3-13 下流探索と街道補修
ルーナに案内されたヒーチャン親方が到着したのは一六二〇M頃だった。ヒーチャンは、オレの目で見て四十歳前後の男だ。ムカデにつながれた荷車には別の種類?の直径十センチ程もある巨大芋虫や、オレにも使い方のわかる工具類、丸太などが載せられている。ルーナには、エンリが夏小屋にいることを伝え、迎えに行くよう指示する。ヒーチャン親方はルーナの仲介でオレに挨拶をした後は、手順を確認するために、崩落地で連れの何人かに指示をしながらあちこちの寸法などを測り始めた。エンリとルーナから教えられていたネーロとスーラの姿も見える。
作業前の測定が一段落して、ヒーチャンはオレの座っていたテーブルに来た。着席を促し、クララにハーブ茶を頼む。
「ソルから聞いていた話より少し余計に材料を用意してたが、余りそうだ。足りないよりは全然マシだが。」
ヒーチャンが言った。
「聞いているかもしれないが、私はあなた方のことを知りたい。例えば仕事の進め方が私の知っているやり方と似ているとか違うとか、どんな道具を使っているか、とか。」
「聞いてる。マコト殿に何かを教えたりしたら、別の何かを教えてもらえたり食べたことのない食べ物をもらえたりするとか。」
「そうだ。さっきから見させてもらったが、準備は大体私が知っているやり方と似てたようだ。『似ている』ことがわかっただけでも私にはいい勉強になる。」
クララが新しいカップでハーブ茶を二人の前に置いた。
「こんなのは珍しいものか?。」
ヒーチャンが物入れから出したのは長さにして二十センチほどの定規だった。貸してもらってしげしげと眺めてみる。片面の四隅から異なる縮尺で刻みが入っていて、裏表合計八種類の縮尺で長さが測れるようになっていた。。
「それは絵図を描いたり測ったりする時に使うヤツだね。」
「なんだ知ってたか。これでオレもゴール様みたいな『蠟板』をもらえるかと思ったんだが。」
笑いながら答える。
「私も昔それと同じようなものを使っていたことがある。何かの作り方を考えるのに、とても便利だな。それと、蠟板なら、予備はないけどあなたなら自分で作れるのではないか?。小さいものならそれほどむつかしいものでもないし。」
「そうだな。ここに来る前にゴール様に自慢されたんだが、正直なところ、儂の仕事ならもっと大きなヤツが欲しい。使い方と大体の作り方はわかったから、帰ったら自分用に作ってみたいとは思ったんだ。」
OK。職人とも話ができている。
「ゴール殿には話し忘れてたが、蠟は柔らかいものの方がいいし、場合によっては夏冬で蠟は貼り直した方がいいかもしれない。私はここに来て日が浅いから、夏冬の違いについて細かい話はできない。」
「なるほどね。聞いていたとおりの人だな。職人の考え方もわかってる。」
「それほどでもない。学ぶために、いい質問のやり方を考えているだけだ。」
「職人のような話し方をすると思ったんだが、アンタは職人じゃないのか?。」
「職人になりたかったこともある。その頃の癖じゃないか?。」
機械文明前の技術レベルに対しているのだから、この近辺固有の事柄を除いて、おそらくオレの科学的な基礎知識はヤーラ359-1の誰にでも勝てる。少しはニムエ達のライブラリ検索にも頼るしその事は隠しておくが。それに知識があるだけで、実践は足りていないだろう。
「そういうものか。明日の仕事ぶりも見てもらいたいとは思ってたんだが、明日のアンタはここにいないって?。」
「ゴール殿の勧めもあって、下流の川の地形を見に行く予定だ。だが、あなた方の仕事のやり方を学ぶために、彼女達を残そうと思っている。」
オレは傍らに待機しているクララを示した。
「手が足りないようなら、手伝わせてやってもいい。」
ヒーチャンは、小柄なクララを見て懐疑的だ。
「そんな小さいお嬢さんじゃ力が足りないんじゃないか?。」
「見た目より、力はあるんだ。試してみるか?。」
「どうやって?。」
「腕相撲とかならわかりやすいか。」
「腕相撲」に相当する単語はまだデータベースに入っていなかったようで、ヒーチャンは「ユデドゥモー?」と不審な表情をしている。
