4-7 CL(墜落暦)一一二日(4):ベンジー
ヨーサと、侍女のジル、オレの三人は連れだって領主館を出る。「ベンジー」は町外れにあった。地名なのか施設の名前なのかはわからないので聞いてみる。返ってきた答えは、宗教施設兼天文台(時鐘付き)兼墓地兼学校兼孤児院兼色々という感じのもの。運営は喜捨と領主館からの補助金であるとのこと。あちこちで翻訳がうまくいかずに何度も聞き直したし、「宗教」の概念もオレが知るものとはニュアンスが異なるような気がする。ヤダでは村落内で使われる語彙のほとんどを吸収してから人々との会話を始めたが、ネゲイでの会話にはかなり不足している部分もあって、特に今日はそういう単語が多い。翻訳があるとはいえ、夜寝る前にでも、αからひととおり復習させてもらわねば。微妙なニュアンスの違いは意識しておかないと、思わぬ誤解につながりかねない。
領主館から徒歩で片道十五分ほど。モルのデージョー神殿のミニチュアのような伽藍と塔の組み合わせ。伽藍を含む本館のほかに居住用か倉庫らしい数棟の建物。数メートルの間隔で立てられた木杭をロープで結んだだけの簡素な柵で、敷地を囲んでいる。敷地内の一部は畑になっていて、数名の子供達が何かの植え付けをしているのが見えた。あれが孤児達だろうか。
オレは方位磁針を取り出して本館と塔の位置を確認した。塔は伽藍の北端。ここからはよく見えないが、北にはそれなりの平地があるに違いない。ヨーサがオレの方位磁針を見て言った。
「それは何かしら?。綺麗なものね。もしかして道具屋のハパーに売った『方位磁針』というもの?。見せて下さる?。」
「お察しの通り、方位磁針です。どんなに回しても、同じ方向を指し示し続けます。初めての土地では便利ですよ。」
ヨーサは方位磁針を手に取り、傾けたり回したりして針の動きを観察している。
「そうね。ネゲイからほとんど出ない私は北がどっちかはすぐにわかるけど、ああ、この辺じゃあヤダ川が東向きに流れてるでしょ。でもモルのあたりのヤダ川は南向きなのよ。だから、こっちに来たばかりの頃はよく方向を間違えたわ。川下が南って、思い込んじゃうのよね。」
最後にヨーサは「きれいなものね」と呟き、ガラスの表面を指で撫でてからオレに方位磁針を返した。
柵の切れ目からベンジーの敷地に入ったところで建物の玄関から若い男が出てきた。
「奥様。よくいらっしゃいました。今日はどのようなご用で?。」
「ヨース、この方はマコト・ナガキ・ヤムーグ殿。ネゲイの客人で、ここの見学をしたいとおっしゃるからお連れしたわ。グレンはいるかしら?。」
ヨースは「三つの名前」のオレに少し緊張の色を見せながらヨーサの質問に答えた。
「師匠はネゲイに出ています。道具屋のハパー様が何か珍しいものを仕入れたそうで、それを見せてもらうとか。もうそろそろ帰ってくるかとは思いますが、簡単な説明だけなら私がいたしましょう。」
ハパーが仕入れた珍しいもの、には心当たりがある。見学させてもらうついでに彼にも方位磁針を見せてやろう。
「ヨース殿。マコト・ナガキ・ヤムーグだ。長ければ『マコト』でいい。今日はヨーサ様のご厚意に甘えてここに連れてきてもらった。ここのことを色々教えてもらえると嬉しい。」
「マコト様。このベンジーを預かるグレンの弟子、見習いのヨースと申します。私のことは呼び捨てで結構です。全部は無理ですが、このベンジーの簡単な説明とご案内をさせていただきましょう。」
建物に入ると、どうみても礼拝堂にしか見えない空間になっていた。正面は祭壇。広間の中は祭壇の方を向いたベンチが並んでいる。祭壇中央奥には垂れ幕が下げてあって、中央に正五角形。やはり五角形には宗教的な意味がある。幾本もの柱で区切られた左右の壁は真っ白な区画と絵が描かれ区画。多分、何かの伝説に基づいた宗教画だろうと思う。これも由来を聞きたいが、今の第一優先は時鐘だ。
「まず何からお話しさせていただきましょうか?。」
