4-3 CL(墜落暦)一一一日(2):ネリ・ショー
十五分ほどして、二人は帰ってきた。歩きやすい道なら池を一周するのに十分もかからないだろうが、湿地帯で草も多い。マーリン7の場所からなら、途中にヤダ川もあるので一周はむつかしいだろう。ブングは下流も見たいと言ってそのまま歩き続ける。一方でネリはマーリン7の下で雨宿りすることにしたようだ。ならば、さっき思った情報収集をやるか。
「ショー殿。座ろう。今朝は早くから出てきていたけど、朝食は済ませてるのかい?。」
「いえ。まだです。今朝は夜が明けてすぐ、ゴールのところへ『ここに人が集まり始めてる』って報告が届いて、ゴールが自分で私の部屋まで来て『お前行ってこい!』って叩き起こされたんです。」
「それは大変だったね。でも一人?。そういうのは、最低二~三人は一緒にしそうな気もするけど。」
「それは私が領主の娘だから、でしょうね。昨日来てた他の何人かは、町の中のあちこちに住んでてすぐには呼べないんです。」
「領主の娘」。意外な告白だ。
「え?。そうなの?。それは失礼した。でも、そうすると、ゴール殿があなたの部屋まで来て叩き起こした、っていうのがわからないな。ゴール殿は領主様の信頼があっても、その娘を叩き起こすって、私が今までいた場所じゃちょっと考えにくい。ヨーサ様だっけ?、領主様の奥方も娘にそんなことされて怒らないのかな?。」
「私の父は領主様だけど、母はヨーサ様ではありません。私の母は父の『コビン』なんです。」
「『コビン』って?。」
「二人目とか三人目の妻っていう意味です。母が父のところに来た順序はヨーサ様よりも早かったんですが、ヨーサ様が一番の妻、私の母は二番です。」
「三人目の妻とか、君以外にも子供はいるの?。」
「三人目はいません。父とヨーサ様の間には九歳の男の子がいますから、私が婿取りして領主家を継ぐこともないでしょう。」
色々と人間関係とかお家騒動のネタ話もあるもんだ。
「私の母はカースンの五位役人の家の生まれで、領主であるバース・ネゲイの『コビン』で、私は領主様の長女。『ショー』は母が生まれた家の名前です。」
「なるほど。領主の娘だってことを皆が知ってるから、ショー殿一人でもなんとかできるだろうって、それで一人だったんだな。」
「そうだと思います。」
「五位役人というのは?。」
「一位は王様で、五位は一番下です。五位の中も細かく別れてますけど。」
役人の階級か。さもありなん。
「あ、話を戻して、朝食は?。私もまだだから、よければこのテーブルに二人分用意するけど。」
「そうですね。折角ですから、ご一緒させていただきます。」
待ち構えていたクララとダイアナが、すぐに二人分の朝食を運んできた。パンと温野菜のサラダ(食感はイマイチなヤツだが)とハム。オレにはコーヒー。ネリにはハーブ茶。
「足りるかな?。もっと用意する?。」
「いえ、これだけあれば十分です。」
食事しながらも色々と聞いてみる。
「この場所はネゲイから池に来るのに都合のいい場所なのかな?。」
「道と呼ぶほど立派ではないですが、山に入る人達が使う歩きやすい経路が何ヶ所かあって、そのうちの一つです。」
「じゃあ、この池は、山に入れる道を一本潰してしまってるのかな?。」
「そうですね。でも道はここだけじゃないですし、大雨で川の水が増える度に、通れる道もちょっとずつ変わっますから、問題ないと思いますよ。」
「この場所以外で池とネゲイかネゲイ以外の場所、ヤダとかと連絡しやすい場所はあるかな?。」
「私も池の周りを一周したことがないのでよくわかりません。でも、何日か前、マコト殿をここへ、という話が決まった次の日に、ヤダン……あ、イヤ、ゴールは、このあたりで連絡に都合のいい場所を探すよう、指示してたようです。」
彼女の名前を聞いたときに少し気になっていたが、「ゴール様は」ではなく「ゴールは」と言った口調も気になった。彼女が敬称をつけていれば、αもそう訳すだろう。家名ではなく個人名を口にしかけたこともだ。
「ゴール殿は君の上司なの?。」
「そうです。代々領主家に仕えてる家の生まれで、私もまだ若輩ですが、小さい頃からよくしてもらってます。成人にして部下になったので『ゴール様』とか呼ぼうとしたんですが、『昔から敬称なしだったのに』『主家の娘に敬称を付けられるのは何か変だ』とか言われて、私だけは敬称なしであの方を呼んでいます。」
