02、下町食堂アコルデ
「いらっしゃいませ!」
昼の混雑が過ぎて一息つく暇もなく、夕の混雑が始まる。
「おう。今日もべっぴんさんだなぁ、フィーラちゃんは」
「フエーゴさん、こんにちは。ご注文は?」
「両方頼む」
「かしこまりました」
仕事を終えた人からぽつぽつと集まり始め、いつの間にか宴会の様相を呈し、日が完全に沈む頃には解散する。
アコルデの営業時間は正午の鐘から日が沈むまでの数時間。定休日は特にない。
数年前、店長であるエンが趣味と実益を兼ねて始めたもので、すべてがエンの気まぐれで成り立っている。
メニューは食べ物と飲み物の二種類のみ。飲み物はビール、食べ物は注文があった時にエンが厨房で作っているものを提供する。リクエストは基本的に受け付けていない。当然、客は神でもなんでもないので、馬鹿なことをするようなら身ぐるみを剥がして外に放り出していい。
十年ほど前までは下町内にもいくつか食堂があったそうだ。けれど、どうしても食べ物と金が集まる場所は客以外も呼び寄せてしまい、悉く潰れてしまった。
昼でも危険だとされるディソナンテだが、夜はさらに危険度が跳ね上がる。
昼間は警戒さえしていれば、自警団の巡回もあり女子供も単独で外へ出られる。しかし夜はその危険度から見回りもなく、余程の急用でもない限り誰も家から出ない。
暗闇に潜むのは通り魔や悪漢、守り手が不在の家を狙う空き巣や盗人など数えればきりがない。
国や法は、私達を守ってはくれない。だからこそ、下町の人間は自分の身と家族の身を守る為に、夜は身を寄せ合う。これでもここ数年で治安は良くなっている。
アコルデが今もなお潰れることなく手頃な値段で提供できるのは、私達従業員が護衛を兼ねているから。
仕事を終えた男達はこの安全地帯で短い休息を取る。そうして疲れた体をしばし休め、再び家族を守る気力を養い、閉店を合図に帰っていく。
ここは数少ない、守ってもらえる場所なのだ。
安酒と山菜を甘辛く味付けしたつまみをトレイに乗せて戻ると、フエーゴが誰かと話し込んでいた。
黒っぽい茶色の髪はボサボサ。目元は隠れ気味で、着ている服も草臥れている。風体こそ下町でよく見るものだが、見覚えはない。
「はい、おまちどう」
「ありがとよ」
「嬢ちゃん、俺にも酒くれや」
「食べ物も追加で」
「はいはーい」
私の登場に一瞬驚いた二人は、取り繕うようにへらりと笑った。
私が離れると再び背を向けて話し始める男達の声はひそやかで、口の動きすら読めない。だけど、どこか気になる。
「エン」
「ああ」
「こっちがフィーラのほうね」
「ありがと」
厨房に入ると、別のテーブルを相手していたティオがついでに用意してくれていた。そこにエンが火で炙ったゲソを追加し、ティオのトレイには小間切れ肉と野菜と米を混ぜた炒飯を乗せた。
「おまちどう」
私が近づくのに気づいた男がまたもへらりとした笑みを浮かべるが、目が笑っていない。対するフエーゴの笑みもどこかぎこちなく、不自然に目を合わせないようにしていた。
二人とも役者には不向きだなとどうでもいいことを考えながら、営業スマイルを向けて配膳する。
「そういえばフエーゴさん。奥さんの調子は良くなりました? 持ち帰るなら伝えてきますよ」
「あ、ああ。頼もうかな」
「奥様とお子さんの分ですね。わかりました」
再びの追加注文に、ティオへ合図を送って厨房へと下がる。
すでに持ち帰り用のお弁当を準備し始めたエンの後ろを通り過ぎ、厨房の裏手にある階段へ腰を下ろした。
耳につけたピアスに触れると、雑音に混じって聞こえるはずのないフエーゴの硬い声が聞こえ始め、徐々にはっきりとしていく。
『ーーしろっつーのか』
『安いもんだろ?』
『無理に決まってんだろう! 親方を裏切るなんざ……』
『無理ならそれでいいさ。薄汚えガキでも欲しがる物好きはいるからなぁ』
『……っ。本当に、それで妻と子を返してくれるのか』
『俺は約束を守る男だぜ』
『……』
「ふうん」
想像通りのやりとりに目を細め、再びピアスに手を触れる。
途端にフエーゴ達の会話は遠ざかり、他の客達同様にざわめきの中へ溶けていった。
「はい」
