ストップオーバー
4月11日 1013時 インド タミル・ナードゥ州 チェンナイ国際空港
インドには四季の概念が無く、基本的に、10月から3月頃が乾季、3月から5月終わりまでが暑期、6月から9月までが雨季という季節の区切りがある。
今日のインドの気温は36度。他の国からしてみたら、ほぼ夏のような気候だ。そんな中でも、この人口14億人という、世界最大の人口を抱える民主主義国家は、1950年1月26日にイギリスから独立後は、東西冷戦期も含め、常に第三世界の代表格的な立場を示していた。
2010年代に入ってからは、BRICSと呼ばれる、大きな経済成長を遂げる大国のメンバー入りをしつつ、ロシアや日本、アメリカ、欧州との関係を強めるなど、多方面外交を続けてきた。
しかしながら、インドはパキスタン、中国といった隣国と対立関係にあり、アジア第二位を誇る非常に大きな規模の軍隊を保有している。約1000両の戦車部隊に加え、特殊部隊的な性格を持つ大規模な緊急展開部隊を保有する陸軍。他国との共同演習の規模を拡張し、3隻の空母、弾道ミサイル原潜など、合わせて180隻近い艦船を持つ海軍、250機以上のSu-30MKIを含む1500機もの航空機を持つ空軍がある。
インドの兵器は、主にT-90SやSu-30MKIといったロシア製兵器が多いが、P-8IポセイドンやラファールEH、C-17Aなどの欧米製の兵器も多数保有している。
チェンナイ国際空港では、今日も多くの旅客機が離発着している。広大なインドの国土を移動する国内線も、アジアやヨーロッパを結ぶ国際線も、その国土面積と人口に比例し、毎日、極めて多数の飛行機がインド国内を行き交っている。
そんな中、1機の戦闘機が空港の滑走路に着陸した。交差する2本の滑走路のうち、南西側のランウェイ07にタッチダウンし、そのまま空港北側にある沿岸警備隊のエプロンに向かう。その戦闘機に続き、別の戦闘機が着陸し、合計8機の戦闘機が沿岸警備隊のエプロンに駐機した。その後、6機の空中給油機と8機の軍用輸送機、4機の旅客機も着陸する。そのうち、タンカー2機と輸送機2機は"ウォーバーズ"の保有機だが、他は傭兵部隊"アーセナル・ロジスティックス"の保有機だ。
今日、彼らは一晩、インドでストップオーバーして、翌日の朝、シンガポールのチャンギ空軍基地へ向かうことになる。
4月11日 1034時 インド タミル・ナードゥ州 チェンナイ国際空港
F-15EXのキャノピーが開いた途端、むっとした湿気を含む熱気が吹き込んできた。まるで、梅雨時期の九州のようだ、と佐藤勇は思った。小松の飛行教導群に引き抜かれる前は、北海道の千歳基地の部隊に所属していたが、移動訓練で6月頃に訪れた宮崎県の新田原基地が丁度こんな感じだったな、と佐藤は思った。
「うわっ、何よこれ」
後席にいたアイリス・バラクは顔をしかめた。イスラエルは確かに暑いが、乾燥しており、南アジアや東南アジア、東アジア地域とはまた暑さの質が違う。乾季とは言え、中東の乾いた暑さと、アジア地域の湿気を含む、ねっとりとした暑さはまた別物だ。
「いやー、日本の夏もこんな感じだな。ディエゴガルシア島も似たようなものだろ」
「そうだけど、イスラエルはここまで酷く無いわよ」
"ウォーバーズ"の他のパイロットたちも、次々と飛行機から降りてきた。そして、ゴードン・スタンリーが、やって来たインド空軍と政府の関係者が差し出した書類の中身にしっかりと目を通してからサインする。
「懐かしいわね、ここも。ここには、インドの沿岸警備隊のヘリ部隊があるのよ。そして、すぐ近くに軍の施設もあるわ」
サリー・モラがSu-30MKから降りて、サングラスをかけて周辺を見回す。
「うう・・・・これは、何も言えなくなるわね。この暑さ」
北欧のスウェーデン出身のレベッカ・クロンヘイムは、この暑さには閉口するしかなかった。彼女は、早くもフライトスーツの上半分を脱いで長い袖を腰のところで結び付け、タンクトップだけの上半身を晒している。
向こうでは、輸送機から"アーセナル・ロジスティックス"のクルーたちが集まって、機体の点検をしたり、タブレット端末を持つ空港職員と打ち合わせをしたりしている。
やがて、C-5Mから"アーセナル・ロジスティクス"のハーバート・ボイド司令官が降りてきた。ボイドは、地上で待っていたインドの役人が差し出したタブレット端末に表示されている内容を一字一句漏らさずしっかりと読んで、内容を吟味してから、タッチペンでサインをする。
パイロットたちはエプロンでフラフラと屯しているが、"アーセナル・ロジスティックス"のA350-1000から降りてきた"ウォーバーズ"と"アーセナル・ロジスティックス"の整備員たちは、これから一晩かけて、全ての航空機を整備点検しなければならない。
