3-3 谷への来訪者
推敲で全文消えていますが、初稿はこのあたりから書き始めています。背景説明がここまで長くなるとは思っていませんでした。
雪は少しずつ減ってゆく。CL(墜落暦)九二日、仮暦で三月十日、言語解析も収集した語彙の九割以上を理解できるレベルに達している。文法は「アイ・ラブ・ユー」型、つまり、主語の次に動詞が続くパターン。そして、ヤダで交わされる会話から、明日CL(墜落暦)九三日にマーリン・ポイントを含むヤダ谷方面に人が来ることがわかった。いよいよ、初交渉か。
主目的はヤダ谷の奥にある放牧地と夏小屋の確認。あわせて、雪が本格化する前の大音響の原因があれば調べること。例年なら雪が消えてから行う放牧地と夏小屋の確認を、大音響があったから今年は特別に早めたらしい。彼等は既に、主機の反動で掘られた大穴のことは知っている。
オレ達がここに不時着していることはまだ知られていないので、離陸して姿を消すことができれば何も悩まないのだが、まだ残っている雪のために地表面の状態がわからないこと、謎の「手」の情報が皆無で、それを避けて軌道に戻る確実な方法も考えられていないこと、そんな理由が積み重なっていて、彼等の訪問をここで待つしかない状況だ。
誰かがここに近づけば、谷底で雪の中から屹立しているマーリン7の垂直尾翼を発見されるのは確実で、その後の対応が問題になる。オレの姿も見せて接触するか、今回は観察に留めるか。
雪は少なくなってはいるが、まだマーリン7の機体に徒歩で近づくのはむつかしい、とオレは感じている。
来訪者対応のため、「虫」も三匹を新たに使えるようにすることを、αに頼んだ。
明けてCL(墜落暦)九三日。
朝、夜明けとともに、ヤダ谷調査隊はヤダを出発し、村に駐留させていた「虫」の一匹が追尾を開始した。昨晩の会話でメンバーはわかっている。調査隊といっても二人。エンリ、ルーナと呼ばれている姉妹だ。地球人基準で見れば、エンリが十六~七歳。ルーナは十三~四歳ぐらいだろう。この二人になった理由は、彼女たちが放牧と夏小屋の責任者という立場だかららしい。
昨晩用意していた新しい「虫」を迎えに送り出し、追尾を交替させた。視認されない距離を選んでいるので会話は聞こえない。二人はヤダ川と付かず離れずの距離で平行している街道を北上してきている。街道も、ヤダより南は幅三メートルほどもあるが、ヤダ以北は二メートルあるかないかという小径になっている。その小径は、マーリン・ポイントの左岸斜面を通って更に奥に伸びていて、谷がまた屈曲した奥は、「虫」ではまだ詳しく調べていないが衛星画像によると平原のような所に通じている。これが彼等の会話に出てきた「夏の放牧地」のようだ。
二人とも、背嚢を背負って槍のようなものを持っている。先端は石器、黒曜石のようなもの。腰のベルトには、鉈が入った革袋。二人とも、槍の石突きを杖のように地面に突きながら歩き続けている。薄いが雪は残っており、所々には氷盤のようになった区間もあって、どうやらスパイクのようなものを足裏に付けてはいるようだが、二人の歩みは遅い。丘陵地帯を抜けて山岳部に入ると倒木などもあってペースは更に悪くなった。
時折、道を外れて小休止を挟みながら、二人は昼過ぎにマーリン・ポイントを隠している谷の湾曲部に達した。
二人から見て谷が右に湾曲しているあたりを過ぎ、垂直尾翼上端のカメラでも二人を視認した。こちらから見えているのだから向こうも同じだろう。無垢の金属光沢は渓谷の風景の中で異質に目立っているはずだ。
はたして、二人も数百メートル先にある異質なものに気づいたようだ。こちらを指さしながら何か話をしている。次は、こちらに近づけるか調べようとするだろう。二人が進んでいる小径は雪も少なくなっているが、谷底の雪量は多く、マーリン7にたどり着くのは難しいだろうとは思う。二人はどうするか?。
二人は歩調を早ようとした。が、倒木を乗り越え、或いは谷に落としながらではなかなかペースを上げることもできず、悪態らしい大声も上げながら、谷底に降りることができそうな地形を探して近づいてくる。やがて、道を外れて谷底に接近できる場所を見つけたらしく、そこから慎重に斜面を降りてきた。マーリン7が滑落で残したした痕だ。街道も、そこで崩れて二十メートルほど途切れている。「虫」を使ってこの谷の立体地図を作った時に、αと「これはやっちまったなぁ」と零していた場所でもある。