「ありがとう」
出来上がったエン特製弁当を受け取り、フエーゴの元へ。ちょうど話が終わったらしく、フエーゴの隣に座っていた男が立ち上がったところだった。
「もう帰られるんですか?」
「ああ、うまい酒ありがとよ」
「こちらこそ。またのお越しをお待ちしてます」
営業用の顔で男に近づくと、同じ上っ面の笑顔が返された。男の背後にいるフエーゴに弁当を渡すため、男を横をすり抜ける。
「はいどうぞ」
「いつも助かるよ」
ほっとした様子で弁当を受け取り、二人とも会計を済ませて帰っていった。
二人が座っていたカウンター席を片す私を、ガラスの瓶に活けられた一輪の花が見ていた。
* * *
その日の夜。
今日の営業を終え、静かになったアコルデの中には私を含めて四人が残った。
店主のエン、私と同じ従業員のティオ。そしてもう一人。
「ティオ、飲み物持ってきて」
「わかった」
「あっ!」
夜のまかないを運んできた私と入れ替わりでティオが駆けていく。
さっきまで話していた相手に一切の断りなくあっさりと置いていくものだから、私の目の前にはぽかんとした男が一人残された。
「あんにゃろ、逃げやがった!」
「……」
「つか、俺の時と態度違いすぎんだろ。俺のほうが先輩なんだから、もっと敬うべきじゃね?」
「……」
「何か言えよ! 俺の独り言みたいになってんじゃねえか!」
「……」
「おい!」
ぶすくれた表情で肩肘つく男は、オッタ。
私の一つ年上で、日中は自警団として下町を守っている。出会った頃は私より少し低い背だったはずが、成長期と仕事の影響で今や私より背だけでなく体格も成長した。つまりは可愛げが一欠片もない。
どうせティオにもいつもどおりからかわれいたのだろう。ティオは幼く可愛らしい見た目をしているが、口が達者でしっかりしている。誰かさんとは大違い。
「聞いてんのか、フィーラ!」
「うるさい」
相手するだけ無駄だと無視する私に、食事を並べる机をべしべし叩く。
ティオですらしない子供じみた抗議に、思わずエプロンにつけていたペンを投げつけた。
「あっぶね! お前当たったらどうすんだよ!」
眉間に向かって投げたペンは、白羽取りでいとも容易く止められた。またも喚くオッタを横目で見、配膳を続ける。
当たったもオッタの腕が鈍ったと思うだけ。あのまま刺されば良かったのにと思う半面、当たっていれば更に騒ぐのが目に見えて考えるのを放棄した。
「あ、楽しそうなことしてる!」
「お前の目は節穴か。俺は、今、命を狙われたの、わかる? ぜんっぜん楽しくなんてねーの!」
トレイに人数分の水を入れてきたティオが、ガチャガチャと忙しなく駆け寄る。日中は客で賑わう店内にオッタ一人の声が響く。
酒が入った客達は大声で笑い怒鳴り合うが、複数の音が混ざれば雑音でしかない。が、現在喚いているのは一人なので、ただただ煩い。
「ね、口なら何点?」
「おい」
「的としては大きいけどよく動くから、中に入れば三点かな」
「おーい」
「ちぇ。なら、やっぱり眉間を狙うしか……」
「目は七点かな」
「聞けーい!」
水と共に持ってきていたフォークを手で弄びながらオッタを見る目は、獲物を値踏みするものだった。
ちなみに最高は眉間と心臓の十点。露出してる急所を探していたティオも興が削がれたのか、手でくるくるフォークを弄ぶだけで投げるそぶりはない。
「楽しそうだね」
「エン……お前もか……」
追加のまかないを持ってきてくれたエンにとどめを刺され、喚いていたオッタはがくりと項垂れた。
静かになったところで全員席につき、手を合わせて祈りを捧げる。
「今日も無事生き延びた喜びと、明日の無事を願う祈りを。乾杯」
「乾杯」
下町ではどの家庭も似たような祈りを捧げる。日々を生きることの難しさをよく知っているからこそ、毎日毎食欠かさずに祈る。
祈りを捧げ終えると水の入ったコップを目線まで掲げる。灯りを絞った店内は薄暗いが、水を通して正面に座るティオが見えた。
「店の方は大丈夫だった?」
「うん。最後ちょっとバタついたけど、ちょうど暇そうな人がいたから」
「あのな、俺これでも一日働いてきた後なんだけど」