「ここでは毎日決まった時刻に鐘を鳴らしていると聞いている。鐘を鳴らす時刻をどうやって決めているのか、まずそこから教えていただきたい。」
オレの注文が予想と違っていたのか、得意分野ではなかったのか、少し戸惑ったような表情を浮かべたヨースは、しかし説明の順序は決めたらしく、
「それならこちらへどうぞ。」
と、先導して歩き出した。
建物奥の祭壇脇にあった扉を抜け、塔の基部に至る。扉を抜けると何かの燃える匂いがした。悪臭ではない。香油でも混ぜているのだろうか。ヨースが言う。
「上から下がっているロープで鐘を鳴らしています。今はその時刻じゃないので鳴らしませんが、次に鳴らすのは日没です。天気が悪くて日没がわからない時は、あの火縄が結び目まで燃えたら鐘を鳴らしています。」
ヨースが指さした先には三本の火縄がぶら下がっていて、それぞれ下端が燻っている。「結び目」まで燃える頃に日没となるということか。三本あるのは平均で見るとか、そういうことだろう。念のために聞いておく。
「火縄は三本もあるが、二本目まで結び目に来たら、ということかな?。」
「そのとおりです。鐘を鳴らし終わったら、火縄は新しいものものに取り替えます。」
ヨースが傍らの箱を開く。幾通りかの長さで三本ずつの組になった火縄が納められていた。
「今の火縄が終わったら、次は六の鐘までの火縄ですからこれですね。」
ヨースは、新しい三本組の火縄を示した。壁に未使用の火縄をかけておく釘が並んでおり、日付と、その日の何番目の火縄であるかが記された木札が貼ってある。日の出と日没の間の時間を等分してゆくので、春分を過ぎた今は昼用の火縄の方が少しだけ長い。
「ありがとう。だいたいわかった。でも火縄以外の測り方もあるんだろう?。」
「次はそれをお話ししようと思っていたんです。付いてきていただけますか?。ええと、ちょっと狭いのでマコト様だけかな?。」
ヨースは壁にあった梯子を登り始める。塔の上部を目指すのだと思う。ヨーサと侍女のジルは「行ってらっしゃい」な表情を浮かべているだけだ。以前にも登ったことがあるのかもしれない。オレはヨースの後に続いて登り、十メートルほど上に設けられた足場に到着した。鐘と同じ高さだ。ヨースが説明する。
「マコト様、この塔の影が今この方向ですよね。鐘を鳴らす時刻は、今の影の向きから少し左、あの柱が立っている方向に塔の影が重なったときにお昼の鐘を鳴らします。」
予想が当たって何か嬉しくなってしまう。建物北の平原には幾本もの石柱が建てられていて、柱のない部分はもっと背の低い石を使った墓地になっていた。石柱は冬至や夏至など暦を決める上で重要な日付の位置にあるという。オレは方位磁針を出してヨースが「昼の鐘」と言った柱の方向を確認した。ほぼ、真北だ。他にも幾つか石柱が建てられている。ヨースは方位磁針を見て
「それはもしかして『北の針』ですか?。初めて見ました。」
この反応も予想のとおりだ。
「ああ。ハパーにも一個譲ったが、『北の針』だ。」
「師匠が見に行ったのはそれですか。面白いものですね。」
「初めての場所をあちこち動き回るときは、あった方がいいものだと思うよ。ヨースはこういうものに興味はあるかい?。」
「私はモルの生まれで、五年前にヨーサ様がこのベンジーを建て直したのを機会にネゲイに移ってきました。最初は方向がわからなくて戸惑いましたから、その頃に持っていたら便利だったと思います。今すぐ私がこれを使えるか、と聞かれたら使うことはなさそうですけど、これからベンジーを作るとかであれば使えそうですね。師匠はそういうことについて考えるのが大好きな人です。複雑な計算をして、火縄の結び目の位置とか細かく私たちに指示してきますよ。やり方は私も知っているはずなんですけど、すぐに計算を間違えます。」
「そうか、君の師匠のグレン殿とも、こういう話はしてみたいものだな。」
「機会があれば。でも師匠はこういう話が止まらなくなる人ですので、お気を付け下さい。」
「そうか。そういう人は、時々いるな。私も同類かもしれない。気を付けよう。」
