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ほんとの『好き』を教えて?  作者: 原田 楓香
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8.  舞台②


 物語は、ある男性と女性の出会いの物語だった。2人は、お互いの職場の近くのカフェで出会い、それから偶然の出会いを重ねて、次第に惹かれ合うようになる。


 それは、ワクワクするような、ときめきに満ちたラブストーリーで。圭さんの朗読なので、当然だけれど、彼の声も彼女の声も、同じ圭さんの声だ。アニメの声優さんのように、キャラクターごとに声を変えるわけではない。

 それなのに、私には、ちゃんと目の前に、彼の姿も、彼女の姿も、はっきりと見えるようだった。 ちょっとした息づかいや、間の取り方とかで、あ、今、彼が笑った、あ、彼女がドキドキしてる、とかが、ちゃんとわかるのだ。

 さらに、圭さんの演奏するピアノが、絶妙なタイミングで入るので、様々なシーンが一層鮮やかに目の前に浮かんでくる。

 いつのまにか、すっかり私は、お話の世界に引込まれて、隣にいる想太のことも、すっかり忘れていた。


 夢中に過ごした前半部が終わり、休憩時間になった。

 2人の素敵な恋人たちの姿が、私をとても幸せな気分にしていた。ぼ~っとしていると、

 「どう?」 想太が、言った。

 「めっちゃいいね……ため息しか出ないよ。声もピアノもすごく素敵」

 「うん。そやな。シーンがはっきり目の前に見えるみたいやな」

 「そうそれ! 声は、圭さんの声なのに、ちゃんと、彼の声と彼女の声と、違って聞こえる」

 「うん」

 「演奏されてる曲のピアノの楽譜欲しいな。全部素敵」

 「ホールで売ってたかもしれへん。あとで見てみよう」

 「うん」

 あれこれ話しているうちに、休憩時間は終わり、第2部の開始が告げられた。


 2人は、やがて結婚し、お互いをとても大切にし合う、温かな夫婦になる。可愛い赤ちゃんも生まれ、これ以上の幸せはないと思うくらい、2人は幸せな日々を送っていた。

 ところが――――そんな2人をまっ暗闇に突き落とすような事故が起きてしまう。

 娘をベビーカーに乗せて買い物に出た彼女、歩道を歩く2人に向かって、突っ込んでくる車。飛ばされるベビーカー、重傷を負い、意識を失う彼女。

 知らせを受けて駆けつけた彼の目に飛び込んできたのは、2人の大切な愛娘の小さな遺体。重傷で意識不明のままの妻。


 もう、このあたりから、私は、涙が止まらなくなってしまった。あんなに幸せだったのに。ちょっとしたタイミングで、こんなひどい事故に遭ってしまうなんて。あんなに可愛い赤ちゃんだったのに。あんなに、可愛がっていたのに。むり。泣かずにはいられない。


 隣では、想太もお母さんも泣いている。客席のあちこちで、泣いている気配と、鼻水をすする音がする。

 (ハンカチハンカチ)一生懸命ポケットを探る。ない。そうだ、カバンに入れて、駅のコインロッカーだ。うう。顔ぐちゃぐちゃなのに。

 隣から、想太が青いタオル地のハンカチを差し出してくれた。前に、私が貸してあげたやつだ。

 「返そうと思って持ってた」ささやくような声で、想太が言う。

 (ありがと)私も口パクでお礼を言う。

 

 

 物語は進む。やがて、彼女の意識は戻り、彼女は、大事な娘が、亡くなってしまったことを知る。けれど、重傷で死の淵をさまよっていた間に、娘の葬儀が終わってしまっていたので、どうしても、亡くなってしまったことが実感できなくて、苦しむのだ。

 彼女の体の傷は、少しずつ回復していくのだけど、心は、深く傷ついたままで、彼も彼女も、毎日、あれほど笑って過ごしていたのに、まったく笑えなくなってしまうのだ。


 可愛い娘を失ったことがつらすぎて、彼は、この事故が彼女のせいじゃないことをよく分かっているのに、『なぜ、よりによって、あのタイミングで、あの場所にいたのか、なぜ、可愛い大事な娘を、あんな風に死なせてしまったのか』と、ついつい彼女のことを、恨んでしまうようになるのだ。

 彼女も、同じように自分があの場所に行かなければ、と自分を責め、立ち直れないくらい落ち込んでいる。そして、彼が彼女のことを責めるような眼差しで見ていることに、気づいて、深く傷ついていく。