なるほどねえ。人間関係も、知れば知るほど奥がある。また一つ質問を思い出した。
「話が逸れるけど、このあたりの人の名前の付け方を教えてくれないかな?。家の名前を付けている人、家の名前がない人がいるみたいで、君は家の名前がある人だよね。」
「家の名前は、そうですね、マコト殿が最初に会ったヤダのあたりでは使ってないのが普通かと思います。村中が顔見知りで家族関係もお互いによく知ってますから。」
「じゃあネゲイだと?。」
「ある程度大きな家、商売をしているような家は家の名前を使います。あと、私やゴール、領主様のように代々この地を治める役人の家もそうです。」
「本当に、色々勉強になることを教えてくれてありがとう。ネゲイの人達と話をするのに知っておいた方がいいことばかりだ。」
「別に隠さないといけないような話も混ざってませんでしたし、これでマコト殿とネゲイの間の話がうまく回るのなら、幾らでも聞いてください。」
「そうだな。気になることはまだある。場所の話に戻ろう。ここに無制限に人に集まって欲しくない、とは思ってるんだ。けど、私達が勝手にこの岸辺で杭やロープを張るのもどうかと思ってね。」
「それは昨日町へ帰りながら皆で話してました。あの場所でいいか、岸からどのくらいまで離すか、そんな話です。」
「池の周りを調べさせてた結果がどうか知らないけど、ここも候補なんだろう?。それとももう決めてるのかな?。」
「ここも含めて、ゴールが候補地をひととおり見て決めるって言ってました。」
「虫」の測量でも地形の起伏は調べているが、歩けるか否かは、通ってみないとわからない。ゴールもそのあたりは自分の足で確かめてみたいのだろう。
ネリは、交替が来るまではここにいないといけない、と言う。小雨は続いている。彼女の雨宿りも兼ねて話を続けた。地理の話。カースンの社会制度の話(幾層かの階層になった世襲の領主による封建制のようだった)。ネリが知る範囲での外国の話。ハマサックはカースンの東でターケンは西、ハマサックの東にはイナバン、ターケンの西にトヨン。
「手」に関する情報も聞きたかったが、「神様に叱られる」とかのタブーも絡んできそうなので割愛。以前ゴールから聞いた「ウーダベー」に関することもナシ。関連する可能性は低いと思ったが、ルーナに聞いたモルのお化けの話も避けた。タブーの度合いがわからないので聞きにくい。
その他、さっきのテコーとの契約書の文字を指で追いながら読み上げてもらったりもした。本当の学習はニムエ達AIがやってくれるが、オレも蠟板に契約書の文字を書き写したりして勉強のふりをする。書けば少しはオレ自身もここの文字を覚えられるし。
彼女は蠟板に基本文字セットを書いてくれた。表音文字が二四種類と幾つかの記号。それぞれの文字は一から十二まで、あと、一四四、一七二八、二〇七三六と、それぞれ前の文字を十二倍した数字としても兼用されている。最大で十二の十二乗まで表せるかな?。十三乗か?。少なくともネゲイでの日常生活で使うには必要以上の桁数が確保されていることは間違いない。分数の書き方も教わった。小数も。だが、小数は一桁小さくなる度に「割」「分」「厘」のような単位を併記しなければならず、使いにくい。「ゼロ」の表記を含めた位取り記数法は、まだ発明されていないか、普及していないかのどちらかだろう。
ネリも既にゴールに見せられて蠟板の便利さは知っており、自分用に欲しがったのでゴール配下の文官用に何組か贈呈しようかと提案したが、ゴールが既にネゲイの職人に注文しているから不要だと断られた。
ネリの雨宿り兼オレの学習会が一時間を超えようかという頃、ゴールが数人の職人を連れてやってきた。
「昨日のうちに『天気が悪くなる』とは聞いてたから明日にしようかとも思ってたんだが、人が集まってるとも聞いたしショーに『行け』とも言ってしまったんで、職人をかき集めてきた。ショー、待たせたな。」
「いえ、人も減りましたし、マコト殿にこのあたりの地理の話などをしてましたので、待つというほどのものではなかったです。」
「だが朝も食べさせずに送り出してしまったから、軽いものを持ってきたぞ。どうだ?。」
「ありがとうございます。でも朝食はさっき、マコト殿にいただきました。」
「そうか。じゃあ、これは儂が小腹が空いた時に食べるとしよう。」
次いでゴールはオレに向いて