雪崩が溜まった高さまで降りてきた二人は、その上を歩けるか手に持った槍であちこちを突いたり叩いたりして足場を探っていた。また何か会話を交わすと、槍をと背嚢を下ろし、背嚢の中から折りたたまれたカンジキを取り出すと開いて両足にそれを付け、また背嚢を背負い直して両手で槍を水平に持ち、マーリン7に向かって雪の上をゆっくりと歩き始めた。距離は、二十メートル程か。
だがしかし、数メートル進んだところで一人が悲鳴を上げる。カンジキは履いていても、片足が太腿まで雪の中にはまり込んでいた。崩落した雪崩の堆積だから、内部には隙間も多く、踏む場所を間違えればそうもなるだろう。
残った一人が慌てた様子で、しかし足下を確認しながら近づいて槍を伸ばす。はまり込んでいた一人はその槍を掴んで脚を引き抜き、安定した足場を探って立ち上がる。「気を付けてよお」「ごめんごめん」というような会話が交わされているのだろう。
改めて二人は雪の上を歩き始めたが、今度は先ほどは無事だった一人が雪の中にはまり込んでしまった。さっきよりも深くはまっており、左半身が雪の中だ。残された一人が慎重に接近して助け出す。また何か会話を交わして、マーリンへの接近はあきらめたのだろう。二人は雪の上を引き返し始めた。
「今日の接触はナシ、になりそうね。」
「そうだな。多分オレより小柄な体格、小ニムエ達より少し大きいぐらいの体格で今の雪の上は歩けないこともわかったし。まだ一週間ぐらいは接触はできないかな。」
「おそらくそのくらいは、待たないとダメでしょうね。」
「朝一番で出てきてもう昼過ぎか。昨日聞かせて貰った話によると、これから夏小屋に行くんだっけ?。」
「そうね。これからヤダに帰ったら、帰り着く前に暗くなるでしょうし、距離はわからないけど夏小屋に行くんでしょうね。夕べの話でも食糧何日分とか言ってたもの。」
斜面の下まで帰り着いてた二人は槍と背嚢を下ろし、カンジキも外す。カンジキに付着していた雪を払って、多分中のものが濡れるのを嫌ったのだろう、カンジキは背嚢の横に付いた紐に吊し、改めて背嚢を背負い直して槍兼杖を持つ。そして北に残っているはずの街道へ続いているであろう斜面を登って行った。街道まで登ると、左に見えているマーリン7を気にしながら街道の奥、北へ向かって進み始める。倒木除去でペースも上がらず、まだ、谷底の雪原へ降りることができる場所を探してはいるが、高低差も大きくなってゆく中で、それもあきらめた模様。
街道を歩く二人の姿が垂直尾翼のカメラからは追えなくなった後は、「虫」が観察を引き継ぐ。追加で用意した三匹の「虫」のうち一匹は、地形の都合で中継点として今の場所近くに残さなければならない。残り二匹。足りるか?、と思ったところでαが言った。
「もう何匹か、『虫』を追加した方が良さそうね。」
「そうだな。追加三匹くらい?。」
「一匹余らせる想定で、そのくらいでしょうね。『虫』は五匹一セットで梱包されてたから、今二人の追跡に使ってる三匹を用意した時に残り二匹も使えるようにはしてたの。二匹を今すぐ出して、準備ができたら一匹追加でいい?。」
「そうしよう。」
それから二時間ほど歩いたところに洞穴が並んでいた。等間隔で、直径一メートル程のほぼ真円に近い開口部が幾つも並んでいる。この構造は、人の手で掘られた洞穴のようだ。二人はその中に一つ、中央の洞穴に入った。雪と倒木がなければ、ここまで多分三十分ほどの所要時間で済んでいただろう。
「虫」は既に追加分をあわせた六匹体制となっている。ここに至るまでに渓谷内の中継点はもう一つ増えていた。中継二匹。残り四匹。一匹は洞穴入口附近での中継に残し、三匹は二人を追って洞穴に入らせる。二人に気づかれないように距離はおかなければならないし、光量が少ないので飛ばすには危ないか?、歩かせるか?。増光モードか、赤外線で見れば移動させやすいか?。
