラの声か。男女共用であったことを思い出したが、ここはそういう文化なのだろう。暗くて何もわからないに等しいが。
ゴールと二人だけになったが、ゴールもしゃべらない。インプラントが視界に重ねて「虫」との通信状態を表示している。数字がが悪くならないよう気を付けながら座る場所を決める。暗いので誰が聞いているかわからない、というあたりから、浴室内では世間話などしないのが普通なのかもしれない。身体はだんだんと暖まってゆき、汗が出始める。
「体を洗うのはこっちだ。」
ゴールが案内してくれた。さっきドーラが使っていた柄杓で頭から水を被る。水桶の傍にあった小箱から、灰か?、灰を一掴み取り出して頭に付けた。そこから頭をマッサージしながら灰を顔や肩、に擦り込むようにして塗り広げてゆく。オレも同じように水を被って灰で頭を洗ってみた。水槽に入っていたのはぬるま湯だった。
ゴールは足指まで灰を擦り込み終えるとまた柄杓で自分にぬるま湯をかける。一回では全部洗い落とせないので数回その動作を繰り返した。ゴールは自分の灰を洗い落とすと柄杓をオレに差し出し、またさっき座っていた場所に戻る。オレもゴールと同じように灰を洗い落としてゴールの隣に戻った。
また少し汗が出始めた頃、ゴールは「そろそろ出よう」と言って立ち上がり、また水槽の方へ歩いて行くのでオレも立ち上がる。その時ドアが開いて、誰かが入ってきた。暗かったが、蠟燭の光が顔に当たっていたのでわかった。ネリだ。ネリは先客が誰か気にする様子もなく、恥ずかしがりもせず、さっきまでオレとゴールが座っていた椅子の方へ裸のまま歩いて行く。ネリからは、オレ達の顔は逆光で見えにくかったのかもしれない。そのまま何事もなく、オレ達は汗を流し落とし、脱衣場へ戻った。
オレに割り当てられた部屋までゴールに送り届けられ、一人になった。燭台の明かり一つ。そこで思い出してインプラントの視覚を増光に切り替える。だが燭台が視界に入るとホワイトアウトしてしまい、何も見えない。それに増光モードは血流が増えるいたほうがのか長く続けると眼が痛くなる。仕方なく動き回ることは諦め、ベッドに入り、蠟燭を消す。二〇四五M。もうすぐ時鐘か。眠くなるまで、αと今日の情報の整理をしておこう。それから、マーリン7内の温度調整も頼んでおく。屋外で周囲と違和感のない服装で動き回ろうと思ったら、ある程度は船内気温を外気温に近い状態にして、身体を慣らしておいたほうがいい。。
池では、測深が完了したとのこと。ヨーサの注文による蠟板二四組も揃った。また、昨日の雨で濁っていた水はだいぶ落ち着き、明日あたりからデルタの分離に使う水の蒸留が始められそうだと報告を受けた。今日も色々あった。長かった。




