3-11 火(2)
目覚めた。時刻表示を探す。時刻、と考えているうちに、インプラントが視界の中に「CL(墜落暦)一〇八日墜落暦二年三月二六日(水)〇〇三〇M」と表示した。ええと、半日ぐらい経ったか。船内。オレがいつも使ってる私室、ルームAのタンクらしい。すぐにαも反応した。
「マコト、大丈夫?。何を憶えてる?」
「オレもエンリみたいに……」
言葉を止める。「火」と発音してもいいのか?。
「エンリみたいにやれた。けど、何か使いすぎたみたいでダウンした。あの前後の心拍とか、船内服で常時計測してる数字でわかることは?」
「あなたが何か思考の渦でぐるぐるしてたとき、脳への血流量が増えてた。危険レベルに近づいて、インプラントが自動的に血圧制禦を始めたときにあなたがアレをやったの。その後は、アレで血流を増やす必要がなくなったのと、インプラントが血圧を下げようとしていたのが重なって、貧血状態になったみたい。」
「インプラントの誤作動、というものじゃないけどタイミング悪く、って感じか。」
「そうね。で、何をどうしてあんな結果になったか、憶えてる?」
「よくわからない。思考の順序とかが関係してるという可能性について考えてて、できそうな気がして、やってみたらできた。うん。あの前後のインプラントのログとかは調べてみた?。」
「リアルタイム送受信じゃあない部分は、あなたの承認がないと引き出せないのよ。残っている範囲の、インプラントログの全抽出を申請します。」
視界に「インプラント稼働ログの抽出申請がありました。承認しますか(Y/N)」と表示された。もちろん、承認する。
「ありがとう。マコト。これからβとγも動員して、他の仕事は止めて徹底分析するわ。あなたが目覚めてて、何か考えるっていうのが、もしかしたら危険かもしれないから、悪いけどノンレムで強制睡眠させるわね。できれば明るくなる頃までに対策を考えて、外が明るくなったらすぐに対策の有効性確認とかしたいの。」
αの操作でまた視界に強制睡眠に至るインプラントのメニューが展開して……。
目覚めると、外だった。もう明るい。身体は毛布にくるまれている。下は、保温フォームのシートか。身体を起こす。昨日の屋外テーブルはまだそのままの場所にある。外で、できるだけ平らな場所を選んで運んできたらしい。圧力服。時刻は……〇六三〇M。αに起きたことを伝えよう。
「起きたよ。α。どうすればいい?」
「おはよう。マコト。まずはテーブルへ。」
起き上がるのはエリスが手伝ってくれた。今日は病人扱いか?。それほど弱っている気はしてないんだが。
椅子に座るとコーヒーとレーションを渡された。
「軽く食べてもらいながら説明するわ。」
水分は欲しかったところで、コーヒーは歓迎だ。レーションは、まあ、固形物も摂っておけということだろう。
「あれからインプラントのログも含めて、マーリン7に残ってるあなたの体調に関する全部のデータを調べ直したわ。それで、わかったこと。あなたが『火』を点けたとき、あるいはその直前の脳の活動領域の分布が、今までに現れたことがないものだったの。これはマコト・ナガキ・ヤムーグという個人じゃなくて、地球人の脳生理学の知識からして、こういう脳活動が観察されたことはない、という意味よ。」
「何かの理由で脳の使い方が変化してるってことか?。」
「単純な表現では、そうね。で、原因ですけど、ここの大気や食物中に、まだ長期影響評価が終わってない微量物質があるって話はしたでしょ。」
「どの物質がどう働いたかはわかってないけどその微量物質が原因の可能性がある、と?。」
「ええ。血液サンプルのデータも調べ直したわ。馴化以降でないと検出されない成分というのは、この星由来よね。」
「仮説として、原因はそれだとして、一番必要なのは事故が起きないようにすること。その上で、有効活用できるならその技術を得ること、になるんじゃないか?。」
「そのとおりよ。で、仮説の検証をしたいんだけど、これからしばらく、インプラントの全機能をこっちで預かりたいの。いい?。」
視界に「インプラントに関する全ての制禦権限の一次貸与申請がありました。承認しますか(Y/N)」と表示された。
今までオレやαが操作できた範囲は生命維持に支障が生じない部分だけの機能だったが、これは更に何段も深いところまでの制禦権だ。これがあればオレをいつでも殺せる。しかしここで拒否したら「触ると熱い」問題を解消する方法は、オレがここの現地語で思考と会話をできるようになるしかないし、それには何年もかかる。ならば、承認だ。
「ありがとう。じゃあ、まず昨日の再現ね。脳の活動領域の分布を、無理矢理昨日みたいな状態に変化させるわ。マコトは昨日みたいに燃えそうなものを手に取って、タイミングが来たら合図するから『火』って言ってね。」