入り口近く、外の光が届いている壁を拡大表示すると蚤跡が見える。よく固結した砂岩を削ったものか?。いつ掘られたものかまではわからない。奥行きは十メートルほどか。中は人が立って歩ける程度に広がっているが、光量に乏しいので細かい部分はわかりにくい。壁の割れ目から水が浸み出ているところがあり、その下では出てきた水が貯められるような浅い窪み幾つか連なって作られていた。壁面を水が流れ落ちる線の回りは白くなっていて、窪みの中には何か沈殿物が溜まっている。これは塩を採取しているのかもしれない。あふれた水は細い流れでヤダ谷の方へ流れ下っていた。内容物はわからないが、水の流れを避けた場所に木箱や布袋も置かれている。
洞穴内では外のように「虫」を飛ばせなかったので、再び二人の姿を捉え直すまでに数分かかった。洞穴内の中継点一匹。撮影用は二匹が残っている。
二人は既に火を熾していた。鉈か、槍先の黒曜石で薪を削って作ったらしい木屑が、まだ小さな火の周りに散らばっている。火を付ける瞬間を見逃したのが惜しい。ヤダの村の中では、竈などに残されていた種火から火を大きくしていたのでまだ見ていなかったのだ。機会はあるだろうが、どんな道具を使ったかは技術レベルを見る指標になったのに。
エンリは摘まみ上げた木屑を火の上にパラパラと落としてみたりゆっくりと息を吹きかけたり、新たに木屑を削り落としたりしながら、まだ小さな火の世話をしている。ルーナは壁際に積まれた薪の中からよく乾いていそうなものを吟味している。やがてルーナは五本ほどの薪を抱えて戻ってきた。先によく燃えそうな薪の樹皮を剥がし、少し砕いて火の中に落とす。エンリが削っていた薪の先端は杭のように尖ってきていて、エンリはその先端を火にくべると、火の周りの拳ほどの石を数個並べ直し、杭の先端が安定して火の中に固定されるよう、杭となった薪を石の上に置いた。ルーナも運んできた薪を、焚火の中へ、よく燃えそうな順に積み上げてゆく
奥には粗末な毛皮の敷物が敷かれた寝台のようなものが二人分。寝台の中も薪が積まれているようだ。ここは簡易的な宿泊施設、話に出てきていた夏小屋だな。並んでいる他の洞穴も似たような用途か、倉庫だろう。水もあるし、火を使えるならあとは食料とかの消耗品を持ち込むだけで維持できそうだ。
火が安定したら、二人は背嚢から果物と干し肉らしいものを取り出して食べ始めた。日没まであと一時間を切っていた。洞穴内で日光は入ってこないが、外に光があるうちに仕事は片付けておくということか。
翌日、CL(墜落暦)九四日。日の出から三時間ほどして二人はマーリン・ポイントまで戻って来た。追従していた「虫」情報では、夜明けとともに二人は洞穴から更に十五分ほど登ったところにある平原(夏の放牧地だろう)に達し、何ヶ所かで積雪深を測ったり、雪の下になっている枯れ草の様子を見てから下山してきたようだ。
昨日用意していた「虫」六匹のうち、二人と一緒に降りてきた一匹以外の五匹は、今、例の洞穴群の探査とその中継用にあたらせている。夏の放牧地の詳細調査は、まだ雪が多いので融けてからだ。
山を下りてきた二人は昨日と同じように機体へたどり着くための道を探そうとするが、カンジキまでは出さず、雪の上を何ヶ所か槍で突いて、安定した足場になりそうな場所が少ないことだけを確認すると街道に戻って行った。
二人に付けた「虫」が一匹、ヤダ村の近くまで二人を追う。
昼過ぎになって、二人はヤダ村まで帰り着いた。
二人は一旦一つの小屋に入って荷物を下ろした後、一番大きな建物、村長の家に移動して中で話をしている。曰く「谷の中に大きなピカピカした板が立っていた」「近づこうとしたが足下の雪が不安定なので断念した」「夏小屋の内部は異常なし」「往復の経路も一部崩れているが一応無事。しかし雪がまだ多いので移動には時間がかかる」等々。聞いていた者達も時々質問を挟み、「雪が減ったら行ってみよう」「どうせ夏小屋あたりまでは皆行かなければならないのだし」などの結論に至っていた。二人が持ち帰ったであろう情報から予測しやすい範囲の結論だった。こちらでも、雪が少なくなってからの再訪問にどう対応するか、考えよう。
この数日で急にアクセスが伸びたようです。ありがとうございます。




