4-1 CL(墜落暦)一一〇日:新池
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斥力場を含むマーリン7全体が池に浮かんでいる。朝、出発した時のまま質量中心が前部に寄っていたが、すぐにαがバラストを補正した。水面は船体上面の十センチほど上。これもαが斥力場の体積を調整した結果だろう。
流速はほぼゼロ。適当な制禦がなければ、水面上を風に吹かれて漂うだけだ。ゴールが来たら、地上に上がるか、係留とか桟橋とかの相談をしよう。桟橋が必要か?。丸太をヒーチャン達に譲ったのは早まったかもしれない。
ヒーチャン達は今どこだろう?。インプラント経由で「虫」の情報を確認すると、数隻の筏に分乗して川下りの最中だった。これは、マーリン7まで来るだろうな。
百日以上も擱座していたあとの移動を終えたばかりだ。まず大抵は大丈夫だろうとは思ったが、小ニムエ達にも手伝ってもらいながら、船内でできる総点検に入った。
一五三〇M頃になってゴールの姿も見えた。今度はネゲイから何人かを引き連れている。馬を使いにくい湿地帯なので、皆膝から下を泥だらけにした徒歩だ。交渉内容を記録する直属の部下とか、そんな顔ぶれだろうか?。イヤ、大物、領主夫人も混ざっているぞ。彼女も、領主館で見た高級そうな服装ではなく、数ランク下の生地で仕立てたらしい上下だ。足下が悪い中、よくもそんな重要人物をこんなところまで連れてきたものだと思う。そんな人物が混ざっているなら、立ち話も具合が悪いかもしれない。テーブルと、椅子とお茶かな。
推進主機を最小出力にして、αの操船でゴール達が向かってくる岸辺に近づく。木を倒す突進の時に主機を使わなかったのは、狭い渓谷内で短距離から船体を押し出すだけの外力を与えて崖崩れなど起こしたくなかったからだ。街道を途切れさせてしまう。ここなら、ある程度距離に余裕があって、出力を絞っておけば一応は安全だ。
左右の方向操作は底面の斥力場を舵のように変形させて調整している。機体は岸からそのまま陸上に進み、底面の斥力場を拡張させて少し浮き上がる。その場で着陸脚を展開。斥力場を緩めて池傍の地上に静止した。少し傾いている。また、右に。右後脚は水を吸って柔らかい地面の上に三十センチ程もめり込んでいた。
スロープをおろし、テーブルを置けそうな乾いた空き地へ向かう。アン達五体の顔のある小ニムエ達も、屋外テーブルや椅子、茶器などを持って後に続く。
「ゴール殿。今日は手間をかけた。座ってくれ。」
テーブルと椅子が準備できたところへゴール達も到着した。
「それが仕事だ。気にするな。あと、紹介しておきたい人も連れてきた。」
領主夫人が一歩前に出た。
「ネゲイの領主の妻、ヨーサ・ネゲイです。ゴールから話ばかり聞かされて、本物を見ておきたく、今日は突然ですがここに参りました。」
「マコト・ナガキ・ヤムーグです。初めまして。この地のことを学び、この地の人たちとの友好を望む者です。領主夫人様にも友好を。」
「聞かされたとおりの挨拶をする方ね。私たちも、友好を望みます。」
続けてヨーサは話す。
「ゴールがマコト殿をここへ呼ぶことにしたと聞いた時は『主人の許しもなしに勝手なことを決めて!』って、ちょっと思ったのだけど、あの『船』を見て考えが変わったわ。マコト殿、あなたが私たちから学びたいと思うのと同じく、私たちもあなたから学びたいと、そう思います。」
挨拶は終わり、日が落ちる前に実務的な話もしておかねば。しかし領主夫人を放置するのもよくない。小ニムエ達に世間話でもしてもらって語彙と情報の収集を『できるわよ。マコト。』αは優秀だな。
一同が着席。
「ゴール殿。話がしやすいように池から出してみたが、止めたところが悪かった。見てのとおり、傾いている。地上で過ごすなら、もっと水平で地盤も丈夫な場所がいい。この近くで、もっと地面の丈夫なところはないだろうか?。」
「元々ここは沼が多いところだ。山があって川があって、そこから半ルースほどの間は、あの船の大きさの沈まない地面は中々ない。大雨が降ったらその半ルースほどの幅のあたり全部が池になることもあるし。それに、地上で場所を決めてしまったら、人が集まり易くなる。応対とかも含めてマコト殿も大変ではないか?。さっきまでのように、池に浮かんでいた方が、我々も警備がしやすい。」
大雨が降ったら今話をしているこの場所も水没するのか。水深とか流速とか、そんな情報は聞いても出てこないだろうからマーリン7を流されないようにするには自分で色々測定しなければならないだろうな。
