05、闇の組織バスラ
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「まずは定期検診をしようか」
「……」
エンからの届け物がてら情報をもらいに行けば、男はにっこりと微笑んだ。
やっぱりかと溜息を吐き、側に控えていた女性に荷物を渡した。
下町唯一のまともな医者、シュウ。
まともと言っても腕のみで、性格は変わっている。貴族の生まれだが、医者業を辞めさせようとした家族と許嫁に仕事道具を奪われそうになり家出。色んな意味で様々な人が入り交じるディソナンテに自ら来た。さらに医者業も人体観察という趣味が高じたものなので、治療費を安くすれば来る人が増えると必要最低限しか請求しない。
青色の瞳、整った甘い顔立ち、まっすぐな金色の髪は後ろで束ねられ、育ちの良さを感じさせる所作。さらには人当たりもよいので、下町の女性陣にも人気が高い。なんとか振り向いてもらえないかとアピールする女性もいるらしいが、忘れてはいけない。この男が興味を持っているのは人ではなく、人体。
医者業を続ける為に、普通の人なら避けて通る下町で暮らすことが出来る男だ。いくら見た目が良くても中身に難がありすぎる。もし、解剖させてくれと言われたどうするつもりなのだろう。
「フィーラ様、こちらへ」
エンからの届け物を置いてきた女性、リタがベッドへ案内してくれる。
見た目が華やかなシュウと違い、リタは茶色の髪と瞳。顔立ちも比較的整ってはいるが、基本的に無表情なので地味に見える。そう見える一番の要因は、常に共にいるシュウが原因だろう。
ちなみにシュウが奪われかけた仕事道具にはリタも含まれている。人間を道具だと真顔で言い切るシュウも、当たり前のように受け入れるリタも、どちらも変わっているので、ある意味釣り合いは取れているのかもしれない。
問診と触診、最後に指先を針で刺し魔石に血を一滴落とす。
灰色だった親指の爪ほどの小さな魔石が淡く光り、鮮やかな青色に変化する。透明度も増した魔石を光に透かし、シュウは満足気に頷いた。
「うん、異状はないね。たまには熱を出したり、怪我をしてもいいのだよ。きみなら特別に私がつきっきりで看病してあげるから、安心して体調を崩すといい」
リタが用意していた紙に何事かを書き記す。幼い頃からシュウに診てもらっているので、今までの結果が記してある紙なのだろう。
ぺろりと血が滲む指先を舐めながらシュウを睨む。そこは健康が一番と言うところだと思うんだけど。
世話になっている自覚はあるが、どうにも昔から私を実験台にしたい欲が丸見えで出来る限り関わりたくない。が、そうも言ってられない。
「連絡していた件だけど」
「ああ、セクエストロ家の情報だね」
私の言葉にシュウが頷いて手を横に差し出す。そこにリタがすかさず折り畳まれた紙を渡す。示し合わせたかのような無駄のない連携は、いつものことながら見事で感心してしまう。
「セクエストロ家は先々代がアブエスタ・ドゥエロで優勝し、男爵位を賜ったのが始まりのようだ」
「アブエスタ・ドゥエロって、ディアブロ領で毎年開催されてる?」
百年前程の戦で武勲を立てて伯爵となったのがディアブロ家。ディソナンテはレイエンダ領とディアブロ領に挟まれた場所にある。
その後も、恩恵を賜った成り立ちを忘れぬようにと毎年領地で武闘大会を開催し、腕のある者を王都の護りに送り出し国に貢献している。おかげで今では侯爵となり、四大貴族と呼ばれるまでになった。
「そう。男爵位を賜ったのは先代で、現在は爵位を返上している」
この国で言う男爵位は、与えられた人のみが名乗る一代限りのもの。それも伯爵以上の推薦が必要となる。
その恩恵を受けている間に人脈を作り、息子や娘に良い相手を見繕ったり、良い職を斡旋したりするのが一般的だ。
「先代はそこそこ使える男だったそうだが、子孫は違ったようだね。当代は武の才どころか文の才も大してなく、コネでなんとか小隊長補佐の座にいる程度の男だ」
昨日侵入した屋敷は貴族街の端に位置し、地下付きの二階建て。庭もあったけど、とりあえずで植えている感が強かった。ちゃんとした庭師ではなく、使用人が手入れしているのだろう。その使用人も確認した限り二人しかおらず、いっそ裕福な商人の屋敷のほうがきちんとしているのではないだろうか。
ディアブロ家を後ろ盾に王都へ来たものの、代替わりで力が弱まり戻ることも出来ず王都にしがみついていた。王都は優美な皮を被った苛烈な戦場。その程度の者に居場所なんてくれはしない。
「当代は子へ良い相手をあてがうことで、再起を図ろうとしたものの、当代の子供は娘が二人と体の弱い息子が一人でいよいよ存続は絶望的になった」
「入り婿を探せばいいんじゃ……」
「大して美人でもない斜陽貴族の娘に婿入りする物好きなんていないだろうね。現に当代の嫁に選ばれたのは中級貴族の生き遅れ。しかも、先月に当主が上官の不興を買い、妻も子供を連れて実家に帰ったそうだ」
王都の貴族街に居を構えるのは、王宮に職を持つ上級と一部の中級貴族。下級貴族の大抵は上級貴族の傘下にいる部下としておこぼれを貰っているに過ぎない。
