年始の天満宮に降る初雪
※ 挿絵の画像を作成する際には、ももいろね様の「もっとももいろね式女美少女メーカー」を使用させて頂きました。
一年の計は元旦にあり。
此の言葉の由来は、毛利元就公の遺された書簡であるとも、明代の官僚である馮応京によって記された「月令広義」であるとも言われておりますわね。
由来や出典につきましては諸説紛々。
とはいえ正月の境内を埋め尽くす黒山の人集りを見るにつけ、此の年始の抱負を表す格言が生きた言葉であるという事は確かなようで御座いますわね。
新年を迎えるにあたって定めた抱負を、御神仏に御伝え申し上げたい。
そうした参詣客の皆様方の御気持ちは、私こと小野寺真弓も重々承知しておりますの。
何を隠そう此の私も、今年一年の抱負を堺天満宮の御祭神に御伝え申し上げようと、こうして馳せ参じたのですからね。
今年は私の人生において、大きな転機となる年で御座いますの。
何を隠そう私は、今年の六月に祝言を挙げるのですから。
言わば今年の抱負は、人生の新たな門出の抱負でもあるのですわ。
そこで此度の初詣に於きましては、婚約者である生駒竜太郎さんに御一緒頂きましたの。
「竜太郎さんの御宅では、初詣は此方に御越しですの?」
「この堺天満宮は実家からも程近いですからね、真弓さん。松の内の間に、頃合いを見て参詣しておりますよ。とはいえ両親は何かと忙しいので、ここ最近は専ら懇意にして貰っている使用人の方との参詣ですね。」
私の問い掛けに、快活に応じて下さる竜太郎さん。
御無理を申し上げて御一緒頂いたのですが、嫌な顔一つなさらずに御快諾頂けたのは喜ばしい限りですわ。
織田信長公に仕えた戦国武将である生駒家宗公の末裔にして、爵位持ちの華族様であらせられる生駒家の御曹司。
そうした由緒正しき肩書きを御持ちの竜太郎さんには、厳格な堅物という第一印象が御座いましたの。
然しながら秋の京都や冬の御堂筋におけるデート等の折に為人に触れ、その実は年齢相応の好青年であると改めて実感する事が出来ましたわ。
「だけど今年は真弓さんと御一緒に参詣する事が出来たのですから、喜ばしい限りですよ。オマケに真弓さんの方からお誘い頂けるとは、全く光栄です。」
「まあ、竜太郎さんったら…」
竜太郎さんの好意的な一言をお聞きして、私はホッと胸を撫で下ろしましたの。
何しろ此度の参詣は、解釈次第では初詣デートとしても成立するのですからね。
殿方である竜太郎さんを、私の側から初詣デートにお誘いする。
此の行為が差し出がましい真似にならないかと、冷や冷や致しましたわ。
「それにしても、和装での御参詣とは良い心掛けですね。目新しい柄ですが、御新調ですか?白椿の柄が上品で、真弓さんによくお似合いですよ。」
「御気付き頂けて喜ばしい限りですわ、竜太郎さん。何しろ御年始で御座いましょう。下ろしたての御着物で、着衣始めと洒落込ませて頂きましたの。」
扇子で口元を覆いながら上品に応じさせて頂きましたが、私の心は小躍りしたくなる程の喜びに満たされておりましたの。
何しろ私が袖を通しております桜色の和服は、此度の初詣の晴れ着も兼ねて新たに誂えたのですから。
裾に雪兎をあしらった黒地の和服と最後まで迷いましたが、こちらを選んで正解でしたわ。
教科書や学習教材を取り扱う小野寺教育出版の社長令嬢として、そして船場でも指折りの旧家である小野寺家の長女として、御年始の御召し物には拘りたい所ですわ。
それを竜太郎さんに御誉め頂けるとは、何たる僥倖なのでしょう…
「ホホホ…お褒めに預かり光栄ですわ、竜太郎さん。」
とはいえ有頂天になってしまうのは、考え物ですわね…
少しでも気を抜けば、自ずと頬や口元が緩んで仕舞いますわ。
この僥倖に流される事なく、身も心も引き締めて初詣に臨みたい所ですわね。
新春とは申せど、それはあくまでも暦の上での事。
天満宮の境内を時々吹き抜ける北風や、手水舎の水の骨身に染みるような冷たさには、冬という季節を否応なしに痛感させられますわ。
とはいえ冬の澄んだ冷たい空気は、ともすれば浮かれてしまいそうな私の心身を引き締めるのに最適で御座いましたの。
天神様に新年の抱負を御伝え申し上げるのですから、身を引き締めた厳粛な姿勢で臨みたい所ですわね。
「真弓さんとの御縁に感謝を示したい。そう考えまして、御賽銭には工夫させて頂きましたよ。」
そう仰った竜太郎さんがそっと差し出されたのは、冬の陽光で金色に輝く九枚の五円玉硬貨で御座いましたの。
「まあ、竜太郎さん…四十五円で『始終御縁がありますように』という事なのですね。」
竜太郎さんったら、何と素敵な御心遣いを。
またしても、頬と口元が緩んでしまいそうですわ。
「それっ!」
まとめて投じられた九枚の硬貨は、軽やかな音を立てて賽銭箱の底へと消えてゆきましたの。
こうして五円玉を賽銭箱に投じました以上、後は本坪鈴を鳴らしませんとね。
「そうだ…御待ち下さい、真弓さん!」
「えっ?」
ところが竜太郎さんったら、鈴緒を揺すろうとする私に待ったをかけられたのですわ。
一体全体、どうなさったのかしら?
