2-10 ワン・スモール・ステップ
翌日。CL(墜落暦)七五日。多分二月二一日。〇八三〇M。天候も良く、無風に近い。これは都合がいいので、「虫」達を連携させるテストを行うことにした。用意した「虫」は十匹。マーリン谷から一番近いという集落までの測量と、その集落内の偵察、偵察情報をマーリンに送り返すための中継と予備で、おそらくその程度は必要だろうと見込んだものだ。オレは船内服の上からワードローブにしまい込まれていた私物の冬用上下を着込み、「虫」と「虫」メンテナンス器具が入ったコンテナを肩からかけ、フォース・クォータ上面のエアロックへ向かう。外へ出てもαとの連絡ができるよう、情報ゴーグルも装着している。外へ出ても凍えないよう、手袋も着用中。
「α、いよいよ『ワン・スモール・ステップ・フォー・ア・マン』だぞ。『オープン・セサミー』。」
指先を「開」ボタンに当てようとしたところでαが言った。
「マコト、その格好じゃ命綱のフックがかけられないわ。作業ベルトを付けてね。」
オレは改めて自分の格好を見る。確かにそうだ。命綱なしで外に出て、もし滑落でもしたら小ニムエ達総動員の大騒ぎになる。初の船外で緊張しすぎていたか浮かれすぎていたか。
肩から「虫」コンテナを下ろし、壁面に並ぶ船外用圧力服のロッカーの一つを開くと、扉裏にかけてあった作業ベルトを腰に巻いた。改めてαに呼びかける。
「これで大丈夫かな。」
「ええ。じゃあ、コンテナも忘れずにね。ドアを開くわ。」
今度は忘れかけていたコンテナの肩紐をかけ、エアロックの内扉前に立つ。ボタンを押すまでもなくαが遠隔でドアを開いた。
「よし。」
一言つぶやいてエアロック内に入る。壁面に並んでいる命綱リールの一つのロックを解除して先端を引き出し、腰の作業ベルトにカラビナをつなぐ。「閉」ボタンを押す。内扉が閉じて密室になる。酸素が吹き込まれてきた。気圧を上げて気密チェックをしている。気密状態の確認……OK。外扉操作のボタンの上に「操作可」の表示が出る。オレは「開」ボタンを押す。
内扉は壁面だが、外扉は天井側だ。円形に天井がくりぬかれて内側に引き込まれ、横にスライドしてゆく。隙間から、空が見えた。少し緑の混ざった青だ。同時に冷気も入ってきた。首元のファスナーを引き上げる。この寒さは主観時間でも一~二年ぶり。実際にはもっと長く経っている。長らく怠惰な生活をしていた鼻粘膜が痛い。情報ゴーグルは防寒にも少しは効くな。ゴーグルのマイク経由でαに呼びかける。
「じゃ、今から出る。このエアロック近辺の表面斥力場は?。」
「外扉を開いたのと合わせて、フォース・クォータの上面は解除してあるわ。」
「OK。」
オレは肩から下がるコンテナの位置を少しずらして天井へつながる梯子をにぎり、登り始めた。
遂に全身が船外に出た。冬眠明けからの主観時間だけでも百日以上、あ、イヤ、今は考えるのを止めよう。まずは、コンテナを置いて、エアロックの転落防止バーを出さなければ。命綱があるので外扉は閉じることができない。開きっぱなしは危ない。しかし、首から上が寒い。船内での準備中は数時間の連続作業も苦にならなかった。直接外の空気にさらされているのは顔面だけとはいえ、この気温での外での作業は、長く船内温度でだけ過ごしてきたオレの身体にはちょっときついかもしれない。
用意した「虫」は全て今までに一回は外を飛んだことがあるものばかりだ。但し、全て有視界飛行で、マーリンからの見通し線の外に出したことはない。
これからもっと長距離運用することを考えると、見通し圏の外に出しても帰還できる能力が必要だ。衛星測位が使えず、地上の固定ビーコンとしてはマーリン7しかないヤーラ359-1では、光学情報とINS(慣性航法)で自分の位置情報を把握し、帰還コースを自ら算出できなければならない。