「自己申告ありがとう、暇な人」
「くっ」
「ところで、エン。これ何? 不思議な味がする」
「珍しい香辛料が手に入ったから使ってみたんだ。どうだい?」
「美味しい」
エンお手製まかないを味わいながら、他愛ない話で盛り上がる。エンは新作の感想に柔らかい笑みを浮かべていた。料理は美味しいのに人見知りだから、滅多に感想を効かないから嬉しいのだろう。
そのうち、今日の出来事へと話題が変わった。
フエーゴ達を見送った後、私は店を二人に任せて町へ出た。明日の買い出しとある人へ会うためだ。閉店までに戻るつもりが間に合わず、幸い早番だったらしいオッタが手伝ってくれたらしい。
オッタはへの字口で恨めしそうに料理をつついている。
「つーか、フィーラ。お前からも言えよ。詰所はごみ捨て場じゃねえって」
「は?」
オッタが言いたいのは、今日アコルデで暴れて蔦巻きにされた哀れな男達のことだろう。女子供に自尊心をへし折られ、更には臓器を売られるかもしれない恐怖はそうすぐには消えない。
とは言え、私は蔦で巻いただけ。もっと綺麗に巻けというなら善処するけど、捨て場所など実際捨てた人に言わなければ意味がない。
「自分で言いなさいよ」
「なんっっども言ってるわ! こいつが俺の言うこと聞くわけねーだろ!」
「そうね」
「だあー! まじで可愛くねえ女だな!」
「食事中だよ」
まったくもって年上の威厳もない。そんなだから年下の後輩達にからかわれるのよ。
苛立ちをぶつけるように汚い食べ方をするオッタにエンが苦笑し、話題を変えた。
「フェムのところへ寄っていたのだろう?」
フェムというのは、下町唯一の医者。腕が良く法外な治療費も請求しないと、下町の人々に重宝されている。
とある理由から私はあまり近寄りたくない。それでも下町の多くが世話になり、情報も集まりやすいので定期的に話を聞きに行っている。
「寄ったけど、大して情報はなかったわ。自警団には?」
「ここ数日、これといった事件はねえな。今日は緑の団子、昨日はカエルの大合唱があったくらいだな」
「平和が一番だね」
オッタの話にエンがのほほんと茶をすする。
麻痺してると思わなくもないが、ここは日々多少の傷害や人死にも少なくない下町。小汚い男で出来た団子や、野太い音痴の集まりくらいなら、エンの言う通り平和としか言いようがない。
「聞こえた限りでは、フエーゴさんの妻子が連れ去られたのはここ数日のこと」
フエーゴがアコルデを出た後、私はもう一度聞き耳を立てていた。
フエーゴに渡した弁当の中には、私が生み出した植物の種が入っている。
その種があれば、その場にいなくても会話を聞いたり、持ち主の居場所を特定することが出来る。
ただし、制御が難しく常に魔力を消費するので、木属性が得意で魔力が多い人でないと扱うのは難しい。この術を教えてくれた人くらいしか、自分以外で使っているのを見たことはない。
「何か職場の秘密を言うように脅されてたから、同業者かもしれない」
フエーゴは彫金師だ。言葉遣いや態度は下町らしい雑さだが、彼の手がけた品は王都の店でも扱ってくれる程の出来栄えだと聞いたことがある。
「では、そちらは私が調べよう。オッタ」
「げえ。俺明日も仕事なんだけど」
「おれが行く!」
「ティオは残って店を守っていてくれ」
「ちぇ」
「エン、私一人でいい」
今日も明日も仕事なのは私も同じ。やる気のない奴はいらないと首を振る私に、オッタが鋭い視線を投げてくる。
「今日動くかも分からないし、情報が少なすぎる」
フエーゴに弁当を渡す時、すれ違いざまに怪しい男のポケットにも種を仕込んだ。
今も音量を下げて会話を盗聴し続けているが、上着を脱いでしまったのかこれと言って役に立ちそうな情報はない。
ひとまず種が示す場所を調べてみなければ。
「情報が少ないからこそ、二人で行動すべきだろう」
「……わかった」
穏やかにそう微笑まれれば黙るしかない。エンの言うことは絶対だ。
頬を膨らませてそっぽを向くティオの頭を軽く撫で、食べ終えた食器を片付ける為に立ち上がった。
「着替えてくる」
汚れた食器を乗せたトレイを持ち、私は一足先に上階にある私室へと戻った。