生き遅れの娘がずっといるより、出戻っても一度出した事実があれば醜聞は幾分かましになろう。特に今回は相手にも非がある。中級貴族は生き永らえたが、セクエストロ家には痛手だ。職も、妻も、跡取りも全て消えたのだから。
「ああそれと、君達が侵入したという屋敷だけどね。現在売りに出しているようだ」
「売りに? 確かに人気はなかったけど、門番も下働きもいたのに」
「そう、そこが可笑しい。そこでリタに購入希望者として探りを入れてもらったところ、売る予定なのは確かだと門番が言ったそうだ。なんでも当主は、武官を辞して新事業を立ち上げるべく海に出ているという」
「どうして海? 漁師にでもなるつもり?」
「運送業だそうだ。ミトロピアの領地から海へ出る大河があるだろう? そこと自領のあるディアブロ領を行き来して、様々な品を流通させる予定らしい」
ディソナンテはレイエンダ領とディアブロ領の間に位置し、僅かながら王都にも接している。ミトロピア領は王都を挟んだ逆側。王宮がある山から湧き出る滝が川となり、海へと流れる。
すでにその川を使った運送業は存在する。素直に受け取ればそこに新規参入するための準備と考えられる。門番もそう思っているからリタに包み隠さず話したに違いない。
「その荷に混ぜて、誘拐した人を移動させると?」
「ディアブロ領に多少なり領地を持っているようだね。ここほどではないけれど、ディアブロは王都よりも規律が甘い。一度自領に連れ帰ってしまえばどうとでもなると考えているんだろう」
王都から離れれば離れるだけ目は届きにくくなる。それこそ王が目を光らせ、取り締まるべきなのに。現王は平和ボケしているのか、執政にあまり積極的ではない。
「これがセクエストロ家が新事業のために用意した倉庫の場所」
貰った紙切れには最低限の情報しか書かれていない。場所を確認し、つい頭を抱えた。そこはもう王都ですらなく、ミトロピアの領地だった。
「ミトロピアの当主は何をしているの」
「婚姻の準備で忙しいのではないかな」
「ちっ」
「ふふ」
行き場のない苛々を吐き出せば、何故か楽しそうに笑われた。むすくれると余計に笑うのだからたちが悪い。
「フィーラ」
帰ろうと椅子から立ち上がると、笑いを引っ込めた真っ直ぐな瞳がこちらを見ていた。
「君にちょっかいをかけようとした男については現在調査している。分かり次第連絡するけれど、万が一の時は……わかっているね?」
その瞳に責める色はない。どちらかと言うと心配しているような雰囲気のシュウに、無言で返す。
昨日作戦会議が紛糾したもう一つの原因。
それは、ハルセという男が私を見て”その女”と言ったこと。
私もオッタも、黒いシャツとズボン、その上に踝まであるフード付きのマントを羽織っていた。顔はおろか、体つきも闇の中では見えにくくなっていたはずなのに、当然のように”女”だと言ってのけた。だから咄嗟に土の壁を作り、夜警ではなくハルセから逃げ出した。
「エンは君に甘いから、厳しいことは言わなかっただろうけれど。”赤ずきん”の正体を知られて困るのは君だけではないんだよ、フィーラ」
誰にも気付かれるわけにはいかない。
世間で”赤ずきん”と呼ばれているのが、私達”バスラ”の人間だということを。
バスラ。
それは約十一年前に作られた、存在してはならない組織の名。自警団の手に余った下町での事件を水面下で処理する、なんでも屋。盗賊団が関わっていたり、貴族が裏にいたり。表立って動けない案件を請け負い、確実に遂行する。
武力を誇る夜警や騎士団、魔力を誇る貴族達の手に落ちることなく、任務を遂行し逃げ去る手腕から、あちこちに伝手のある数十人規模の組織であると言われているそうだ。”赤ずきん”という名も、正体不明の組織への恐怖心からついたのだろう。返り血に全身が染まるなんて状況、そうそうないし腕が悪すぎると思うけど。
実際の構成員は十人にも満たない上、日中は別の職についている普通の人間の集団である。構成員は皆、ナンバーを表す名と共に、任務で使う長いフード付きのマントを与えられる。
私は普段から構成員としての名”フィーラ”を使っているが、全員がそうではない。オッタは自警団の時は本名のサイガを使い、バスラとして動く時は”オッタ”と名乗る。シュウも同様に、本名で医者をし、構成員名を使うのは稀だ。
とは言え、一人でも正体がバレればバスラ全員が捕まる可能性がある。そうなれば下町を守る最後の砦が消えてしまう。それだけは避けなければ。
「……わかってるよ、フェム」
シュウの忠告に頷くと礼を言って、外へ出た。
「どうしようかな」
思ったより早く用事が済んだ。夕の繁忙まではまだ少し時間がある。
せっかくだから、とアコルデとは逆方面に足を伸ばした。
「!」
「ぼけっと突っ立ってんじゃねえよ!」
途中、後ろから勢いよく子供がぶつかってきた。暴言を吐いて去ろうとする首根っこを捕まえる。
「うわっ!? な、何すんだ! おろせおばはん!」
六歳くらいだろうか。薄汚い格好と精一杯睨んでくる少年の懐に手を突っ込み、ぶつかった拍子に取られた私の財布を奪い返す。ようやく相手が悪かったことを悟ったのか、少年は青ざめた表情で固まった。
「ちょうど良かった。少し手伝いなさい」
にこりと微笑んだ私の顔を見てじたばたと暴れ始めた少年を小脇に抱え、大通りへと向かった。