3-1 集落の観察
新章です。登場人物は大きく増えます。
翌朝、CL(墜落暦)七六日。天候は回復していたが、積雪量は更に増えていた。垂直尾翼上端のカメラで見ているが、昨日の雪崩の上に五十センチ近くも新雪が乗っているのではないか?。
「α、この量でも『跳ね上げて除雪』というのはできるの?。」
「跳ね上げることだけはできるけど、落ちてきた雪はまた船体の上に残りそうね。船体両脇とも、横に雪が残ってるからそれが壁になって落ちてくれないと思う。」
確かにそうだ。昨日見た「跳ね上げ式」除雪の光景では船の両脇にできていた隙間から雪が下に流れ落ちていたが、今モニタに出ている船体正面の画像ではそんは隙間は見当たらない。しかし雪がまた船体上に落ちてきても、分布は変わるはず。船体軸線附近の雪が少しでも薄くなれば、エアロックも露出しやすくなる。それともう一つアイデアも浮かんだ。
「今廃熱は全部垂直尾翼の熱交換器に回してるだろ?。それをフォースの上面に切り替えたら、フォースだけは確保できないかな。別にサードでもいいけど。雪の量が薄い方で。」
「そうね。そうするわ。フォースの方が雪は薄いみたい。あと、これのために出力は上げないわよ。変に融かしすぎて姿勢が急激に変わる方がイヤだから。」
「それでいいよ。じゃあ、『跳ね上げ』を一回。それから熱交換器をフォース上面に切り替えてしばらく放置だな。」
「わかったわ。エアロックが使えそうになる時刻がわかったら教えてあげる。」
ずっと地表観察をしながら周回を続けているβによると、この地域では積雪線が五十キロメートル程も南に戻ったらしい。
「まだ短いですけど除雪のやりなおしみたいな線が見えてます。『折角頑張ったのにぃ』って感じでしょうねぇ。私は天空の高みから『働け働け人民どもよぉ』って感じですけどねぇ。」
「このあたり以外の経度のところはどう?。」
「似たような感じですよぉ。北半球では平均して雪の領域は縮小中。但し、部分的な揺り戻しはあり、って。逆に、南極附近は雪の領域が徐々に増加中、て言いたいところではあるんですがぁ、全部海の領域なんで、海流や風に流された氷が動き回ってるから詳しくはわかんないっす。あのあたりの氷山に緯度経度と温度を測定できるブイでも落としてやれば面白そうな数字が拾えますよぉ。いかがです?。旦那ぁ。『おまえを追放した学会を見返してやるチャンスだ!』ってね。」
誰がマッド・サイエンティストだ。
「学会に復帰するためのデータを取るにはまだ準備が不足してるな。β隊員には引き続き現任務の続行を命じる。」
「アイ・サー」
どういう学習の成果か、βと話すのは気分がほぐれる。
午後になって、一四四五M。αから、エアロックが使えるようになったと知らせてきた。
「今から『虫』を出して明るい間に着けるかな。直線で片道六キロメートルとか言ってたよな。」
モニタには、ここから一番近い「集落」を探索するために作った立体地図が表示されている。基盤は衛星からの写真を合成したもの。マーリン7からの見通し範囲内は「虫」達の成果による立体写真に置き換えられている。マーリン7と集落の間の所々に入っている丸印は中継用の「虫」を置く場所の候補地だ。直線では六キロメートル程となっているが、中継点を結びながら辿る経路は十キロメートル近くになっていた。この経路は、その集落からマーリン谷方向へ移動する何者かがあったときにわかりやすいよう考えたものだ。
「行けるわ。最長移動距離で十キロメートルなら、今から出発すればまだ明るいうちに着くわよ。最終アプローチは少しだけ暗くなった東からになるし、見えにくくていいわ。」
「じゃあ、行こう。昨日考えた計画のとおり、中継三と偵察五で合計八匹。」
「もう小ニムエが八匹を用意してエアロックの前で待ってるわ。すぐに出すわね。」
集落探索計画を表示したモニタの中で、マーリン7から数字の塊が離れていった。一群は最初の中継点に向かっている。中継点近くで減速。別のモニタに「虫」から送られてきた山肌の映像が表示された。