オレはコンテナからマーカーを取り出して船体外殻に五十センチ程の間隔で十個の点を付けた。それぞれの横に一から順に番号も書いておく。次に「虫」を一匹ずつ「稼働・待機」状態にしながら点の上に頭が来るように置いてゆく。「虫」にも番号が割り振られている。「虫」がそれぞれ静止していることを横目で見ながら、またコンテナから「虫」制禦用に準備した端末を取り出し、一番から順に「INS初期化」のコマンドを送る。途中で、手袋は脱いだ。端末が、どうも操作しにくい。全部の「虫」にコマンドを送り終えてからまた一番から順に状態を確認。よし。皆自分の今の位置でXYZともにゼロと認識している。
「α、ビーコンを頼む。」
「出してるわ。」
マーリン7からビーコンを発信。これから「虫」達はこのビーコンが一定強度以上で受信できる範囲を飛び回る。但し、このビーコンはXYZの位置決めには用いず、マーリンから離れすぎて回収ができなくなることを防ぐためのものだ。
また端末を操作。「虫」二番以降は、光学情報も併用してそれぞれ自分の一つ前の番号の「虫」が発するビーコンを追うように設定する。一番にはライブラリにもあったアクロバットの指令を入れた。全ての「虫」の衝突回避は有効化。ゴーグルの視界に表示されているチェックリストを見る。よし。始めるか。端末から一番に飛行開始のコマンドを送信した。
一番は羽を広げ、その場で十センチほど浮き上がる。一瞬停止し、いつものように安定を確認すると、マーリン7の機首方向、南へ向かって勢いよく飛び出した。二番はすぐに一番のビーコンが弱まったことを検知して浮上し、安定を確認してから上昇しながら旋回し、一番の方向を捉えて後を追う。次々に二番、三番と続いて、一分と経たずに全ての「虫」は飛び立った。
手が冷たいので改めて手袋を付け直す。「虫」達はマーリン7を中心とした半径十キロほどの範囲を、マーリン7からの有視界の範囲内で飛んでいるはずだが、オレの視力では百メートル単位で離れてしまっている体長五センチの「虫」は見えていない。ゴーグル越しに空を見回すと、東に数字の集団が動き回っている一角を見つけた。と、その中から「一」がまっすぐこちらに向かってくる。それまでは団子状態だった「二」以降も直線でそれに続いて、今度はマーリン7の真上で乱戦を始めた。
「全部の『虫』が出てから一分経過。マコト、手袋を戻したみたいだけど、端末は操作できる?。」
「悪いが手袋のままでじゃ操作しにくかったし、脱いだら冷えてやっぱり操作しにくい。ここで見てるから続きは頼むよ。」
「わかったわ。寒すぎるとか色々あるでしょうから、あなたが船内に戻りたくなったら小ニムエを行かせるわ。しばらくそこで見てて。編隊リーダーを一番から二番に変更します。」
アクロバットの編隊長は一番から二番に替わった。引退した編隊長の一番は、十番に追従する機動に切り替わる。編隊長が一番高機動で動き回るので、全部の虫の機動量を同等にするための交代だ。
編隊長は順次交代し、十番が先頭になってから一分強。αが言った。
「そろそろ、『虫』達をポジション・ゼロに戻すわ。マコト、帰還コースを邪魔する位置に立ってて。衝突回避機能も見ておきたいの。」
危ない確認方法を選ぶヤツだな、と思いながら指示された位置へ。この辺か?。
「帰還信号送信中。」
西の空で一列になって上昇中だった「虫」たちは一斉にこちらに向きを変えた、はず。ゴーグルを通した視界では、一本の線を形成して移動していた数字の位置が止まり、続いて、ゆっくり間隔が狭まっていくように見える。