「こんな感じだ。」
オレはクララをテーブルの対面に立たせ、右手同士で握り合って腕相撲の姿勢を取る。
「あぁ。それなら『オンズズ』だ。わかった。やらせろ。」
ヒーチャンはクララを相手に腕相撲の体勢になった。
「始め。」
オレの合図でヒーチャンは踏ん張るが、クララは動かず涼しい表情も崩さない。十秒ほど粘ったヒーチャンは
「わかった。お嬢さん、アンタは力持ちだ。全然そんな風には見えないけど、凄いな。」
と、認めた。
「意外だろ?。」
「ああ。意外だ。儂の組に欲しいくらいだ。息子の嫁でもいい。イヤ、あの出来の悪い息子なら尻に敷かれそうだ」
「悪いがどちらもダメだ。オレが困る。」
「残念だがわかった。手が足りないようなら、頼ることにしよう。」
エンリとルーナは腕相撲の直前に戻ってきてきていた。
「親方、夏小屋の準備はできてます。この人数なら、全員泊まれますけどどうしますか?。」
「虫は動かしたら時間がかかるから、虫屋のクートと、手伝いに誰か一人残して、火が落ちる前に夏小屋へ行かせてもらおうか。」
「じゃあ案内しますから、動く準備をしていただけますか?。」
ヒーチャンは去って行った。
残った二人、「虫屋のクートと手伝い」が、ムカデの傍にテントを張ろうとしている。作業が落ち着いた頃に街道まで登って声をかけた。
「虫のこととか、教えてもらいたいんだが、いいかな?。」
「ああ。まだ虫を使うにはちょっと寒いから、連中はおとなしい。手はかからないから、知ってることなら教えよう。」
それから日が落ちるまで、夕食を彼等と共に摂りながら虫のことを聞きながら過ごした。
体内時計が太陽周期と一致している彼等と話をしたあとは、眠らないニムエ達と今日の話の総まとめだ。色々忙しい。
翌日。CL(墜落暦)一〇九日。ヨール王二三年四月七日(木)。この地で「木曜」と呼んでいるかどうかは知らないが。
日が昇ってすぐ、夏小屋から降りてきたヒーチャン達が到着した。ヒーチャンの号令の元、作業手順の確認から始めるようだ。ダイアナとエリスを街道補修組に向かわせ、オレとエンリ、ルーナはヤダ川の下流の様子を見るために川沿いに歩き出す。
「マコトさん、いなくなっちゃうの?。」
昨晩のうちに昨日の午前中の話の要約を知らされていたルーナが聞いてくる。
「ゴール殿の話を聞いて、動いた方がよさそうだと思った。」
「仲良くなれそうだなと思ってたのに。」
「まだヤダから歩ける範囲だとは聞いてるよ。」
「でも私、羊たちの世話をしてたら、あまりそっちの方向には行かない。」
エンリが話に加わった。
「ソルとゴール様にも話をしないといけないけど、羊はマコトさんが移った近くの草原でもいいかもしれない、とも思ってるの。いい場所があるかどうか、確かめないとダメだけど。」
「でもお姉ちゃん、そんなことしたら『放牧地』が草だけでなくて木だらけになって荒れちゃうって言ってなかった?。」
「全然羊を入れなかったら草は増えるけど、木だらけになるまでには何年かかかるわ。羊たちを半分の群に分けて、私とルーナで半分ずつ、放牧地とマコトさんの近くの草原に分けるのよ。ゴール様が許してくれたらだけど。」
詳しくは知らないが、羊飼いの縄張りのようなものもあるだろう。エンリは、ゴールを仲裁役にしてヤダとネゲイの間にある草原地帯でヤダの羊を飼う権利を得ようとしているようだ。
「放牧地が分かれてしまったら、二人の仕事も増えない?。」
オレの問いにエンリが答えた。
「村の羊飼い候補に今年からもう一人付けようかって、去年のうちからソルとは話してたの。まだちゃんと決まってないから連れては来てないけど。」
「エンリ達がどうしたいか、ソルがそれを聞いてどうするかだな。」
「そうなの。まだわからないから、もうちょっと細かいところを考えたら、ソルに相談する。」
話をしているうちに、αが挙げていた二ヵ所の難所のうち上流側の地点、R1に近づく。渓谷が狭まっていて、人が歩ける範囲も狭くなってくる。街道に登らなければ通過できないようだ。インプラントの映像で近くの「虫」の位置を確認する。
