2-6 越冬
更新ペースを少し上げることにしました。
まえ
2-6 越冬
翌日。墜落から六日目。そろそろ「何日目」と記憶を辿りながら数えるのが面倒になってきたので、ニムエに頼んで船内で使う時間表記に、墜落日を初日とした「墜落暦」を併記させることにした。今、CL(墜落暦)六の〇七四三Mだ。標準手順にはそんな項目はないし、まだここでの一年が何日なのかわかっていないが。
そういえば、αとβ、γの三機体制になってから、その集合体の呼称である「ニムエ」を意識することは殆どなくなったな。それぞれが別人格のように振る舞っていることもあるのだろう。
なお、標準手順では個々の惑星で用いる暦法について、「既に運用されている暦法があればそれを採用する」「既に運用されている暦法が存在しない場合は、精密観測を始めた時点を紀元元年とし、北半球における冬至点通過後十日目が属する日を紀元二年一月一日とする。」とされている。天文学者達は「冬至を元日に」と主張したらしいが、やはり入植者が使う暦であるので、地球のグレゴリオ暦由来の、天文学的には少し歪んだ暦の方が生活者に便利、と決められたらしい。
この標準手順では、潮汐ロックされた惑星の場合とか、自転軸の傾きがゼロで冬至が存在しない場合とかの例外規定はあるが、ヤーラ359-1では例外規定を使うこともなさそうだ。潮汐ロックされた惑星に地球生物を持ち込んでも暮らしにくいだろうとは思うが。
また、ここには文明らしいものがあって農地の区画割らしい地形も見つけている。農業が行われているなら「既に運用されている暦」もなければ困るだろう。既存暦を調べれば、その暦を作成した集団の天体観測技術と数学のレベルがわかる。これも、文明と接触したら知りたいことの一つだ。観測データや計算方法は秘匿されているかもしれないが
朝の日課でもあるαの報告を聞く。
「細菌類の分析結果が、ちょっと変なの。」
「どんな風に?。」
「地球の細菌と近縁種としか思えないものが幾つかあるわ。」
「近縁種と推定した根拠は?。」
「単純な顕微鏡写真で類似性がある、というか、そっくりなものが幾つかあって、DNAを調べてみたらもう地球産としか思えない。」
「そんなに似てるの?。」
「ええ。塩基がATGCなのは想定内。この温度帯と化学組成でこれ以外の組み合わせはまだ見つかってないし。でも、同じ機能を実現するのにATGCの同じ配列は必要ないのに、ほとんど同じなの。」
サメとイルカは水中での運動能力を得るために似たような形状を採用しているが、遺伝子配列は明らかに異なる。
「微生物だと詰め込める情報量も少ないだろうから必然的に似てくるのかな?。」
「その可能性はあるわ。でもライブラリにある地球産の微生物と比べたら、DNA変異の度合いから見て千年から一万年ほど前に分岐した遠い親戚、という感じよ。」
驚くべきことを告げられた。
「近すぎる。コンタミとか、そういう可能性はないのか?。」
「ダストの分析でそういう結果が出て、昨日採取した水サンプルはコンタミの可能性も考えて隔離を更に徹底した状態で調べたの。で、つい三十分ほど前に出した結論は、『地球産と同じDNAを持った細菌が存在する』という事よ。」
可能性として考えられるのは
a)千年から一万年前に、地球から移植された(誰がどうやって?)
b)同一の起源を持つ生物が地球とヤーラ359-1に播種された(距離を考えたら多方面に放出された播種船のようなものが地球とヤーラ359-1にそれぞれたどり着いた?)