「マコト殿。細かい話をしてなかったが、このネリ・ショーは領主様の長女でもある。そういう方と、朝食を共にするというのは、変な誤解を招きかねないから謹んでもらった方がいいと思う。」
「ゴール殿。誤解とは?。」
「貴殿は遠くから来たということで、我々の習慣を知らないだろうが、未婚の若い男女が自宅以外のところで朝食を共にする、と言えばわかってもらえるだろうか。」
確かに、言い方次第でそれは意味深な部分がある。ゴールが連れてきた職人達はニヤニヤしている。ネリも、少し困り顔だ。
「ゴール殿が言いたいことはわかった。今後気を付けよう。」
「ネリ、儂らはこれからこの周りで、雨が降っていても丈夫な足場になるような場所を探して歩き回る。あの船全部が入る平地は無理だろうが、簡単な建物を作れるほどの広さの場所を見つけておきたい。体重が軽いお前は、もう少しここで、このあたりでマコト殿が避けるべきことや知っておくべきこと、そういうのを、マコト殿に伝えてくれ。こっちの仕事が終わったら。一緒に帰ろう。」
「わかりました。でも手伝わなくていいですか?。」
「体重があるものだけでやりたいんだ。足場のしっかりしたところを探したい。お前は身体が小さすぎる。」
オレも一言言っておこう。
「ゴール殿。今朝から色々話は聞かせてもらってる。いい教師を付けてくれたことに、感謝する。」
ゴールは頷いた。
「では職人諸君、天気が悪い時にしかできない仕事もある。付いてきてくれ。」
と、池の岸辺を上流側へ去って行った。ゴールが連れてきた職人達は背中に木杭を入れた籠をを背負っている。ヒーチャン達が昨日川下りに使った筏を分解している者もいた。これから岸辺で使えそうな場所、歩ける場所に印を付けていくのだろう。
それからしばらくは基礎知識の勉強の続きだった。
社会階層。翻訳の結果が伯爵だの子爵だのと言われてもオレには感覚が掴めないのだが、階級の名称には数詞が入っていてわかりやすかった。一位は王様一人、二位に王族、三位で閣僚、四位が地方領主、五位が中央及び地方官吏。四位と二位以上はほぼ世襲。三位は勅任。国の方針は三位以上の者達による合議で決められる。二位は現王から四親等以内で、それより遠くなると大抵は五位になる。三位以上の合議で決まった内容が余りにも酷い場合は、四位の地方領主達で構成される議会がこれを拒否できる。今領主が不在なのはこのためだ。毎年春と秋に、議会と定例報告のため、領主はカースンへ赴く。
それぞれの位階内でも先任順や功績の多寡による序列はあるし、手腕次第で四位から三位に招かれて数年勤めてから四位に戻る者もある。中には五位から三位に上がる猛者もいるとのこと。三位は増やそうと思えば増やせるが、四位は領地とセットになるので増えない。四位ながら三位に招かれる者は、自領の運営を誰かに任せることになる。が、ここで人選を誤ると領内が疲弊する。などなど。
上流側に去ったゴール達は十五分ほどで戻ってきて下流側の岸を進んでいく。上流側では数人が残って杭を打っている。下流側からもまた十五分ほどで戻ってきた。杭を打つ職人も今は下流側に移動している。
「あまりいい場所はないな。先に調べさせておいたとおり、あの船を上陸させてしまったら、池に近いところだと小屋一つか二つ分ぐらいしかまとまった広さは取れそうにない。」
「ゴール殿。どんな物を作ろうとしているのかな?。」
「岸辺に、乾いた床のある建物が欲しい。中で休めて、話もできる場所だな。マコト殿の船は、上陸させてしまうと更に遠くからでもわかりやすくなる。池に浮かべておいて、少しでも背を低く、目立ちにくい感じにしたい。あとは、昨日ヨーサ様が提案した桟橋、それから小舟だな。」
「桟橋と小舟は、モルから人を呼ぶとか言ってたな。」
「ああ。実際に作り始めるまでに、まだ十日以上はかかるだろう。それまで、マコト殿と話をする場所をどうするか。マコト殿。あの船に、我々が入ることはできないだろうか?。」
「前にも言ったが、触ると危ない物もあって中に入って欲しくない。昨日も言ったが、岸から呼びかけてもらったら、私の知る人であれば反応しよう。」
「そのつもりはないが、一応、聞いておきたい。もし我々が強制的に船に立ち入ろうとしたらどうなる?。」
「友好的でない方法でそういうことをすれば、最悪で死者がでるだろう。その後、私たちはここを去る。昨日ここに来たのと同じ方法で。多分、ヤダ川周辺のあちこちで何かが壊れたり怪我人がでたりするだろうな。そういう事態はお互いに避けるべきだと思う。」