脳内の血流が変化しているのだろう。少し、目眩を感じる。オレは手に持った木片を見つめながら何度か「火」と口にするが変化はない。数十秒もそうしていたが、αが言った。
「再現できないわね。例の微量物質が不足してるか、思考の順序がダメなのか、その両方が原因か。マコト、思考の順序は再現できるかしら。」
「それは無理だと思う。精神状態とか、落ち着き具合からして違ってるし。」
「仕方ないわ。昨日のログから一分ほど抜き出して強制注入する。目は閉じてて。」
実際、ルーナはまだ性格が子供だ。羊飼いとしても姉に教えられて修行中なのかもしれない。エンリは、もっと大人で思慮深く、学校のような教育機関がない村で育っているのに論理的な思考ができる。イヤこれはオレの偏見か?。ゴールやソルは、それなりに計算して物事を進める思慮深さもある。これはそれなりの家柄でそのように教育されてきたからか?。それとも人間はあのくらいの年齢になれば自ずとそうなるものなのか?。
火。エンリ達の夏小屋に初めて「虫」を入れたとき、火はもう点いていて、エンリはその番をしていた。あの時もエンリは今日のように言葉で着火したのか?。エンリの能力。「手」。エンリの脳波を測りながらあの力を発揮してもらったら……。
「マコト。あなたやっぱりインプラントの使い方に慣れてないわね。外に出す考えと自分の中に残す考えが入り交じって外に出てるわ。」
αが音声でオレに言った。
「ああ。練習にもなるとは思ったんだが。」
インプラント。使いこなすにはインプラントに読み取らせやすい順序で思考すべき。思考の順序。言葉の組み立て。文法。過去時制は無害。理解。解釈。複数の解釈ができる説明書。オレはインプラントを使いこなせていない。インプラントに読み取らせやすい文法。読み取りにくいのは思考順序が違うから。複数の解釈。思考の組み立て。順序。
オレはエンリが火を点けた枯れ枝を拾い上げる。火はあのあとすぐに消しているので、端が焦げているだけの枯れ枝だ。
「火」
また、何も起きなかった。
「再現できないわね。例の微量物質かしら。」
「今、インプラントの積極的な操作は切ってある?。」
「今は、そうね。」
「この状態で試す。」
改めて木片を見つめながら
「火」
変化なし。
「やっぱり微量物質ってヤツか。毎日尿と血液の検査と、発現テストだな。今日の結論としては。」
「火事の心配がなくなったのはいいことだけど、ちょっと残念ね。」
「脳の活動状態が『火』の時と近くなったら警報とかメッセージが出るようにできる?。」
「ええ。やっておくわ。」
〇七〇〇M。今日は、明日の街道補修隊到着に備えてパン種を仕込むとか……。
現実逃避気味にのんびりしたことを考えている中、ネゲイの「虫」からの情報で、補修の本隊に先行してゴールが単独でヤダへ向かって北上していることがわかった。護衛随伴なし。スピード重視のようだ。
補修本隊は、巨大ムカデに荷車がつながれている周囲を数人の男達が歩き回っている。まだ出発直前の忘れ物チェックとかの段階らしい。
ゴールのペースは、ヤダでソルと合流しても昼前にはここへ来る。準備は……。
「α、この前ソルとゴールが会ったとき以降の、ゴールの記録を再チェックしたい。船に戻っていいか?。」
「じゃあいつもみたいに操縦席で色々話をしながらチェックしましょうか。」
補佐官殿が硬軟どちらの方針でここに来るか?。領主に「謎のピカピカ」の存在は報告されているが、正体がわからないので追加情報を集めるとしか話ができていない。その領主は「ピカピカ」の報告を受けて間もなく定例の旅でカースンに向けて出発してしまったので、今後の方針について追加の相談もできていない。補佐官殿の部屋に置いた「虫」の情報では、補佐官を更に補佐するような誰かと方針について話をしたことも確認できていない。操縦席に戻ったオレは、ソルと別れた後のゴールの行動を追い始めた。
ソルを退去させた後のゴールはソルから受け取った木簡を手に一度部屋を出ている。が、程なく戻ってきていた。誰かと会ったにしても大した話ができる時間ではない。ソルの木簡は持っていなかった。誰かに預けたらしい。また何か考え事をしながら新しい木簡に何か書き付けている様子。一五分ほどもそうして考え事を続けた後、また部屋を出て行く。
「ネゲイには最初『虫』を二匹送ったよな。それから増やしたりした?。」
「今の『虫』は領主夫人とゴールの部屋に一匹ずつよ。増やすことも考えたけど、ゴールも領主の奥方様も結構動き回ってるから、『起きてる間はずっと』とか観察しようとすると追加の『虫』が何十匹も必要になるから諦めたの。」
「虫」は、五センチほどもあるから、屋外で遠距離から位置を把握するだけならともかく、日中に会話が拾える距離を尾行させたら確実に見つかる。