ゴールとしては、オレのような謎多き人間を、無制限に来訪者と会わせることにも抵抗があるだろうし。一応否定はして見せたが、こんな池を「作った」力と何か関係がありそうな者は、できれば監視しておきたいだろう。
水面に囲まれていれば、接近する者はすぐにわかる。今はまだ、雪に押しつぶされた枯れ草が倒れているだけの平原だが、新芽はそこかしこに出ている。夏近くになれば、隠れて近づくこともしやすくなるだろう。「虫」もあるし、赤外線監視を併用すれば接近者には気付けるが、意図がわからない接近者は、オレとしても判断に困る。
「当面は、池の上でで暮らすことにするよ。それでも、訪問者は、増えるだろうな。それはヤダ谷にいても同じだったろうけど。」
「マコト殿へ取り次ぐための連絡係もいるな。小舟も用意させる。」
ここで領主夫人、ヨーサが口を挟んだ。
「あまり動き回らないように係留して、『ヨルソ』のようなものを作れば?。」
「『ヨルソ』?。それはどんなものですか?。」
ゴールが夫人に問う。
「あなたはずっとここで育ったから知らなかったのね。でもどこかで見たことはあると思う。私が生まれたモルではね……、あ、ゴール、あなたが自慢してた蠟板を貸して。」
ヨーサは蠟板に絵を描いた。
「上からはこんな感じ。横からはこんな感じで……。」
平面図と側面図。これは桟橋だな。
「水辺にこういうのを作っておけば舟の乗り降りに便利よ。」
「思い出した。見たことがある。なるほど。ネゲイのあたりでは川が浅くて舟を使ってないから、思いつけなかった。」
ゴールは、自分が発案できなかったことに少し残念そうな表情を浮かべた。
丁度そのころ、、ヒーチャン達の筏が池の上流端に現れた。端材で作ったらしい即席のオールを操りながらこちらに近づいてくる。
「注文の前に桟橋の材料が届いた。」
自分が動く前に手順の一つが進んだことで、今度のゴールは面白そうに笑った。
ゴールはヒーチャンを呼び寄せて桟橋の相談を始めた。ゴール曰く「あの船を、人が歩いては行けない深さになるあたりに停泊させたい」と。
ヒーチャンによると、ゴールが「材料」と呼んだ筏の木は、水気の多い場所では腐りやすく、桟橋には不向きらしい。床材には使えても、杭材には使えない。だからあの木では浮き桟橋も無理。また、今の季節に水に入っての作業になる杭の建て込みも嫌がられた。話の合間にヒーチャンからの指示で筏は動き回り、「歩いては行けない深さ」までどのくらいに距離があるかの調べられた。このあたりでは水際から三メートルも離れれば大人の身長を超える。オレも意見を出した。大人の身長程度ではマーリン7の喫水線に足りない。少なくともその二倍以上欲しい。あと、あの大きさの物が水面上を移動した際に生じる波や水の流れに、桟橋は耐えられるのか?。
話しているうちにわかってきたが、もっと川幅があって流れも緩い下流部とは異なり、このあたりでは、川舟を使う習慣もなく、川舟の係留に使われる桟橋のような構造物は、ヒーチャンも修行時代に手伝ったことがあるだけであまり詳しくはなかった。この池以外では舟を使えるような場所もないので、ネゲイ近辺には舟がないのだとか。丸木橋では渡れないような川幅の場合は、浅瀬を渡るか、大石を並べただけの沈下橋が使われている。もっと下流へ行けば渡船が普通になるらしいが。
川を渡る橋は、大きな手間暇をかけて維持されているものもあれば、防衛上の理由で、敢えて作られていないものもある。沈下橋かそうでないかは立体写真にすれば判別しやすいだろう。βに分析と考察を頼もう。
ゴールは、雪融け以降では初めてこの池に来たらしい。行政官としては、漁業のことを思いつき、漁業を始めるなら船着き場も必要なので、ある程度は長保ちする桟橋を作りたいとも考えたのだとか。しかし、ヒーチャンを含むネゲイ近辺の職人達には水辺での建築技術に詳しくない。また、ヨーサが提案した。
「主人が帰ってきたら、舟や桟橋に詳しい職人をネゲイに招くよう話をしましょう。」
これで当面の方針も定まった。
「ゴール殿、桟橋は奥方様にも話を進めるのを手伝っていただいて、領主様の帰郷後に詰めよう。当面は、岸から大声で呼んでもらえば、返事をする。ゴール殿か、ゴール殿が指名した連絡係、或いは、私がここで話をしたことのあるヒーチャン親方達やヤダの人達も候補だ。」
「そのあたりの人選はこちらでも考えよう。」
「ヤダにいたエンリとルーナの姉妹も私との連絡係を続けたいと言っていたよ。」