ここの数学は十二進法だ。三角関数がどういう角度単位で構築されているかはまだ知らない。αなら、基礎だけ教えられれば換算しながら話ができるだろう。オレとグレン師が数学論議を交わす機会があるとして、途中でオレがついて行けなくなっても、αならオレの口を勝手に使ってグレンから数学知識のレベルを引き出せる質問ができると思う。
正午以外を示す石の意味を幾つか教えてもらって塔を降りた。このベンジーを建て直した際に影が辿る経路も変わっており、「今までは○○の墓に麦蒔きの日の日の出の影が当たっていたのに、建て直しで◇◇の墓に変わってしまったから抗議を受けた」など、多少のトラブルはあったとか。
礼拝堂に戻って壁画の説明も聞いた。ヨーサが引き合いに出していた「エンティ王妃」にまつわるものもあった。エンティ王妃は、他国からカースンに嫁いできてから王を唆して悪政を敷き、最後は不満を募らせた民衆に追われて逃亡したという。このことについてヨーサが言う。
「私は子供の頃から『いつかどこかの領地に嫁ぐのだからエンティ王妃が失敗した理由はよく考えておけ』と言われ続けて育ってきました。だから、自戒の意味も込めてここの壁画の一つにエンティ王妃の断罪を入れたのよ。」
一部には創作も混ざっているかもしれないが、「エンティ王妃」の逸話は、支配者と民衆の間で不幸な事件が起きないようにするために双方が知っておくべき説話として広がっているのかもしれない。
ヨースの話は続いていたが、そろそろ領主館に戻ろうかという頃、このベンジーの主であるグレンが帰ってきた。年齢はおそらく六十前後。オレがここで出会った最も年長の人物かもしれない。
「ヨーサ様、来ていただいておりましたのに不在で失礼しました。こちらの方は?。」
「グレン、こちらはマコト・ナガキ・ヤムーグ殿。ネゲイの客人です。」
グレンは驚いた顔で言った。
「あなたがそうでしたか。道具屋のハパーのところで『北の針』を見せてもらってきました。あれがあれば、このベンジーを建て直すのももう少し早くなっていたやも、と思いました。面白い道具をお持ちですなぁ。」
「さっきヨースにも同じことを言われたよ。ヨースにはここの説明を色々してもらったところだ。」
「そうでしたか。そうすると、ヨースも見たのか?。」
「ええ。先ほど。塔の上で見せていただきました。振ってみても『昼の柱』をちゃんと向いていました。興味深いものでした。」
「そうだろうな。マコト殿。もっと話もしたいのだが、もしかしてもうそろそろ帰らねばならない頃かな?。」
「グレン殿。ヨースとも話をしたんだが、あなたとはもっと時間をかけて話をしたいと思ってる。今日はもうそういう時刻だが、また別の機会に、日を改めて、『北の針』や『昼の柱』について、お話を伺いたいのだがどうだろうか?。」
「『昼の柱』の話は、長くなりますよ。」
グレンはオレの関心がどこにあるか悟って嬉しそうだ。
「それは覚悟しているし、楽しみでもある。私は、私があなた方から学べることを学ぶのが大好きなんだ。」
「『昼の柱』の話であれば、マコト殿も、商売ではなく形の計算の方法を知っておられるのか?。」
「ある程度は。知らないことがあれば、学びたい。逆に、あなた方の知らないことがあれば、教えることもできるだろう。」
「それは楽しみです。いつにしましょうか?。」
予定を考えようとするとαから助け船が来た。
『今日が十日。十五日に指輪を受け取りにまたネゲイまで来るから、その時では?。』
「グレン殿。私の都合で悪いが、十五日にまたネゲイまで来る用がある。その日はどうだろう?。朝か昼かは、あなたの都合に合わせる。」
グレンは少し言いよどむ。
「十五日は、私も予定がありまして、その次、十六日ではどうでしょう?。そうでうすね、三の鐘の頃で。」
「ではそうしよう。十六日の三の鐘の頃。」
「ここでお待ちしましょう。楽しみです。」
「私も楽しみだ。では、十六日に。」
再会を約束してベンジーを出た。「三の鐘」は一二〇〇M相当だ。