「ゴールと領主の奥方の間でオレ達のことが話題になったりはした?。」
「報告だけね。対応方針は、二人で案は出してるけど決定権は領主様だとかで決め切れてないわ。決めるためにも、情報が欲しくてここに来ることにしたとか?。」
予定外の「火」と気絶でゴールを迎えるための準備期間が削られてしまったことでの焦りを感じる。やっておくべきことに漏れがないか、考えたいのに材料も揃っていない。〇七二五M。ゴールはどこまで進んだか……。
「マコト、ストップ!。」
αが言った。
「脳の活動が『火』の時に近づいてる。焦って何かを考え込んでるときが危ないのかも。一度立ち上がって深呼吸して。」
オレは立ち上がり、数回、深呼吸を繰り返した。
「落ち着いたかな?。」
「ええ。脳は元に戻りつつあるわ。予想の一つではあったけど、例の現象は精神状態とも関係あることは確認できたみたいね。でもこれを実験するなら外よ。『謎物質』の体内での濃度分布とかも見たいんだけど、リアルタイムで確認する方法がないわね。」
急ぎの問題は二つ。ゴールへの対応プランを決め切れていないことと、「火」だ。
〇七三〇M。
「さすがに馬は早いわね。そろそろゴールがヤダに着くわ。」
「まずソルと会うだろうから、できるだけ会話を拾って。」
「そのつもりよ。」
ヤダ常駐の「虫」の一匹から送られてくるゴールの到着の映像が表示された。村内の木の枝から見たもののようだ。ゴールはその木の前を通り過ぎてゴールの家の方向へ進んでいる。途中で映像は別の木の「虫」からのものに引き継がれ、ゴールはソルの家の「日時計」のある庭に到着して馬を下りた。
家の中の「虫」が、ゴールのことをソルに知らせる声を拾った。すぐにソルも外に出てきてゴール何か話しているが、距離があって会話を拾えない。家の中で話をしてくれないかな?。
だが期待むなしく、ソルは家に駆け戻るとすぐに谷まで来るための上着を着て外に戻った。ゴールの到着がわかった時点で、外出用の防寒一式を誰かが準備していたようだ。
二人は家を出た。ゴールは騎乗のままソルの歩調に合わせてゆっくりと。ソルは、馬に遅れないよう少し早足で。〇七五〇M。この調子なら、マーリン・ポイント到着は、遅くとも一〇〇〇M頃か。
ゴールとソルが谷へ向かうことがわかった時点で、ソルの家からエンリとルーナにも報せに走る人影を、「虫」は捉えていた。ゴール達がヤダ村を出て程なく、おそらくエンリ?が二人に追いついてくる。ルーナは留守番か?どうしたのだろう。領主に近い「偉い人」が苦手なのかもしれない。
ゴールとソルは、追いついたエンリを歩きながら何か会話。「先に行って知らせてくる。」「OK。頼むぞ。」とか、声を拾えなくても想像できるような内容だろう。エンリは再び走り出す。彼女の到着が〇九一五M?。準備のための時間は更に短くなってしまったようだ。
少しは時間があるが、今から外で「火」の実験なんかしてまた気絶するわけにも行かない。できる準備は、屋外テーブルの掃除と、あとはお茶?。急な来訪を知っている理由を詮索されないか?。椅子はすぐに出せる準備に留めておく?。そうしよう。深く考えない方向の準備のつもりでも考えることがある。会談での、話の受け方進め方は、AIの助言も駆使しなければ。話の進め方。蠟板。あれはどこに置いた?。
「あなたが倒れた時に回収して今はルームAのサイドテーブルよ。持ってこさせるわ。」
蠟板が届き、外へ出てテーブルに就き、コーヒーを飲みながらαと一緒にゴール達への質問事項を考え始めた。先触れのエンリが着くまで、あと一時間弱。椅子は、昨日と同じ四人分のまま。
「マコトさーん!。」
質問事項を考えている中、エンリが到着した。待っていた、などという雰囲気は出さずに答える。
「今日はもっと遅い時間になると思ってたよ。それに、独り?。」
「予定変更!。ネゲイの偉い人、ゴール様がもうすぐここに来るわ!。」
今度は驚く演技だ。
「え?。まだ準備ができてない!。」
「そうなの。私たちもさっき知ったばかりなんだけど、ゴール様は今日中にネゲイまで帰れるように、街道の人たちより早く来たんだって!。」
「そうか。そのゴール様って何人で来てる?。ソルも一緒?。」
「ソルと、ゴール様の二人で、もうすぐここに来るわ!。あと、補修の人たちも今日中にここまで来れるよう、ちょっと早めにネゲイを出発したって。ルーナは、その人達の案内が要るから、まだヤダに残ってる。」
補修本隊の動きをカバーできていなかったな。出発したことは「虫」でも捉えてはいたが、ここまで来ることを目標にした出発時刻であることまでは、移動速度がわかっていないと気づけない。
「わかった。椅子とかお茶とか、用意しよう。」
オレは、既に打ち合わせ済みだった行動を小ニムエ達に指示した。