やがて、"ウォーバーズ"司令官のゴードン・スタンリーと"アーセナル・ロジスティックス"司令官のハーバート・ボイドが、部下たちを集め、簡単にブリーフィングをした。明日は1130時にインドを発ち、空中給油をしつつ、シンガポールへと向かう。フライト予定時間は、約3時間半。つまり、シンガポールに到着するのは、現地時間1600時頃を予定している。到着後、翌日は演習についてのブリーフィングと訓練空域での注意事項の確認を合わせたシンガポール空軍関係者とのミーティングで丸一日を使い、飛行訓練を始めるのは、シンガポール到着翌々日となる。
「なあ、ゴーディ」ボイドがスタンリーに話しかけた。
「あまり言いたくは無いんだが、お前さんたち、まるで疫病神じゃないか?どこかへ演習に出かけては、トラブルに巻き込まれていないか?UAE然り、エジプト然り」
スタンリーは閉口したが、確かにその通りだった。自分たちが、どこかの国へ演習に出かけると、必ずと言っていいほどトラブルに巻き込まれる。それも、ほぼ必ず、後方支援を要請する形で"アーセナル・ロジスティックス"を巻き込んでいる。
「まーあ、今回の演習は俺たちも参加する訳だが。それと、この間のカンタス航空のアレ、一応、事故だと報道されているが、ブラックボックスが海の底だとな」
ボイドは腕組みをして、街の方を眺めた。
「ああ。だから、オーストラリア海軍がフリゲート2隻と調査船1隻、民間のサルベージ船3隻を使って、飛行機とブラックボックスを躍起になって探しているが、見つかったというニュースは見ていない」
「お前さんたち、一度、哨戒機と戦闘機を使って捜索したんだろう?でも、見つからなかった」
ボイドは、エプロンに駐機している"ウォーバーズ"のS-3Bヴァイキング対潜哨戒機の方を見る。今回の演習は、対水上戦の訓練も含まれているので、エジプトでは全くもって出番が無く、同行したもののすぐにディエゴガルシア島に帰ることになったS-3Bも訓練に参加することが決まっている。
「ああ、そうだ。それに、例え見つけたとしても、ヘリやオスプレイで浮いている人間を拾い上げるのが関の山だ。持っている船は、小さいサンダウン級掃海艇が3隻とRHIBだけだし、基地に残しているヘリも、バートレップ用のCH-47Fと掃海用のMH-53Eが4機ずつだけだからな。それに、遭難者を救助できても、俺たちの小さな基地だけでは、受け入れ態勢にも限界がある」
「確かにな」
だが、ふと、スタンリーの心の中に、ある疑念が湧き出てきた。あのカンタス航空が行方不明になったのは、本当に事故だったのだろうか。カンタス航空は、旅客便の運航を開始してから、今日まで一度も多数の死傷者を出す事故を起こしていない。なので、この南インド洋で行方不明になった件は、世界中で連日、重大ニュースとして報道されている。世界一安全な航空会社とも言われている、故郷のフラッグキャリアがこんな事態になったのは、実は、事故では無く、例えばテロ攻撃に狙われたのではないのだろうか。しかし、現在の飛行機のセキュリティは、9.11テロを契機に、特に世界的に有名なエアラインであれば、極めて厳重なセキュリティが施され、荷物に爆弾を紛れ込ませたり、ハイジャックしたりするのは極めて困難になっている。だとしたら・・・・・・何者かが、戦闘機で撃墜した?だが、ディエゴガルシア島の管制官は、当日、戦闘機らしき機影は確認していないと報告していたし、基地の管制レーダーと早期警戒レーダーの当日のログを調べたが、確かに不審な機影は記録されていなかった。
「そうだ、ゴーディ。今回の演習、アメリカ海軍やオーストラリア空軍がオブザーバー参加するらしいじゃないか。あまり下手こいたり、はしゃぎ過ぎたりして、連中に睨まれないように気を付けないとな」
「確かに、お前の言うとおりだ。オーストラリア空軍は将校に視察させる程度らしいが、アメリカ海軍は駆逐艦を3隻、派遣しているようだ」
「そいつはすげぇ。俺たちも、大物になったものだな」
「ああ。だから、お前の言う通り、お行儀よくしないとな。腐ってもアメリカ海軍だ。奴らに睨まれたら、その気になれば、俺たちなんて簡単に殲滅できる」
「だな。俺たちの拠点を潰したいならば、大規模な侵攻部隊なんて必要無い。バージニア級攻撃原潜かアーレイ・バーク級駆逐艦から、トマホークを一斉にぶっぱなせば、5分で俺たちは皆殺しにされる」
「そういうことだ。さて、飛行機の点検が終わったら、さっさとホテルへ行って、飯を食って寝るぞ。明日から忙しいからな」
「ああ。じゃあ、明日の0900時にここだな」
「そうだ」
"アーセナル・ロジスティクス"と"ウォーバーズ"のメンバーたちは、機体を警備する少数の要員だけを飛行場に残し、早めに宿泊先のホテルへと向かった。ここは、あくまでも中継先に過ぎないのだ。