「ちょっと道が狭いな。歩けるか?。街道に戻るか?。」
「戻って、この上から谷を見た方がいいかも。」
ルーナも、蔦草で身体を支えながら前に進もうとしていたがあきらめたようだ。
「人は通れないみたい。戻ったほうがいい。」
オレ達は少し戻って足場のよさそうなところを探し、灌木や蔦草を支えに、時々は蜘蛛の巣に引っかかりながら崖上に登る。あれがオレの知ってる蜘蛛と近縁なのかどうかはわからないが。
崖の上から渓谷を見下ろした。目測でも、水平なマーリン7なら通れるか通れないか。機体をバンクさせれば通過はできるだろう。オレ達を追っている「虫」から送られた地形画像を解析したαからも「バンクさせれば」と回答が来た。ここはOKだ。
「ここは多分いけそうだな。ここからしばらくは広いところが続きそうだけど、まだ狭いとことはある?。」
「私が気にしてるのはもう一ヶ所あるわ。」
と、エンリ。ルーナも言う。
「あそこね。木が生えてるところ。」
αと同じ場所、R2を考えているようだ。
「じゃあそこまで行ってみよう。道案内を頼むよ。」
そこから街道に戻って二十分ほど下流に進み、問題の場所まで来た。街道から岩肌が谷底まで続き、河原は疎林になっている。マーリン7の幅から考えると少し狭い。
「下、あの林まで降りれる?。」
ルーナが答えた。
「もっと村の近くまで行って、川を渡れるところがあるからそこで渡って、山道を登ったり降りたりする。」
「案内なしでも行けそう?。」
「どうかな?。山に入ってから川に降りる道が何ヶ所かあるから、迷うかも。」
インプラントでαが割り込んだ。
『ルーナが言った村の近くの川を渡れる浅瀬は見つけたわ。そこから山道を辿るけど、木が多すぎて今の手持ち画像からは歩ける経路はわからない。私たちが知ってる山道と同じ程度と仮定して、マーリン・ポイントから徒歩で二時間半から三時間というところね。平地じゃないから、距離は大したことがなくても時間がかかるわ。』
明日の手順をどうするか。ルーナを道案内に付けたヒーチャン達を先行させて、イヤ、ヒーチャン達は木を伐る道具を持っているのか?。木の持ち主とか山の管理人のような人物がいたとしたら?。
「ルーナ、昨日はヒーチャン親方達と一緒に来ただろ。木を伐る道具とかは持ってた?。」
「人数分はなかったかもしれないけど、あったよ。」
丸太も積まれていたことを思い出した。斧やノコギリも、数は憶えていないが積まれていた。
「あの木を伐るのに、誰かの許可は要る?。」
「許可?。山の物はみんなのものだよ。」
なら、大丈夫か。明日は、ここへ、ルーナと一緒にヒーチャン達を先行させよう。道具が足りなければヤダで借りるか。
「ルーナ、明日はヒーチャン達をここへ連れてきてくれ。多分、木を伐る道具も要る。足りなかったら、ヤダで借りられるかな。」
「刃物は、研ぐのが面倒だから人に貸すのをいやがる人が多いよ。私達もこれ自分で研ぐし。」
ルーナは腰の鉈をオレに見せた。
「そう言えば、マコトは鉈とかナイフとか、持ってなさそうね。良くないわよ。」
「なんで?。」
「だって山よ。鉈があったら果物も採れるしオッフが出てきても一頭ぐらいなら勝てるもの。」
そういう考え方か。子供がそう言うのだから大人にもよく言われるのだろう。オレの外歩き用装備にはスイスアーミーナイフと二二口径のリボルバー(どちらも設計は骨董だが、それだけの長期間にわたってコンバットプルーフを受けてきて、実用性は問題ない)が含まれている。しかし銃を知らなければオレは丸腰であるように見えるだろうし、スイスアーミーも知らなければナイフに見えない。オレがマーリン7を視認できないような場所まで脚を伸ばしたのは放牧地以来で、墜落以来まだ二度目だ。もっと大きな刃物か。多分「贈り物」に現物はある。使いにくそうなら、ライブラリから何か探して船内で作ってもいい。明日から気を付けよう。
伐採のための道具が足りなかったら?。ヒーチャン達には「贈り物」の中に何かあれば適当な工具を提供してもいい。