「ここが良さそうね。」
αが山肌の一角に丸印を重ねる。マーリン7からも見えている稜線の上端、おそらく三十センチ四方ほどの平面で、やや傾いてはいるが凹凸は少なく、強風でなければ、いつまでもそこにじっとしていられるであろう場所だ。
「よし。中継点一つ目決定。次へ行こう。」
中継点の名称を考えるのを忘れていた。あとで考えよう。当面は「中継点一」だ。
中継点一には八番が残ったらしい。地図上で、「八」以外の数字が横一列になって移動している。移動のついでに、地形測量のための写真も撮っているのだ。やがて中継点二候補地の山肌がモニタに現れる。この映像は中継点一を経由してきたものだ。先ほどと同じようにαが使えそうな場所を示し、オレは承認する。同様に、中継点三も決定。「一」から「五」の数字は集落へ向かった。
集落上空。まだ一六〇〇Mになっていない。少し暗くなっているか?。まだ明るいか?。「虫」達は等間隔で地表から三〇〇メートル上空を、直径三〇〇メートルの円を描きながら旋回中。この高さなら地上からは見つからないはず。
俺の前には地図と五匹の「虫」それぞれから送られてくる画像で合計六つの映像が表示されている。
集落はマーリン谷から流れ出ている川の近くにあり、規模は一〇〇メートル四方ぐらい。建物群は逆茂木や土塁で囲われており、街道との連結部ほか数ヶ所は開閉できるようになっていた。逆茂木と土塁の外は農地らしい区画。おそらく川と平行して作られたであろう主街道らしい道筋から両脇へ伸びる数本の道があり。川と、反対側の山へ通じている。その道に沿って、中が数部屋ほどありそうな大きな建物が三棟。一部屋だけのような小屋が三十棟ほど。中には倉庫とかもあるだろうが、住んでいるのは二十家族程?。街道から分かれた道は川に向かっての緩やかな勾配だが、建物がある区画は階段状に整地されている。排水路らしい小溝も川の方向に向かっている。農業用水だろうか?。主街道と平行してやや大きめの溝も掘られているが、今は水はない。これが水路ならば、もっと上流でマーリン谷からの川から分岐しているに違いない。集落の様子を少し見ただけで、色々と、調べることが思い浮かぶ。
人影らしいものも幾つか見えているが距離があるので容貌まではわからない。その身体を包んでいる毛皮も、自分の身体の一部なのか、他の動物の皮を剥いだものなのか不明だが、火を使い、これだけの建物を作る技術があるのだから、衣料品として毛皮を使っている可能性が高い。身長は、大きなものでも二メートルにはならないだろう。広角レンズによるこの距離の観察ではその程度しかわからない。
建物の基本構造は長方形で建てられた木製の柱と泥塗りの壁、屋根は板葺きの切妻で、雪が積もりにくくなるよう急角度で高く、その分、地面から屋根までの壁部分は低い感じ。オレとかが入ろうとしたら頭をぶつけないよう気を付けなければいけないかも。
送られてきた映像を見ながら気になったことなどをつぶやき続ける。ニムエ達は基本的に入ってきた情報を一切廃棄しないので、αに聞こえる声量で続くオレのつぶやきは、あとで整理されて調査計画に組み込まれる。
「到着がちょっと早かったかな。」
「見つかりにくい時間帯、という意味ではそうね。でも、重点探査目標を考えるにはこのくらいの方がいいんじゃない?。」
「そうだな。赤外線とか、可視以外の映像も見たい。」
モニタの一つはそのまま。他の四つは波長の順に電波(長波)、電波(短波)、赤外線と、紫外線に変わった。どのモニタも四分割でそれぞれの帯域の高いところ、低いところに分かれている。予想はしていたが、電波のモニタは暗い。
「火を使っている建物はわかりやすいな。多分、居住用のものは二十弱か。」
「ええ。とりあえずは、火を使っている建物のうち大きなもの四棟に一匹ずつにしましょう。残り一匹は、マコト、多分あなたの考えてることわかるわよ。」
三棟ある大きな建物のうち一棟は、火を使っていて居住用。別の一棟が火なし。多分、今は無人。残りの一棟は火を使っていなくて、紫外線の反応が妙に大きかった。