「了解した。船の中に入ることについては、あまり考えないようにしよう。」
正午の少し前、ネリを含む一行はネゲイに帰っていった。ネリの交替で誰か一人ぐらいは見張りを残すかと思ったが、「この天気で来るヤツはいないだろう。」とのゴールの一言で、見張りも残されなかった。では、オレ達はテーブルと椅子を片付け、足の泥を洗い落としてからマーリン7を池に戻した。
午後は、今朝の情報整理と、デルタの準備だ。αの話を聞こう。まず地図が表示された。
「地理情報は更新しておいたわ。と言っても、ハマサックとか場所がわかった地名を仮に入れただけですけどね。」
「通貨は簡単だったけど、文字とかは解析中?。」
「ええ。ネリが書いた字体を標準とするとテコーの字は少し急いで書いてるのか崩されたりしてるところもあるけど、読めたわ。文字の種類が少ないから、同音異義語なんかは綴り方で見分けるみたいね。今のところ集めてある文字のほとんどはゴールが書いた木簡だから、もう少し何人かの筆跡を集めて精度を高めるつもりよ。」
「デルタはどう?。」
「標準手順は自由落下状態で分離することを前提にしてるから、この池で使えるよう組み替えたわ。まず、測深と、蒸留水を作ることから始めないと。」
「測深はわかるけど蒸留水?。」
「池に浮かんだままじゃあデルタが入ってる中央船倉の扉を開いても、浮力があるからデルタを水中に押し出せないのよ。」
ベータやガンマを分離したときのことを思い出した。船倉を開いてからアームで押し出していたのだが、あれは確かに宇宙空間でしかできない操作だ。アームの強度もそれを前提に設計されているのだろう。
「蒸留水はバラストに使うの?。」
「そうよ。池の水をそのまま使うのも心配だから蒸留水を作りたい。今日は雨が降ってて上流から濁った水も入ってきてるから、できれば何日か晴れたあとの水を使った方がいいと思うの。」
「船内の生活排水の循環装置ならその程度の濁りは対応できない?。」
「そこからは配管がつながってないの。バケツリレーは効率が悪いわ。アルファの水素取り込み口から取水して、バルブを幾つか切り替えれば融合炉の熱で蒸留できるようになるから、出来上がった蒸留水を船内配管でデルタの水素取り込み口へ送って、デルタでもバルブを幾つか切り替えれば船室内に注水できる。」
「原理はわかった。デルタを沈めることができるだけの蒸留水を作るのにどのくらいの時間がかかる?。」
「全力でやれば一時間かからないけど、廃熱でこの池の水を温めすぎて湯気が出るとか霧になるとか、そういうことになりかねないから、何日か掛けた方がいいでしょうね。」
「わかった。あと、確かデルタにはバギーが積んであったろ?。分離した後のデルタはベータとの通信中継用にしようって話をしてたけど、軌道に上げる前にバギーは降ろしておきたい。できるかな?。」
「ええ。それは私もやろうと思ってたの。デルタを出したら一度岸に着陸させてから排水。バギーを降ろしてからデルタは離床。次にアルファを上陸させて、デルタが抜けて空になってる中央船倉にバギーを収容。或いは、アルファとロープをつないで、斥力場で池に浮かべておくのもいいかもしれないわね。ゴールが、船を上陸させることをあまり喜ばないみたいだから。」
「船倉に入れておくことはオレの考えのとおりなんだが、この池にいる間はロープで係留の方が便利そうだな。出入りの手順が簡単だ。」
「じゃあ、バギーはそういうことで。」
「測深は?。オレはとりあえず池の中央なら大丈夫、って思ってたけど。」
「池に来るまで測定できなかったけど、水の流れと風で結構流されてるのよ。だから池の中でもデルタを出せる範囲がどのくらいの領域なのか、事前に測っておきたい。」
「ソナーなんかないよな。斥力場があるからソナーがあっても使えないか。」
「真空中での運用を想定した機体にソナーなんか付けないわよ。ここは伝統的な方法、紐の先に錘を付けて、って方法を使います。もう小ニムエに用意させてる。今からでも始められるわ。」
「了解。天気が悪いけど、オレも見てるよ。」
「デルタを出すには安全率も含めて水深十五メートル以上と計算してるけど、一応池全体を測定するつもりだから時間かかるわよ。」
「いいさ。この一週間ほど、結構忙しくバタバタしてたから、のんびりした作業で休みたい。」
ヤダの人達との「春の祭礼」からまだ一週間しか経ってないというのが、信じられない。