やがて、ゴーグルの数字それぞれの後ろに黒い点が見え始めた。そして、あるものはオレの上を通り過ぎ、あるものはだいぶ横にそれてから回り込み、別のあるものはオレにぶつかりそうなコースを取りながらも数メートル手前で迂回コースに入り、全ての「虫」達は出発点に戻った。マーカーで最初にオレが付けた印の上に、ちゃんと頭を乗せている者、一センチほどずれている者、最低順位は、十センチ近くもずれている四番君。キミだよ。イヤ、四番は定位置に戻ろうと歩行している。ビリではないかもな。
飛翔開始からここまで、「虫」達は自分の位置情報をINSだけで把握してきていた。通行運用ならINSの誤差は時間経過で増えてゆくものだが、アクロバットのような高機動は短時間で誤差を起こしやすい。帰ってきた「虫」達は、安定して静止できて、それぞれの座標原点に最も近い場所(と、それぞれのINSが示している場所)に止まっているのだ。
「飛行中の全ログを回収中。こっちから測定した位置データと突き合わせるわ。十匹分もあると何分か待って貰わないと結果は出ないけど。マコト、その間に虫たちが戻ってきた状態をゴーグルで見せてよ。累積誤差を見るのにそれが一番確実な方法だから。」
オレは「虫」たちに視線を向けながら、ポジション・ゼロの外側をゆっくりと歩いて一周した。
「平面位置は、許容範囲内のようね。ログの解析は……とりあえず飛行終了位置のものだけ完了。XYZの合成誤差は全部五センチ以内。INSだけでこれだけの精度なら、問題ないわ。」
四番君、居残り追試は免れたようだぞ。実運用なら光学センサーの情報も併用して位置補正するから、この程度の誤差は許容できる。
「次は情報中継機能の確認よ。十匹全部の順列組み合わせでやると一日やっても終わらないから、使用頻度が高そうなパターンを優先して『虫』を入れ替えながらやるけど、外作業は小ニムエに引き継いで貰ってもいいわよ。寒いとトイレも近くなるでしょ。」
実は少し感じてはいたのだ。αもオレが冬服の下に着ている船内服のセンサーを通じて検知していたのだろう。
「ありがとう。小ニムエを一体来させてくれたら引き継ぐ。フォースのエアロックはオレが中に入るまでは小ニムエが出てこれないな。サードから来れる?。」
「そのつもりで準備中よ。」
できる部下だ。
間もなく、サード・クォータのエアロックから小ニムエが出てきてこちらに歩いてきた。オレはコンテナや端末、「虫」たちを指し示す。
「持ち出しているものはこれで全部だから、ここを頼む。」
「了解です。」
「じゃあ、戻るよ。」
自分が出てきたフォースのエアロックに戻り、転落防止バーを外してから梯子を降りて船内に戻った。あ、折角「ワン・スモール……」とか考えていたのに、結局雪の上には降りなかったな。全く、締まらない。
私室で冬服を脱ぎ、ゴーグルも外していつもの格好に戻ったオレは操縦室に向かう。操縦室、とは呼ばれているものの、実態は通信室だなとか考えながら。
「戻ったよ。」
「キャプテン・オン・ザ・ブリィジ」
あぁ、そうか。船橋か。そっちの方が違和感がないな。交代しない当直員のニムエαもいるし。「橋」構造の船橋が廃れてから何世紀も経つが。
「進捗は?。」
「今はチェックリストの三番よ。『虫』の組み合わせを変えながらカタログスペックの間隔十キロメートルまでのテストを始めようとしてて、Aチームを南、Bチームを北に送り出したところ。予定の位置まではあと……着いたわ。」
モニタにはマーリン谷の地図。Aチームはマーリン7から二キロほど南。下流で谷が曲がっているあたり。Bチームは八キロほど北の上空。この偏りは、下流に行かせすぎて原住民?に気づかれるのを防ぐためだろう。
「マコト、何かしゃべってみて。『虫』達を経由して受信するから。」
「ワン・スモール・ステップ・フォー・ア・バグ、ワン・ジャイアント・リープ・フォー・バグカインド。」
スピーカからオレの言葉が流れた。