「あの建物だけ紫外線で妙に強い反応があるな。何だと思う?。」
「火を使わない、紫外線を出している。何かそういう生物、家畜小屋のようなものかしら。地球にも、特定波長の紫外線だけ反射するとか可視光をその波長の紫外線に蛍光させて仲間を見分ける昆虫とかがいたじゃない。ちょっと前にβが知らせてきた巨大ムカデがいたでしょ。あれの、この地方版の品種かも。」
「地球生物の類型で考えたら、その可能性が高いな。一匹、五番はそこに送ろう。それから、反応の悪い電波帯域は、今後一時間に一回だけチェック。何か見つかるまではその程度の頻度でいい。」
大きくて火を使っていそうな一棟と、小屋のなかでも赤外線が強いところ二棟へ「虫」一番から四番だ。
「わかったわ。そろそろ暗くなってきたから『虫』達を送り込むわね。」
火を使っていることが明らかな建物の中では、遂に原住民の姿を至近距離で見ることができた。「虫」達は直接光が当たらない柱の陰などに居場所を定めて彼等の行動を観察している。屋根裏部分の容積が大きいので、「虫」達が隠れる場所には困らない。屋根裏の一部は板敷きの二階になっていて、倉庫や居室としても使っているようだ。
屋内はそれほど明るいわけではないが、住人は、人間型、というか、少なくとも防寒のための衣類で隠されていない部分は地球人にそっくりだ。いつかαが言っていた「地球と同じ起源である可能性」という言葉を思い出した。αはそんなことを意識しているのかいないのか、「地球人と喉の構造が似ていたらほとんど同じ音を発音するから、言語解析がしやすくていいわ。」などと言っている。実際、意味も文法もわからないが広帯域で収集され始めている言語データはオレにも発音できそうな音が多い。起源の仮説については、また話し合わなくてはならないだろう。
αが「家畜小屋かも」と言った建物は、本当に家畜小屋だったようだ。内部は二つに区切られ、うち一つの区画に羊のような動物が十数頭。この羊に紫外線の反応は少ない、足先の泥に汚れやすい部分だけだ。もう一つの区画には藁のようなものが大量に積んであった。紫外線を発している物質は、ここの地面に最も多いようだ。羊たちの紫外線も、多分ここから運ばれた泥によるものだろう。そうすると、この藁は、羊たちのエサ、兼、謎の大型ムカデの保温用か?。この気温ではムカデも冬眠でもしているだろう。だんだんと光量が乏しくなる中、あまり詳しくも観察できない。日没後は、五番を別の観察候補に移動させようか。夜闇でどのくらい移動できるのか、試す機会にもなる。
地球文明で例えると十八世紀以前、灯火が薪や油、蠟燭しかなかった時代の人々の生活は、日没からそれほど経たずに就寝していたはず。だとすれば、今、「虫」から送られてきている人々の活動はそれほど長く続かないだろう。それまでは、イヤ、日が昇ったらそれからも、しばらくは言語データの収集に努めることになる。
まだ二〇〇〇M前だが集落での人々の活動は終わった。皆、毛皮にくるまって眠りについているか、眠ろうとしている。αがオレに言った。
「マコト、まだ言語解析は終わってないから単語も文法も確定してないけど、使われてる音素は多分分類を終えたわ。」
「うん。」
「それで『可住惑星調査における文化汚染対策の指針』の附則書三Cというのを見たんだけど、ちょっと気になったことがあるの。」
「何が気になったって?。」
「意思疎通のための会話について、『可能な限りは相手と同じ言語を自分で発声することが望ましい』って、知ってるでしょ?」
「知ってる。それを念頭に、『オレにも発音できそうだ』とか考えながら聞いてたよ。」
同時通訳の装置による音声で話をすることもできるが、それは相手の言語がこっちの喉で扱えない場合だ。
「自分で発声するには、自分がその言語を習得しているか、インプラント経由で声帯と呼吸系を無理矢理動かさないといけない。」
「知ってる。」
「でもあなたインプラント嫌いなんでしょ。自分の意思で使っているのをほとんど見たことがないもの。」