「折角の機会ですから、一緒に鳴らしてみましょうよ。そうして結納後の家内安全と家運隆盛を、二人で御祈り致しましょう。」
「あら、まあ…」
家内安全に家運隆盛。
それは正しく、私が天神様に御伝え申し上げようと心積もりをしていた今年の抱負で御座いましたの。
二人で御祈りとは、なかなかロマンチックな試みですわね。
とはいえ二人で鈴緒を握ろうと致しますと、自ずと寄り添う姿勢を取る事になるのですね。
此れでは否応なしに胸が高鳴って仕舞いますわ。
「それでは鳴らしますよ、真弓さん。」
「畏まりましたわ、竜太郎さん…」
ピッタリ寄り添う姿勢と相成りました私と竜太郎さんの揺する鈴緒に合わせて、独特の金属音を響かせる真鍮製の本坪鈴。
その音色を聞いておりますと、「初めての共同作業」という言い回しが私の脳裏を過ぎったのですわ。
私共は和風の披露宴を予定しておりますので、ケーキ入刀も鏡開きに置き換えさせて頂きましたの。
竜太郎さんと御一緒に酒樽を御開けする時が、今から楽しみで御座いますわ。
そうして二礼二拍手一礼の作法に則って御詣りをこなし、いざ御神前を御暇しようとした、正にその時でしたの。
「あっ…雪ですよ、真弓さん!」
「あら、まあ…」
竜太郎さんの御言葉に促されて振り返りますと、白い雪がチラホラと境内に舞い落ちていたのですわ。
予報では晴れ時々曇りでしたのに、存外と当てになりませんのね。
道行も外套も置いてきてしまったのが、裏目に出て仕舞いましたわ。
「然しながら、御年始に降る初雪とは何と風流な…あら?」
予報に無い雪を風雅として愛でようとしていた私は、不意に肩へ掛かった温もりと重みに声を上げてしまいましたの。
「此れは…」
見覚えのあるデザインに、深緑の生地。
それは正しく、つい先程まで竜太郎さんが御召しだったコートで御座いましたの。
「構いませんの、竜太郎さん?」
「そのままでは御身体に障りますよ、真弓さん。僕なら御心配なく。それに、此のスーツも撥水タイプの物ですから。」
黒いスーツの肩や背中に雪が舞い落ちるのも意に介さず、穏やかな微笑を浮かべられる竜太郎さん。
その御姿を見ておりますと、私はもう何も申し上げる事が出来なくなって仕舞ったのですわ。
「そうでしたか…それは助かりますわ、竜太郎さん。有り難く、御借り致しますの。」
本当の事を申しますと、此度に新調致しました私の御着物にも、撥水加工は施されておりますの。
然しながら、それを申し上げて何になるのでしょう。
竜太郎さんの「愛しい婚約者の着物が雪で濡れないように」という善意が宙ぶらりんになり、その場の空気が気まずくなるだけでは御座いませんか。
素直に好意をお受けする事で、面子と自尊心を保証する。
そうした愛しい人を立てる気遣いもまた、淑女の嗜みの一つですのよ。
しかし気遣いという点では、竜太郎さんの方に軍配が上がりますわね。
何しろ竜太郎さんは、誰に何を言われる事なく自ずとやってのけたのですから。
そんな竜太郎さんの伴侶として相応しい淑女になれますよう、一層に精進致したい所ですわ。