あたりか。細胞分裂を繰り返すうちに転写エラーが発生してゆくものとして、バックグラウンド放射線量も「千年から一万年」という推測に影響する。だが、
「ここのバックグラウンド放射線量はまだ測定できてないよな。?」
「ええ。この場所だけで測定しても意味がないから、まだ手を付けてないわ。だからさっきの『千年から一万年』もヤーラ359-1のバックグラウンド放射線量が地球と同じ程度、と仮定しての推測よ。」
「手が足りないけど引き続き観察頼む、としか言えないな。」
「ええ。AIは労働基準法の適用外だから二四時間頑張るわよ。ここじゃ一日にもう一時間ほど余分な時間があるからその時に休むわ。」
αは冗談を交えた。自転周期のおかげで追加の一時間はあるが、彼女が休むことはない。
「メンテナンスで手伝える範囲はオレも動くよ。馴化前の今は動ける範囲がかなり制限されてるけど。」
「お願いするわ。あと、地球によく似た細菌がある、というのは、マコトにはもう免疫がある、ということだから、馴化措置が楽になるわよ。」
「それはいいニュースだな。」
CL(墜落暦)九日。
主機と融合炉の点検も、今できるものは完了との報告を受けた。小ニムエを外に出せるようになったので、外から導電検査と超音波探傷をかけたいう。この谷に擱座している間はフルスペックでの性能試験はできないが。バッテリーはまだ数ヶ月は保つが、融合炉も試運転を兼ねて最低出力で動かし始める。
融合炉からの廃熱も、垂直尾翼に任せることにした。マーリン7の重量を支えている雪を融かしたくなかったからだ。
更に数日。ダストサンプラーはDまで回収した。同じ天候ばかりではサンプルが偏る可能性があるから小休止を挟んでいて、四個目たるDに至る頃には墜落からも十日以上経っていた。
天候と言えば、晴れる日はあっても積雪量はほとんど減らない。雪が降れば雪の量は増える。マーリン谷は日々接近困難の度合いを増していて、春までは誰であれ、ここに近づいてくることはなさそうだ。
小ニムエは毎日少しずつマーリン7からの距離を伸ばしながら氷サンプルの収集を続けている。雪上を動きやすいよう、足に付けるカンジキのような物も作ったようだ。「虫」もマーリン7から直接見通しできる範囲内の地形データの収集を終えた。雪で隠されている部分は春になったら再測が必要だが。
複数の「虫」を使えば、それぞれを中継点としてマーリン7からの見通し圏外も調べられるのだが、これから雪も増えてゆく季節だろうし、天候予測の精度をもう少し向上させるか、厳冬期を抜けてからにするべきか、時期を考えている。
また朝の報告の場にて。
「昨日が冬至だったようね。まだ誤差はあるけど、昨晩遅くのガンマからのデータを見たらそんな感じ。今の観測情報じゃ昨晩、CL(墜落暦)十三日の二二〇〇M過ぎに冬至点を通ったのかも。自転軸の傾斜は、黄道面から二五.四度。」
「正確なところは動かない地上観測点からの天測が要るんだろうけど、それを起点に観測データのタイムスタンプを修正するんだろ?。」
「そうね。標準手順にはそう書かれてる。でもまだこの星での一年が何日か確定してないし、確定したらまた同じ手順でスタンプ修正をやるから、どうしようか考えているところよ。標準手順でも最終形は示されてるけど、どの作業をいつやるべきかは決められていないの。」
「そのあたりは計算リソース次第だから、判断は任せるよ。」
「なにしろ、標準手順によるヤーラ359-1暦では、今日から十日後に紀元二年になるということで、船内の時刻表示とかは仮にでもそれでわかるように直しておいたわ。」
時刻表示を見ると「墜落暦元年十二月二二日(日)」となっていた。
「二二日とか、日曜とかはどうやって決めたんだい?。まだ一年が三六五日とか確定してないだろ?。」
「十二月は三一日まである。というか、仮にグレゴリオ暦の三六五日をはめてみただけよ。観測精度が上がったら表示も直すわ。四月一日が二回あったりするかも。ウソも二回考えなくちゃいけなくなるわね。それと曜日は、今日がCL(墜落暦)十四日だから。『第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった』知らない?。」
αは、旧約聖書を引用した。
「わかったよ。当面はそれで行こう。」
「あなたも定期的に休む習慣を付けた方がいいと思うの。」
「ここが地球文明圏の中で、周りと協調しながら生活してるならそうしてると思うよ。今は、馴化もしてなくて船内の限られたスペースでしか動き回れないから、できることも少なくて休みすぎている気はしてる。」
「墜落以来ちょっと生活リズムが乱れているところがあるから、私もあなたのスケジュール管理をもう少し気を付けるわ。」
冬至過ぎ。今日はCL(墜落暦)十四日。では、墜落初日、マーリン7を押し流した雪崩は、初冬に季節外れの大雪でも降っていたのだろうか。それとも万年雪があった?。万年雪は雪崩になるものなのか?。考えても答の出ない疑問は、多いな。
CL(墜落暦)二四日。一月一日になった。天候は悪く、雪も多く、馴化措置もまだのオレは退屈している。今日が仮とはいえ元日、というのはわかっているが、一月が何日続くのかもわかっていない。
昔読んだ本にあった「雪に閉じ込められて何十日、数ヶ月も動けずに過ごす」というパターンを幾つか思い出す。備蓄食糧で生き延びる、足りなくなって死に絶える、偶々温泉で越冬することになったので暖を求めに来た野生動物を狩って生き延びる、などなど。