「あの娘達はヤダの羊飼いだろう。両方の仕事を同時にはできないぞ。」
「羊をこのあたりまで連れてくる許可があれば、とか考えてるようだ。」
「ここからならヤダもネゲイも距離は同じくらいだろう。イヤ、ヤダの方がちょっと遠いか?。エサになる草もあるが、足下が悪いな。足下が悪いから、このあたりはあまり誰も使ってなかった。羊は、歩けはするだろうが、ここで飼えるのか?。」
「まあ、許可かそこまでの話の流れ次第だが、一頭ぐらい連れてきて試すだろうな。」
「飼えるのなら、ネゲイの羊もこのあたりに連れてきているはずだ。そういうのは見ないから、あまり向いていないんだろうな。気になるなら、一度、試させればいい。」
「そのうちにゴール殿にもこの話はあるだろうと思う。その時に伝えてもらえれば。」
「連絡係にするかどうかは別として、ネゲイの羊飼いにも一度話を聞いてから答えよう。」
日没が近づく中、一行はネゲイに帰っていった。筏は岸に引き上げられている。オレ達はテーブルを片付けてマーリン7に戻る。ヤダ谷にいた頃はブラシで足を掃除してから船内に入っていたが、ここではもっと湿った泥を落とせるような別の方法が必要になりそうだ。
今日のところは、面倒だがオレも小ニムエ達もスロープの途中で靴を脱ぎ、オレは靴下だけで、小ニムエ達は裸足で、船内に戻った。着陸脚の泥は、これも面倒だが今夜のうちに掃除しておこう。
あと、領主夫人のヨーサ。彼女も頭の回転が早い。ゴールと実務的な話をするのに邪魔になるかとも思っていたが、ゴールよりも少し上の地位と、ゴールとは異なる経験は、結構な武器として彼女に役立っているようだ。ヨーサ、と今日やっと名前がわかった領主夫人の観察記録も、見直しておけねば。
「…マーリン大学のβ教授による講演『ヤーラ359-1における橋梁建設技術に関する一考察』始めるよーん!。拍手ー!。」
大歓声の効果音が添えられた。
「β、普通に始めてくれよ。」
「…そんなこと言わないで下さいよぉ。マコト兄さんが『βの話を』とか、中々ないんですからぁ。」
通信のタイムラグがちょっと面倒だが、これは我慢するしかない。
「それで、オレが一番聞きたいのは、このあたり、ネゲイとかカースンとか、がヤーラ359-1の平均よりも進んでいるかどうか、次に聞きたいのが359-1全般の状況だ。衛星写真から推測できる内容だけでいい。」
「…建設に必要な技術というな点から見ましたらぁ、モルにある幽霊寺の塔とかは結構レアですぉ。他所ではピラミッドみたいな構造物も見つけてますがぁ……」
モニタに「ピラミッドみたいな構造物」が幾つか表示された。地球ではメキシコにあるような「巨大な祭壇」型のヤツだ。現役のようなものもあれば、忘れ去られて樹海に埋没しかけているものもある。
「エジプト型のプレーンなヤツは見つけてないっす。神様に生贄を捧げるなら天に近い場所の方が、って感じで、上で大勢で儀式ができる感じの作りが多いっすかね。」
まあ、理解できる内容だ。
「幽霊寺がレアっていうのは?」
「…ピラミッドなら石と土を積んで行けば誰でも作れるっす。安定勾配より緩い角度なら作ってる最中に崩れる心配もなし、作っちゃえば一万年でも保つっすがぁ、塔となるとそうはいかないっす。」
論点はわかる。高さだけを目指すならピラミッドでいいが、塔は更に高度な技術の産物だ。
「幽霊寺の塔の高さは359-1の塔の中で何番目ぐらい?。」
「…全部の塔で比べたら流石に一番は取れてないっす。けど、断面が五角形というのに限れば、今まで見つけた中で世界最高っす。大体、断面が五角形って、測量とか積んでる最中の歪み補正とか、うんざりすると思いません?。マコト兄さん、学会を見返してやるチャンスっすよ。」
学会ネタ、好きだな。
「要約すると、ヤーラ359-1で最高水準の技術力の成果が、マーリン7から徒歩で数日のところにあるということか?。」
「…そうっす。もしかしたら逸失技術かもって可能性もあるっすが、今、マコト兄さん達は、ヤーラ359-1でも最高水準に近い技術力の成果の近所にいるってことっすよ。『指針』でしたっけ?。あれの手順を踏まずに、結果的に『指針』がオススメにしてる『技術水準が最も高いと評価できる一群』に近いって、無茶苦茶に強運ですねぇ。」
β教授の講義は、軌道の都合上、一コマ三五分だそうな。
β教授の講義のあと、デルタの分離についてαと話す。幾通りかの手順を考えてはいたが、池に着くまでは不明な点もあって、手順は未完成だったと。本格的に準備を進めるのは明日からとした。