「今日の『虫』からの音声と映像を見てて『これはインプラントか』とか思ってたところだな。あれを好きじゃないのは、事実だよ。」
「何でインプラントを使いたがらないの?。」
「インプラントを視界に割り込ませたら、背景の、本来見えているはずのものが、全然見えないだろ?。だからインプラント使用中は歩き回るとか怖くてできない。絶対に何かにぶつかって転ぶ。でも、発声器官の操作だけなら多分大丈夫だろうとは思ってる。」
「マコト、よくわからないわ。あなたのインプラント設定はデフォルトのままのところが多いけど、視覚割り込みの時の透明度は調整できるはずよ。『全然見えない』ってことはないはず。」
知らなかった情報が出てきた。
「そうなの?。怪我の治療で初めてインプラントを入れた時に色々試したけどダメだったんで、そういう仕様だと思ってた。」
αは数秒おいてから話し始めた
「わかったわ。あなたのインプラントのログを確認したわ。あなたのインプラントの初めての設定は怪我の治療用だったから、それを邪魔しそうな機能はロックされてたのよ。患者にインプラントで遊ばれたら病院が困るものね。そのあとで機構に採用されてから制限は解除されるし拡張も受けてるわ。でもログは、動作確認と、私が設定した体調管理のための命令ばかり。あなたが自分でインプラントを使うのは睡眠と起床時間ばかりだったわ。情報検索とかの履歴は、ほぼゼロよ。」
知らなかった情報が出てきた。インプラントで情報検索なんかしたら視界が情報で埋まってしまうから、何か知りたい時はマーリン7のモニタを見ることにしていたのに。
「じゃあ、今までのオレは『食わず嫌い』だったってことか。なんか人生損した気分だな。」
人生の中に、人工冬眠中の期間を計算に含めるか否か?。
「メニューや情報検索の結果表示を半透明にできるなら、もっと使うと思うよ。発声しての会話は少なくなるだろうけど。」
「じゃあ、情報ゴーグルであなたが設定している透過度七十パーセントに、こっちから操作していい?。音声会話が少なくなってさみしがるのはβぐらいしかいないわ。」
「βとは今までどおりでやるよ。透過度頼む。」
視界にインプラントのメニューが表示され、「設定」「表示」……とメニューツリーを進んで……
「ありがとう。これで今から『マコト・ナガキ・ヤムーグ・バージョン三・レビジョン二』だ。」
「三と二は何?」
「怪我する前、怪我してから、機構に入ってから、で、三。インプラント設定変更前後で二、だな。」
「なんか喜んでもらえてるようでよかったわ。三の二さん。」
オレも、今まで鬱陶しいと思っていた事柄が一つ解消して、実際に喜んでいる。
「イヤ、話はしてみるもんだな。動作確認とか追々やっていくけど、例えば今のオレにオレの知らない言語をしゃべらせることはできる?。」
「ネイティブと同じというわけにはいかないけど、できるわよ。」
オレの口から、何かわからない言葉が出てきた。自分がやりたい呼吸のタイミングと、インプラントに強制された呼吸のタイミングが合わずに少し途中で途切れる。
「今のは『ネイティブと同じというわけにはいかないけど、できるわよ。』のペルシャ語版よ。」
あ、これは機構に入ってインプラントのアップデートを受けた時に一回やっている。
「思い出した。こんな感じか。息継ぎのタイミングとかも含めてインプラントに任せないとダメだな。これは練習がいるぞ。」
「すぐにできるようになるわ。ライブラリによると、大抵の人は一時間も経たずにできるようになってる。力を抜くことね。」
力を抜くべき。理屈はわかる。あとは練習か。
「聞く方も試したい。」
また、αによる何かわからない音声が聴覚に届き、半秒ほど遅れてαの声で「一匹の虫にとっては小さな一歩……」と割り込みが入った。視野には字幕も重ねられる。
「これもペルシャ語よ。」
「OK。微調整して欲しいことがあったらその都度言うよ。これからの現地語解析と、オレのインプラント再訓練、頼むよ。」
「そのための私よ。マコト。」