αとエンリ、ルーナが難所として挙げていた地点の確認を終えた。道のない川沿いを歩いてきた距離が長かったから時間はかかったが、まだ一〇〇〇Mだ。街道でマーリン・ポイントまで戻れば時間は半分ほどで済むだろう。
「じゃあ、帰ろう。補修の様子も見たいし、船で明日の準備もしたい。」
一一〇〇Mを少し過ぎて街道補修の現場に帰り着いてみると、斜面に杭が多数打ち込まれていた。岩盤がでているところには何か砂利を練り込んだべっとりした物で杭が貼り付けられている。岩盤と杭の間に適当な石を挟んで、杭は鉛直になっていた。
べっとりした物、は、昨晩話を聞いたクートが抱えた芋虫の分泌物のようだ。本来は繭などを作るために進化してきたものだろう。今のクートは、崩落部分の最上段近くで芋虫の腹から粘液を押し出させ、杭を固定している。粘液は固まるときに発熱しているのか、湯気を出している。化学反応としては正しいみたいだが、何と何がどんな反応しているのだろう?。粘液を出し切った芋虫は回収係のリレーで崖下の一ヶ所に集められている。新しい芋虫をクートに手渡す係も列になっていて、手伝いに送り込んだダイアナとエリスも列に混ざっていた。杭と杭の間も粘液の糸が何段かに渡って張られており、ポケットのような形ができあがっている。
昨晩のうちに虫の使い方は聞いていたが、見るのは当然初めてだ。作業の邪魔にならずに見物できるよう、少し離れた河原まで降りる。監督兼火の番をやっているヒーチャンのところまで歩いた。大鍋に湯気が出ている。
「そろそろ帰ってくるかと思ってたよ。」
「順調かい?。」
「まだ虫を使うにはちょっと早いかって時期なんで、心配したけどなんとかなったな。もうちょっと早く終わらせたかったんだが。」
「昨夜クートに聞いたが、虫が出す粘液で固めるって?。初めて見た。」
「マコト殿のところでは別のやり方をするのかい?。」
「水と混ぜて練ったら固まる材料がある。材料は……」
石灰岩とか、語彙に収集されていたか?。
「火の山から出た粉や白い石、貝殻などを砕いて焼いたものを使う。」
「貝殻」も翻訳に失敗したようだ。オレの口は「カイガラ」と動いている。
「聞いたことのない材料も入ったそんなのがあるのか。使ったことはないな。」
話をしていると職人の一人が来た。
「親方、杭を確かめて下さい。」
ヒーチャンとその職人は湯気の立つ鍋を二人で持ち上げ、崖の方へ運んでいく。
粘液を出し終わった虫を回収して街道に止めたままの荷車に運んでいる列と、柄杓を持って鍋の到着を待つ班がいる。ヒーチャンは杭の根元に順に触れてゆく。ヒーチャンに続いて鍋柄杓組の職人が歩いている。まだ弱いと判断されてしまった杭があったらしく、指示があった杭には職人が柄杓でお湯を追加していた
「虫の出した汁は温めたら固まるんだ!。」
ヒーチャンはオレに向かって叫んだ。
「ありがとう!。面白い物が見れた!。」
オレも叫び返す。固めるために温度を上げる。そのためにお湯を使うのはわかった。オレが知っている虫が吐き出す糸ならば、加熱されたタンパク質が云々という作用かもしれない。しかし建設材料に使えるほどの強度になるのなら、オレが知るタンパク質とは別の成分が関わっているのだろう。
「杭が落ち着くまで休憩!。」
ヒーチャン親方が宣言した。皆それぞれに座りやすそうな場所を選んで休んでいる。水辺で革袋に水を詰め直す者、お湯の残りを柄杓で掬って味わっている者。
「皆さんに軽い食べ物でーす!。」
船からアンとベティ降りてきて、屋外テーブルにパンの山を築いた。続いてカップを並べてゆき、順にハーブ茶を注いでゆく。
職人達は「いいのか?」という表情で顔を見合わせていたが、ヤダの四人、エンリとルーナ姉妹、ネーロ、スーラも嬉しそうな顔で近づいてきた。
「今日はちょっと違うね。」
と、ルーナ。今日のパンは、前回のように砂糖を塗ったものではなく、ナイフで切れ目を入れてハムとマヨネーズを挟んだものだ。本当はここにレタスでも足せば完璧だったのだが、マーリン7に水耕栽培を搭載することを拒絶しやがったあの会計屋め。憎んでも憎みきれぬ。