 2人は、2人でいればいるほど、どんどんつらくなって、心がどんどん離れていってしまうのだ。


 (もう、むり。むり)

 私はつらすぎて、涙が止まらなくなり、ハンカチは、さらにぐっしょりだ。涙と鼻水で。


 とうとう、別れて暮らすようになった2人。

 ある日、1人で、事故現場を訪れた彼女。思わず、ふらっと道路に飛び出してしまいそうになる彼女を、後ろから抱いて引き留める人物。彼だ。

 彼も同じように、事故現場を訪れていたのだ。

 2人は、そこで、お互いをいたわる言葉を事故後初めて交わすのだけど、もう、遠く離れた2人の心は、元に戻ることはなくて、彼と彼女は、それぞれ、別の方向に向かって立ち去っていく。


 圭さんのピアノが、静かに、優しく痛みを癒やそうとするように流れる。わずかに明るさを感じさせる曲に、彼らがいつかは、立ち直れる日が来ることをかすかに予感させて、物語は終わった。


 鳴り止まない拍手。歓声。そして、涙を浮かべる観客。会場は、始まったとき以上に熱い空気で満たされている。圭さんの朗読と、演奏の素晴らしさが、観客の心を熱くしているのだ。

 私は、と言えば、涙が止まらなくて、よくツボにはまる、とかっていうけど、まさしく涙のツボにはまってしまって、もう号泣状態で。


 「大丈夫か?」 想太が心配そうに、私をのぞきこむ。

 「う」

 

 アンコールに応えて、圭さんが再び舞台に出てくる。

 涙と鼻水ですごい顔になってるけど、必死で拍手する。何が何でも、拍手だけはする、そう思って。


 会場の外に出ると、少しは落ち着くかと思ったけど、むりだった。第一部の幸せな2人を一瞬でも思い浮かべると、第二部の、あの冷たい笑えなくなってしまった2人の姿がつらすぎて、あとからあとから新しい涙が湧いてくるのだ。


 「大丈夫?」 お母さんも、言う。

 「だ、だいじょうぶ、」です、と言いかけて、また声を上げて泣いてしまう。

 「ちょっとお手洗い、行こうか」

 お母さんに誘われて、一緒に行く。そして、顔を洗う。

 思い切り、ざばざば、ちょっと乱暴に洗う。

 少しだけ、気持ちが切り替わる。


 「大丈夫かな?」

 「はい。すみません。泣きすぎですよね」 私は、少し恥ずかしくなって言うと、

 「そんなことないよ。私も、初めて聞いたときやばいくらい泣いたから。それに、そんなに感情移入して聞いてくれるって、演者からしたら、とても嬉しいと思うよ」

 お母さんは、柔らかな笑顔でそう言った。


 2人で、ホールに戻ると、想太がぽわんとした顔で立っていた。

 「私ちょっと、追加で買いたいグッズが出来たから、ちょっと待っててね」

 お母さんがそう言ったので、私たちは、そのまま、ホールの隅っこで待っていることにした。

 「めっちゃ、泣けたな」

 「うん。めっちゃ泣けたね。始め、めっちゃ幸せやったから、その分、あとがよけいつらかった」

 「そやな」

 「あんなに愛し合ってたのにね。あんなふうに別れてしまうなんて、思わなかった」

 

 想太が、しんみりした顔で、私を心配そうに見ている。

 考えてみたら、私がこれほど泣いているところを、彼は見たことがないはずだ。だから、彼は、すごくびっくりして、とまどってるに違いない。

 「ごめんね。想太。びっくりしたよね。私、ちょっと泣きすぎだよね。自分でもびっくりしてるくらいだから……」

 そのとき、想太がぼそっと言った。

 「オレやったら……」

 「ん?」

 「……オレやったら、あんなふうに、別れへん。絶対、もう一回一緒に笑えるようになるように、がんばる。1人で彼女を泣かせたままにせえへん」

 「想太……」

 

 (やばいよ。想太。もう一回涙が出てくるじゃないか)

 そう思ったら、思わず、言葉が勝手に私の口から飛び出していた。

 「ねえ、想太。想太は、何があっても、私からあんな風に離れていかないでね。きらいになったりしないでね」

 「なれへんよ。絶対。何があっても、オレ、みなみのこと、きらいになんかなれへん」

 「想太……」

 私の涙腺が、決壊したのは言うまでもない。


 




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