「ワン・スモール・ステップ・フォー・ア・バグ、ワン・ジャイアント・リープ・フォー・バグカインド。」
「問題ないわね。今、全部の『虫』を経由させたのよ。あなたの偉大な言葉に『虫』達も感動の嵐に包まれてるに違いないわ。」
「もしかして『虫』に自然言語は理解できるの?。聞いてなかったけど」
「その気になればできるわ。でも意味がない。あのサイズに詰め込める電源容量に対して思考は結構な電力量だから、『虫』の頭には目標地点に到達するために必要な機能だけを詰め込んで、それ以外の操作はAIか人間が直接操作した方が効率がいいの。」
「なるほどね。次は?。」
「ちょっと待ってて。今、さっきの『バグカインド』の演説を、経由する順番を変えながら回してるから。」
モニタには通信パスの順列組み合わせが数秒毎に切り替わっている様子が表示されている。もっと短い演説にすればよかった。
「あと、さっきγから提案があって、『虫』との交信をγからもできないか試したいって。『虫』からの信号は弱すぎてガンマで受けられない可能性の方が大きいと思うけど、一応、今日の作業手順に追加はしておいたわ。」
「γから信号を送ることはできそうだけど、そういう目的のために使う中継装置も積んでなかったっけ?。」
衛星と通信できる中継装置を使えば、ここからγを経由して南半球でも「虫」達を運用できる。そういう仕様だったはずだ。
「あれはデルタに組み込みなのよ。当面はマーリン谷を拠点にするしかないから今すぐ使う必要はなくて、今日の作業予定には入れてなかったの。外そうと思ったら外せるけど、結構面倒よ。やってみる?」
「イヤ、まず今日は基本セットを優先しよう。併せて、ガンマとの直接通信の可否確認かな。直接通信の結果は見えている気がするけど。」
「虫」種の偉業を称える言葉はその午前中に数千回ほども谷の中を飛び交った。「虫」とガンマの通信は、予想どおり、「虫」達に対する一方通行の指令送信しかできなかった。
久しぶりに「虫」を出して、不規則ながらも写真も撮影できていたので、午後は何十日も前、積雪が増える前に撮影したものと比較して、マーリン谷の地形データの更新ができるかと、思っていたが、移動しながらの撮影ではあまり使えそうな写真はなかった。
午後は天候も悪くなっていた。日々、気温は上昇しつつあって毎日の降雪量の数字も小さくなってきているが、こういう日もあるだろう。αから報告。
「また雪崩があったわ。後ろから押されて船体が持ち上がって。下にできた隙間にも雪が入ってる。船体前方はやっぱり岩にでも当たってるんでしょうね。前には進んでないみたい。ピッチはやや下向きに変わってます。船体の上にもおそらく最大で厚み一メートル弱ぐらい、雪崩が覆っているわ。気温が高くなって少し緩んだ斜面の上に新雪が乗って、バランスが崩れたんでしょうね。エアロックも全部埋まったわ。まだ降り続きそうだし、どうする?。せめて『虫』達の出入り口は確保しておきたいんだけど。」
「遠距離中継テストも正常終了したから、明日以降、天候の具合次第で『虫』達に下流の集落らしい場所を見に行かせるはずだったろ?。」
「そうね。それに備えて充電量のチェックとか、今準備中だったのよ。」
「雪のおかげでここに人が近寄れないのはともかく、雪のおかげで人の所に近づけないのもなぁ。もう今日は、『虫』は出せないな。今後も天候はどんな感じ?。」
「ベータとガンマが送ってきた雲画像では、少なくとも今日の明るい間は今みたいに降り続きそうね。」
「なら、今日はやめておこう。天候が回復してから斥力場で跳ね上げ吹き飛ばし、ということで。明日か、遅くとも明後日にはできるだろ。今日は、集落偵察計画の、細かいところを考えよう。」
次回から新章です。