ともあれ、ヤダの四人に続いて皆ゾロゾロとテーブルに集まり、一口囓っては目を見開き、という光景が繰り返された。レタス抜きでも好評だったようでよかった。だが警告しておこう。君たちはまだ、マヨネーズを塗ったハムレタスサンドイッチの至福を知らないのだ。残念なことに今はレタスを用意できないが。
杭が落ち着いたことを確認したヒーチャンの宣言で休憩時間は終わり、職人達は二手に分かれた。一方は、街道から崩落した土砂を、藁で編んだような袋に詰めた土嚢を作り始める。もう一方は、河原の石を杭と虫の粘液で作られたポケットに投げ入れ始めた。ダイアナとエリスも石投げ組にいる。土嚢班は石が投げ込まれているポケットのすぐ下に溜まっている土を材料にしているので、当たらないかと心配しながら見ていたが、石投げも土嚢も、場所をずらしながら作業を続けていて怪我をする者はいない。うまい連携だ。
ある程度まとまった土嚢ができたところで、ポケットには土嚢が運び込まれ始めた。ダイアナとエリスも混ざり、彼女たちは目標のポケットの近くまで来ると土嚢をポケットに投げ込んでいる。それもかなり正確な狙いで、待っている職人が微調整する必要もないようだ。
「器用だな!。お嬢さん方!。」
面白がった職人達の歓声が沸く。
上空の「虫」何匹かと連携して自分と投擲目標の位置関係を測量しながら投げているのか。器用だな。お嬢さん方。
そのうちに、下に崩れ落ちていた土はほとんどなくなった。街道も、元の高さより少し上まで土嚢が積まれている。雨が降ったりしたら、少しは下がるのだろう。何ヶ月か経ってから微調整も必要かもしれない。
「仕上げだー!。」
ヒーチャン親方の声が響く。荷車に積まれていた布袋に入っていた黒い粒子がバケツに移され、何人かの職人がバケツから粒子を掴んで作業をしたばかりの街道上や斜面に振りかけてゆく。残った職人達は道具や余った材料を片付け始めた。
「あれは何を撒いているんだい?。」
近くにいた職人の一人に聞く。
「草の種ですよ。旦那。根がすごーく深くまで入る種類だとかで、こういう盛り土の最後には必ず撒いとくんですよ。」
「そういう草もあるのか。」
「ええ。あれが生えてるところは、なかなか掘りにくくて、無理に掘り返したら根っこがいっぱい絡み合ってるのがわかりますよ。」
「そうなるまでに、どのくらい時間がかかる?。」
「今からだと、うーん、南斜面かぁ。土が良ければ一ヶ月もあれば芽は出てると思うんですがぁ、あの色の土は草が生えにくくてぇ、日当たりが良すぎてもぉ……」
肥料となる成分の少ない真砂土のような土壌に撒いたことを心配しているようだ。
「色々条件があるんだな。教えてくれてありがとう。」
あとで何粒か、サンプルとして回収しておこう。
一六〇〇M。気づけば明るい時間の半分も、街道補修につきあっていた。「火」の実験も考えたいし、今の最優先事項として明日の手順をαと相談しようと思っていたのに。
補修組は、今夜も夏小屋に泊まる予定だ。昼の軽食の後、エンリとルーナは一度夏小屋の様子を見に行って、簡単な掃除程度はしてきたらしい。
ヒーチャンが挨拶に来た。
「じゃあ、これから夏小屋へ行く。荷物も軽くなったし道が通れるようになったから、クート達も今夜はそっちへ行かせるつもりだ。」
「わかった。それで明日の予定なんだが……。」
「ルーナから聞いた。あの娘の案内で下流に行って、木が邪魔になるなら伐ってしまえばいいんだろう?。」
「そうだ。もしかしたら何もせずに済むかもしれないが。」
「ゴール様には『明日の午前中までかかる仕事』で見積を出してる。だから気にしなくていい。」
「そうか。じゃあ、明日も頼むよ。」
補修が終わったばかりの区間は、まだ凹凸が残っていて、職人達は荷車から荷物が落ちないよう押さえながら夏小屋へ去って行った。
彼等の姿が見えなくなってから、この数日出しっ放しだった屋外用テーブルや椅子なども折りたたみ、小ニムエ達の手も借りてマーリン7の機内に戻す。昇降用スロープも格納して、今日の外仕事は終わりだ。
「虫」からの情報。ゴールはヤダに帰り着いた模様。忙しくさせているな。




