大罪人の行方
その大罪人の行方を知る者は誰も居ない。
高貴な生まれで数えきれないほど公の場で目撃されたというのに、その存在を記述した記録が一切存在しない。
いや、意図的に記録が書き直されているのだ。
明らかにそのようなことをした跡がある。
しかし、誰かに尋ねても曖昧な言葉が返されるばかり。
下級貴族の面々に至っては「見たこともない。そもそもそんな女性なんかいたか?」なんて言う始末だ。
ならばと、大罪人の生まれた一族の下へ行けば本来名前が書かれていたはずの場所は塗りつぶされている。
一族の長に名前を出して尋ねれば、のらりくらりとかわされる。
それでも辛抱強く詰問をすると、しばしの沈黙の後に返って来たのはたった一言だけ。
「身に余る光栄でした」
それ以上は何を聞いても返ってこない。
さて、この時代には名君と呼ばれる王が居た。
彼は慈愛を持って人々に接し、それ故に民からは愛の化身と称えられた。
彼は慈悲を持って敵と相対し、それ故に政敵からさえ偉大なる方と畏怖された。
そんな彼には一つの細やかな楽しみがあった。
「ここまででいい」
そう言って王は流行りのドレスを抱えて護衛の騎士をその場に控えさせた。
「ですが、王様。城の内とは言え、独りになるは流石に危険です」
「大丈夫だ。朝までには戻る」
言うが早く、王は小走りになりながら塔の中に姿を消した。
その後ろ姿を見ながら騎士はため息をつく。
「あれが私の主君の姿か。情けない」
声は聞こえているはずだったが、王は何も言わなかった。
何せ、王にとっては数少ない自らの時間なのだ。
配下の小言になど構っていられない。
「お人形遊びにも困ったものだ」
大きくなった騎士の独り言は今日も王の足を止めることは出来なかった。
私は塔の階段を一段、一段足早に駆け上がる。
自分の胸が早鐘のように鳴っているが、息が切れる気もしなかった。
この塔には誰も居ない。
塔の頂に封じた彼女以外には。
扉の前につき、私は伝う汗も乱れた髪の毛も気にしないまま扉を開く。
すると、そこには本を読んでいた彼女が居た。
彼女は私を見るとぽかんと口を開けていたが、やがて呆れ笑いを一つ零して言った。
「偉大な王がなんて恰好をしているのですか」
「すまないな。君に早く会いたくて」
「護衛の騎士も呆れているのでありませんか?」
「小言まで言われたよ」
私はドレスを彼女に差し出したが、彼女はそれをあっさりと脇によける。
「あまり時間がないのでしょう?」
そう言って私の体を抱擁してくれた。
しかし、私はドレスを拾い上げて伝える。
「頼む。袖を通してくれないか。君のために用意したんだ」
その言葉に彼女は再び呆れ、そして頷いた。
「かしこまりました。陛下」
強い者は弱みを見せない。
いや、弱みを完全に覆い隠してしまうのだ。
その観点から考えれば王の手段はある種、完璧な方法と言えるかもしれない。
自分の弱みと成りえる最愛の人物を、権力を用いて存在そのものごと消してしまうなど。
口にするのも憚れる大罪人を追う者など居ない。
だからこそ、それが不自然に消えたとしても誰も気にしない。
「陛下。いかがですか?」
大罪人が王の運んだドレスを身に纏う。
その様を見て、王は子供のような笑顔を浮かべて言った。
「とてもよく似合っている」
名君と呼ばれた王の呆れるほどの間抜け面を見つめて大罪人は苦笑いをするばかりだった。